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〔10.高校生活における死の顛末と、犬猿の馬鹿〕


遅くなってしまいましたが、新章です。やっぱりまだまだぶつかる北川くん×真夜の確執や、いかに…。




 ねっとりとした湿気をめいっぱい含んだような前日の空気が嘘のように、翌朝は快晴だった。いいお天気。気持ちがいい。窓を開け、ひとつ伸びをした。寝る前に洗濯しておいた洗濯物をベランダに干す。頬のきずはやや赤く見える程度だった。化粧水をつけ、昨夜病院で貰った軟膏を塗って手当を済ませる。絆創膏を貼るほうが大げさになって目立ってしまう程度の怪我なのだ。全然たいしたことじゃない。

 息をおおきく吸い込み、深く吐く。いい日になればいいなと、またあたらしい一日を過ごすための体のコンディションを整えている途中、それは唐突にわたしの脳内へ飛びこんできた。急な異物の介入に驚いたように、思考はしばしストップしてしまう。数秒間。それからサッと顔が青くなった。

 

 ――自転車がないっ!

 

 昨晩、和也先輩の自転車の荷台に乗って帰ってきたということをすっかり忘れていた。時刻は七時半。それまでの穏やかな気分はすでに遠くかなたへ飛んでいってしまった。のんびりていねいにシャツのシワをのばして干すような時間などなく、わたしは乱雑にシャツやタオルやらをやっつけ、歯を磨きながら髪をくしでとき、転がり出るようにしてドアから飛び出した。せっかくいつもより三十分早く起きて用意した朝食を残してきたことに後ろ髪が惹かれるけれど、またもリビングのソファで寝こけている母(毎晩いったい何時に帰ってきているんだろう)が起きれば食べるだろうと(しぶしぶ)思い直す。

 エレベーターが上がってくるのをその場で足踏みして待つあいだ、遅刻しないための算段を練る。駅まで徒歩十分の距離はとにかく走る、これに尽きる。電車に乗って二駅で学校の最寄駅に着くけれども、その時間に関しては調節のしようがないからおとなしく揺られているしかできることはない。勝負は電車を降りてからだ。学校までは徒歩二十分、校門から教室まで徒歩五分強の道のりをいかに早く長く走れるかがカギとなる。わたし体力ないのに。はんぶん泣きそうになりながら通学時間を見積もった。自転車なら三十分で着くというのになぜか、電車に乗ったらトータルでおよそ四十五分もかかるのだ。

 エレベーターの速度がまた亀のようなのにやきもきしながらエントランスまで駆け、マンションの外に飛びでたところで、

 

「ぎゃっ」


 ……もう少しで腰をぬかしてしまいそうなくらい驚いた。

 その人はエントランスの先にある段差を降りたアスファルトのうえで、地面に両膝両腕あたまをつけ、まるで土下座の見本というようなきっちりとした姿勢でいた。これで特徴的な赤髪が目に入らなければ、やばい人だと思って関わらないよう忍び足で側をすり抜けてゆくところだった。


「き、北川くん。何してるの」

「おむかえにあがりました」


 あたまをさげたまま、ゆえにくぐもった声で北川くんは言った。


「え、頼んでないっていうか、なんで土下座、っていうかなんでうちのマンション知ってる……」

「和也くんに聞いた」

「そうなんだ……」

「うん」


 で、沈黙。

 時間はこくこくと流れてゆく。いや、急いでるんですって。じゃあわたしはこれでと土下座を無視して立ち去る度胸もなく、お迎えなんかいいよと言ったあとに起こるだろう送る送らないの応酬による時間のロスを考えれば無下に彼の申し出を断ることもできず、かといって即座にじゃあお願いねと言うのは正しいのかずうずうしいのかの判断もしかね、それよりもまずもういいから顔をあげてと言ったあとには必ず起こるだろうけじめの問題についての応酬(いやまだオレの気が収まらないとかなんとか)を想像してげんなりとした結果、とほうにくれてその場にただ立ち呆けるしかないわたしだった。

 ……いやいやほんとうに時間がないんですってば。


「北川くん、とりあえず学校行こう。遅刻しちゃう」


 とりあえず、にアクセントを置き、強調する。ここからまだあれこれのやりとりにより十分はロスするかとも思われたが、「そうだな」と北川くんはあっさり言い、顔をあげ立ち上がり膝の砂を払った。その右手に見える大げさな白いぐるぐる巻きが目に入り、なんとなくすぐに目を逸らしてしまった。




「え……っていうか、ここまでどうやって来たの」


 結局北川くんのご厚意にあまんじるかたちで彼の自転車のうしろに乗せてもらうことになったのだけれど、彼の右手が親指とその他四本の指がふたつに分けられ、拳を重点的にぐるぐる巻きになっていることをわたしはすでに確認済みである(包帯の手袋みたいだ)。その右手のひらをかばうように手首でハンドルを押さえながらまたがった北川くんの運転は、控えめにいっても安全とは程遠いように思えた。


「どうやってって……乗ってきたけど。ふつうに」

「ふつうに危ないよ。むしろ北川くんが誰かのお迎えを待ったほうがよかったんじゃないの」

「来てくれると思う? あの二人が」

「思わないけど……」

「大丈夫だよ。オレ運動神経はそこそこだし」

「とくべついいわけでもないんだね」


 ますます不安に駆られるわたしだった。

 結果、鼻歌まじりで荷台に座っているのが北川くん、うしろのヘビーなお荷物にぜいぜい言いながら高いサドルに苦労しながらペダルを漕いでいるのがわたしということになった。必然的な話である。


「最近、いいなって思う曲、なんかあった?」

「あーMDから? うーん」


 そうだな。わたしはしばし耳の奥に残る音のピースを拾ってゆく作業に専念する。北川くんのつくってくれたMDには、彼がどうしてもわたしに知ってほしいという100曲あまりが録音されている。


「まだ曲の名前とバンド名と音楽が一致しない」

「ダメじゃん。ちゃんと表示されるようにしてんだから見て。覚えて」

「む、無理だよ。だいたいさ、テスト目前じゃん。曲名より何よりテスト勉強しなきゃだよ」


 来月のでっかいステージのことを考えているとついうっかり忘れがちになるが、中間テストまでもう一週間もないのだ。部活動のほとんどがテスト前の勉強週間に入るのに、われわれだって音楽にばかりかまけている場合では、もちろんない。

 わたしだって勉強ができるほうではないのだから(ちょうど平均くらい)、ぼんやりなどしていたら、一気に点数は下がってしまうだろう。ただでさえ潤滑とはいえない家庭環境なのだし、無為に説教の材料はつくりたくないところである。

 ……そう思えば、ちょうどよかったのかもしれない、今回の北川くんの怪我は。

 そう考えてから、あわてて首を振る。暴力を振るのはもちろん悪いことだ。でも彼は自分のためではなく、わたしのためにそれをおこなった。だからわたしは自分の怪我のことで北川くんを責めるようなことは一切したくないし、連想することを匂わせて、彼にみずからを呵責させたくもない。彼はすでに痛い思いをしているのだし。

 まあ、さっきの衝撃映像――朝いちの土下座男子――後の北川くんの機嫌ときたらまったくの良好そのものなのだけれど。


「勉強なんかさ、そこそこしてたらいーっしょ。オレらまだ一年だしさー」

「ダメだよ。そんなこと言っちゃ」

「だいたい大学までエスカレーター式じゃんか、うちって。それにオレらには音楽がある。将来はミュージシャンだから勉強必要なし」なんてことを言うんだ。

「絶対よくないよ、その考え。何が起こるかわかんないのにさ……」夢見すぎ。「あ、」

「何? なんかあった?」

「曲の名前はわかんないんだけど、女の子が歌ってるやつ」

「情報少なすぎでしょ。どんなの?」


 えーっと。

 わたしは眉間にシワをいっぱいつくりながら、せいいっぱい曲のピースをかき集め、つなぎ合わせる。そしてなんとか集まった一節分を口ずさむ。


「おっ、いいね。デイジー・チェインソーだね」

「あの人の声かわいいね。でもギターすごい音。ベースも」

「かっこいいっしょ。ケイティ・ジェーン・ガーサイドの声。彼女が抜けてからはパッとしなくなってすぐ活動停止になったらしいけど……うーん。アリだな」

「ちょ、ちょっと待って? アリって? 今からこれも やる(練習する)なんて言わないよね?」

「……となるとセトリはどうしよっかなぁ」

「北川くん!」


 余計なことを言うんじゃなかった!




 ★




 そしてわたしは重大な問題を見落としていたことに気づいた。校門付近にさしかかった、ちょうどそのときに。それは今気づくにはいささか大きすぎる見落としだった。


「や、やばい……」

「えっ、な、なんでUターンすんの!?」

「ぎゃっ! 危ないっ! なんで足っ地面に急についたりすんのっ」


 急な方向転換におどろいた北川くんが反射的に地面に両足をつき、自転車の運転を強制的にストップさせたのだった。当然かたむく車体、振り落とされそうになるわたし。バカみたいな悲鳴をあげてしまった。


「朝日ちゃんがキョドーフシンなことするからじゃん!」

「こっこんなとこで止まっちゃますますやばいよっ! は、早く逃げなきゃ」

「はあ? 逃げるって何から」

「全校生徒の目だよっ」

「はあー!? なんだそれ?」

「とりあえずまだ致命傷は回避できる……じゃ、あとはよろしく。わたしはここから歩いていくから」

「えっ自転車は? 無責任! 危ねーっつたの朝日ちゃんじゃんか!」

「ぎゃああ! な、なんで腕つかむの!? 離っはなしてっ!」

「朝日ちゃんが逃げるからじゃん!」


 はっとする。なんだかすでに注目を集めている気がする。すでに校門は目前である。同じ学校の生徒たちが向かう先は同じだし、なんてったって、北川くんは目立つ人なのだ。


「ちょ、ダメ、声おさえて」

「え? なんて? 声ちっさいんですけど」

「だーかーらあ!! うるさいっ」

「うるさい!? なんなのいきなりその豹変? 急にひどくね?」


 腕は依然つかまれたまま、つまり自転車からまだ降りることさえできてはいない。そしてわたしの顔のすぐ左側に北川くんの顔がある。鼻先を、北川くんのお気に入りの香水――シトラスの爽やかな香り――がかすめる。わたしは真っ赤になった。


「ちちちち近いっ! バカ! 離れて!」

「バカぁ!? ちょ、ホントいきなり何……」

「誤解される!!」そんなのはごめんだ。心底勘弁してもらいたい!


 北川くんの手がゆるむ。隙あり! その手を振り払い自転車から飛び降りる。視界の端っこにチラッと確認できた彼の顔はポカンとしているようだった。


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