第12話
「ほいよ」
オルタは妙齢の女性、いや年齢不詳の女性に鍋の中身を皿によそって貰う。
ぶつ切りにされて元の部位が分からない肉の他に、ハーブとイモが入っていた。
「イモなんて誰が入れたんだ? ハーブも結構な量になるだろうし」
「そりゃあ誰かが持ってきたんでしょう。こういうのは持ちつ持たれつよ。何の見返りもなしに食べ物にありつこうって考えだと、この世界では生きていけないわ」
アッラの説明にオルタは納得した。
ここにいる人は皆、今何かしらの仕事をしたからこの食事に有りつけているのだ。
「体を壊して働けない人にも残ったものを配るよ。働い人が優先だけどね」
妙齢のおば……お姉さんが付け加えてくれる。
厳しいだけの世界ではないようだ。
煮込みを受け取った二人は、切り倒された丸太のベンチに腰を下ろす。
解体場のオジさんや小僧、ヘラジカの解体に関わった人や炊き出しに協力した人達が、次々と皿に煮込みをよそって貰っている。
そして一人、また一人と痩せこけた人が器を持って森から集まってくる。
「今日は大盤振る舞いだからねー。働いてない人も呼び寄せたのよ。さっきの笛はそういうこと。姐さんも言ってたでしょ、働けない人にも配るって」
不思議そうに見ていたオルタに、アッラが状況を解説してくれた。
「そういうことだったのか。働いた人だけで食べ切れる量ではないしね」
「何日かは食べていけるんじゃないかな。うん、美味しい」
アッラが一足先に煮込みへと手を付ける。
オルタも頂きますと一口食べてみる。
「美味いな。でも、やっぱり何か……」
何か、と言ったが原因は明らかだ。
塩が足りない。
足りないというか、そもそも入っていない。
オルタはカバンから塩の塊を取り出し、ナイフで少し削って煮込みに振りかけ、スプーンでかき混ぜる。
「やっぱりこうするとより美味しいなぁ」
一人で満足しているとアッラが器をこちらに向けてくる。
塩が、欲しいのか?
「ください。私にもそれをください」
そもそもがアッラとの食事の時のために買ってきた塩だ。
使わない理由などないので、削って掛けてあげる。
思えばこの塩を手に入れるために、ここ数日振り回されてきたようなものだ。
「一層美味しいねぇ。これはイケるよ」
アッラも満足してくれたようだ。
オルタは気を取り直して食事に再び手を付ける。
しかし、もの凄い視線を感じる。
殺気か、いやそうではない、そんなもの感じられないし。
だが怨念にも似た執着を感じる。
どこからだろうかと辺りを見渡すと、小僧と目が合う。
出会ったときはピュアな眼差しだったのに、今ではギラついて何をしでかすか分からない雰囲気が感じ取られる。
何か悪いことでもしただろうか。
少し考えてみる。
思い当たる節があるとすれば――やはり塩か!
塩の塊を取り出し、小僧に向けて示す。
小僧は一切の視線を外さずに軽く頷く。
やはり塩なのか。
この塩は結構懐を痛めて購入したものだ。
簡単にくれてやるわけにもいかない。
現にオジさんは小僧を制止しようとしている。
ここで問題になるのはコストの問題しかない。
再度購入できるのであれば、使ってしまっても問題はないのだ。
そしてそのための資金には心当たりがある。
使ってしまって良いだろう。
オルタは小僧を手招きして呼び寄せ、塩の塊を手渡す。
「皆で好きに使ってくれ」
オルタはきっぷの良さを見せてやった。
ありがとう、とお礼を言い残し小僧はオジさんの元へと足早に戻っていく。
オジさんがその場で手を振って挨拶してきたので、オルタも応答する。
塩の塊は人から人へと手渡されていき、最終的に煮込みの鍋の付近に鎮座していた。
この状態では取り戻すことは難しいだろう。
「随分と気前がいいのね」
「金の当てがあるからな」
アッラは少し考える素振りを見せたが、すぐに何かに気づいた素振りをする。
自分の鞄をまさぐると、紙幣を取り出してオルタに握らせる。
「こんなものよね?」
「多いくらいだけど」
「手伝ってくれたお礼ってこと」
それだと少ないのでは、とはオルタは言えなかった。
アッラが必要としている金額が分からないから仕方がない。
またヘラジカを狩りにいくなんてことは避けたい。
「お腹いっぱいだよ。ここまで食べたのは久しぶりだ」
「沢山よそってくれたものね。気前良くやっただけあるわ。やっぱりご飯は食べごたえよね」
アッラはお腹を擦ってお腹一杯のアピールをする。
使った器の後片付けだが、小僧が回収しにきたので二人はやる必要がない。
オルタが小僧を見つめて空になった皿を手でアピールするだけで飛んできたのだ。
オルタは今日初めて出会った小僧と、アイコンタクトだけで意思疎通出来るようになっていた。
分かり合えるというのは素晴らしいことだとオルタは思った。
「これと言ってやることもなさそうだな」
各自なにやら騒いでいる森の住人たちは、オルタにはとても楽しそうに見えた。
「あの人達、夜まであのままよ。幸せなものよね。さて、それじゃあ街に出かけましょうか」
何故、とは聞かない。
そのためにオルタは朝から汗を流したのだから。
一度いつもの欅まで戻ってから街の楽器屋に行くことを、アッラはオルタに説明した。
手元にラッパがないからそれを取りに戻らなければならないのだ。
これはマセドナの街を南北に往復する距離を歩くことになるため、結構な時間が掛かった。
アッラの歩調に合わせる分、オルタがいつも費やす倍の時間は掛かったと感じた。
歩いている間は取り留めのない話題で二人は間を繋いでいた。
アッラは森の住人たちとの生活のこと、オルタは来週には始まる調査旅行のこと。
互いに互いを知るための、そんな話題。
そんなおしゃべりを続け、いつもより賑わっている印象のある市場を歩く。
一際賑わっている店があるが、何の店か人混みが邪魔で分からない。
二人は混雑する市場をすり抜け、路地裏にある古ぼけた構えをした店の前にたどり着いた。
オルタはこの路地で一昨日アッラが恐喝されていたことを思い出す。
つまり、あのときも楽器屋に来ていたということだろう。
「いやーお待たせしたねぇ爺さん。言われた金額を持ってきたよ」
店の扉を開け押し入ったアッラは、カウンターの奥にくつろいで座る老人のもとにぐいぐいと進む。
そしてカバンからお金の入った袋を取り出し、中身を全てカウンターにぶちまける。
その金額は中々に目が眩むものだった。
しかしそこに含まれる札束には肉屋から受け取った時の厚みはない。
いつの間に抜いたのだろう。
「ようやくお金が溜まったかい嬢ちゃん」
年老いた店主は優しい口調で応え、丁寧に紙幣と硬貨の種類と枚数を確かめていく。
「不思議な顔をしますなぁ学生さん」
老店主は、自分が金勘定をする姿を見つめていたオルタに気づき話しかける。
学生と分かったのは年の功だろうか、質素な服装からだろうか。
「いや……こういう店には馴染みがないもので」
こういう店という言葉は二つの意味を持つ。
一つは楽器を扱う店、もう一つは亜人を普通の客として扱う店。
そこを老店主はきちんと察する。
「市民の方には変な風に見えるんですかねぇ。商売する以上、お客として来てくれる人を差別するわけにもいかんのですよ。特にこういった流行らない店はね」
店内を見渡しても他の客の姿はない。
思い返しても、知り合いの士族で楽器を演奏する趣味を持つものはいない。
楽器を持っているのは金持ちお抱えの演奏者か、大道芸人くらいだ。
つまり対象とする客は限られている。
楽器は毎日売れもしなければ、毎日故障して修理されるものでもない。
つまり客などほとんど来ないという訳だ。
そう考えると店が路地裏にあるのも納得がいく。
「高価いとお思いかい?」
オルタが目で金額の勘定をしていることを老店主は見抜いた。
亜人が騙されていないかを確認しているのだろうと。
まともな教育を受けていない亜人の中には、大きな数を数えられないものも多い。
だからか老店主も納得する。
「うん、まあね。この金額を見て驚かない人はいないと思うよ」
率直な感想を漏らす。
これだけのお金があれば家族が一ヶ月食っていけるのではないか?
そう思える金額である。驚かない訳がない。
「そうだろうねぇ……」
老店主も大きい金額であることは分かっている。
それに吹っかけているというのも事実だ。
問い詰められると値段を訂正しなければならない可能性がある。
「でも妥当な値段かどうかは俺には分からないから、どうこういうつもりはないよ」
亜人は市場で商品の値段を交渉することは出来ない。
ここは廃墟の森とは違い、正真正銘マセドナの街中に構えられた店なのだから。
つまりアッラは老店主のつけた修理の値段を一切の値引きなしに払わなかければならず、その値段が適正以上の可能性はある。
こんな流行らない商売、他の店にいくという手段も取れないだろう。
間違いなく適正な値段を超えているとオルタは確信しているが、それを口に出しはしない。
その行為は老店主の権利を部外者が侵害することになる。
平民の権利を不必要に奪うことは、士族と平民の間の軋轢につながる。
それは避けなければならないということは両親から厳しく躾けられている。
今日の服装では平民と見分けがつかないため、老人がオルタを士族として認識しているかは分からないが。
「事情は察します。それで修理はどれくらいの期間で出来るんですか?」
これ以上続けるつもりはないので、気になる点を質問する。
一週間以上掛かるとすれば、修理されたラッパの音色を聴くのはしばらく先になる。
「なに、三十分とは掛からんよ。時間だけは持て余しとるから、準備はできておるんでな」
短いものだな、と思うが。
そもそも何をどう修理するのか分からない。
料金と一緒で適正な期間の見当もつかないのだ。
「よし、金額は足りとる。では始めるか。ラッパを貸してくれるかのう」
ハイと返事をしたアッラが肩から下げている袋から、ラッパを取り出し受け渡す。
代わりに受け取った硬貨数枚のお釣りをもとの袋に戻す。随分膨らみが減ったものだ。
老店主はラッパを受け取ると店の奥へと入っていく。
しばらく作業をしているような音がしたかと思えば、十数分たった頃に戻って来た。
意外に早いんだな。
「ほい。修理が終わったぞ。試しに吹いてみるといい」
「音を鳴らして大丈夫なの?」
ラッパを手にして口をつけようとしたアッラは、念のため確認する。周囲の迷惑とならないだろうか、という心配だろう。
「楽器屋で楽器の音が鳴らんでどうするか。なんの問題もないわい」
「そう。じゃあ試してみるよ」
再びラッパに口をつけると、息を吹き込み始める。
同時にプーという音が鳴り始め、手の抑えを変えることでパーという音に変わる。
何段階か音を吹き替えていくと、満足したのかラッパから口を離す。
「大丈夫みたいね」
「そのようじゃな」
何が大丈夫なのか、どこに納得がいったのか。
二人のやり取りはオルタにはよく理解できないが、まあ大丈夫なのだろう。
「じゃあね、お爺さん。ホント色々とありがとね」
「こちらこそなぁ」
アッラは老店主に別れを告げると店の外に飛び出し、ドアに手を掛けながらオルタにおいでおいでと催促する。
オルタはその後に続きゆっくりと歩いて店の外に出る。
扉を締める際に、店内を振り返ると老店主はまだ手を振っていた。
オルタに向けられたものではない、アッラに向けられたものだと分かる。
恐らくは楽器を愛し楽器で商売をしている人だから、楽器を大事にしているアッラを好意的に見ているからこその行動だろう。
真意は定かではないが――
それからしばらくして、魔法学校の裏手を目指し中央通りを二人は歩いていた。
目指すはいつもの欅の木の下。
本日三度目である。
「よくあんなにお金を貯めることができたな」
楽器屋での支払いは中身は主に硬貨で行われていた。
今日稼いだ分、つまり肉屋から受け取ったお金の多くは紙幣であった。
つまり楽器屋への支払いの多くには当てられていないことが分かる。
紙幣と硬貨では貨幣価値に差があるのだが、硬貨だけでも相当な額になっていたことは事実だ。
「まあね。いくつか秘訣があるんだよ。値段が付く品を知ってること。それがどこにあるか知ってること。どこに売れるか知ってること。ロハで手伝ってくれるお人好しの士族の友人がいること」
自慢げに話すアッラ。
手伝った対価をろくに受け取っていないことをオルタは思い出す。
少しだけお金を受取りはしたが、塩の代金と相殺したら多くは手元に残らない。
「でも、それだけじゃないんだよ。最後が一番凄いやつ。私たちは税金を払ってない!」
そういえば、そうだなとオルタは納得する。
共和国では物を売買する際、収入の一割を国に税金として納めなければならない。
十の値段で物を売れば九は手元に、一を国にという訳だ。この制度があるため、物の値段は人の手を介する度に跳ね上がる。
しかし、それはあくまで共和国市民に課される義務であり、市民でない亜人のアッラにはそのような義務がない。
買い叩かれても10の値段で売れたら10は手元に残る。
今日も肉屋相手に受け取った金額の全てをアッラは手にしていた。
治外法権とは税金のことも含めていたことを、オルタは今になって理解することが出来た。
「そりゃ儲かるな」
「でしょ!」




