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11-3







 翌日学校へ行くと、やはりというべき手厳しい制裁が待っていた。

 4組のうしろ側のドアを入ってすぐ、昨日わたしを無視しためぐちゃんと仲のいいグループのリーダー格、中心的存在の女の子の机がある。その机の周りにはグループメンバーたち(計三名)が集結している。つまり、ドアを入ればすぐ一メートルほどの距離で彼女らと対峙しなくてはならないことになる。こちらから無視することなどできないし、もしかしたら話を聞いてもらえるきっかけになるかもしれないという淡い期待もあり、わたしは勇気をふりしぼっておはようと声をかけた。が、わかりきったことでしたが無視、ガン無視。わたしはすごすごと窓側の自分の机へと向かった。教室内に北川くんのすがたはない(彼からは今朝早い時間に「休む」とたった二文字のメールが来ていた)。

 カバンを机に置き、椅子を引き座る。とその瞬間なんだか濡れたようなぬるっとしたような感触があり、ヒッと声を漏らしたと同時、彼女らから高い笑い声があがった。

 がばっと反射的に立ちあがったけれど、椅子に塗られたものはスカートの中まで瞬間的にしっかりと染み込んでしまったようだった。おしり・太ももまで濡れてしまっただけでなく、まるでスカートと椅子が一体化したみたいにわたしの動作と一緒に持ちあがる。なんだこれ。めりめりという体の一部が剥がれ落ちる不気味な感触があった次の瞬間には、ガタンとはでな音を立て、椅子が後ろに倒れた。茫然とした。数秒間、呼吸さえ、できなかった。


「害虫は駆除しないと。ゴキブリホイホイ的な?」

「しっかりくっつくまで座ってろっつーの。アロンアルファ一本まるまる使ったのにもったいねー」

「塗りすぎなんじゃない? 逆に」

「薄くしたら瞬間に乾いちゃうじゃん」


 全身にカッと熱が回った。わたしはスカートの裾を引っぱり、前後を回転させて接着剤まみれになった無残な箇所を確認した。さすが瞬間接着剤。一部椅子のささくれだった板の一部がくっついており、その他あちこち、椅子がスカートからはがれた瞬間に伸びたのりがもう乾いていて、細かい繊維状にいくつも垂れていた。触ると糸みたいなトゲみたいな、不思議なさわり心地……じゃない。これどうすんだ! わたしは倒れた椅子もそのままに、まだ腹を抱えてゲラゲラ笑い転げる彼女らの横を通って教室を飛びだした。

 5組の前を走り抜けて突き当たりを右、階段とは反対方向に廊下を折れればすぐ、女子トイレがある。駆け込み、蛇口のしたにスカートを持ってき勢いよく水を出す。両手と爪を使ってごしごし洗ってみる。が、日本の優秀な科学の賜物、ほぼ乾ききっていてパリパリなのだ。はがれない。落ちない。落ちるわけがない。


「なんでっ。こんなこと……」


 まだ日中は汗ばむ10月初旬とはいえ、秋の朝の冷水、それはつめたい。すぐに両手の指は凍えるようになってしまって痛くて、でもこのままでは制服をダメにしてしまう。あの母親にどう説明すればいい。わたしにはその人がとるだろう反応が、手に取るように想像できた。身震いする。いやだ、そんなの。必死になってこすっていると、さっきのグループが笑いながら女子トイレの入り口から入ってきた。ぎょっとする。


「あーあダメだよ、そんなんじゃ」

「なんで? わたしなんにも……」

「北川くんにまで手えだしたじゃん! フザけんなブス!」

「二股するような害畜はあ、ガッコから追放してやるっつってんだよ」


 凍えた指の先がびりびりと痺れた。水をたっぷり吸収した布が足を濡らすことに気にかける裕もなく、わたしは水道から離れ、一歩あとじさった。彼女らは依然くすくす笑いながら、こちらへと距離を詰める。


「付き合ってないよ! ただバンドしてるだけ! ヨルとだってもう別れたっ」

「はあ? お前マジしばくぞ。この期におよんでどんなウソだよ」また一歩距離を詰められて、

「嘘なんかじゃ……」わたしは一歩、うしろに下がる。

「そもそも最初から気に入らなかったんだよ。松田くんのこと、同中で好きな子たくさんいたんだけど。お前みたいなブスが独占していい存在じゃねーんだよ!」彼女らはもう、誰も笑っていない。また大股に一歩、こちらへ近づく。

「そんなのわたしが悪いんじゃない」泣きそうになる。ヨルとのことだって、これまでずっと適当にあしらっておきながら高校に入るや突然、彼女になれなどと言いだしたのは向こうだ。「わたしにどうしろって」背中にひやりとした感触がある。慌てて振り向くともう、そこはタイル張りの壁だった。


 それでも、まだ彼女らはこちらへ近づいてくる。手を伸ばされる。その目は赤く血走っている。捕まったら何されるかわからない。わたしは伸ばされたその手を振り払い、個室の一つに飛び込み勢いよくドアを閉めた。鍵を施錠した。ホッとする。


「誰とも付き合ってない! 誰のことも好きじゃないっ!」


 好きじゃない。

 ヨルのことも、北川くんのことも。

 誰にも迷惑なんかかけていないし、責められるいわれなんかない。

 ドアの向こうから、彼女らの気配が遠ざかる。四人分の足音が離れていくがわかり、わたしは知らず浅くなっていた呼吸を整えようと、一度、大きく息を吸い込み、ゆっくり吐いた。

 信じられない。あらためて愕然としてしまう。ただ、バンドを組んだだけじゃないか。たしかにわたしは地味だしブスかもしれないし、いやブスなんだろうけど、だからといって、ただ一緒に行動しただけでここまでされるなんて、冗談じゃない。

 それに。頭を抱えたくなる。泣きそうだ。制服のスカート、これどうすればいいんだ。ひたひたに染み込んだ水が体から体温を奪っていく。寒い。アロンアルファってどうやったら落ちるの。というか、こんなびしょ濡れになって授業なんか受けられないし、家に帰るにも、いやそもそもここからどうやって出ていけば……


 だしぬけに、バケツをひっくり返したような雨が。

 雨?


「――きゃあああっ!」


 つめたい水が大量に降ってきた。頭をかばうように両腕で守りながらバッと顔をあげると、リーダー格の女の子――長谷川さん――がひとつ前の個室の上からバケツを持ってこちらを覗き込み、ニヤニヤしているのだった。


「接着剤とれなくて困ってたもんね。きれいになった?」

「爆笑すぎんだけどっ! こんなんで取れるわけないだろ! アロンアルファ舐めんな」

「もうスカートもダメになったことだし? 退学すれば?」

「つーか死ねよ」

「知ってる? あたし岸から聞いたことあるよ。こいつのねーちゃん死んでるらしいよ。美人でめっちゃいい人だったって」


 自分が息をきちんとしているのかもわからなかった。


「えーっ。かわいそー。間違ってるよね、神様は」


 髪の毛からしたたる水で、視界が曇る。


「アンタさ、なんで生きてんの?」


 何もかも輪郭がぼんやりとして見えなくなる。


「やべっ。チャイムなったよシオリ、早く行こ。エビセン来るよ」


 今度こそ、彼女らは足音とともに、わたしを置いて去っていったのだった。

 アキちゃんが死んで、本当の意味ではこれまで、楽しいことなんか一度もなかった。家族はいなくなった人の話しかしないし、親戚もそうでない人も、あからさまに死んだ人とダメな生き残りをくらべ、嘆いた。別にやりたいこともなんかなかったし、だから生きている意味なんかなかった。だから別に生きている理由なんかなかった。でも、北川くんに誘われて、今はちょっと楽しい。


 なんで邪魔されなきゃ、いけないの?


 アキちゃんは死んだし、わたしは死ななかった。だから生きてるんだよバカ。

 べったりと額にはりついた髪の毛を払うこともブラウスやスカートの裾を絞ることもせず、ぼとぼとに水分を滴らせ、わたしはトイレの個室を出た。床に転がっていたブリキのバケツを拾い、勢いよく蛇口をひねってひたひたに冷水を満たす。重くて歩きにくいし、満たんに水が入ったバケツは乱暴なわたしの足どりに合わせてどんどん溢れ、廊下は水浸しだ。かまうもんか。

 再び5組の前を横切り、4組の教卓側のドアも通りすぎる。廊下側の窓は全て開け放たれていて、異様なすがたをした女がずんずん歩いていくのに気づいたらしい生徒たちがザワつくのがわかった。エビセン……夷原えびすはら先生の戸惑ったような声が聞こえた気がする。

 かまわずうしろのドアから教室に入った。一メートルぶんだけ進んで、止まる。頬杖をついた状態のまま、こちらへと体をひねって見上げた長谷川さんの真上で、一秒のためらいもなく、バケツの上下を逆さにした。


「キャアッ!」

「すっ、杉村さん!?」エビセンの大きな声、初めて聞いた。


 教室内は蜂の巣をつついたような騒ぎとなる。


「生きてて悪いかっ!」


 騒ぎを聞きつけた両隣の先生が駆け込んできた。すぐにうしろから羽交い締めにされる。


「少なくともあんたたちなんかに」

「杉村! 落ち着きなさい!」

「殺される筋合いはない! 邪魔する権利もないんだバカっ」

「夷原先生! ボーッと突ッ立てないで手伝ってくださいよ!」いつのまにか隣にまでやって来ていた5組の先生に腕を掴まれる。

「は、ええ、はいっ」


 そして、わたしは5組と3組の先生に両脇を固められた姿勢でずるずる引きずられながら――背後に気の弱い担任を引き連れて――教室を退場したのだった。





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