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海上警備隊、航空警備艦「かつらぎ」  作者: 通りすがりの野良猫
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海上自衛隊 第343航空隊Fー11退役式

昭和30年代末から我が国の防空や支援攻撃に活躍したグラマンFー11戦闘機が退役することを記念したイベントが、この航空隊にゆかりの深い、松山空港で行われました。

1986年、長らく日本の空を守ってきたノースロップ・グラマンFー11J艦上戦闘機がリタイアする記念式典が第343航空隊ゆかりの松山空港にて特別に行われた。

このように書くとあっさりしたものだか゛、このたった数行の中に過ぎ去った歴史は膨大なものとなったのである。


そもそもは、大東亜戦争後、各地に展開した日本軍の復員輸送に使われた日本海軍の航空母艦 「葛城」が日本空母のサンプルとして残置されたことから始まる。

もともとは、あの戦艦「長門」同様にビキニ環礁での核実験「クロスロード」作戦の標的艦艇にするつもりが、回航前の試運転でトラブルあり、回航困難とされたことから始まる。

実はこの時点においてすでに対ソ連の冷戦が本格的に起きつつあったので、旧日本海軍を復活させる動きが始まりつつあったのである。

そのため、すでに老朽化し将来の艦隊には無用と考えられた戦艦長門などは標的として処分されたが、帝国海軍が最後に建造して生き残った葛城については、将来の新生日本海軍の基幹たるべく位置付けられ、その来るべき日まで「技術資料」の名目で、大阪の桜島にて係留、保管されたのであった。

葛城は戦時に急遽量産を計画された雲竜型、の3番艦である。進水は1944年1月、竣工は同年10月であった。

基準排水量約1万7000トン は当時の艦隊空母としては、小柄な部類である。

従って改装してジェット機を運用することは可能ではあったが、大型な艦上機、例えば後のアメリカ海軍の双発艦上機、A2JやA3D等は運用できなかった。このため、新生日本海軍、つまり海上警備隊、後の海上自衛隊は長らく軽量小型な艦上機の導入に注意を払うようになったのである。


この海上警備隊時代の「航空機搭載警備艦かつらぎ」には、当初、戦後急速に退役したF6Fが提供された。

後発のF4U等と違い、比較的小さな葛城で運用しやすさを買われたこと、当面のソ連機相手ならこれくらいで十分と判断されたからである。

とは言え、主に防空任務につきながらもかっての99式艦爆以上の爆弾搭載能力は艦爆搭載を無用としたし、対するソ連海軍艦艇は小艦艇中心のため、戦時中に猛威を奮ったHVAR高速ロケット弾で無力化できる公算で以前のような雷撃中心の艦攻もお呼びでなかった。

またこれは、強力な日本海軍の復活を怖れる向きへの配慮でもあった。

つまりジェット化を進める米海軍には追い付かず、対地、対艦攻撃能力が限定される戦闘機および少数の対潜哨戒用に改装された艦攻のみ搭載する「航空機搭載警備艦」はあくまでも西太平洋での対ソ連海軍のための備えとして認められたのである。

その後、アメリカ空母の上に、F9Fが急速に配置しだすと、ようやくF8Fが貸与されるようになったが、高性能と引き換えに爆弾搭載能力などの多用途性には乏しい点から、あまり用いられず、それよりも今ある「かつらぎ」にF9Fをいかに搭載可能にするか?に海上警備隊あげて取り組むことになったのである。

戦後、オーストラリア海軍で使われたシドニーは、同等の船体でシーフゅーリーなど搭載したが、ジェット化した機体は運用されていない。

ジェット化したF9Fは重量もレシプロ機に比べ約1.5倍程度になっている。これに合わせた着艦拘束装置も必要だし、万が一に備えたバリアもこの重さをしっかり受け止めないといけない。

とは言えアメリカのエセックス級より一回り小さな「かつらぎ」には荷の重い話であった。


ここで試したのがエセックス級のアンティータムで試験したアングルドデッキであった。

タッチアンドゴーも自在にしながら、一方でカタパルト発進も可能になると、空母の運用の柔軟性が非常に増すのである。

船体の改装の限界からアンティータムと同程度の角度しかつけれなかったが、十分近代空母に近いものになった。

ようやくF9Fが運用されるようになりアングルドデッキでのジェット戦闘機の運用も板についてきたころから、今度は次期戦闘機の導入の話が出てきた。

すでにアメリカ空母はソ連なミグ15や17を圧倒しうる本格的超音速戦闘機の時代を迎えようとしていた。

そしてF8Uが主力となろうとしつつあったが、同じころには、グラマンはF11Fをだしていたのである。

アメリカ空母より小さな「航空護衛艦CVE1かつらぎ」(憲法違反だなんだと言うむきに政治家が配慮して「空母」を名乗れないのであった)への搭載を第一に考えたら、F8Uの高性能は魅力的であっても、戦後慣れ親しんだグラマン戦闘機の系列の小型戦闘機のほうが現実的な選択であった。

アメリカでもF8Uに苦戦するグラマンは日本への売り込みに精力的に取り組んだため、かつらぎにて、F11F(グラマンから提供の試験機)が試用されることになったのである。

後にアクロバットチームのブルーエンジェルスで使われるようになっただけあり、運動性能はそれなりに評価される機体に海上自衛隊は満足して、かつらぎで運用されることになったのである。

そして同じころ、航空自衛隊F86の後継機を選ぶ第一次FXの機種選定の時期が来たのである。

当時、性能的にはF104を推す意見が多かったが、当時のF104は下方へのパイロットを射出するタイプの射出座席を装備するなど高性能ではあるが扱い難い問題があるなど熟成中の機体であった。

片やすでに海上自衛隊で運用中のグラマンの改良型は自衛隊としてもとっつきやすいものであり、自然と航空自衛隊もグラマンになびくようになり、最終的にグラマンF11FにJ79エンジン

搭載型が導入されたのである。

性能的には、小型の機体に強力なエンジンを搭載した機体の通例で、航続距離が短くなるようになったが、航空自衛隊では何とか我慢できる程度であったからだ。

また、同じ機体が海上自衛隊で評価されたときは、重量増加に伴う着艦性能の低下が問題になったが、待望のレーダー火器管制装置も搭載されたし、運用の多用途化(原型のF11よりは)できたことも大きく評価された。

なんといっても、一番の評価は航空自衛隊、海上自衛隊の双方が同じ機体を運用するメリットである。

かっての陸軍航空、海軍航空でかなわなかった同一機体の運用が初めてかない、費用だけではない様々なメリットが実感されたのである。

これにより、後継のCVE「ひりゅう」「そうりゅう」にはF4J、航空自衛隊にはF4EJが採用されるきっかけになったのである。

(グラマンは後にF14Jで日本の空に再デビューし今回も海空とも共用、さらにアメリカもF14を採用していたため、厚木基地のイベントはまさに「猫屋敷」となり米空軍のF15は居心地が悪かったらしい(^-^)。)


さて航空警備艦「かつらぎ」の戦歴の中でも多くを占める、昭和30年代から日本に来襲した怪物との戦いについてはまた次の項目で述べることにする。


かつらぎとグラマンの長い関わりについて、これから述べていきます

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