第10話
「どうするつもりだ?」
仕留める方法についてオルタはアッラに確認する。
アッラは碌に荷物を持っていない。
つまり猟に来たというのに使えそうな道具は期待できない。
「どうもこうもないよ。キミが一発ガツンとやるんだ。それで終わりだよ」
笑顔でサムズアップするアッラ。
これは何も考えていない証拠だ。
「ガツンて……」
この計画性のなさには呆れてしまう。
「あれだけ大きな獲物だからね、血抜きするだけでも一苦労さ。だから気絶させて運ぶのが一番」
さらりと単純に殺すのよりも難しいオーダーを追加してくる。
「気絶って頭を殴るっていうのか」
「どんな動物も頭を強く打てば気絶してくれるでしょう。そこに相手の大きさは関係ないわ。キミなら出来るって」
アッラは笑顔でオルタの背中を前へ前へと押し出す。
一度落ち着いて考える時間はあるが、考えたところで取れる戦術は限られているだろう。
アッラの言うことに間違いは無いように思う。
「ではやるか」
オルタはヘラジカに飛びかかった。
結論から言うとダメだった。力加減を間違えた。
想定していたよりもヘラジカさんは頑丈だった。
伊達にデカイ図体をしている訳だ。
最初近づいたときは悠々として落ち着いたものだったヘラジカも、こちらが敵対していることが分かれば興奮して敵意を剥き出しにしてくる。
今はぶつけてくる角から体を躱すのでやっとだ。
オルタ出なかったら避けられずにボコボコにされていただろう。
アッラに至っては木に登り安全な上からこちらを見守る始末。
さらっとやってのけるとは、木登り上手いわアイツ。
しかし彼女が追い掛け回される事態になっていないのは、状況としてはマシだ。
唯一の救いと言えば相手が逃げなかったことだろうか。
体格差から相手は自分が優位と考えているらしい。大きな誤りなのだが。
「頑張って! 負けてないよ。負けてない。ひぇっ」
応援の掛け声は威勢がいいのだが、ヘラジカがの体がぶつかって木が揺らされると途端にトーンが落ちる。
不意を付けた最初の一撃とは違い、今度は荒ぶる相手に一撃を打ち込まなければならない。
残念ながら体術の心得はないので、相手の動きを予測するのは自信がない。
確実に仕留めるには相手に止まっていて貰えるとありがたい。
どうにかして相対位置を固定できさえすればいい。どうやる?
「角か!」
いい案が閃く。
角を持てば相手との相対位置を固定できる。
それでもう一撃くれてやれるはずだ。
地面を強く蹴り右横に跳ぶ。
まずは相手の視界から逃れることだ。
そして木にぶつかる所で木を足蹴りにして斜め上に跳び、別の木の太い枝の上に乗る。
案の定、ヘラジカはオルタを見失い辺りを見渡している。
縦の動きに弱かったようだ。
狙いを定めてヘラジカの頭に飛びかかり、両手でしっかりと立派な角を持つ。
ここまでは完璧な流れだ。
この結果、両手が塞がってしまう。
オルタを振り落とそうとヘラジカは頭を強く振り、木にぶつかる行為をする。
どれもオルタにダメージになるものではない。
しかし早く何とかしないと埒が明かない。
どうしようか。
頭を使って考えよう。
考えろ、頭を使って。
頭を使って――
「エイヤッ」
オルタはヘラジカに頭突きを入れる。
一回では効果がないようなので、二回三回と頭をぶつける。
木に頭をぶつけて平気な様子をしていたヘラジカも、段々と衝撃を増していくオルタの頭突きに力を失っていく。
そして五回目の頭突きで地面へと倒れ込む。
「やったか?」
ヘラジカが倒れこむ前に飛び降りたオルタは、特に痛みはしないもののおでこを擦る。
手のひらがヘラジカの皮脂でベタつく。
頭突きのときにおでこに付いたのだろう。
このあとの事を考えて、ベトついた手はそのままにヘラジカの様子を伺う。
浅いながらも呼吸はあるし、心臓も脈打っていることが判る。
どうやら殺さずに済んだようだ。
「アッラ。降りてきても大丈夫だよ。ちゃんと気絶させられたようだ」
木の上という安全位置から観察を続けていたアッラは、オルラの声を聞き滑り落ちてくる。
「やるじゃん。流石私が見込んだだけある」
「苦労させられたけどな。こんなデカイ獲物だなんて思っても見なかったし」
やれやれといった体でオルタはため息混じりに言った。
「それじゃあ、これを解体場まで運ぼうか。この大きさだけど運べるよね?」
腕をバンザイして持ち上げる様子を表す。
重いのは何とかなっても、大きいのは持ちにくいんだけどな。
「持ちにくそうだけどやってみるよ。その解体場ってやらはどこにあるんだ?」
「河の近くにあるけど、まずは北に歩くことになるね。今どこにいるか正確には分からないし」
このヘラジカを追って来た二人は、自分たちが森のどの辺りにいるかを把握できていない。
しかし確かなことは一つだけある。
北に向かえば必ず河にぶつかるのだ。
「そうか、じゃあまずはあっちか」
オルタは木陰から微かに漏れる太陽の光をもとに北の方角を割り出し、顎で指し示す。
アッラも上を見上げて確認して同意する。
「行こっか」
オルタは数百キロはあるだろうヘラジカの巨体を楽に持ち上げ、北に向かって歩きだす。
アッラが先導してくれるから、視界が狭くてもなんとかなるだろう。
三十分程歩いたところで森を抜けたため視界が開けた。
久しぶりに強い太陽の光を体に浴びる。
ようやく河に出ることができた。
遠くにマセドナの街の西側城壁を望むことが出来る。
距離としては短かったのだが、途中何度もぬかるみに足を取られて時間がかかったのだ。
ヘラジカの外見は傷んでないが、オルタはドロドロでボロボロだ。
「ここからどれくらいなんだ?」
「森の境目の辺りだから、普通に歩けばここから十分ってところ。だけどこの荷物じゃもうちょっと掛かるかな」
森の境目とは廃墟の森と天然の森との境目だろう。
具体的にどこら辺りだったかは記憶にない。
土地勘のある人間には判るのだろうか。
「ここからは地面も安定しているようだし、足も取られないから普通に歩くのと同じ感覚で考えていいんじゃないか」
「そう。じゃあすぐに着けそうね」
「こいつが目を覚まさなければだけどな」
オルタの冗談にアッラがクスクス笑う。
本当に冗談で済めばいいのだが。
十分ほど歩いたところで目的地についたようだ。
ヘラジカも目を覚まさずに済んでくれた。
オルタは持ち上げっぱなしだったヘラジカをアッラが指示した場所に横たえる。
石造りの廃墟を再利用されている住居が目立つなか、珍しく木で建てられた小屋がぽつんと立っていた。
小屋の裏手には河から水を引いている水路が目につく。
「おーい親父さん。いるかーい」
間の抜けた大きな声でアッラが呼びかけると、小屋の中から厳しいオジさんが出てきた。
その後ろに十歳くらいの男の子がちょこちょことついてくる。
「なんだいお嬢か。そんなに大声で呼んでくれんでも出てくるよ。何の用事できた――なんだこれは!」
オジさんは地面に横たわるヘラジカを目にして驚く。
そりゃあいきなり見せられたら驚くよな。
「やっぱり驚くよね。今日はこいつを解体したいんだよ」
「驚くも何も……こんなデカイ代物を二人で獲ってきたのか? しかも気絶しているだけじゃないか。凄く状態がいい。倒れているのを持ってきたって訳でもなさそうだ」
オジさんはヘラジカの状態を確認し驚きを増していく。
どうやって仕留めたのか。
どうやって運んだのか。
疑問は尽きないだろう。
「多くは聞かないのがココの約束なんじゃなかった?」
悪戯げな笑みを浮かべてアッラが言った。
「そうだったな。すまない。俺から言って聞かせた話だったな。バラすのはいいが、取り分はどうする?」
早速といった感じで商売の話をする二人。
ここで話しているのはヘラジカを解体する手数料のことのようだ。
「肉と皮以外は全部オジさんが持っていっていいよ。正直扱い切れないし、今まで良くしてくれたお礼ってことで一つ」
「お礼にしても気前がいいな。まあこのデカさだ。気前も良くなるってもんだろう。そうなら皆をよんで食っちまおう」
「それいいね。内蔵だけでも凄い量になりそうだから沢山食べられそう。煮込むと美味しそうだ」
アッラが嬉々とした表情で同意してくれる。
「肉は、そうだな。馴染みの肉屋を紹介しよう。呼べばすぐに飛んでくる」
「そうしてくれると嬉しい。これだけの量を捌けるお店は知らないもの」
オジさんの提案にアッラは乗る。
オルタもそうしてくれるとありがたいと思った。
もうこれだけの量の肉を市場に運びたいとは思わない。
「決まりだな。おい、小僧。肉屋までひとっ走り行ってきてくれ。ヘラジカが獲れたと言えばいい」
「分かった」
命令を受けた男の子はコクリと頷くと、駆け足で街の方向に消えていく。
その足の速さにオルタは驚かされた。
「それじゃ手伝いを呼ぶか。お前たちは適当に時間を潰しといてくれ」
オジさんは大きく息を吸い込むと、首元からぶら下げていた角笛を口に当てて一吹きする。
ブォーンという鈍い音が辺りに木霊する。
するとぞろぞろと一人、また一人と森の中から人がが集まってくる。
背が高い人、低い人、亜人、人。
老いも若きもごちゃ混ぜで、しかし一様に痩せぎすな人々が集まる。
そして一様にヘラジカを見ては驚きの声を上げる。
集合した人々はオジさんに何かを確認し、各々の作業に入りだした。
「私達が出来ることはなさそうね。」
集まってきた人の数を見て、アッラがオルタに言った。
「そうだな」
「どうしていようか?」
「俺はそうだな、このボロボロの状態を何とかしたいもんだよ」
オルタの手や頭はヘラジカの油で滑々しているし、服と靴は泥まみれ。
士族ですと言っても信じてもらえないだろう酷い有様だ。
「河に行こっか」
「そうしよう。体と服を洗いたい」
アッラの提案にオルタは同意する。
河に来るのはいつ以来だろうか――感傷に耽ってみたものの、去年の夏以来であることをオルタは思い出す。
毎年夏にスーやソキオ、ノーチェの家族と一緒に来ているのだから、改めて思い出すまでもない。
「服は洗ったげるから貸しなよ」
アッラの声で無駄な行為から現実に目覚める。
そうだな、洗ってくれるんであればありがたいとオルタは下着を残して全部脱いでしまう。
「脱いでから気づいたんだけどさ、何でいるの?」
服と靴をアッラに手渡しながらオルタは問い掛ける。
「河に来ることを提案したのは私だけど? 脚を洗いたいしさ」
アッラの革のサンダルはオルタと同様泥まみれだ。脚も泥を被っている。
「そりゃ、そうだよな。じゃあ服はよろしく頼むよ」
「よろしく頼まれた」
そう言ってアッラは笑顔で河に服をぶちまけた。
獣の油というのは厄介で、水に漬けたからといって簡単に落ちるものではない。
オルタは河の底の泥を掬い上げて体中に塗りたくる。
石鹸が手に入らない状況では何かで擦り落とすのが正しい方法だろうと考えたのだ。
小石が混ざる感覚はあるものの、この程度で痛められる肌ではないので全く気にも留めない。
気にしていることはただひとつ。
同年代の男が下着一枚で着替えているのに、恥ずかしがる素振りも見せないアッラのことである。
スーやノーチェであれば、下着姿のオルタを見た時に恥ずかしがる素振りを見せる。
それとは対象的に思えた。
アッラはオルタの方を見ることもなく、服を絞り上げて脱水しては大きな岩に貼り付けていた。
「洗濯の方はそれで終わりかい?」
体を洗い終えたオルタは、自分の仕事ぶりに満足そうな顔をしているアッラに言った。
「ええ、終わったわよ。すぐに乾くから、体を洗い終わったらこっちに来てよ」
日差しは強いけれど、そこまで速く乾くものだろうか、とオルタは疑問に思う。
取り敢えずアッラの居るところに行ってみよう。




