友情と恋のおはなし その3
電車で最寄駅に到着した英二と呉は途中まで一緒に帰り、昔通っていた中学の近くで別れた。そこから呉の家までは近い。10分ほどで着く。そのあまりの近さに遅刻ということをすることはなかった。登校が楽だと思っていたが、友人とすぐにさよならになるので一抹の寂しさがあった。
家に入ると母親が夕食を作っていた。このにおいはカレーライスかなと呉は思った。匂いから様々なスパイスを使っていることがわかる。呉の母親は凝り性で料理はかなり本格的な物である。料理の腕自体も美味しく今日はどんな料理を作るのかなと楽しみにしている。父親も母親の料理が好きなようで仕事が終わると早々に帰ってくる。
「ただいま。」
靴を脱ぎながら母親に声をかけた。
「おかえりなさい。」
グツグツとたぶんカレーライスを煮ている音ともに反応がかえってきた。
荷物を2階の自室に置き、普段着に着替えて台所の冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出しコップに注ぎ飲んだ。ふと、園芸部の手伝いの時にもらった冷えた麦茶を思い出した。部活に入ってなかったし、委員会にも入ってないのでああいう放課後の活動というのは中々楽しいものがある。初めは英二に付き合わされてめんどくさいなと思っていたが、今では割りと自分から参加している。英二がいなければこういう気持ちにはならなかったろう。その礼もある。英二の恋路を手伝うのは。
夕食を食べた後、英二とスマホでやり取りして就寝した。眠りにつきながら呉は英二と九条さんが上手くいくといいなと思っていた。
次の日の朝。
英二との待合せ場所である駅へと向かった。社会人や学生に混ざりながら歩いた。まだまだ眠たい呉の横をこれまた眠そうな自転車が通りすぎていく。呉も自転車で駅まで行きたいと思ったが、駐輪場の利用権の抽選に落選したため叶わなかった。今でも毎月応募しているが、いっこうに願いは叶いそうにない。暑い中を歩いていると早く夏休みにならないかと思う。教室は人が多くクーラーがないためとにかく暑い。その地獄から早く解放されたいと呉は願ってやまないのである。みんなもきっとそう思っているに違いないと考えている。
駅に着くとちょっと早くに着いたようで英二はまだいなかった。改札機の近くで待つことにした。続々と人が改札機を抜けて行く。それを横目にスマホをいじって英二が来るのを待った。何度目かの欠伸をした時のことだった。そこに安藤文花がやって来た。そういえば文花は地元が近くだった。
「おっす。」
「おはよう。」
「朝に遭遇するのは初めてだな。」
「そうね。会うのは初めてね。」
「いつもこの時間に来るのか?」
「用事がなければね。ある時はもっと早くに登校するわ。」
「そうか。」
「逆に聞くけど呉くんがこの時間に駅にいるなんて珍しいわね。佐藤くんと待合せ?」
「ああ。」
呉が肯定すると文花は顔をほころばせた。
「仲いいのね。」
「中学からの腐れ縁だしな。それに俺英二の人間性が好きなんだよ。俺とは違う社会の捉え方がいいなと思うんだよ。」
「ふふ。確かに佐藤くんは呉くんとは感覚が違うわね。」
「あの真っ直ぐさは真似できないよ。」
「今時の高校生にしては性格いいよね。」
「だからか。あいつって人気あるんだよな。」
「そういえば図書室の利用者で佐藤くんの実直すぎる面白さで盛り上がっている子達がいたわ。」
「男子からも可愛いがられているよ。」
英二の話をしていると呉と文花は自然と顔から笑顔が出た。彼の不思議な魅力に呉たちも飲み込まれているようだった。
「人気者なのね。佐藤くんは。今日も園芸部の手伝いするの?」
「その予定だ。」
「ねえ、佐藤くんが入部せずに園芸部の手伝いしてるのって目当て娘がいるの?」
「それについてはノーコメントだな。これが答えだ。」
「なるほどね。上手くいくといいね。」
「ノーコメントで。」
「ふふ。友達想いね。」
文花と話をしていると英二がやって来た。夏の暑い日差しの中を汗だくになりながら来た。蝉の鳴き声も響いている。こう見ると英二は体育会系のような見た目なのでよく夏が似合っている。
「じゃあ、私は先に行くね。」
そう言うと文花は駅に入って行った。
文花のお淑やかな後ろ姿を見送り、英二と合流した。この茹だるような暑さにもかかわらず元気そうだ。
「おはよう。」
「おはよう。」
英二が朝の挨拶してきたので、呉も返した。
「今のって安藤さんだよな。」
「ああそうだよ。」
「あんな可愛い子と仲いいなんて羨ましいぞ。」
「ろくに女の子と会話できないやつには羨ましいだろうね。」
「くっ、俺のことか。」
「誰とは言ってないよ。くく。」
澄ました顔で笑顔になる。英二はまだ思い詰めて今のところないなと感じた。これくらいならまだ大丈夫だろう。呉には理解できないが病んでしまう人もいる。学生にとって恋愛というのは重要な人生のピースのようだ。あまり恋愛に関心のない呉がおかしいのだろうか。人を好きになることがない呉には今一ぴんとこないのであった。
「笑うなよ!」
「悪い悪い。お前も頑張ってるもんな。」
「そうだよ。」
「話しかけようとしててんぱってしどろもどろになったりな。」
「完全に馬鹿にしてるだろう!」
「馬鹿にしてないさ。」
「してるだろ。」
「わかったわかった。俺が悪かった。もう、行こうぜ。遅刻しちまう。」
「そうだな。」
まだ、何か文句を言いたそうに英二はしていたが、これ以上は英二自身へのダメージがでかくなりそうなので、ここで話を打ち切ることにした。
二人が学校に到着し、花壇の前を通ると九条さんがいた。軍手をした手は泥だらけであった。朝から手入れとは頑張るなと呉は感心した。ああやって人が何かに打ち込む姿というのは心が清らかになる。精を出している九条さんは何だか楽しそうだ。下心から部活に参加する人もいれば好きでやる人もいる。部活ってのは色んな人がいるのだなと呉は思った。特に文化系はその傾向が強いのかもしれない。
「声かけなくていいのか?」
「いやそれは。」
英二はモジモジしていた。
「男を見せろよ。ちょっとは勇気を出せ。」
「う、うん。」
ぎこちなく九条さんに近づき声をかけた。2、3会話すると二人は笑顔になった。上手くいったようだと呉はホッとした。これなら親しくなるのも時間の問題だろう。英二は話す相手を不快にさせることはない。むしろ、安心して話せる人だ。九条さんもきっと英二の良さを理解してくれるだろう。微笑ましく二人の会話を見つめていた呉はもう大丈夫だろうと思い静かにその場を離れた。
教室でホームルームの時間まで読書しようと本を開いて読んでいると英二が教室に入って来た。すごく機嫌が良さそうであった。ちょっと気色悪いなぁと英二を眺めていた呉の許にかばんを机に置いてやって来た。
「どうだ上手くいったか?」
英二の様子を見る限り手応えはあったのだろう。
「うん。楽しく会話した。」
「それで?」
喜色満面な英二に呉はこの後のことを聞いた。人間関係というのは次に繋げることが大事なのである。
「楽しく会話した。」
「それで?」
「楽しく会話した。」
「はあ。」
「なんだよ。」
呉は溜め息した。奥手ではないが天然かと思った。ただ、話すだけではその場限りである。共通の話題や行動を見つけなくてはならない。呉はその点で溜め息したのである。こりゃ親しくなるのに時間かかるなと呉は思った。一肌脱いでやるかと呉は考えた。
その日の放課後も呉と英二は園芸部の手伝いをした。英二はてきぱきと動き回っている。下心から始めたボランティアだが、やるからには真剣にやる。人のためにというのが強いところが英二の良いところである。英二自身はあまり女子と接点がないが、その真っ直ぐさから評判はいいのである。きっと九条さんからの評価もいいだろう。そこが今回の英二の恋路によい影響を与えてくれるだろうと呉は考えていた。それに朝の九条さんと英二の会話を見て、教室で話を聞く限り、九条さんの英二への心証は悪くないだろう。
「なぁ、狙ってるならもう少し考えて話さねえと。」
「ね、狙ってるなんて。」
恥ずかしげに言う英二に呉は純朴だなぁと思わずにはいられなかった。でも、それだけではいけない。いい人とは思われているだけではいけないのだ。異性として意識してもらわなくては。だが、まずは英二と九条さんを親しくさせなくてはいけない。それも適度な。
「仕方ないな。俺がひとつきっかけを作ってやるよ。」
そう呉が言ったところで鐘が鳴ったので英二は話を切って自分の机へと戻った。
授業が全て終わり園芸部へのボランティアした後、英二は顔を真赤にしていた。理由は簡単である。今週の日曜日に図書館で勉強会をすることになったのである。英二が呉を引き摺ってとりあえず人のいない体育館のトイレに入った。体育館を使う運動部はもう下校している。
「ど、どいうことだよ呉!」
「ひとつきっかけを作ってやると言ったろ。」
「いきなりすぎるよ。」
「いやいやこれで上手くいけば休日に遊ぶ友人になれるぞ。」
「それもそうだが。なんか恋人というよりも良き友人になりそう。」
「その危険性もある。だが、虎穴に入らずんば虎児を得ずだ。適度な関係ならむしろプラスだぞ。まず、ここからだ。」
英二はかなり苦しいようだ。というよりも怖じけついているようにも思える。それは無理もないだろう。同じ部活で少し話せる恋している人にはそれだけでも幸せや安心感を感じるだろう。しかし、英二は九条さんとただ、話をするだけの関係で終わりたくないはずだ。そう呉は考えている。
「うーん。」
英二は悩ましげであった。今の健全な関係を崩してまで前にうって出るべきかである。呉はもう一押しだと考えて英二の背中を押す。
「今のままじゃ親切な顔見知りだぞ。もう一歩前に出てみようぜ。」
「うーん。」
「頑張ってみろよ英二。」
「うーん…うんふう。」
英二は何か決心したようだ。眉間にシワを寄せ遠くを見るような目をしていた。呉はよしと思った。この感じは決意を固めた時の顔であるからである。
「呉!俺、頑張って話して親しくなるようにするよ。」
「その意気だ!」
誰もいない夕方の体育館。青春真っ盛り若者の決意が響いていた。