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ガーディアン・チルドレン  作者: 谷兼天慈
56/83

「大地の神器」第8話 魔法剣士

「ひいっく…ひいっく…」

「リリス……」

 いまだにすすり泣きをやめようとしないリリスに、リリンはほとほと困り果てていた。

 一方、ひとりほって置かれている状況のクリフは、それでもだいぶ落ちついてきたようだ。

 地面に座り込んだままではあったが、泣きつづけるリリスを、考え深げに見つめている。

 すると、彼は手を伸ばし、やさしくリリスの肩に手をそえた。

「お姉さんがぼくをどなたと勘違いなさったのかは知らないけれど、お願いです、もう泣かないでください」

「ひっく…」

 リリスは顔を上げた。

 きれいな顔が涙でぐしゃぐしゃである。

「ごめんなさいね、坊や」

 彼女の代わりにリリンが口を開いた。

 ひざまずき、相棒の腰を両手でしっかり支えると、にっこりクリフに笑いかける。

「こわかったでしょう?」

 そして、彼を安心させるように言った。

「どこか怪我はない?」

「ありがとうございます。大丈夫です」

 クリフも笑顔を見せた。

「あんた誰よ」

 すると、いきなり怒気をふくんだ声でリリスが言った。

 クリフの笑顔を不審そうに眇めて見ている。

「なんでそんな髪してるのよ」

「リリス!」

 慌ててリリンがとがめた。

「ぼく、クリフと言います」

 クリフは神妙な顔つきをした。

「ごめんなさい。そんなにこの髪の毛がイヤなら、泥かなんかで塗り込めてちがう色にしましょうか?」

「坊や!」

 とんでもない、というふうに黒髪のリリンが叫んだ。

「リリスの言うことなんか気にすることないわ」

「だって、お姉さんがとても悲しそうなんだもの。ぼく、お姉さんには楽しそうに笑っててほしいから」

「…………」

 その言葉を聞いたリリスの目が大きく見開かれた。

「さっき、ぼくを助けてくれたときのお姉さん、怖かったけれどとてもきれいだったよ」

 クリフはそう言って真剣な表情を見せた。

 その彼の顔を穴のあくほど見つめていたリリス。

 いつのまにか目は乾いており、彼女は一変して優しい声で言った。

「あんた、なんて名前だったっけ……」

「クリフです、お姉さん」

 クリフはにっこり笑って答えた。

 リリスも思わず微笑む。

「あたしの名前はリリス。よろしくね、クリフ」



「魔法剣士?」

 クリフは首を傾げた。

「そう、魔法剣士よ」

 リリスは衣服のまま川に入り、身体を洗いながら言った。

 彼らは邪教徒の死体がある場所から離れると、比較的ひらけた川のそばまでやって来ていた。

 彼女はさきほどの殺戮の血を洗い流していたのだ。

 クリフは川のそばに生えている大きな木に寄りかかって座っていた。

 リリンはいなかった。

 彼女はクリフの話を聞き、仲間であるジュリーたちを迎えに行ったのだ。

「それは魔法剣なの」

 クリフがリリスの大剣をしげしげ見つめていると、彼女はそう言った。

「魔法剣?」

「誰にでも扱える代物じゃないのよ。厳しい修行をした者だけが手にできる剣なの」

「抜いてみていいですか?」

「いいわよ」

──チャリ……

 彼はおそるおそる剣を鞘から抜いてみた。

 だが、でてきた刃は普通であった。

 輝いてもいないし、血のりもついていない。

 ただ、鏡のようになめらかな刃が、クリフの不思議そうな顔を映しているばかりであった。

「なんてきれいな刃だろう……」

 見つめていると、吸い込まれてしまいそうなほどくもりのない刃だった。

(まてよ……)

 クリフは訝しそうな表情をした。

(リリスさんはこの剣でいっぱい人を切ったのに……なのに血がついていない?)

「血がついてなくて不思議?」

 クリフは顔を上げた。

 いつのまにか、水から上がってきたリリスがかたわらに立っていた。

「魔法剣はどんなに人を切っても決して血のりはつかないし、それに刃こぼれもしないのよ」

 川から上がりたてで、髪も衣服もまだ濡れそぼっていた彼女だが、クリフは何だか眩しく見えた。

「かして」

 彼女はクリフから剣を受け取ると宙にかざした。

──パァァァァ─────

 とたんに輝きだす。

「きれい……」

 クリフの口から思わず声がもれる。

「ほんとに?」

 リリスの表情がパッと輝いた。

「うん。ぼく、こんなにきれいな光って見たことないよ」

「フフフフ…」

 リリスは楽しそうに笑った。

「でも……」

 だが、急になぜか表情がくもる。

 声も苦々しげだ。

「みんな金色が好きなのよ。あたしの銀の剣はダメだって言うの」

「リリス…さん…」

 クリフは思いもよらないリリスの様子に不安を感じた。

 そして思わず叫ぶ。

「そんなことない!」

「え…?」

「ぼく、リリスさんの銀の剣がいちばん好きだよ!」

 クリフは強く言い切った。

「金色もきれいだって思うけれど…でも、ぼくは銀色のほうが大好きだよ。何だか金色ってまぶしすぎるんだ。銀色のほうが、ぼくにはやさしく感じるな。それにリリスさん、ぼくを助けてくれたじゃない。あなたはとってもやさしい人だよ。そんなふうに自分を言うのはやめて!」

「クリフ……」

 リリスは目を閉じ、玉虫色の髪を持つもう一人の少年を思い浮かべる。

(ああ、カスタムさま……)



──ジュワッ、ジュワッ!

 焚き火の上で小気味よい音がする。

「わぁ、いい匂い!」

 楽しそうに叫ぶリリスの顔は、チラチラと火が照り返して赤くなっている。

「香草と鶏肉の炒め物だ」

 手際よくチュウカナベを動かすジュリーがそう言った。

「それ、重たくないの?」

 おかっぱの黒髪を指でもてあそびながら、リリンが聞く。

「持ってみるか?」

 ジュリーは彼女に、ひょいっとナベを手渡した。

「あら」

 リリンは意外といった顔を見せた。

「すっごぉい! これ、軽いわ」

「だろ?」

 ジュリーは彼女からナベを取り上げると、再び炒め物の続きを開始した。

「重宝してるんだ。炒め物はできるし、煮物はできるし、スープだってつくれる。料理のほとんどがこれひとつですんじまう。しかも見た目とは大違いでものすごく軽い。だから持ち運びにはまったく苦労しない。つまり、旅人必須のアイテムということさ」

「へぇ───」

 リリンは感心して、しきりとうなずいている。

 そこへリリスの何気ない一言が───

「形も何だか愛嬌あるよね。ほら、なんだかカメの甲羅みたいじゃない」

「むっ!」

 その言葉を聞き、ひどく不機嫌そうな顔をするジュリー。

 派手に眉間にしわを寄せる。

「ぶふっ!」

 それを見たドランが、これまた派手に吹き出した。

「むむ……」

 ジュリーは両手で口をふさいで下を向いているドランを、ぎろりとにらみつけた。

「え……あたしなんか言った……?」

 リリスはきょとんとしてふたりを交互に見つめている。

「ははは……」

 クリフは苦笑した。

 だが、すぐに真顔になり、いまだに目を丸くして隣に座っているリリスに話しかけた。

「リリスさん。魔法剣士のことをもっと聞かせてください。ぼく、島から出てきたばかりで大陸のことよく知らないんです」

「島?」

 リリスは訝しそうに聞いた。

「ええ。森を出たすぐ向こうに海が広がっているんだけど、沖のほうにある小さな島がぼくの故郷なんです……いちおうだけど……」

「へぇ、すごいわね。海に浮かぶ島にも人間が住んでいたんだ。確か、海には竜の血族といわれている巨大な怪物がいて、海を守っていると聞いたことがあるけれど」

「舟が襲われて死にかけたんだぜ」

 横から口をはさむドラン。

 心なしか得意気だ。

「そこを俺が助けたのだ」

 ジュリーまで口を出した。

 その様子はドラン同様、得意気で子供みたいだ。

 だが、それをドランが唾棄しかねない様子でけなす。

「よく言うよ。クリフを見つけただけじゃんか。おいらは自力で浜へたどりついたぜ」

「むむ……」

 ジュリーは悔しそうにドランをにらみつけた。

 まったくいい勝負である。

 一方、クリフはジュリーとドランのやり取りなどまったく気にしていない。

 続けてリリスに話しかけた。

「邪神戦争の話もジュリーさんから初めて聞きました。魔族のことも少しは知っていたつもりだけど、それもやっぱりよくはわかってなかったみたい。ぼくはもっと世界のことを知らなくちゃいけないんです」

 そんな彼に対し、リリスは両手を上げ、派手なリアクションで承諾する。

「オッケー、オッケー。あたしの知ってることなら教えてあげるよ。でもその前に……」

 彼女はニッと歯を見せた。

「ね、そのいい匂いのもとを片づけちゃわない? あたし、もうお腹ぺこぺこで死にそうなの」



「あたしたち魔法剣士は魔族を殺せる唯一の人間なのよ」

 ゆっくりとリリスが話しはじめた。

 すでに夕食もすみ、焚き火を囲むみんなの手には香りのよい飲み物の入ったカップがもたれている。

 焚き火の炎が、暗くなった森の一角を照らしだし、彼らのいる場所だけが生者の集う憩いの場と化している。

 森は、今はひっそりと闇に沈み込み、そよとも動かない。

 その闇に隠れているはずの獣たちの声も、なぜか今は聞こえてこない。

 森中が、まるでリリスの話を聞き入っているかのように静まり返っていた。

──チャリ……

 リリスは鞘から魔法剣を抜くと、誇らしげにかざしてみせた。

──ポワァァァ────

 とたんに輝きだす。

「…………」

 クリフは感動のまなざしを向けた。

 いつ見ても美しいと、彼は思った。

「魔法剣は剣士の霊力に呼応して輝くの。色は様々で、あたしやリリンのように銀色もあれば赤もあるし、緑や黄色もある。もちろん金色もね」

 そこまで言ってから、リリスはいまいましげに続けた。

「そして金色はね、もっとも霊力が強い者しか出せれない色なの。今のところ世界に一人しかいないと言われているわ」

「それは誰なの?」

 屈託なく質問するクリフ。

 その様子では、彼女との会話を忘れてしまったようだ。

「言いたくない」

 あっさりと拒絶するリリス。

 クリフに少し腹を立ててるらしい。

「そんなこといいじゃないの。あんたは銀色が一番すきだって言ってくれたじゃない」

「ごめんなさい……」

 しゅんとして謝るクリフ。

 そんな彼を見て少し後悔したのかリリスは言った。

「あやまらなくていいわよ。あんたが悪いんじゃないんだから……話を続けるね。魔族は本当のところ、どんなものなのか誰にもよくわからないみたいよ。ただ、普通には殺せないってことだけがわかっている」

「魔法剣だけが殺せるっていうの?」

「そう」

 リリスはうなずいた。

「魔法剣を操る霊力というのは誰でも持っている能力らしいの。だけど、それを魔法剣に生かせる人間は厳しい修行をつまなくてはだめなの。この大陸には魔族がウヨウヨしているわ。旅行するなら絶対に魔法剣士が必要不可欠よ。どう、私たちを用心棒として雇わない?」

「え…雇うって…?」

 クリフが戸惑ったような顔をすると、彼の代わりにドランが言った。

「おいらたち、用心棒を雇うほど金もってないぜ」

 うさんくさそうにリリスを眇めて見る。

「それに剣士なんぞいなくても、おいらがクリフを守ってみせらぁ」

 そして、健気に言い切った。

「あっはっはぁ────!」

 突然リリスが笑いだした。

 さも可笑しいとばかりに、ドランに顔を近づけて言う。

「なに寝ぼけたこと言ってんのよ。あんたみたいなオコチャマに何ができるっつうの。こわぁ───いバケモンに、あっというまにバラバラにされるのがオチよ」

「むすぅ~」

 ドランの頬がふくらんだ。

 さすがの彼も、彼女に対してはジュリーにするように言い返せないらしい。まるく膨らんだ顔が妙にかわいい。

 リリスはドランの頬をつつきながら、微笑んで言った。

「何も金をよこせなんていわないわよ。あたしはクリフが気に入ったの」

 そして、熱っぽくクリフを見つめる。

「あんたのために何かしてあげたい」

「リリスさん……」

 クリフはポッと頬を赤らめた。

「あたし……今まであんまりいい人間じゃなかったわ……」

 リリスは沈んだ表情で告白しはじめた。

「あたしは邪教徒ではなかったけれど、何も悪いことなどしていない一般の人たちをたくさん殺したこともあった。どっか変だったのよ、あのころのあたしって。ある人に魅せられてしまい、その人のためなら何だってできると思った。そりゃ、今でもその人のことは忘れられない。クリフを見たとき…あんたのその髪の色を見たとき、あのお方が生きていたんだと狂喜した。でも、クリフの顔を見たとたん、ああ、やっぱりあのお方は死んでしまわれたんだ、もう、優しい声であたしを好きだよと言ってはくれないんだと気がついてしまった……」

 ぽろりと涙がこぼれる。

「リリス……」

 リリンがそっと彼女のそばにやって来てよりそった。

 一方クリフは黙ったままじっとリリスを見つめていた。

 その瞳は限りないやさしさに満ちている。

 そして、それを見守るドランやジュリーまでも神妙な顔つきをしていた。

「その目よ」

 すると、リリスがため息をついた。

「え……?」

 クリフは訝しげな目をした。

 黒い瞳に戸惑いが浮かぶ。

「あのお方は目の色も髪と同じだった。みようによってはとても冷たい色……だけど、あんたの黒色はとっても安らぐ。なんでかわからないけれど、あんたの目を見つめていると不思議とやさしい気持ちになれるの」

「そんな……」

 クリフは照れてしまい、頭をかいた。

「ねえちゃん、いいこというじゃんか」

 ドランがニカッとしながら言った。

「まあね」

 リリスもニッと歯を見せる。

 焚き火をかこんで、女二人、男三人──そのうち子供がふたり──はすっかりうちとけて、いつまでも団らんを楽しんでいた。



──パシャ……

 その夜おそく、川で水浴びをする女あり。

 おりしも雲のすきまから月がのぞき、あたりをぼんやりと照らしだした。

 リリンであった。

 生まれたままの姿で水に腰までつかり、両手に水をすくっては自分の身体にかけ、あるいは空中に水をふりまく。

 黒く艶やかな髪は濡れて、切りそろえた毛先からはぽたりぽたりと雫がたれている。

 白く輝く裸体───完璧なまでのプロポーションが月光に映えて美しい。

 仄かな光を浴びるふくよかな胸、キュッとくびれたウエスト、なだらかな腰のライン、ほっそりとしてはいるが、引き締まった筋肉におおわれた腕や脚──今は水の中に隠れていて見えないが──それらすべてが生きた芸術作品である。

──カサ……

「だれ?」

 物憂げに誰何し、振り返ると彼女は月光を背にした。

「あなたは……」

 そこにはジュリーが立っていた。

「普通のご婦人なら、ここで『きゃあ!』とか悲鳴を上げると思うのだが……」

 悪びれるふうでもなく、しごく当たり前といった感じで喋るジュリー。

 対してリリンも静かに答える。

「あなたこそ。普通の紳士ならここで、慌てふためいて愚にもつかない言い訳を連発すると思うのだけれど……」

 そして、恥ずかしげもなく腰に手を当て胸を突き出してみせた。

「美しい……」

 ジュリーは目を細めた。

「きみのような美しい女性は初めて見た」

「ありがとう」

 リリンはそう礼を言ったが、少し意地悪く続ける。

「今までいったい何人の女に言ってきた言葉かしらね」

 そう言いながら、彼女はゆっくりと歩きだし、岸辺へ近づくと川から上がった。

「ふむ……」

 ジュリーは目をそむけることなく、リリンの身体を眺め渡した。

 だが、不思議とその仕種には下品さが感じられない。

 リリンの姿は本当に眩しかった。

 水の雫を身体にまとい、なんとも艶めかしい。

 月光の下、彼女の身体は濡れているために輝き、まるで月の女神のようだ。

「ジュリーといったわね……」

 彼女は、まったく恥ずかしがる素振りを見せていない。

 ゆっくり歩を進めると、彼のすぐ目の前までやって来て、背の高いこの男を見上げた。

「あなた、ハンサムね」

「よく言われる」

 にっこり微笑む彼は妙にひとなつっこい。

 確かにジュリーは男前であった。

 男にしておくにはもったいないというたぐいのものではなく、美しくはあるが男らしいたくましさも兼ね備えていた。

「フフ……」

 リリンは妖艶に微笑んでみせると正面から両手を伸ばし、ジュリーの肩にもたれかかった。

 しばらく彼の巻き毛を手でもてあそぶ。

 月の光に輝く彼の金髪は、やわらかなやさしい色合いを見せていた。

「わたしのような女は嫌い?」

「まさか」

 さも驚いたといいたげに目を見開いてみせるジュリー。

 そんな仕種にも、彼の性格がよく現れている。

「フフ。じゃあ決まりね」

 リリンのくちびるは、なんだかさきほどよりも妙に赤くなったように見える。

「これからは大人の時間ってことで……」

「それはいいね」

「あ……」

 リリンは小さく声を上げた。

 ジュリーが彼女の濡れた身体を両手で抱き上げたからだ。

「キザな人ね……」

「俺はやさしい男なのさ」

 にこっと笑うジュリー。

 そのままゆっくりと歩きだす。

「でもね……」

 彼女はクスクス笑いながらジュリーの首に手を回した。

 その耳もとにくちびるを近づけて吐息のようにささやく。

「しとねの中ではやさしくしないで……」

「…………」

 ジュリーは深く微笑んだだけで、それには答えなかった。

 ほどなくして、ふたりの姿は近くの茂みへと消えていった。

 あとには、月に照らされた川のさざ波が取り残されるのみ───

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