第1話
「どちらさまですか?」
そもそも自分は何をしていたのだろうか。眠気で回らない頭で思い出すことにした。
魔法学校の学生であるオルタは、魔法学の実習をサボって校舎裏手の丘の上にある大きな欅の木の下に来ていた。
どうして講義をサボっているのかというと、オルタが魔法を使えないから。
魔法学の実習では魔法を使えないといけないが、それが出来ないためサボるという単純な行動だ。
オルタも最初の三回までは他の講義と同じように出席していた。
そして三回目の実習中に自分はクラスメイトたちが簡単に実践できることが出来ないことを完全に悟った。
また一部の輩が煽るように囃し立てるようになり、嫌気が差して四回目の実習からは自主休講している。
この場所がサボるのに適している場所であることを、魔法学校に入学前に父から聞かされていた。
オルタの父も魔法が使えないため、学生時代には実習をサボっていたのである。
得意魔法が親に似ることは魔法士の一般的な特徴である。
魔法が使えない親の子供は使えないことが多いし、ごく一部例外があったりもする。
オルタは特にそのごく一部の例外ではなかった。
母は魔法が使えるのだから、少し不公平だとは思っている。
オルタは父から二点の要素を受け継いでいる。
一つ、一般的な魔法が使えないこと。
二つ、その代わりとして別の形で魔法が使えること。
代替として使える魔法は学校の講義の中では役立てることができず、そういう意味で無駄である。
もっとも生きる上でこれほど便利な魔法はないとオルタも理解しているのだが。
そんな訳で、いつものようにオルタは校舎を抜け出し欅の木のまでくると、木にもたれるように足を投げ出して座り込んだ。
そして昼に食べるために登校途中に購入したパンを、一つ毟っては口に運び食していた。
とても美味しかったことを覚えている。
暖かく心地よい天気であり自然と眠気にも誘われる。
陽気に釣られた結果、食欲と睡眠欲を同時に満たす荒業を成す。
つまり食事しながら寝るということを器用に行っていた。
まどろみで混濁した意識の中、いつしかオルタは空気を咀嚼しているような感覚を持ち始める。
同時にパンを全部食べたにしては腹の具合がもの足りないことにも気づく。
両手のどこにも物を持っている感触はない。
うっかりパンを手放してしまって落としたのだろうか。
それとも野生動物、例えばカラスにパンを取られたか。
そう考えて目を開くと、ぼやけた視界に座りこみパンを口にしている少女の姿が映る。
盗んだ食料を離れた場所でなくその場で食べるとは肝が据わっている。
ショートカットの黒髪の上に狐のものに似た耳が見え、それはピョロピョロと動いている。
そしてお尻には尻尾が生えていてフサフサっと揺れている。
その特徴から半獣人の亜人だと分かる。
人間に近い外見を持ちながら人間とは異なる種族。
つまり他種の動物の要素を持ち合わせた人間は、この世界では亜人と称されている。
上は下着に近いチューブトップで、下はスリットの入った短めの巻きスカート。
亜人の女性に割りとよく見かける服装をしている。
全体的に痩せ型の体型で、胸も慎ましく、背丈はオルタと変わらないくらいだろうか。
亜人の女性に割とよく見かける体型をしている。
つまりどこからどう見ても普通の亜人の少女にしか見えない。
さてどうしたものかとオルタは考えた。そうだ、声をかけることにしよう。
「どちらさまですか?」
オルタの声に驚き固まったと見てよいだろうか。
少女はその瞬間までフサフサと揺らしていた尻尾をピンと立てると、恐る恐るといた様子でオルタの方を振り向いた。
「どーも……」
少女はどことなく申し訳無さそうな顔で会釈を返しながら、それでもパンを口に運ぶことはやめない。
「それ俺のパンだよね?」
パンを指差しながら、オルタはまず事実を確認する。
「ひまはわたひのぱんでふ」
まともに喋れていない少女に対して、食べながら喋るのはどうかとオルタは思う。
どうやら自分の所有物であると主張しているらしい。
「地面に落ちていたから、わたしが代わりに食べてあげているのです。もったいないという言葉をご存じない?」
食べ終えた少女は力説する。
なるほどオルタが途中から空気を咀嚼していたのは、持っていたパンを落としたせいだったからか。
この少女に奪い盗られたというわけではなくて。
ただし目撃者はどこにもいない。
「それじゃ」
少女は一方的かつ簡単な挨拶をすると、森の方向へと駆け出していった。
少女の逃げ足は速かったが、オルタが本気で追いかければ捕まえられない程ではない。
しかし一旦森の中に逃げ込まれると厄介だ。
土地勘のない場所で人を探すのは一苦労だろうから、見つけられる保証はない。
即座に追いかけようかと思って立ち上がってみたものの、オルタは色々と諦めることにした。
そして再び欅の木に背中を預け、空を眺めているとまた眠気に誘われる。
次に気づいたときには、既に日が沈もうとしていた。
二人の再会はすぐに訪れた。
具体的には出会いから二日後。
オルタは再会を予想していた。
人のパンを盗む、もとい落ちていたパンを拾い食いする程に食い詰めている亜人だ。
まともに仕事もしていないだろうからその辺をぶらぶらしている。
だから同じ場所で同じような時間。
出会ったときの条件に合致すればいずれ姿を見出すことがあるはず。
その時のための準備もしている。
といってもパンを一つ余分に持ってきているだけだが。
しかし、あの時少女はどこから現れたのだろうか? オルタは考える。
校舎の方向から現れるということはない。
なぜなら彼女は魔法学校の学生ではないからだ。
魔法学校の学生にはマセドナの市民か他国からの留学生しか居ない。
それも全て人間であり亜人は含まれない。
亜人は分類するならば隷属階級と呼ばれる平民階級の下に属する。
それらの人々は市民権を持たないため、魔法学校に入学することが出来ない。
それじゃあ森の方から来るのか?
わざわざパンが手に入る確証もなしに、遠い距離をノコノコとやってくるだろうか?
森から大欅までの距離は結構ある。
パンが手に入る確証があったから自分の側までやってきた。
ということは、かなりの近くから観測していたことになる。
少し開けた丘の上、この大きな欅以外になにもない所のどこから?
ふと何かの気配を感じオルタは上を仰ぎ見る。
するとどうだろう、目が合ってしまった。
なんてことはない、少女は頭の上、欅の枝の間に潜んでいた。
よく今まで気づかなかったな、とオルタは呆れてしまう。
きっと気配を隠すのが上手なんだろう。
「やぁ。また会ったね」
初めは挨拶から入る。
あくまで紳士的に接しようとする訳だ。
別に悪いことをしようという考えはない。
「この前は寝ぼけてたんで驚いたんだ。別に怒っているわけじゃないからさ。少しだけお話をしないか? キミが良ければだけど」
少女は何かを疑っている目をしてオルタを見つめる。
考えを巡らせたのか、少し間を置き下に飛び降りる。
着地の音は感じさせないくらい静かだった。
体のバネがいいんだろうか。
身体的能力、特に瞬発力については人間より亜人のほうが優れていると聞く。
「で、何の用?」
「一緒にパンでも食べないかなーって。お腹空いてない? 俺は空いてる」
「そりゃ、お昼の食べごろの時間帯だけれど。目的は何?」
彼女は警戒しながらこちらを伺っている。
「目的って……まあ一緒にお話できればなぁってぐらいなんだけど。こんなところで何やってんのかな、ってことを教えてもらいたいっていうんじゃ駄目かな?」
オルタは鞄からパンを2つ取り出して彼女に示して見せる。
「それに君の分のパンもあるんだ。一昨日みたいに食べかけじゃないし。落としたやつでもない」
当然といえば当然といえるが、警戒が解かれる様子は見られない。
「話でもしながら食べようよ。このパンはおいしいよ?」
「味は知ってるけどさ。だからといって……」
少女は渋り、歩み寄る気配は見られない。
仕方ない、とオルタが諦めようとしたその時。
ぐーっという気の抜けた音が彼女の方から聞こえた。
「今なんか音がしなかった?」
「してないよ」
少女を問い詰めることにした。
気のせいじゃない。
証拠として少女の目は泳いでいるし、顔の上に付いてる尖った耳がキョロキョロしている。
尻尾については垂れ下がったままだ。
「お腹空いてんだよね? 食べようよ」
「まあ今日のところはあんたの粘り強さに免じて、食べてあげてもいいけど」
ついに少女が折れた。
それを見たオルタは少しからかってやろうと思いつき、パンを鞄に戻す仕草をする。
当然振りだけではあるが、オルタは少し意地が悪いのかもしれない。
「いや、無理して食べてくれなくてもいいんだ……」
「すいません。わたしにそのパンをください。一昨日から何も食べてないんです。このままではお腹が空き過ぎて死んでしまいます。お願いします」
急に態度を改めた少女にバツの悪さを感じながら、左手に持っていたパンを渡す。
少女はその場に腰を下ろすと、パンを千切り口に運ぶ。
「美味しいでしょ? シエロのパンなんだ」
オルタは屋敷から魔法学校に至る道すがらにあるパン屋で買ったことを話す。
「シエロってあの中央通りにある? わざわざ買いにいってるんじゃなきゃ、あそこの前を通るってことかな。キミはいいところに住んでるのね……もしかして士族の人?」
少女は揺らしていた尻尾を止める。少し警戒感を強めたようだ。
魔法学校があるマセドナ共和国の市街は中心部に行政の施設がある。
その周りに士族階級を中心とした上流と呼ばれるものたちの屋敷が立ち並ぶ。
オルタはマセドナで特権階級に当たる士族の生まれだ。
上流階級の住居の周りを商業・居住区画が取り囲み、中流の平民階級の家屋や商工業施設が建ち並ぶ。
同心円状に広がった街の周囲には城壁がそびえ立つ。
城門を抜けた城壁外周には、下流の城壁内に住めない平民や市民扱いされない隷属階級の人たちが暮らす。
中央通りとは元老院の建物の前から南門まで続いている共和国で一番の大通りである。
魔法学校は南門を抜けて少し離れた場所にある丘の手前に位置する。
魔法学校には幼年学校を卒業した共和国市民が通う。
オルタもその一人である。
「うん……まあ、そんなところだ」
「えらく歯切れが悪いのね。士族が授業サボっていいの? まあサボってる奴らは街でも見かけるし珍しく無いか。でもこんなところでサボるのは珍しいよね」
「サボってるのは魔法学の実習だけだからね。その三時間程度をやり過ごしたら他の講義には出てるよ……」
オルタは弁明するものの、その歯切れは悪い。
「一昨日は日が暮れそうになるまで寝てたみたいだけど?」
「そういう日もある……でも毎日じゃないよ。」
「そう……。魔法の講義をサボるって、士族なのに大丈夫なの? もしかしなくても落ちこぼれだったり?」
痛いところを突かれたとオルタを思う。
「そんなものかな。俺は士族だけれど、みんなと同じように魔法が使えないんだ。だからサボることも半ば黙認されてるんだ。実習だと置物になっちゃうからな……」
「なんかその、ゴメン。落ちこぼれなんて言っちゃって。士族にも色々あるんだ」
不要なことまで喋りすぎて雰囲気を悪くしてしまったことをオルタは後悔する。
「そうなの……じゃあわたしはコレで」
少女も気まずく感じたのか会話を一方的に打ち切る。
いつの間にかパンを食べきっていた少女は森の方へと去っていく。
「そういや、名前聞きそびれたな。こっちも名前教えてないから一緒か。」
少女の姿を見送ったオルタは地面に横になる。
すると日が西の空に沈んでいくまで、目を覚ますことはなかった。