第8話
市場にたどり着いたオルタは、見てはならぬものを見てしまった気持ちになった。
フードを被って耳を隠しているが、その姿は紛れもなくアッラである。
生成りのケープで上半身を覆っているけれど下半身はそのまま。
見覚えのある尻尾が丸見えだから分かる。
「昨日の今日で、か……」
つい独り言を漏らしてしまう。
まずは彼女を問い詰めよう。
そう思い立ってアッラの側に近づく。
「おい、アッラ」
「なっ! って、キミか……」
突然のことにアッラは驚きの声をあげるものの、声を掛けてきた相手がオルタと分かるとすぐに落ち着いた声色になる。
「何をやってるんだ?」
「何って、森でハーブを摘んできたから売りに来ただけだよ。もうお金に買えてしまったけど。キミの方こそ何をやっているんだい?」
「俺は塩を買いに……じゃなくて、なんで懲りずに今日も来てるんだってことを聞きたかったんだ」
危うくアッラのペースに巻き込まれるところであった。
聞きたいことは何をしに来たかではない。
別に塩を買う買わないという、自分の用事はこの際どうでもいい。
「生きるためにはお金が必要でねぇ……稼ぎを奪われるかもってことで街に出てこないという選択は取れないのよ」
腕を組んでうんうんと頷きながら語り、最後にウィンクをして締める。
真剣味が感じられず、なんかどうにも嘘くさい。
「お金ねぇ……昨日の分だってまだ手元にあるだろうに。」
昨日肉を売っ分のお金は丸々手元に残っているのではないだろうか?
詳しくは知らないが、それなりの金額のはずだ。
「ああ、アレは他のと一緒に手元に置いておくことにしたよ。今日のは食べる分のお金」
「そうか、月曜日に空腹で苦しんでいるアッラを見ることはなさそうだな。良かった良かった……うん、他の?」
待て、待て待て――待て。こ
の女、餓え死にしかけていたのにお金は持っているってことか?
「あっ――いや、やっぱさっきの無しで。無い無い、有りません」
自分の失言に気づき、慌てて手を顔の前でバタバタさせるアッラ。なんか否定されたぞ。
「えっ? 言ったよね手元に置いてるって」
オルタはなおも問い詰める。
この姿を事情が知らない人が見たら、恐喝しているようにしか見えないだろう。
けれど、そういうことは考えずに。
それ以上の言葉は紡がず、目を反らせるアッラを力強く見つめる。
その場を支配するのは、重い沈黙。
「お金が必要なんだよ、生きていくためには……」
ようやく観念したのか、アッラが口を開いた。
それは心ここにあらずといった呟きだったが。
「そりゃ、まあ。そうだろう。でもアッラはろくに食べられていないじゃないか」
そんな事は誰だって知っている。
でもご飯を食べずに死にかけてまで貯めるお金ってなんだろうか?
「そこがね、キミにはまだ分からないことなのかもしれない。話しても理解できないと思う。勝手な考えだけどね」
真顔で答えられた言葉から、オルタは拒絶の意志を感じる。
その理由はなんだろうか、というところはオルタには分からない。
それ故に、オルタは沈黙する以外の反応を取ることが出来ずにいた。
「キミは誤魔化していると思うかもしれないけど、私にはもっとお金が必要なの。だからさぁ、明日の朝に猟するから手伝ってくれない?」
彼女の言葉には自分の都合だけがあった。
だがここは――。
「分かったよ」
真意を知るためにはもっとアッラに接近する必要がある。
二人の心の距離は遠い。
ならば誘いに乗るべきだ。
「日が登る前にいつもの場所に集合ね」
朝とは言ったが、どれくらいの時間は指定されていなかった。
知っていれば誘いに乗ることは無かったが、今更反故とする事はできない。
約束は約束だ。
「それは朝っていうか、夜明けって言って欲しかったよ……行くけどさ」
「よろしくね! 絶対よ」
そのままアッラとは別れることになり、オルタは当初の用事をすませることにした。
昨日は閉まっていた店に足を向ける。
値段は中々に財布に響いてくるものであったが、買えない値段ではない。
明日、持っていくのを忘れずにいよう。
そうじゃないと、買った意味がない。
その日の夕食は珍しく父も一緒だった。
予定していた仕事を早く切り上げる事ができたらしい。
相変わらず元老院の仕事が忙しいことに変わりはないらしい。
議会に出る以外の仕事とは何なのだろうか。
聞いても国家機密ということの一点張り。
なるほど、便利な言葉だと思う。
「父さん、明日の手伝いのことなんだけど、昼からでいいかな? 早朝から用事があるんで、それが終わってからにしたいんだ」
オルタは用事の内容までは詳しく話さなかった。
幼馴染であるスー、ソキオ、ノーチェとの用事であれば必ず名前を出すため、両親には三人が関係する用事でないことは分かる。
「構わんよ」
父が素っ気なく応える。
自分の息子に興味が無いからこういう態度を取るのではなく、深く踏み込んで話をしても悲しい結果にしかならないことが多いからだ。
父が仕事について多くを語らない以上、他の話題といえば息子のこと。
その多くは魔法学校での話となる。
しかし学校での話題で明るいものは少ない。
つい最近までは調査旅行の話をすることも多かったが、両親それぞれの昔話を聞き終わった今では、話題に上ることも減ってきた。
「あら、それじゃあ朝食はどうしようかしら」
母が少し困った顔をする。他の士族の家では使用人が食事の準備をすることも多いが、バベル家では母が担当している。
料理をするのが好きだからというのが理由らしい。
食材の買い出しは通いの使用人と一緒に行っている。
二人で行く理由は、母には荷物を持つという概念が無いからだ。
他にも四人の使用人を雇っているが、それは全部父の秘書なので家のことには関わることはない。
「自分で何とかするから、気にしなくていいよ」
夜明け前だと店は空いていないので、なんとか出来る気はしていないが、母に迷惑を掛けるのも悪い。
「飯はともかく、朝早くから何をするつもりなんだ?」
父は意外にも用事の内容を気にしていたらしい。
「そりゃあ、個人機密というやつだよ」
言っても良いが、言わなくても問題はない。
ここは最近覚えたやり過ごし方を試してみよう。
「なるほど」
特にそれ以上も聞いてくることもなく、父の態度はやはり素っ気ない。
「男の子だものね、きっと色々あるのよ」
母は勝手に納得した。
それはそれで恐ろしい。
好き勝手に解釈される恐れがある。
昨晩夕食を取った後、オルタは早めに寝付いた。
それにも関わらず夜明け前では眠気は強い。
眠気覚ましに窓を開けて新鮮な空気を取り入れる。
夏が近づいてきてはいるものの、空気の冷たさが身に染みる。
ようやくと目が覚めて来たので、服を着替え身支度を整え外出の準備を終える。
学校に行くのではないため、制服ではなく私服だ。
「さて、行くか」
気合を入れるために独り言を呟くた、外に出るために一階に下りる。
食堂から明かりが漏れている。
父ではないだろう、十中八九母だ。
「母さん起きているの?」
声を掛けて食堂に入ると、やはり母がいた。椅子に座り足をぶらぶらさせている。
お茶を飲みつつ本を読んでいたようだ。
「起きてるわよー」
声に張りがある。
ということは一晩中起きていたのではなく、一度寝て起きたということ。
母は眠気が強くなると声に不機嫌なものが混ざるので分かるのだ
「何のために……」
母の目の前にはバスケットがあった。
ということは、起きている理由は明白だ。
「何をするのか知らないけれど、こんな朝早くに食事を何とか出来る訳ないでしょう。持っていきなさい」
「ありがとう」
「気をつけていってらっしゃいね」
「行ってきます」
母は立ち上がると燭台を手に二階へと階段を登っていく。
母は二度寝をしないので、これから父が起きるまでその寝顔を見つめる作業に没頭するのだろう。
オルタはバスケットを手にして外に出る。
夜明け前の街は暗いが、夜目が利くオルタには些細な問題だ。
毎朝の登校と同じ道を同じように、魔法学校を目指して走り出す。