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海上警備隊、航空警備艦「かつらぎ」  作者: 通りすがりの野良猫
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1952年訓練開始

空母葛城は「航空警備艦」として活動する準備に入りました

公式な記録はあえて残されていなかったが、警察予備隊における操縦士の訓練のために、数機のSNJが貸与されている。同じ時期にスチンソンL5などでの訓練が開始されているが、注目されるのはこのSNJは着艦フックの着いた空母で運用可能なタイプであることだ。

これにより米軍管理下の厚木基地ではあるが、旧海軍での経験者を中心に、空母での運用を想定した飛行訓練が細々と米軍の協力のもと、半ば非公式に再開されたのである。

長らく大阪の桜島に保管されていた空母「葛城」も、 横須賀に回航されすっかり整備された。

機関などの整備はおおむね大阪にいるうちに行われたが(横須賀が、朝鮮戦争に出動する米軍艦艇の整備で大わらわ)兵器の装備や航空関連の艤装などは横須賀で実施された。もともと復員輸送に使われる時に武装(高角砲など)も撤去されていたので、残されていたスポンソンに、とりあえず40ミリ機銃を装備している。

本来は5インチ高角砲の装備を希望されたが、関連する火器管制装置の工事など必要な工期が確保できないため、泣く泣く我慢(高角砲装備が実現したのは、海上自衛隊になり、米軍の余剰のMk39、5インチ単装高角砲が入った後である)

とは言え、着艦拘束装置、日本空母として初の装備となる油圧カタパルト装備など、も米軍のCVLから余剰になったものを提供されたため、航空機運用能力は復旧というよりは強化されたため、乗員の士気は高いものであった。

いつしか、SNJによる訓練は米軍のF6Fによる訓練に移行していき、記録ははっきりしていないが、海上警備隊 航空警備艦「かつらぎ」として、初の航空機着艦を迎えるのであった。

このときはまだ、F6Fも米海軍籍のまま、つまりはグロスシーブルーのままの機体に星のマークをつけたままであるが、かつらぎ艦上に迎えることになったのである。

艦の主要幹部には空母での経験者を揃えており、かつらぎ1隻、戦闘機20機程度の運用など大騒ぎしなくても良いくらいであったが、一度壊滅した空母機動部隊がささやかながら、形はずいぶん変則的でも「復活」したことは誰にも印象的なことであった。

特に印象的なのは、どう見ても日本空母なのに、艦上はグラマンの戦闘機に占められている点である。

当初は違和感を感じた整備員もいたが、戦時中の我が海軍機よりも高性能、高品質な事実を見せられ「こりゃ敗けだわ」と納得することもしばしばあり、それからは急速に米軍の知識を吸収することに勤めたものである。



まだまだ本調子にはほど遠い有り様ですが、第一歩は無事踏み出せたようです

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