57.コシモ
アレクサンドリアの海が色づき始める。ナナ子は横でよだれを流すノンを見て、夜の激しかった営みを思いだす。
モンフオールたちを撃ち破った後、ノンは特に最近、激しくナナ子を求めている。
やはり闇ミトラ教会の元教皇がいる阿鼻への遠征は、恐くのでストレスが大きいのだとナナ子は思う。
コシモの政治工作で、モンフオールを派遣した偽帝ポンテイフエクスは、失脚して本拠地に引きこもった。
しかし、彼らは相変わらずイエシエアを十字架に張りつけ、自分たちの罪を擦り付けている。
アレクサンドリアとしても、偽帝たちが再び侵攻してくる危険は認識している。
しかも、彼らは異端討伐を計画して|自分たちに従わない者たち《モンセギュー》を皆殺しにして財産を奪い、その罪だけイエシエアに擦り付けようとしている。
ただ、偽帝たちの兵力は、未だにゴリラ族たちだけでも一万、ハイエナ族たちは四万、カラス族たちが一万も残っている。
今までノンたちは、圧倒的な兵力がいる敵地であまり戦っていない。
ノンたちの兵力は、コシモの傭兵二万とノンたちの獅子族二百人とアラゴン王からのピレニアン犬族千人である。
元々、ビビる性格のノンには、かなりストレスがたまっている。だからナナ子はノンを海のように受け入れ、ナナ子のなかで休ませてあげようと思っている。
「ウー、ワン。」
寝言でノンが吠える。ノンの体が緊張している。
「やはり、恐いのねコン。」
ナナ子は呟き、大変なストレスを抱えたノンをゆっくりなでなでする。ノンの体の緊張がとれていく。
商業都市国家の代表、チンパンジー族のコシモとノンたちがコシモの要塞兼邸の会議場で会っている。
コシモの傭兵たちはシェパード犬族、ブルドック族たちを中心とした犬人たちである。
傭兵たちでは、偽帝たちの遠征軍から城壁で守ることはできても地上の白兵戦でゴリラ族たちと戦うには、力不足だ。
ゴリラ族たちと互角に戦うことができるのは、獅子族たちとアラゴン王のピレニアン犬族千人だが人数が少ないので正面から戦う訳にはいかない。モンセギューを守りたいが兵力が足りない。議論が煮詰まったので、休憩になる。
コシモがノンたちに話しかける。
「皆さん、商業を誤解している。」
コシモは、商業もまた価値を創ること、価値を創ることに失敗して損する事もあるのだと説明を始める。
「商業が創るのは、交換価値なのです。」
商品には、使用価値と交換価値があり、このうち使用価値とは使う時の価値である。
分かりやすいのは穀物である。食べれば人は生きる為のエネルギーを得る。
使用価値に対して一定していないのが交換価値である。商品の交換価値は値段で示されるが、その値段は、その時の必要性に依って上下する。
この様々な必要性を認識して、ある集団では棄てられていた商品に、別の集団で新たな交換価値がつくことは多々ある。
それこそ商業が交換価値を創る証明である。
商業が価値を創らないというのは、偏見だとコシモが説明する。
ノンは、日本の歴史上の史実として、腐りやすい為、棄てられていた鰯が肥料として田畑の生産性をあげた事を知っているので納得して頷く。
これは商業による商品の創造である。
ノンが頷くのを見てコシモが言う。
「やはり英雄には分かっていただけましたか。」
そこへサラが質問する。
「でも、米不足で人々が困っている時に、高値で大儲けする悪どい商人は交換価値を創るのニャン?」
コシモがサラを見て言う。
「それは、社会の基盤を壊す行為です。」
更にコシモが言う。
「まず商品には、大きく分けて三種類有ります。1つ目は絶対に必要な商品、食料や水が有ります。二つ目は社会生活に必要な商品です。東昇帝国では、衣服は必要ですが、未開の地では全裸の者たちもいます。それぞれの社会で必要とされる商品が違うのです。三つ目がそれ以外の商品で、商人が自由に値段を決めてもよい商品です。」
サラがここまでの話を理解できるようにまとめてコシモが言う。
「つまり、商品には人が絶対必要な商品と、社会的に必要な商品、それ以外の商品があり、商人が自由にしていいのは、それ以外の商品です。
食料不足の時に、高値で食料を売るのは商人ではなく強盗と同じであり、政治が不当利得を税金として取り上げるべきです。」
コシモがノンに視線を向ける。
「正義の女神テミスの秤とは、このような基準ではありませんか?」
ノンが福老から聞いた新たな希望の1つ、衡平についての基準となるか考える。
「その通りワン。」
マサヒロが納得して言う。
「だからテミスは目隠ししているのだな。」
この世界の多くの女神テミスは目隠しされている。成る程、衡平の基準が示されず、不当利得が野放しになっているので正義の女神は目隠しされている。
コシモが言う。
「この世界に衡平な秤を。」
ノンが言う。
「この世界に衡平な商業をワン。」
ノンとコシモが手を握る。
マサヒロが言う。
「アレキサンドリアのヒュパテア臨時代表から聞いて欲しいことが有ると言われています。」
コシモがにこやかに聞く。
「何なりと聞いて下さい。」
マサヒロが聞く。
「何故、今、アレキサンドリア側についたのか、本当の理由を教えて欲しいそうです。」
コシモが言い淀み、それでも話を始める。
「旧友が偽帝に拘束されている事が最近、分かったのです。」
マサヒロが聞く。
「それほど重要な人物なのですか?」
コシモが答える゙。
「人々の未来を変える゙鍵を知る男です。」
マサヒロが言う。
「それで納得しました。」
コシモが最後に旧友である神族の|亜九須霊秘押忍≪アクスレピオス≫と会った時の事を話し始める。
擦り切れたズボンをはいた彼は、よほど興奮しているのか、自分の仮説をコシモに話す。
「人の持つ|宿命≪傾向≫は、いわば無意識の底に書き込まれたプログラムのような記憶なのさ。」
コシモが聞く。
「無意識の底とは?」
「過去の出来事が記録された心。通常は思い出せない。」
「それを|書き換える事が可能≪プログラム≫だと言うのか?」
「ああ、百年の修行も、万巻の経典を超える|体験≪奇跡≫でも変えられない宿命を変える゙事が可能なのさ。」
百年の修行、万巻の経典を超える|体験≪奇跡≫とは、覚者との出会いの記憶を思い出した時に起きる感動を現す表現だ。
「|それ≪奇跡≫を超える?」
コシモが思わず驚き聞く。
「ああ、|それ≪奇跡≫をある意味で超える。」
ある意味とは、人が苦しむ|原因≪宿命≫を変更可能だという意味でだ。
つまり、睡眠不足で眠たい人がコーヒーを飲んで一時的に眠気を醒ましても、やはり眠気の原因は消えない。
また、眠気が襲うだけだ。
しかし、眠れば睡眠不足は解消する。
「本当に?」
「本当だ。|それ≪奇跡≫は人の宿命を変えないが、プログラムは変える゙事が可能だ。」
「痛いワン!」
ノンが、退屈な話で眠らないようにナナ子が抓った場所と抓った力がノンを叫ばせた。
やはり、このような話には、ノンを眠らせる効果がバツグンで、ナナ子もノンが眠らないように思わず力を入ってしまった。
コシモが過去から今に意識を戻す。
コシモが皆を見回して言う。
「もうじき、モンセギューから使者が来ます。」
(面倒くさい話:運命と宿命)
これは一つの仮説です。
宿命とは、人が持つ傾向、運命とは実際の人の選択結果。
つまり、宿命とは、その人が持つ傾向ですから、例えば物事に対してプラスのバイアス(偏向)がある人は、不幸に成りやすい。
これは、バイアスが持つ現実との差が大きい事の結果です。
もちろん、マイナスのバイアスも同じように現実との差が発生します。
重要な事は、物事をなるべく現実に近く判断する事だと考えます。




