第6話
「ノーチェ……さん? 私が突然お邪魔して、ご迷惑をおかけしないでしょうか?」
フローレッセが申し訳無さそうな顔をする。
ノーチェは学校に来ていないから、フローレッセとは面識がない。
「大丈夫大丈夫。同じグループなんだから気にしないでよ。調査旅行の話をする度に、ノーチェも会いたがってたし良い機会だって」
「じゃあ市場ですぐに食べられそうなお土産を買っていこうか。一人多くなると食べるものが少なくなってしまうしね」
ソキオはノーチェの家への気遣いを忘れない。
いつもノーチェの家のごちそうに甘えているが、手土産は持っていったほうが良いだろう。
「そうだな。それが良いと思う。行こうか」
オルタはソキオの意見に同調する。
「私の馬車がありますので、お乗りになりませんか? 皆さんが乗られても問題ないかと思います」
フローレッセが自分の馬車で移動することを提案する。
「それいいねぇ」
スーは待ってましたとばかりに賛同する。
「迷惑をかけてしまわないかな」
「迎えに来てくれていますので、誰も乗らずに家に返すと苦労を掛けるだけになりますので」
「それもそうか」
三人ともそれなりの家なので馬車を所有している。
しかし御者を雇う程の経済的余裕がないため、家の主人の移動に使われることがあるくらい。
あるいは「わーい今日は父さん張り切っちゃうぞー」的な使い方しかされていない。
子供の学校の送り迎えに使われることは滅多にない。
「やっぱりフカフカの椅子はいいよね」
オルタの対面に座ったスーが、椅子のクッションをポンポンと軽く叩きながら呟く。
スーの家の馬車も同じくらいの豪華さだったはずだ。
「椅子だけじゃないぞ。サスペンションがしっかりしているから揺れにくい」
スーの隣に座るソキオが説明してくれる。
なるほど揺れを感じ難いのはクッションだけが理由ではないらしい。
「あまり気にしたことはないけど、確かに揺れが少ない気がするな」
サスペンションってのが何なのか、オルタにはわからないが同意しておく。
「そうなんですかね」
オルタの隣に座るフローレッセは少々困り顔である。
造りがしっかりしていない馬車に乗る機会はないのだろう。
彼女が乗合馬車に乗っている姿は想像できない。
「学校の乗合馬車の揺れ具合ときたら酷いよ。たまに御者のオジさんが吹き飛んじゃうくらいなんだから」
「そうなんですか!」
「流石にそんなに酷い状況は数えられるほどしかないけどね」
フローレッセ驚かせるためのスーの吹かし話を、苦笑しながらもソキオが肯定する。
初めて聞いたよそんな面白い話。
帰りに乗る馬車でそんな目にあったことはないのは偶々だろうか。
それとも朝は急ぐ場面があって事故に遭遇するのだろうか。
今朝も急ぐことになっただろうに、良く平気で済んだものだ。
「すいません、こちらで下ろして頂けますか」
市場のある通りに近づいたのでフローレッセが御者に声をかけると、馬車は徐々にスピードを落としていく。
「命令するって訳じゃないのね」
「私に従っていますが、あくまで父が雇った方ですので。礼儀を欠かしてはいけませんよ」
スーは「そう。そうね」腕を組んでうんうんと頷く。
幼年学校の頃にスーの家の馬車に乗ったことがあるが、あのときスーは御者の隣に座り元気に命令していたっけ。
御者は従っていなかったけど。
昼前という時間帯の市場は人々でごった返していた。
あともう少しすれば、昼食を買い求める客でさらに人は増えるだろう。
「そういえばあの後どうしたの?」
皆でお土産を物色している最中、スーがオルタに擦り寄り話しかける。
あの後、とは昨日のアッラを助けに入った後のことだろうか。
「別にどうもしないけど」
「どうもしないってことはないでしょう? あの人知り合いよね。でなきゃ助けないでしょうに。あんたに亜人の知り合いがいるなんて話は知らないし、どこで知り合ったのよ」
顔を近づけ少し早口でまくし立ててくる。
スーがこんな剣幕をすることも珍しい。
「色々あったんだよ。俺にだってスー達に話してないことの一つや二つあるさ」
「後で話しなさいよね。あっ! あの店のお菓子なんてどうかな」
丁度有名な焼き菓子の店の前に差し掛かり、スーはソキオとフローレッセの二人を呼び寄せると店へと入っていく。
この店高いんじゃないかな?
オルタは確信に近い疑問に頭に浮かべながら三人の後に続いた。
ノーチェの家で食事をごちそうになった後、お土産の焼き菓子を摘まみながら雑談をしていると、話題は当然のごとくオルタのことに向けられた。
食事の間はフローレッセの話で盛り上がっていたので、スーも話を振っては来なかったのだが。
あらかた話題も尽きたので致し方ない。
「さてオルタ君。昨日の帰りのことなんだけれども」
「いつもながらこのお茶美味しいね。葉っぱがいいのか入れ方がいいのか、それとも両方かな」
仰々しく話を振ってくるスーから逃れるために、綺麗なメイドさんが入れてくれたお茶のことを褒めて話を逸らす。
まともに受けては危険な気がするからだ。
「ごまかすな。逃げられはしない」
ソキオが回り込んで逃がそうとしてくれない。
ソキオ、お前もか。
「もしかして今朝のことと何か関係があったりするのですか?」
フローレッセまで興味津々であり、こちらは助けられた恩がある。
観念するしかないのだろうか。
いや、ノーチェさえ無関心なら大丈夫だ。
この場の主導権は彼女にあるのだから。
「オルタに何かあったんですか? 相変わらず魔法学の実習には出ていないとは聞いていますが。それ以外に何かやらかしちゃったのかな?」
ぎゃふん。
可愛い笑顔でトドメを刺された。
こうなる予感はしていたんだよ。
していたさ、ああ。
「何から話せばいいのかは困るんだけど、まあ順を追って話そうか」
四人に向かい最近の出来事を話していく。
講義をサボっていたら亜人の少女に出会い仲良くなったこと。
二人で鳥を取って食べたこと。
街で不穏な輩に絡まれていたところを助けたこと。
「ふーん。それで昨日助けに入ったって訳か」
「友人ねぇ……」
「亜人さんですか」
「……」
それぞれ反応が鈍い。
「口が重たいけど、何か文句でもあったりする?」
「文句ねぇ……興味があるような聞き方をしたけど、私が知りたかったのは、これからどうしていくつもりなのかって事なんだよねー」
「交遊関係が広いことは良いことではあるけれど、同時に悪いこともあるってことをオルタは理解出来てる?」
スーの言葉に続けて、ノーチェが淡々とした口調で問いただしてくる。
「どうしていくかっていうのも難しいし、悪い面ってのも理解はしているつもりだよ。ただ、今すぐに結論を出すことでは無いと考えている」
亜人と付き合いがある士族は見たことも聞いたこともない。
極端な場合になると平民との付き合いすら避ける士族もいる。
だから平民より下の階級に位置する亜人との付き合いなんて論外である。
そういう意見は多い。
そんなことはオルタも重々承知の上であり、今のアッラとの関係は逃避から来るものだろうと自分でも分かっている。
そしてそれは恐らくアッラの方も――
「人の視線を気にするとすれば、街中で亜人と一緒にいる士族は記憶にない。人助けとはいえ昨日の行動はやり過ぎだろう。誰かに見られていたら面倒なことになりかねないと思う」
ソキオが強めの語り口でオルタに忠告してくれる。
でも、それ既に起きているんですよ。
「今朝も何かありそうな雰囲気でしたし、どうも見られていたようですね」
それまで様子を伺っていたフローレッセが、今朝の出来事を思い起こして口を挟む。
「そうだね。フローレッセに助けられなきゃ、面倒なことになっていたと思うよ。改めてありがとう」
「お礼には及びません。私もああいう人達の行動を見ていると、不快になります。それで止めさせて頂いただけです」
貞淑というのはこういう女の子のことを指して言うのものだろうか。
フローレッセの高潔な態度にオルタは感動を覚える。
しかし、朝方そんなやり取りがあったことをスーとキオの二人は知る由もない。
遅刻ギリギリで教室に入ってきたからだ。
だから、二人は驚きの声をあげる。
「既にか!」
「早いわね。もう実害がでてるの?」
「ああ。バニオとハリナに朝から絡まれかけてね。どっちかに見られてたんだろう。まあ助けた後に長々と喋ってたから人目に付いたのかもしれない」
オルタは今朝の状況を説明した。
「あの二人か……言い掛かりをつけるなんて、如何にもあの二人のやりそうなことよね」
「立場上弱い者に対して強く出ることで、自分たちの存在証明をしている連中だからな。将来的に俺達は、ああいう連中とも上手く付き合わないとならないんだがな」
将来的に父の仕事を継ぐとなると、色々な人との付き合いが発生する。ソキオはそのことを言って釘を刺す。
「面倒な人達ですよね。私が言えた立場ではありませんが、家が裕福で少し魔法が使える。それだけで態度が大きくなるのは感心しません」
オルタがフローレッセが憤慨する姿を見るのは珍しいことだ。
それだけ付き合いが浅いだけかもしれないが。
「魔法の件もあるから奴らに絡まれるのは、今に始まったことでは無いけどね。これからも上手く躱していくことにするさ」
「逃げてばっかで的確な対処をしているところ、今まで見たこと無いけどね。まあ私達も見かけたら助ける努力はするけど」
どやぁっとした顔で協調性をアピールするスー。
実際に助けてくれるのが分かっているので文句は言わない。
「私としては面白そうな話を聞けるんだったら、亜人さんとの付き合いも良い経験なんじゃないかな、って思ってしまいます。それによって起きる事も含め、面白くなりそうじゃないですか」
悪戯気な笑みを浮かべてノーチェが悪いことを口にする。
「ノーチェもむごい事を言うなぁ……」
未熟な五人では明確な結論は出せず、先延ばしにすることでその話を終わらせる。
この場に大人がいれば違う答えになったのか、さらにお茶を濁す答えになったのか。
それは分からない。
何かひと心地がついたので、オルタが冷めきってしまったお茶で喉を潤す。
するとフローレッセが気になっていたことを切り出す。
「ところで話が戻ってしまうんですが、鳥を取ったってどういうことなんでしょうか? 皆さん当然のように聞き流しましたが、オルタさんの特技なんですか?」
「あーゴメンゴメン。オルタならそれくらい簡単かと思ってスルーしてた。オルタにはそんな芸当余裕よ。一睨みすると鳥が気絶してバタバタ落ちてくる」
スーは簡単に話を盛ってくるので注意が必要だ。場の空気に寄っては諌めないといけない。
「いくらなんでもそれは話を盛りすぎだよスー。どうやれば取れるんだ? 地道に追いかけたのか? それだと結構走り回ったろ。」
スーを諌めてくれたものの、ソキオも無茶なことを言ってくる。
「昔、石を投げて鳩を弾け飛ばしたことがあったけれど、似たような方法かしら」
ノーチェが正解を言い当てる。あれは悲しい事件だった。
「どれも実現性が無い気がするのですが、オルタさんは野生児か何かなのでしょうか。体力に自身があるのは存じていますが……」
三人の話す内容を聞き、フローレッセの顔からは血の気が引いている。
「フローレッセは俺のことを詳しくは知らないからな。いきなりそんな話を聞いても理解出来まい。ちょっと教えるので椅子の座面を掴んで貰っていいかな。強めでね」
オルタはフローレッセに言い聞かせると、彼女が座る四足の椅子の後ろに回り込みしゃがみ込む。
そして後ろの二本足を掴みひょいと立ち上がる。
するとフローレッセごと椅子をそのまま持ち上げる形になる。
「はいっ?」
フローレッセはそのまま宙の上で皆を見下ろす形となり、突然のことで何が起きたか理解できないでいる。
それはそうだろう、簡単に持ち上げられるなんてことは想定していないのだから。
「これぐらいのことは簡単に出来るってこと」
オルタは静かにフローレッセの座る椅子を床に戻す。
そして人を一人持ち上げたとは思えない程に涼やかな顔で語りかける。
「力持ちなことは分かりましたけど、これと鳥を取ることの因果関係がわかりませんよ」
突然の出来事のために、少し顔を赤くしたフローレッセは更なる説明を求める。
女子一人を持ち上げることは筋力があれば不可能ではない。
芸当としてオルタは、何も不可能なレベルのことをやってのけた訳ではないのだ。
「それがオルタの魔法ってことよ。持ち上げようと思えば私達四人ごと、家が保つならこの家ごと持ち上げられるわ」
スーが冗談めかして話を盛る。
結論からいうと家を持ち上げるのは難しい。
なぜならオルタが家の重みにより地面に埋まってしまうからだ。
「要は肉体強化の魔法の亜種みたいなものかな。魔法の詠唱も必要としないから凄いよ。魔法のことを勉強すればするほど訳がわからなくなる」
ソキオはお手上げといった様子で説明する。
「講義で見たことがありますが、あれは殆ど役に立たないって結論じゃありませんでしたか? 疲労度が半端ではないと聞きましたが」
一般論を語るフローレッセ。
彼女の言うことは正しい。
それがオルタには当てはまらないだけだ。
「普通の魔法士の場合はそうなるかな。だからそこがオルタの凄いところよ。一日中肉体強化を継続できて疲れるということを知らない。本当、羨ましいばかりの体力バカよ」
はーっと溜息を吐くノーチェ。
身体の弱い彼女に取っては本当に羨ましいことなのである。
「だから単純な話なんだ。この肉体で石を投げると凄く速度が出て凄く遠くまで飛ばせる。あとは鳥を目掛けて投げれば鳥を落とすことが出来る」
「狙いが少しでもずれると鳥が弾け飛ぶんだけどね。幼い頃、鳩が消えたのはまだ心に傷として残ってるわ」
「赤い霧は一つの事件だったな……」
スーとソキオは少し遠い目をする。
フローレッセへの説明が結果的に過去の古傷をえぐる結果になったようだ。
しでかしたオルタにも傷として残っている程のことでもある。
幼年学校の頃、四人で遊んでいるときの話。
鳩に向かって石を投げてオルタの力を見せた時、鳩が霧散した。
ただそれだけのことだ。