ベアトリス嬢は地味でいたい
いつもの朝はどこかの建物が爆発する音から始まる。
あ、こっちの方は教会の鐘の方か……。
ベアトリス・ヴァーグナーは目を覚ました。
今日もまた同じ時間に起床する。
「おはようございます。ベアトリス様」
ベアトリスを起こす予定だった侍女のマリアが立っていた。外の騒ぎに眉ひとつ動かさないのは出来た侍女なのかそれとも慣れたのかはわからない。
「おはよう。マリア」
主人の目覚めと共に水桶を載せたトレーワゴンがベアトリスの前に運ばれてくる。
顔を洗ってマリアの手からタオルを受け取りしっかりと水気を拭き取った。
ベージュの地味目なエプロンドレスをクローゼットから取り、自分で着替える。
メイクはマリアに施してもらう。美しい肌は日焼けを意識した濃いめのファンデーション。そしてそばかすも忘れずに。
髪は三つ編みに編んで瓶底眼鏡をつけて完成だ。
二階の自室からダイニングルームに降りて行くと祖父と両親が揃っていた。
ベアトリスは祖父と向かい合わせの席に座った。
朝の挨拶をすると祖父が口を開いた。
「ベアトリス。今日も一日謙虚でありなさい」
「はい」
ベアトリスは頷いた。
出された朝食を食べながら器用にナイフとフォークを使う。
地味であることはヴァーグナー家の家訓だ。
その生き方には疑問はない。
自身にとってはそれが一番理想的で安定した生き方だから。
その家訓に従いながら今日も魔法学園へ行く。
地味な下級貴族の目立たないベス・ウィリアムズとして。
「きゃあっ!」
少女が持つぼわん、と大きなシャボン玉がフラスコの上に出来上がり弾けた。
小規模爆発だが、ベスは巻き込まれないように小さな結界を張ってそれを防いだ。
少女の近くにいた女教師シシリィは眉を吊り上げて少女を叱る。
「サラ・シラサキ! 何度失敗すれば気がすむのかしら。予習しなさいってあれほど……!」
シシリィもまだ20代の女性だが、毎日のようにサラを叱るにつれて眉間の皺が増えて行くあたり不幸だと言える。
「ごめんなさい。先生」
「今日も居残りで予習しなさい」
先生、それは無理です。
と言いたくなったのはベスだ。
サラは毎日予習しているのは知っている。
至る所で魔法の訓練をし、建物を毎日のように爆破させていた。
今朝も大きな爆発音がしていたがそれもサラの仕業なのだ。
それを何故知っているのかといえば、ベスはサラの親友だからである。
魔法が得意ではない訳ではない。
いや、異世界からの転生者で魔法の知識を知らない状態で上級魔法をいきなり使わせようとする神殿の責任者の横暴と言えるだろう。
ベスは同情した。
だが、サラの磨けば光る容姿と制御しきれていないが強い魔力の持ち主で、明るい性格などは将来有望である。
それはベスが目立たないための必要不可欠である。
これは利用しない訳にはいかない。
「フッ……」
講義の少し後ろの席で鼻で笑う声が聞こえる。
シャーロット・ブルータス。
切れ長の瞳を持った気の強そうな美人だ。
お嬢様という要素をそのまま前面に出していて、常に取り巻きの少女を二人連れて歩いている。
「サラ・シラサキさん。こんな簡単な問題を知らないなんて恥を知りなさい恥をっ」
縦ロールの金髪美人からはオーッホホホという甲高い笑い声が似合うような気がする。
ライバルとして見ているのか張り合ってくるシャーロットはなんとなくサラに絡んでくる存在だ。
成績優秀とお金持ちのお嬢様という設定を武器に今日もまた絶好調。
何を隠そう。
彼女もベスの本来の姿を隠すための存在の一人である。
「そうね。もっと頑張らないとね。ありがとう!」
サラは元気よく笑いながらベスの腕を掴んだ。
「ベス。行こっ」
バタバタと二人は小走りで駆けていった。
「なにさーっ!! シャーロットったら。ほんとむかつぬっ!」
サラが連れて行かれたのは裏庭だった。
お昼の時間ということもあり、スカートの上にハンカチを敷いてランチボックスが開けられている。
天気がいいベンチでは二人以外の客はいない。
ほとんどの生徒は両家の子息子女のため、食堂かテラスを使うのだ。
「言われてもしょうがないわよ。毎日のようにサラは魔法使う時は大爆発させてるし語学も物理も数学も全部赤点じゃない」
「ベスってどっちの味方なのぉぉー」
「私はどちらの味方でもありません。中立です」
「ベスっていつもそうよね。でも貴族でも平民にも平等にしてくれるあたりは助かってるけど」
「平民って……転生した人が何を? 確かに類い稀なドジと破壊力の強い魔法技術は目をつけられてもおかしくないわね」
「ベスぅ〜」
涙目になって訴えるサラにベスはくすくす笑いながら、そろそろ言うのをやめる事にした。
食べ終えたランチボックスに蓋をして上を見上げる。
ベスの長い三つ編みが揺れた。
「そろそろ戻ろっか」
悪寒を感じ、ベスは立ち上がった。
「あ、うん」
サラもベスを追うべく慌ててランチボックスを片付けていると、中庭に男性が入ってきた。
「アレク王子!」
サラの声のトーンが上がった。
頬を赤らめてぽーっとする様はまるで恋する乙女のようだ。
一国の第一王子アレク。
第一印象は金の髪の美形。
甘い顔立ちが女好きである事が分かるであるため、ベスは正直この王子の事は好きではない。
アレクは大股でサラに近づくと、ベスにも目もくれずに一通の封書を差し出した。
「サラ。こんなところにいたのか。君を探してたんだ」
「えっ……」
サラは期待に満ちた表情でアレクを見上げる。
「近々、わたしのバースデーパーティーがあるんだ。君に来て欲しい」
「はい!」
嬉しそうに招待状を受け取ったサラに満足そうに微笑んだアレクは踵を返して校舎内へと戻っていった。
恋する乙女モードのサラにベスの心情としてはチッ、と舌打ちを鳴らす。
「おとといきやがれ」
誰も聞こえないほど小さい声で呟くと、ポーッとするサラを校舎へと引っ張って行った。
授業も終わり、ヴァーグナー家へと帰還すると『ベス』の時間は終わり。
これからの時間は『ベアトリス』として過ごす。
眼鏡を外しドレスへと着替えて、メイドのマリアからの化粧直しを受ける。
「お疲れ様でした」
少し濃いめの紅を主人の唇に差したところでマリアは筆をメイクボックスに片付けた。
それを一旦ワゴンの下に片付けてティーセットを準備する。
少し濃いめのお茶をベアトリスの前に差し出す。
ベアトリスはお茶を飲むとはーっ、と息をついた。
「今日はあのバカ王子が……」
サラに招待状を持ってきたアレク王子。
その後通りかかった際には招待状の話で持ちきりだった。
サラ以外の女子にも贈られたが、話をしていたのは見た目が良い女子に限定されたものと言う事を後から知った。
ある程度愚痴ったところでマリアから封書が差し出された。
「その王家から招待状が届いております」
上流貴族相手には王家は無視はできないのだろう。
正直行きたくはない。
「はぁ……。破り捨ててはダメかしら」
「ダメです」
「正直行きたくはないのだけど」
「お気持ちはわかりますが王家相手には。ただサラ様やシャーロット様のご様子を見に行くと思われればよろしいかと」
「そうよね!!」
ベアトリスは嬉々としてテーブルを叩いて立ち上がった。
「はしたないです。ベアトリス様」
「ごめんなさい」
パーティー当日、学園内では夜の話題が多い。
サラに至っても浮き足立っていて招待状貰った他の女子のグループにいる。
ベスは教室から抜け出し、職員室に向かった。
話に夢中で教台に置かれたクラス全員の課題のノートの山を日直の生徒の代わりに持っていくところだ。
誰かが持っていかないと。
全部抱えたところで半分以上が目の前から消えた。
「ベス。僕も持つよ」
「ありがとう。ギル」
たまに話す同級生のギルとは少し仲がいい。
同じ瓶底眼鏡をかけた背が高い男子のギルも見た目はぼさぼさの黒髪で野暮ったく見えるため、女子の人気はほぼゼロといっていい。
ベスとしての好感度は優しい事からかなり高いけれども。
「ねえ。ベスも今夜のパーティー行くの?」
「うん。招待状が家に来てたからね」
「そっか。ベスが行くなら僕も行こうかな。ちょっと気乗りはしなかったけどね」
「うん! 楽しみにしてる」
行くのが億劫だったパーティーが楽しみになってきた。
夜の王城では招待状と衣装を検査されて通される。
次々と来る招待客のチェックが行われようやくベアトリスの番となった。
馬車から降りて招待状の家紋を掲げてそれを引き渡すと、「お通りください」と入場する事となった。
今夜のベアトリスは髪を半分結ったハーフアップスタイルで濃いめの緑のドレス、首元にはパールとダイヤがあしらわれたネックレスでの登場だ。
ベスとしての濃いめのファンデーションやそばかすは一切なく、眼鏡もない青味がかかった翠の瞳を見せている。
本来の姿を公に見せるのは初めての事ですごく緊張していた。
周囲からは言葉も出なくベアトリスの美しさにほうっとため息が出る。
ギルを探しながら辺りを見回すと、サラとシャーロットがアレク王子と歓談していた。
アレク王子がこちらに気づき、はっと目を見開くと二人には目もくれずにこちらに向かってきた。
(げっ、バカ王子……!)
「貴女はどこの家の者だ?」
「さ、さあー」
一歩、後ずさる。
王子、一歩、近づく。
「そんな事どうだっていいじゃないですかぁー」
「貴女のような美しい人は見た事がない。わたしと踊って欲しい」
「最大にご遠慮しますぅー」
ベアトリスの肌に鳥肌が立った。
踵を返し、ドレスの裾を持って逃げ出そうと人混みの山に突っ込んでゆく。
「ちょっと、あの女誰よ!」
「見たことありませんわ。学園と貴族はわたくし覚えてますのに!」
サラとシャーロットが悔しそうに目を釣り上げていた。
あの二人、気が合うんじゃと横目で確認しながら王子から逃げ出すことに夢中だ。
「少し二人で話そう、美しい人!」
「嫌ですぅー」
招待状も引き渡したから出席した事には変わりない。
だから帰りたい。
その時、人の波の中からベアトリスの腕が取られた。
「ベス、こっち!」
「ギル!?」
咄嗟に声が出た。
黒髪をオールバックにした黒目の美貌の青年をそう呼んでいた事にベアトリスは驚いた。
二人は王子を撒き、ひとつの部屋に身を隠す。
「はぁはぁ……」
ドレスとヒールで走るものではない。
息が上がる。
「ありがとうギル。助けてくれて」
「どういたしまして」
ギルは微笑んだ。
「ベス。告白するけど聞いて欲しい。僕はギルバート・クロフォード。これが本来の僕。学園の僕はギル・クロイツを名乗ってるけど。外の世界を見るために平民として生きてる」
「初めまして。ギルバート様。わたくしはベアトリス・ヴァーグナー。学園ではベス・ウィリアムズを名乗ってます。境遇は貴方と同じです」
お互いに正体を明かした事で二人は顔を見合わせて笑った。
「平民として生活しているうちに小耳に挟んだ事なんだけど。王子親衛隊の騎士の先輩達が…」
ベアトリスの目が輝いた。
「まあ! ではお二人をお近づきにさせなくてはならないわね」
これからの計画を考えるところで少し楽しくなってきた。
その時、音楽が流れてきた。
「ねえベス。ダンスが始まったみたいだ。踊ろうか」
ギルバートが手を差し出してきたところでベアトリスも手を伸ばした。
「はい、喜んで」
その後、アレク王子の使者がヴァーグナー家を訪れたがマリアを身代わりとして立ち、ベアトリスはメイドに粉した入れ替わり作戦で何とか追い返す事に成功した。
入れ替わりはマリアの立案だ。
ベアトリスがアレク王子を嫌っているのは毎日のように愚痴を聞かされているために耳にタコ状態になっているのだろう。
使者が来た際に、ドアを薄く覗きながらマリアがこう言ったのだ。
「ベアトリス様。私が今回ベアトリス様として応対いたします。今回はベアトリス様がこのマリアとしてお立ちください」
女性の化粧直しは遅いもの。
身支度を整える時間は待つものだと言う事がわかっている貴族だからこそこの入れ替わりが成功したと言っても過言ではない。
協力してくれたマリアには頭が上がらない。
少しマリアの給金を上げる事にしよう。
王子の使者達はひと月経っても、『あの日見た美しい人』との再会は出来なかった。
そして、サラとシャーロットにはそれぞれ騎士の恋人ができた。
当時は二人ともアレク王子を慕っていた。
その後は二人には目もくれずにアレク王子が血眼になって1人の女性を探し回っていたため、王子の親衛隊の騎士達がそれぞれサラとシャーロットへの想いを告げ、交際に至ることとなった。
そしてサラとシャーロットの犬猿の仲は大幅な意味で和らぐ事となった。
それがベスの娯楽としては少し面白みがないけれど幸せなのは良い事だ。
そしてベスは図書室の屋根裏へと足を運んだ。
眼鏡を外したギルが壁に背を預けて本を開いていた。
「待ってたよ」
ベスに気づき、ギルは本を閉じる。
そしてギルは近づき、ベスを壁際へと閉じ込めると眼鏡を外した。
「ギル……」
黒い瞳が真っ直ぐ見つめてきて目が離せない。
お互いの顔が近づき、唇が重なった。
あの日の夜、ダンスの後で想いを告げて二人は恋人同士となったのだ。
秘密を抱える同士として。
そしてお互いの本質を知る二人として。
「お互いの友人達が幸せになった今、僕達も幸せになろうか」
ベスはこくんと頷く。
「ベアトリス嬢。学園を卒業したら僕と結婚してください」
「はい……」
嬉しさでベスの瞳が細められ、そこから涙がこぼれた。
そしてもう一度誓いのキスが深く重ねられたのだった。
久々に小説に着手しました。
リハビリです。
長編の続きはもう少しお待ちください。