第2話
「この辺りでいいだろうか」
森が深くなってきた頃だ。
父が立ち止まり、抱えていた荷物を地面に下ろして言った。
これからが本当の用事が始まるということだろう。
夜でなければ出来ない用事とは一体何なのか。
「それでこれから何をするの」
「ああ、こいつらの扱い方をお前に覚えてもらう。まずはこれからだな」
オルタは父から厚みのある長方形の鉄片を渡される。
「何これ?」
「寸鉄という。投げて使うといい。普通に使う分なら先をとがらせるのだが、俺達が使う分には必要ない。こうやって投げるだけだ」
必要最低限の動きといった感じで、シュッと投げられた寸鉄は、森の木の一つに突き刺さる。
「すると木に刺さる。まあ通常の使い方ならこんなものだ。次はもっと力を込めて投げる」
先程と変わらず、必要最低限の動きといった感じでシュッと投げられた寸鉄は、森の木の一つを突き抜け小さな穴を空ける。
「今度は穴が空いたね。これを練習すればいいの? 何のために?」
オルタは父に問い掛ける。
こんなことをして、何のためになるのだろうかと。
「ちゃんと狙ったところに投げられる練習だ。これをやっておくと、敵が離れたところにいても倒すことが出来る」
「敵?」
戦う予定なんてないのだが、という意味で聞き返す。
「調査旅行で敵に襲われたときのための対処だ。二人もお嬢さんを預かるんだから、その安全はお前に掛かっているといっていい」
ソキオも居るのではという疑問はあるが、守られる側ではなく戦力として戦う側として考えているのだろう。
「野盗も現れない安全地帯を回るって聞いているんだけど……どういった敵?」
「サビアとアルバナ。遭遇するとしたらこの二つの国の軍隊だな」
ガチガチに武装した正規軍を相手にしろと、父の口は告げている。
「戦争が起きて攻めてくるの?」
サビア公国とは去年小競り合いをして、少なくない犠牲者を出したばかりだ。
それがまた戦争になるのか、とオルタは不安になる。
「それは分からん。分からんからこそ、それに向けた対処をしておく。それが出来る男だよ」
父がニヤリと笑って言ったので、オルタは深くは心配しないことにした。
もしもの時の保険として練習をする。それでいい。
寸鉄を一つ受け取ると木に向かって投げる。
狙いは外れた上に、木に弾かれる。
木には傷一つ付いていないのは力が弱すぎたからか。
「結構難しいねこれ。もう一回やっていい?」
「方向は合わせられているから、今日のところはれでいい。あとは力をコントロールするだけだ。次はこいつを試そう」
今日のところは、とはどういう事だろうか。
それを考えるまでもなく、父が取り出した物に目を引かれてしまった。
「ワイヤーだよね」
巻き取られていて全体の長さは分からないが、かなりの長さがあるように見える。
一緒に取り出したこぶし大の石も相まって疑問は大きくなる。
「結構お高めのワイヤーだ。これの先に石を結びつける。鉄の塊の方がいいが、それを持ち運ぶには不便だからな。手頃に拾える石がいい。これをこうしてだ……」
そう言って父は木に向かって、ワイヤーを結びつけた石を投げる。
正確には木を掠めるように、だろうか。
手前の木に石が当たることはないはずだ。
ワイヤーも石に引っ張られてぐんぐんと伸びていく。
石が木を通り過ぎた辺りで、父が右腕を大きく振る。
石を投げる前には気づかなかったが、ワイヤーを手のひらに巻き付けてある。
つまりワイヤーは右方向に大きく振られる事になる。
先端についた石も右方向に振られるだろう。
「危ないなぁ、もう!」
その危険性に気づき、オルタは慌ててしゃがみ込む。
しゃがみ終わると時を同じくして、父の右手側に位置していた木々が倒れていく。
ワイヤーで切断されたのだ。
「おう、上手く避けられたようだな。その即時の判断力はいいぞ」
ハハハと笑いながら父がオルタを褒める。
下手したら一人息子が死んでいたというのこれである。
まあこの程度で死ぬことはないんだけど。
「石を投げる前に注意してくれるとありがたかったよ」
「瞬発力と判断力を養うにはいいだろう。お前の視力を信じていた」
オルタの動体視力でなければ、父が何をしたのか理解出来なかっただろう。
父の行為はそれくらい、ほんの一瞬の出来事なのだ。
石のスピードは常人の投げる速度ではなく、それだけで人を殺せるだろう速さだったのだから。
常人であればわけも分からず絶命していたことだろう。
「やりたかったことは理解できたんだけど。切り裂くだけなら剣とか普通の武器のほうが良くない?」
この方法であれば人を切り倒すことも簡単。
父はそれを示したかったのだろうとオルタは考えていた。
「それもあるが、剣と違って切れる範囲が段違いだし、一度に数人を倒せる。ただし耐久力はからっきしだから、数回も使うとワイヤーが切れる」
そう言って父が石を再び投げるとワイヤーは切れてしまう。
解き放たれて自由になった石は、森の奥に吸い込まれていった。
「それと、初見だと何がやりたいのか分からないのもいい。相手を油断させることが出来れば時間が稼げる。これも練習しておけ」
父が袋からワイヤーを取り出してオルタに渡す。
「石は?」
石は渡されなかったので尋ねると、父は地面を指差す。
オルタは手頃な大きさと思える石、今回は投げ頃の大きさの石を拾い上げる。
丸い石にワイヤーを巻きつけるという初めての作業。
それに予想以上にオルタは苦戦させられる。
「四角い石にしときゃ良かったかな。滑って巻きつけ難い。こんなの時間が掛かり過ぎて役に立たないんじゃ?」
オルタは作業をして初めて分かった疑問を父に投げつける。
「準備というのは事前にしておくものだからな。俺は用意していた石を使った。何でだと思う?」
「巻きつけやすい四角い石が拾えないと実演するのに困るから」
「考えの方向性は間違ってないな。この石でいいかな。見ていろよ」
父はオルタが拾ったのと似た丸い石を拾い上げる。
そして袋から寸鉄を取り出すと、石に傷をつけ始めた。
「これを使ってみろ」
オルタは父から手渡された石にワイヤーを巻き付ける。父が付けた傷にワイヤーが引っかかるため巻きやすい。
「そうか、石の形は関係ないのか。引っかかりさえすればいいんだ。それで準備していた石を使った。いや、そうじゃない。父さんが言いたいことは、そういうことじゃない……」
オルタは思案する。
重要なことは石に傷をつけることではない。
その前にある。
目的のために手段を準備をする、ということ。
「敵と遭遇してからでは準備は間に合わないし、敵と遭遇しないという考えではそもそも準備をしない。それでは駄目だ。敵と戦うため、それに向けた準備をしておく。その最初の一手を今日打つ」
「そのための練習ってことか。でもこれって、確実に殺しにかかっているよね。敵を見つけ次第殺すってこと? 物騒じゃないかな」
寸鉄もワイヤーも敵を殺すため、それも不意をつく方法に近い。
「調査旅行の行先は全て共和国領内だ。そんなところにいる隣国の兵の方が物騒だろ。だから常に敵の姿がないかを探し続ける。それは街を出てからずっとやらなければならない」
「……まるで戦争じゃないか」
父が言い切った言葉に、オルタは思わず言葉を飲む。
「その心構えを持っていろということだ」
「戦争が始まるの?」
単純な疑問をぶつける、そんな気配を街で感じたことはない。
「その予定は今のところないな。だが……」
「準備は怠るな、だね。分かってるよ」
今日父から教わったことはそういうことだ。オルタは肝に命じる。
「話が早い。それじゃあ、今週は学校から戻ったら毎日練習を続けるように」
父がオルタの肩をポンと叩く。
「何だって?」
父から告げられたあまりのショックな事実に、思わずオルタの手から石が零れ落ちた。
どうも今週はゆっくりしていられる時間なんてないようだ。




