10-2
「じゃっ! 危ないしなんなら北川くんは押して歩いて来たらいいよ」まだ予鈴まではしばらくあるだろう。残酷なことを言うようだが、遅刻したところで北川くんにしてみたら、いつものことである。
わたしはくるっと背を向けると校門へと猛ダッシュした。
が、
あと少しで校門へ駆けこめる、というところで、後方よりすごいスピードで自転車が迫ってくる気配を感じたと思ったら、派手なブレーキ音がけたたましくあたりに鳴り響き、まだ数メートルうしろを歩いているはずの北川くんの怒号が後頭部に浴びせられたのだった。わたしはその場で飛びあがっておどろいてしまった。足がすくみ、立ちどまってしまう。
「誤解ってなんだよ! オレと朝日ちゃんが付き合ってるって!? いいじゃんかそんなの!」
瞬間周囲より巻き起こるどよめき、おのおの談笑しながら校舎へと向かっていた生徒らからの視線の矢による集中砲火。
渦中のわたしは真っ青である。よろめき、今にもその場に倒れこんでしまいそうなわが肉体を励まし、なんとか再び駆けだした。
「自転車二ケツしてんのみんなに見られたからって!」
死んだ。
「いいじゃんそんなの! 何がわるいのさ!」
死んだ。わたし死んだ。
「オレと朝日ちゃんの仲じゃんかッ! 一緒に登校くらいするだろ!」
マジで死んだ。わたしは駆けるスピードを二段階くらいあげた。
「朝日ちゃん! ちょ、マジでヒドい! オレのこと見捨てるってーの!?」
ガシャァンという音にびっくりして思わず振り向くと、北川くんが哀れな愛車を打ち捨て猛スピードで走り迫ってくる姿が目に映った。悲鳴が漏れた。
「朝日ちゃん!」
「ぎゃあああばっバカ!! 自転車どうにかしなよ! こわい!」
「はああああ!? まずそこ!? てかこわいってなんなの!!」
杉村朝日にとっての高校生活における死が確定したことよりも、何よりも、まず、北川くんがこわい! わたしは走りに走りに走った。こないだのライブハウスから逃亡したとき以上のスピードと危機感によってどんどん走った。
「朝日ちゃんっ!」
しかし、ライブハウスの再現かこれは。下駄箱にたどり着くよりもやはり圧倒的に早く、わたしは捕まってしまう。よりにもよって、同学年のグループがたくさん歩いているその中心で。同じクラスの女子たちの姿もある。
はい、とどめ、いただきました――
「……だから、はあ、……足、はあ、……早いんだって……」
「……はあ、……ごめ、……はあ……」
またしても、その場で互いの体を折り、呼吸を整えるに準じる。そのあいだ、視線は、好奇の目は、ヒソヒソ声は、ザワザワは、どんどんわたしたちに向かって集まってくる。消えてなくなることができるもんなら今すぐそうしたいですマジで。
「え、北川くんどうしたの?」
「なんで杉村さんと?」
「その怪我どうしたんだよ、北川」
彼の友人ら、クラスメイトらがどんどんこちらへ集まってくる。ほとんど気をうしなう寸前だった。死にたい。消えたい。なくなりたい。
「……や、はあ、なんでもないから。……行くよ、朝日ちゃん」
とてもじゃないが正気を保てなくなったわたしがかしばしい抵抗など示せるわけもなく、北川くんに腕をつかまれたまま、引きずられるようにして下駄箱まで連行されたのだった。
★
午前中は散々だった。
校門から下足までの一部始終を目撃していた人たちはそれほど多くはなかったけれど、噂の拡散は驚くほどに迅速をきわめ、クラス中どころかお昼休みを迎える頃には学年中に広まってしまったようだ。ということを、ニマニマとした笑みを浮かべた親友から知らされることになったわたしだった。
今朝の事件についてはすでに、授業中机下でのメール会議によって通達済みだった(散々、というのはおかげでまともに授業を受けられなかったことも含まれる)。当然昨日のうちに起こったことについても関連資料として提出済みで、ヨルによる一連の言動にはメールの文章からもかなり彼女が怒っていたことは計りしれたけれど、彼の怪我、めぐちゃんの言うところの『なぜだかあいつの口もとが腫れまくってる』原因が北川くんの一撃に由来するものだというところが解明されたときには思わず盛大に吹きだし、メールの文章どおり「ざまあwwwwww」と漏らしてしまったらしい、授業中に。
「北川くんもやってくれるね。ますます惚れたわ」
「他人ごとだと思って。めぐちゃんが付き合いなよ。わたしなんかじゃ手に負えそうもない」
そもそも付き合えるとも思っていないですからね。ここ大変重要なので勘違いしないでいただきたい。
「告られたらフる自信がない。きゃーっどうしようあたしには彼がいるのに! いっそ二股かけるか」
「冗談に聞こえないとこがおそろしいよ」
だいたいからして、みんな根本的におかしいと思う。あんなに人気のある人が、わたしなんかを好きになるはずがないってことに、どうして気づかないのか。
「何か直接聞かれたりしたでしょ?」
「なんで一緒に来たのっていうのは。あと、付き合ってんのって」
「それはまた直球ね。なんて返事したのよ」
「ちゃんと説明するにも時間がなくて。昨日自転車学校に忘れてなんだかんだで……みたいな……付き合ってんのについてはNOとしか言えなかった」
「まずいわね」
「まずいよ」
「そしたらなおさらこんなところでお昼食べてる場合じゃないよね」
「いやいやもう、ホント限界だった、許して」
めぐちゃんが、卵焼きを口に運びながら人ごとのようにのんびりと言った。まあ、間違いなく他人ごとなのであるけれど。
われわれは南校舎と中央校舎のあいだの中庭にいた。わたしとめぐちゃんはかつて、お互いの教室(4組、あるいは1組)でお弁当を食べていたのだけれど、平穏な日常はすでに失われた。この先授業以外に教室内で滞在できる日々はもう、金輪際やってこないかもしれない。大切なもの――尋常はいつだって姿が見えなくなって初めて、その存在と価値に気づくのである。
「早く釈明しなきゃやばいよね。火事はどんどん広がってゆくばかり」
「ううう……追い詰めないでよ」
「けど残念だったあもう! リアルタイムで見たかった! 大騒ぎだったんだからねっ」
下足にもっとも近い位置にある1組では、下足で起こったあれこれの目撃者が、やはりというべきいちばん多かったということもあり、また(元)彼氏の在籍するクラスということもあり、ホームルームが始まってもしばらくのあいだは収集つかないほどの騒ぎになったそうである。
【下足で起こったあれこれ ――回想―― 】
手を引かれながら下足まで連れだってやってきたわたしたちはそれぞれ上靴に履き替えた。先ほどの全力疾走の後遺症によってわたしの息は依然、乱れたままである。あまり酸素の回らないあたまながら、自分の置かれた立場がいかに悪いももであるかということは理解できたから、上履きを左右きちんと履き終えたところで再び、「行くよ」と言って北川くんに手を取られたときには思わずまた悲鳴を漏らしてしまったのだった。
――なっ! 叫ばなくたっていいじゃんか別にっ。
――な、な、なんで手っ、手繋がなきゃいけないわけっ。
わたしは顔を赤く青くしながら北川くんから距離を取り両手を背中に隠して叫んだ。思えばこれのせいで(あるいはその悲鳴のせいで)ギャラリーを増産させたのだということは、今となれば理解できる。
――大丈夫だから!
――大丈夫って何がっ⁉︎ ぜんぜん大丈夫じゃない! もう終わりだ……わたしの人生もう終わりだ……。
――何を大げさな。
大げさなもんかと叫んだ(過去の自分よ頼むから声量下げてくれ)わたしは、涙目だった。
――北川くんみたいな人にはわかるわけないよ。わたしみたいな人間が北川くんと一緒にいるだけでどんな目に遭うと思ってんの……。
とたんに北川くんの機嫌が格段に悪くなった。彼はこちらへ一歩踏み出すと同時にサッと手を伸ばし、わたしの腕をやすやす捕まえた。そしてひじょうにすばやい動作でわたしの指に自分の指をしっかりと絡め、ギュッと握ってしまった。またもわたしの口からあられもない叫びがあげられたことは、想像にかたくないと思われる。
――朝日ちゃんのその、自己評価の低さってホントにムカつく。ぜってー手、離さねーから。
わけがわからなかった。わたしはいよいよ、泣きだす寸前だった。
――つまり、オレの彼女が自分じゃ釣り合わないとかって考えてんでしょ。バカ言うなっつの。何があってもこの先絶ッッ対に、オレが守るから!
は?
――は、え、それっていったいどういう……
――朝日ちゃんは黙ってオレに守られてればいいよ。
目が点になるというのは、こういったときのことだろう。涙も思わず引っこんでしまった。北川くんは、これまで見たことのないくらいに、いい顔をしていた。
なんでそうなるんだ、そもそもどういう意味なんだ、お前の思考回路どうなってるんだ、なんで付き合ってるみたいになってるんだ……さまざまなせりふが脳内でせめぎ合い、どうツッコむのがいちばん的確だろうか判断しかねしばし絶句していると、そこへ学年主任の熊みたいな先生(われわれの学年担当の体育教師でもある。柔道の先生はなるほど体格がすばらしく大きい)がのっしのっしとやってき、おもむろに北川くんの首根っこを引っ掴んだ。
――北川あァッ! お前何自転車平気で乗り捨ててんだッ! 粗大ゴミに出すぞッ!
そして結局何もツッコむことができないまま、彼はズルズル引きずられて行ったのだった。




