第2話
明くる日も魔法学の実習を前に逃げ出したオルタは、校舎裏の欅に足を向ける。
校舎から欅の木まで普通に歩くと十分近く掛かる。
サボるためにわざわざこの場所まで来るオルタには、一端の根性があるのかもしれない。
彼のことを知らない人ならば思うだろう。
少女もその一人だ。
「鐘の音がなってからここまで来るのさぁ、ちょっと早すぎじゃない?」
オルタが欅までたどり着いたとき、木の下で座って待ち構えていた少女が疑問を投げかける。
「嫌なやつに絡まれると面倒くさいからね。出来るだけ急いで来ている」
「それにしちゃ息を切らしているように見えないけど。ちょっとは疲れないものなの」
「驚異的な身体能力だろ。凄いと思わない?」
「まあ凄いかも。鐘の音がなる前に抜け出しているとか、ズルしてなければだけど」
オルタは少女にズルをしている嫌疑を掛けられる。
半分似たようなものであるので、少女に教えることにする。
「そのことは隠す程じゃないから教えてあげる。それを含めて俺のことを紹介させて」
昨日聞けなかった少女の名前を聞くために、まずは自身のことを話すことにする。
「俺はオルタ。昨日も言ったけど士族。魔法学校の学生で十五歳。魔法が使えないから講義をサボってるけど、全然魔法が使えないわけじゃない。魔力の強さだけならマセドナで一番かもって医者には言われている」
「本当のことならエリートってことね。市民権のない身からしたら士族の時点でエリートだけど。その魔力最強クンはなんで講義をサボってるの? 魔法を使うために勉強する講義じゃないの?」
「強すぎるということは間違いないんだけど、俺が使える魔法は普通じゃなくてね。一般的には使いものにならないと言われる肉体強化の魔法なんだ」
知られると面倒くさいので、親しい人ぐらいしか知らない事実を打ち明け、得意になするオルタ。
しかし魔法学校に通っていない少女は、魔法のことについて詳しくはない。
「ふーん。ドヤ顔でありがとう。それなんか凄いの? 私の使える精霊魔法でそういうことは出来ないけど、キミのいう普通の魔法ってやつにも無いんだ?」
自分の凄さが伝わらず少し落ち込むオルタだが、根気よく伝える努力をする。
「魔法としては存在しているし、使える人もいるよ。普通なら持てないような重いものを持ち上げたり、ありえない速度で走ったり。肉体の限界を超えるためにほんの一瞬だけ使う」
「あー、それを使って速く走れるからか。少し納得。でも――」
「魔法を使えば疲れるんじゃないかって思うよね」
魔法を使うと疲れる。
なぜなら使うためには長い詠唱が必要な上、効果と引き換えに魔力が減少し精神がすり減るからだ。
少女は精神のすり減りについて指摘している。
「そう。それそれ。人間って魔法使うと明らかに疲れちゃうのに、キミからはそんな気配がみえないし」
「そこを驚異的な魔力の強さがカバーしているっていうのかな。そもそも魔法を使っている感じでもない」
「とは?」
少女は小首をかしげる。
「俺の魔法は詠唱がいらないんだ。使おうと意識するだけで使える。いや、無意識下でも使えるか。ただその時に魔力を消費するから魔法を使っている状態ってこと。俺自身は疲れないから魔法を使っている感じがしないという訳」
「速く走る魔法を使えて、でも魔力が凄いから疲れないんだね。キミの凄いところはわかったけど、魔法ってそれだけ? もっと分かりやすいやつ――」
「ない。それは出来ないんだ。物を燃やすとか冷やすとか。風を吹かせるとか雷を呼ぶとか。地面を揺らすとか。そういった魔法はない。皆と同じように詠唱しても何も起きない。ある意味才能だよ」
残念そうに話すオルタの顔をみて掛ける言葉を失う少女。
話を切り替えたい。そんな話題って――
「そうそうパンを頂戴。今日も持ってきてくれてるんでしょ。今日もそれを待ってたんだ」
少女に言われ、まだ昼食を取っていないことをオルタ思い出す。
「はい、いつもの」
「ありがと。貰ってて何だけど、美味しいものとはいえ同じものを食べてると飽きたりしない?」
「そこまで飽きないよ。週に三日のことだし。サボらない日は食堂で食べてるし。むしろあっちは美味しくないからパンの方がマシだ」
そうなんだ、とパンを口に運びながら少女は思う。
そして先日先延ばしにしていたことがある。
あまり言いたくないことまで含めて話してくれた、そんなオルタの気持ちに免じて話すことにする。
「アッラ」
「なにが?」
食べている途中であったがために間の抜けた返事をしたオルタに、アッラは調子を崩される。
「いや、キミが知りたがってるわたしの名前。アッラていうんだ」
「アッラ、アッラさん、アッラちゃん――」
オルタはアッラをどう呼べばいいか思案する。
「そのままアッラでいいよ」
アッラにとって呼ばれ方にこだわりはない。
人間に名前で呼ばれることの方が稀だ。
おい、とか亜人の娘だとか、ケモノの娘と呼ばれることもある。
「十六歳で、見ての通り働いてない。最近はその日の食べ物に困る有様で、日がな一日木の上で寝てるだけの生活」
オルタにはアッラの境遇に見当が付いていたものの、実際にその酷さを口にされると中々に心に堪えるものがあった。
「寝てるだけじゃなくてアレがあったや。ちょっと待ってて」
そう言い残してアッラは木の上に登り始めた。
何かがあるのだろうか。
注意を払わないためパンツが見える。
かといって目を背けるようなことをオルタは持ち合わせない。
頂けるものは頂く主義だ。
束の間、アッラは飛び降り、音もなく着地する。
靭やかな肉体を感じさせる。
「なんだそれ……ってラッパか」
「そうそうラッパ、ラッパ。詳しい種類はよくわかんないんだけどね。そこに興味はないし。コレを吹いてたりする。昔ちょっと人に教えて貰ったことがあって、それからは独学だけどね」
「吹いてもらってもいい? 聴いてみたいんだけど」
「そうしたいのは山々なんだけど、今は壊れちゃっててね。ピストンっていうこの押す部分のとこ。修理するお金もなくてそのまんま」
アッラはラッパを吹いて見せるが上手く音が鳴らないみたいだ。
というより音を変えられないみたいだ。
そういえば学校でこんな音を耳にすることがあったような気がする。
この場所で鳴らされていたのか。
「上手く鳴らないみたいだね。楽器に詳しい知り合いでもいればいいんだけど。そんな知り合い居ないし」
「いいって、いいって。コレはこのままで。もう誰にも聴かせるつもりはないし」
「俺は聴いてみたいと思うけど。アッラがそう言うんだったら無理は言わないよ」
「うん……」
アッラは耳と尻尾を垂らし、何よりも悲しげな目をする。
昔は聴かせる人がいたのだろうかとオルタは少し考える。
それは家族、友人、それとも恋人?
出会ったばかりの人に対して踏み入ってはならない領域だろうとオルタは考えた。
「さっき食べ物に困ってるっていうけど、働いてないんだったらどうやって食料を手に入れてるんだ?」
「そこの森で色々手に入るよ。果物とか、木の実とか、鳥とか。何人かで協力して鹿や猪を捕まえてみたりもする」
「野性味溢れた食事だね……」
「あとは街に肉や毛皮を売りに行って手に入れたお金でパンや麦を買うこともあるけど、まあほとんど口に入らないね」
「たまに市場で売ってる鹿や猪の肉ってあそこの森が出処だったりするのか。熊みたいな大型の野生動物がでたら流石に危険じゃないか」
「熊は見たこと無いかな。森といっても壊れた街が植物に飲まれているようなところだからね。大きな動物はもっと森の奥、薄暗いところに居るって話。そこら辺りまでいくと人はほとんど住んでないよ」
森を指差しながらアッラは語る。
城壁の外側のことを城壁の内側に住む人はあまり知らない。
なぜなら生きる上で関係がないから。
オルタも街の外の事といえば、父親から何度か聞いたことのある家の領地のことくらいだ。
といってもどんな作物が育てられていて、どれぐらいのお金になるのかという程度。
実際に足を運んだことはない。
生まれて初めて都市の外側に興味を持ったオルタは、森がどういったところか気になってくる。
「あの森って人が住んでいたりするのか」
「修復すれば使える建物もあるから、結構な数の人が生活してるよ。私みたいな亜人だけじゃなくて、都市に居られなくなった人間とか。わたしの家族は城壁の近くに住んでるけどね。もちろん外側だけど」
「一緒に暮らさないの?」
「家族や親戚と揉めちゃってね。家にはいられなくなっちゃった。だからここに居るんだよ」
「なんかゴメン。つらいこと聞いちゃったみたいだ」
「いいよ。今となっては大した理由でもないし。いつかは独立しなきゃならない訳だし。わたしにとってはそれが家族と揉めたタイミングだったってだけ」
結果的に聞いてはいけない話題に踏み込んでしまったオルタは、話の流れを修正することに注力する。
それにしても聞いていないことを簡単に口にするアッラには参る。
「そうか。ところで鳥を食べるっていってたけど、それってアレでいいの?」
丘の上を数羽で群れて飛んでいる鳥たちを指を差すして聞く。
「そうだね。あいつらは手頃な大きさかな。他のやつでも食べて食べられない鳥はいないよ。取るのが難しい奴はいるけど」
「じゃああいつらにしよう。仕留めるだけなら五秒で終わる」
得意げにアッラに言い聞かせると、地面に落ちている小石を幾つか拾い立ち上がる。
左の手のひらの上に小石を広げ、鳥たちに狙いを定めると右の中指を親指を使って抑え、力を貯め勢いを付けて小石を弾け飛ばす。
小石は目に見えない速さで飛んでいく。
もっとも小さいものの動きなんて、目で捉え易いものではないが。
つまり遠目には石が命中する瞬間など分かるはずもない。
しかしアッラの目には命中したように見える。
なぜならそれまで飛んでいた鳥が次々と地面に落ちていくから。
「あんなに石って飛ばせるもんなんだね。いやー、わたしには無理だよ」
「俺だから出来る芸当ってやつかな。こんなこと出来るのはこの国で俺か父さんくらいだと思うよ。さあ、回収しに行こうか」
「そうだね」
二人は丘に落ちた鳥を拾いにいくと、鳥の悲惨な姿を目にする。
「頭が完全に潰れちゃってる……」
落とされた鳥はどれも頭がない。
石をぶつけられた時の衝撃ではじけ飛んだのである。
「下手に威力があるからお腹に当てると食べるところがなくなる、だから頭に当てる。気絶させるように上手く当てることも出来るんだろうけど、そうそう上手くも行かなくてね」
「力の制御が効かないの?」
「制御が出来ないっていうか、それほど試してないだけかな。数を重ねていけばい感じで調節出来ると思う」
調節とは力の制御だけでなく、狙い付けの面もある。
今回狙った鳥は全て落としたが、飛ばした石の数は三倍。
つまり三つに二つは外れている。
「ふーん」
二人は全部で四羽の鳥を回収すると、欅の下まで戻ってくる。
「とまあ、鳥を取ったものの、どう調理するかまでは考えてなかったな」
「こんなにも食べきれないけど」
昼食を取ったばかりの二人にはあまりにも量が多すぎる。
オルタがいい格好をしようとしたのが裏目に出たようだ。
「取りすぎてしまったね」
「私が引き取ってもいいよ」
むしろ引き取らせてくれと言わんばかりの顔をアッラはしている。
「ありがとう。迷惑にならない?」
「冷やしておけば日持ちもするし。それに街に持っていけばお金にもなるし」
「冷やす?」
「キミ達だと精霊魔法っていうのかな。 焼いたり凍らせたり出来るのよ。まずは捌いてからだけれど」
鳥を木に吊るし血抜きをする傍ら、アッラが羽根をむしり取り丸裸にしていく。
「剥いてる間に水を汲んできてくれていい? 森の方に井戸があるから。行けばすぐにわかると思う」
「分からなければすぐ戻ってくるよ」
アッラの指示に従い手渡された二つの桶を持ち水を汲みに行く。
井戸は本当にすぐに見つかった。
井戸を確認すると手入れがきちんとされているようで綺麗な水をしていてる。
水を汲み終わり欅の木まで戻ると指示された場所に置く。
アッラは毛を剥き終えた鳥から内臓を取り出し綺麗に掃除する。
肉は桶に、内臓はまな板の上にという具合に取り分けている。
「保存が効かない内蔵は全部食べるとして、肉は……そうだね一羽分だけ調理しますか」
「残す肉はどうやって保存するんだ?」
「こうやって魔法で冷やしておきます」
アッラが聞き取れない単語を呟くと、青白く光る物体が出現し、桶に入った肉に近づいていく。
「これが精霊魔法か……初めて見た」
魔法学校に通うオルタも、精霊魔法は見たことがない。
人間には使えない魔法のため、魔法学校には使える人が居ないからだ。
青白い光りに包まれた肉に手を近づけると冷気を感じる。
「確かに冷えてるみたいだけど、これでどれくらい持つんだ」
「結構持つけど。人間様の魔法と違って長い時間効果が続くから傷みにくいの」
「なるほど。その分威力がないとは聞くけど。実際はどんなもの?」
「見ての通りってとこだと思うよ。もうちょっと量が少ないと凍らせることが出来るかなって。精霊も還さなければ半日はそのままよ」
「還す?」
「精霊魔法は精霊にお願いして来てもらってるから、その逆で還ってもらうってこと。もうこれ以上はいいですってときは還ってもらうの」
威力が弱いとはいえ、半日も効果が続く魔法に薄ら寒いものを感じるオルタ。
これで威力が強かったら大惨事になりかねない。
まあ、威力が弱いから争いの道具にならず軽視されているのだろうが。
今の亜人の立場と同じように。
「じゃあ次は焼いていきますか」
「焼く前に味付けはどうする?」
笑顔で手を広げるアッラ。
そんなものはないという合図だろう。
どうやら塩やスパイスといったものは無いらしい。
目につくところに香草もとして使えそうな草も生えてないし、自然と素焼きでいただくことになる。
「まあ食べられる食べられる。新鮮だから臭みなんてないよ。大丈夫」
アッラは二十センチ四方くらいの石板を持ってくる。
そういえば欅の根本にそんなものが転がっていたような気がすると、それを見てオルタは思い出す。
変ないたずらをしていなくて良かった。
石板の上に肉を広げていくと、アッラは再びオルタには聞き取れない単語を呟く。
「ふう。これでよし。ああ、別の種類の魔法は並行して使えるの。今は炎の精霊にお願いしたとこ」
アッラは不思議な目で見るオルタに向けて精霊魔法の説明する。
「いや、並列で魔法が使えることは凄いけど。そうじゃなくて、石の方に魔法を掛けていたからさ。肉の方に直接掛けられるんじゃないかって思って」
ほんのり赤白く光っているのは石板の方だ。
近づくと熱せられた感じが肌に伝わってくる。
熱を加えるだけなら冷やすことと同様、肉の方に直接掛けると良いのではと考えてしまう。
「そこはこれまでの経験の結果かな。オルタの言う通り直接熱する事ができるんだけど、出来上がりの仕上がり具合が違ってね」
「どう違うんだ?」
「上手くいかないと中心まで火が通らないか、外に火が通らないかの違い。内側が生でも食べられないことはないけど、外側が生だと最初の歯ごたえが凄いよ」
最後に目を強く閉じ、べーっと舌を出して表現する。
「理解したよ。外側から加熱したほうが香ばしく仕上がると思うし、石の方を温めるのが正しいと思うよ」
「でしょ」
そんなやり取りしている間に、焼けた匂いと音がしてきたため、肉をひっくり返していく。
両面が焼けた出来上がりは、良い感じに美味しそうに見える。
「さあ出来た。召し上がれ」
アッラに取り分けられた焼けた肉を食べる。
内蔵も種類ごとに歯ごたえの違いを楽しむことができて、何より美味しい。
しかし塩くらいはあったほうが良いと思った。
予定していなかった食事を取り終え、二人で後片付けをしていると校舎の方から鐘の音が響いてくる。
「実習の時間が終わったみたいだな」
「この鐘がそうなんだ。いつも寝ているものね。これから学校に戻るの?」
「最近ろくに出席してないけど、講義は残っているからね。片付けが終わったら戻るかな」
「それじゃあ、後は私のほうで全部済ませるよ。お肉貰ったお礼ってとこで。さあ、行った行った」
「でも押し付けるようで悪いよ」
「いいのよ。誰かと一緒に食事してお話するなんて久しぶりで、正直嬉しかったの」
笑顔のアッラに背中を押される形で、オルタは片付けの作業を半ばに場をあとにし、校舎へと足を向けた。