友情と恋のおはなし その1
「あっちいな。」
呉薫はぼやいた。それもそのはずで夏真っ盛りの8月に花壇の手入れをしていたら当然である。手の甲で汗を拭うその姿は健康的である。しかし、彼は花壇の手入れをする義理はなかった。美化委員でもなければ園芸部員でもないのである。なぜ、花壇の手入れをしているのかというと、彼の隣で熱心に手入れをしている佐藤英二による。彼が呉を巻き込んだのである。
「せいが出るな呉!」
佐藤は元気一杯である。
「はぁ、やるなら一人でやれよ。」
「そ、それはちょっと。」
しどろもどろに佐藤はなった。快闊真っ直ぐな気性の彼には珍しく口ごもっていた。どんな気まずいことも堂々と言ってしまう男なのである。
「でも、楽しいだろ呉。」
何か誤魔化そうとしているのか佐藤は取り繕うようなことを言った。呉からしてみれば面倒ごとに巻き込まれたなと思っていた。そして、ただ単純に佐藤が花壇整備に興味があるから園芸部の手伝いをしているわけではないということも大体理解していた。おそらく、気になる人がいるのだろう。そう考えればここまで一所懸命にやっているわりに何か照れているような様子にも理解ができる。お近づきになるのに同じ作業をする。何とも純朴で王道なことをする友人だろうかと思わずにはいられない呉であった。
「まぁ、楽しくはあるな。」
「そうだろ。」
佐藤は得意気になって晴れやかに頷いた。何故、一緒に手伝っているだけのお前が自慢気なのか突っこみたくもなった呉だが、ここは黙って頷くことにした。突っこみを入れると語られてしまうので面倒である。
「花の手入れって退屈だと思ってたから意外な楽しさはある。」
「呉も分かってるじゃないか。これから二人で園芸部を盛り上げて行こう。」
「部員でもないのになんで園芸部のために盛り上げないといけないんだ。」
溜め息をつきながら呉はぼやいた。それを聴いているのか聞いてないのか佐藤英二は一所懸命に雑草取りをしていた。時々、視線をあっちこっちしながら。誰かを探しているのだろう。呉は仕方がないなと思い、英二に付き合うことにした。
佐藤英二という青年は非常に猪突猛進である。こうと決めたら何処までも突っ走る。以前にも一緒に見に行ったライブに影響されギターを買った。すぐ飽きそうだなと呉は思っていたが、かれこれ一年続けている。ある程度の腕前にはなったようである。その話を聞いた軽音楽部がスカウトしに来たが、英二は既に園芸部の手伝いをするという新たな道を見つけ夢中になっている。軽音楽部の先輩たちは残念がっていた。英二は気になる相手の気を引くため園芸部に乗り込んだのである。しかも、ボランティアとして。正式の部員にならないのはボランティアとして参加した方が、話す機会もあるだろうと考えたのである。指示をもらうというコミュニケーションができると考えたのである。暑い中、しかも夏休みに手伝ってくれる人。そう思ってもらえれば好感度も鰻登りである。
呉と英二、その他の園芸部員たちは談笑しながら作業していると、冷えた麦茶を園芸部の女子部員たちが持ってきた。三人いたがその内の一人が呉と英二に近づく。九条さんだ。彼女は長い髪を三つ編みにし、程よく焼けた肌が健康的に見え、活発そうな雰囲気を醸し出していた。
「はい。暑いでしょ。少し休もう?」
活発そうに見えて大人しい態度の九条さんは男子生徒から人気がある。お淑やかな彼女には呉も胸がどきどきする。顔を赤くしてないか慌ていた。そして、ちらりと英二を見た。九条さんにどきどきしてるのかバレてないか心配したのである。しかし、それは杞憂だった。というよりも気づいた。英二は前屈みで呉たちに麦茶を差し出す九条さんに完全にやられていた。顔を真っ赤にして照れながら愛想笑いをしているのはもう恋に落ちていることがわかる。そこで呉はどうして英二が園芸部の手伝いをしたがるのかがわかった。まぁ、誰かを目当てにしているのは察していたが、九条さんだったとはと呉は思った。
「はっはい!」
声が上擦っているぞ。
そう呉は心の中で突っ込んだ。純粋に照れているなとも思った。
九条さんを狙うとはチャレンジャーなやつだと呉は思った。九条さんはよく告白されたり、デートに誘われたりしている。彼女は男に興味がないのか断っている。彼氏がいるとの噂もあったが、それは出所不明のデマだった。たぶん、モテるのにあまりにも浮いた話がないから憶測が飛んでいるのだろう。
呉と英二は九条から冷えた麦茶をもらい、水道の隣のコンクリートに腰をおろした。
「お前も難儀な人を好きになるなぁ。」
「はっはっ、なんのことだ。」
「いや、そういうのはいいから。」
「うー。」
英二は下を向いて恥ずかしそうにしていた。
それを見た呉は親友に対して微笑ましく思えた。まぁ、九条さんは人見知りが激しいだけで、基本的に好い人のようであるから呉としてはこれ以上介入はせずにいようと考えた。人間関係というのはあまり深入りしない方がいい。面倒ごとに巻き込まれてしまうからだ。それが呉の心情であった。小さい頃から遊び相手は作るが、あまり心の底までを曝け出すような友人は作らなかった。英二とも呉は親友と思っているが、彼の色恋沙汰などの内面に関わることには口出しを敢えてしなかった。だから、先程英二に言ったことは呉にしては珍しいことであった。
その日は呉と英二は最後まで残って作業をした。
帰り際、英二は名残惜しそうに九条さんと別れた。あんだけ露骨な態度を取られていたらきっと英二の気持ちに気づくだろうと思うが、彼女はそのような素振り一切見せなかった。それはただ単に気づいてないのか気づいていても敢えて知らぬ顔をしてるのか。呉は超能力者ではないので察する事もできなかった。
次の日。
呉は昼休みに図書室へと来ていた。今日も放課後は英二の付き添いで園芸部の手伝いをするので、昼休みの間に本を借りようと思っていたのだ。
図書室に入ると人はほとんどいなかった。いつもこんなもんである。スマホがあるこのご時世に紙の本を読書好き以外の人が利用しようなんて人はあんまりいないだろう。しかし、新刊を除けば読みたい本を順番待ちせずに読めるので呉には都合がよかった。そのため彼はこの図書室の常連で図書委員とも知り合いになったりしている。本棚の整理をしている図書委員と雑談しつつ呉は好きな戦前の純文学作品を何冊か借りようと手にとった。カウンターにいくとそこには同じクラスの安藤文花がいた。彼女はメガネをかけ、長い髪を後ろで束ねポニーテールにしている。清楚な雰囲気を漂わせている。しかし、性根は好奇心旺盛な何にでも首を突っ込むちょっと面倒な奴である。
「これお願いします。」
「はい。三冊ですね。2週間後の返却になります。」
借りたい本を借りたので呉は教室に帰ろうとした。すると文花が呼び止めた。
「呉くん。佐藤くんと園芸部手伝ってるの?」
「ああ。英二に付き合わされてね。」
「そうなんだ。なんでまた?」
「まぁ、いろいろあるんだよ。」
やれやれといった感じで呉は詳しい事情は話さなかった。文花はいいやつで言いふらすといったことはしない人だと呉は思っている。しかし、自分の大切な友人の色恋沙汰を他人に話すのは憚れる。
「ふーん。」
文花はキョトンとした顔をしていた。
「まぁ、言いたくない事情があるならいいけど。」
首を傾げながら言う文花は可愛かった。
そういえば前に告白されたとの話を聞いたが、その人とはどうなったんだろうか。
「まぁ、言いたくないというよりも友人を面白い人にしたくないだけなんだけどね。」
「友人思いね。いつも遠くから人を見て笑ってるような人だけど。」
「俺は友達思いなのさ。」
全力の愛想笑いをした。
「確かにね。それにしてもそういうところをもっと女子に向ければモテるだろうに。」
「俺はそんなにお人好しじゃないのさ。ただ、大切だと思った人を大事にするだけさ。」
「そういうところがあなたの格好いいところだと思うけど損だと思う。」
「別に得したくて生きてるわけじゃないんでね。」
「根本的に真面目なのね。」
文花がそう言った所で他の利用者が本を持ってきた。分厚い翻訳された外国の小説である。そのタイミングで呉は文花に別れを告げて図書室を出ていった。文花は面白い話が聞けそうだったのに惜しかったなと思っているのが、口を尖らしていたので丸わかりだった。
教室に戻った呉はまだ授業開始まで時間があったので、先程借りてきた本を少し読むことにした。その本は親戚の子の恋を陰ながら応援するという話である。その暖かな叔父である主人公は心の底から優しい視線で甥を見つめる。何だか読手である読者がむず痒く、でも、安心して甥と甥が恋する女性の恋愛模様を眺めることができる暖かな物語である。この本を呉は以前にも読んだことがあったが、また読み返したくなって借りてきたのである。初めて読んだ時から数年たち成長してるだろうから、また、違った視点で読めそうだとわくわくするところが、呉にはあった。重度の読書好きなのである。ただ、周囲に読書家がおらず、図書室に行った時に図書委員の文花何かと語り合うことが少し出来るくらいなのでちょっと欲求不満である。一度、英二にさりげなく読書を勧めてみたが、無駄であった。読み始めるとなるほど何だか英二の恋路が思い浮かぶ。恋する人のためにあれやこれややり、でも、はっきりと想いをぶつけることが出来ないでいる。そんな英二を見つめている呉はこの小説の主人公のように恋する英二を可愛く健気に感じ陰ながら時にはきっかけを作って応援している。この小説の主人公に自分を重ね合わせているのであった。
いろいろ思案しながら読んでいたら鐘が鳴った。午後の授業が始まる。読んでいた小説を閉じ、机の中から必要な教材と筆箱を出した。5時間目の授業は英語である。呉はこの英語の授業を真面目に聴いている。いつか外国の小説を原文で読んでみたいからである。かなり重度の読書狂である。
授業を受けながら呉は脳の片隅で英二のことを考えた。今日も放課後は園芸部の手伝いである。まったく進展しない英二に発破をかける意味でも人肌脱いでやろうと呉は考えた。さっさとくっついてくれないとゆったり読書が出来ないからである。