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〔5.ライブハウス“SNARK”と、そこで待ち受けていたひどい仕打ち〕




 北校舎三階、いちばん右の奥に、軽音部の部室はある。

 金曜日の放課後だった。いまだ蝉が現役でがんばっているのを、眉をしかめつつ廊下を歩きつつ、聴いていた。ひどい暑さだった。エアコンの効いた快適な教室を出、ここまでたった数分歩いただけだというのに、肩にかけた学生かばんの持ち手はすでに汗で湿りつつある。お天気のいい最上階の廊下。南向きの窓からは寸分の隙もなく残暑の日差しがさしこんでいるし、おまけに尋常ではない天井からの照り返し。暑くないわけがなかった。

 軽音部、とプレートの出た教室の前に立ち、ポケットからハンカチを取りだす。みだしなみ。そうして何拍かの余裕を置いたのち、すこしだけ開いたままになっていたドアからそっと、中を覗いてみた。楽器の音や愉しそうに談笑する部員さんたちの声が聞こえる。わたしはおそるおそる、ドアを引き、そっと顔を覗かせた。

 中には楽器を弾いたり談笑したりしている男女たちが幾人かずつ、いくつかのグループに別れ――しかしおしなべてみんな派手――点在していた。その中に知った顔はなく、オヤ? とわたしは首をひねることになる。

 北川はどこだ。

 放課後を告げるチャイムのあと、彼のほうが先に教室から出ていったというのに――含むような目線をちらちらと投げつけながら。当然わたしは無視した――、いったいどこでどうしているのだろう。人のことを呼びつけておいて(それもなかば脅しておきながら!)、不在というのは、いったいどんなジョークのつもりなのだろうか。いらいらとわたしは思い、誰にも見つからないよう後ずさりをし、そうっとドアを閉めようとしたのだけれど、いちばん入り口に近いあたりの椅子に腰かけていた長髪の男の人と目がバッチリあってしまう。しまった。

 彼は立ちあがり、「スギムラアサヒ」と、カンペ棒読みの大根役者のようなトーンで人の名前をとなえた。こちらへ向かって歩いてくる。


「は、ハイ」

「スギムラアサヒちゃん? 合ってる?」

「あってます」


 ドアのところで固まっているわたしのところまでやってくると、彼は何やら四つ折りのメモらしきものをさしだした。「伝言預かってるんだけど。一年の北川から」

「ああ、ありがとうございます」

「じゃあコレ。はい」

「はい、たしかに」


 両手で受け取り、深くお辞儀をする。任務を遂行した男の人は手をヒラヒラさせて戻っていってしまった。

 メモ――A4判のルーズリーフ――には、罫線二行だけ使ったような小さい字でただ一言、『スナーク』とあった。

 スナーク。SNARK? スナーク狩りか?

 ルイス・キャロルか?

 これだけではまったくなんのことだかわからず、とほうにくれる。しばらくぼんやりたたずんでいたけれど、ずっとそうしているわけにもいかず、おっかなびっくり部室へ足を踏み入れた。まさかドアのところから大声を出すわけにはいかなかったので(そんな勇気があるはずもないのだった)。


「あのう……」


 うしろから、先ほどのお兄さんに声をかける。そのグループからいっせいに視線を集め、すでにわたしの顔は赤い。メモを渡してくれた彼は、「まだいたの?」というような顔をしていた。


「スナークとはいったい、なんのことでしょうか……」


 わたしは想像する。この部屋にいる全員がサッと立ちあがり、わたしを糾弾きゅうだんするさまを。


『そんなことも知らないとは!』

『スナークとは空想上の怪物である。細心の注意をはらい、みなはそれを指ぬきで探しあて、ぴかぴかのフォークと希望で狩り立てたのだ!』

『かの有名なルイス・キャロルのナンセンス詩を知らない人間がこの世にいるとは!』

『しかし気をつけたまえ! 奴がブージャムならば!』

『捕まえたスナークがブージャムならば、お前は消え去り、二度とその姿を現すことはないだろう!』


 と。

 しかし、当然(?)そうはならなかった。彼らは顔を見合わせ、「中町の商店街のとこだよな」「商店街の端にあるライブハウスだよ」と言った。


「ライブハウスですか?」

「うん、結構有名なインディーズバンドも来るとこ。で、北川はなんて言ってんの?」

「や、放課後軽音部に来てくれとだけしか……」で、これです。四つ折りになったメモを開きさしだし、中身を見せる。自分でもあらためて、もう一度そのA4判のルーズリーフを確認したけれど、やはり何度見ても結果はおなじなのだった。真ん中に、小さな字で『スナーク』とだけ、書かれている。「わかんねーよ!」とお兄さんが笑った。


「あいつバカだかんなー。たぶんここに来いってことだよ」

「えー……」気がすすまなくて、わたしはうなった。

「横がホリオ楽器って黄色い外装のでかい楽器屋で、正面にパチ屋あるとこだよ。行ったらすぐわかると思う」

「ああ、ホリオ楽器はわかります」


 意外といっては失礼かもしれないけれど、みなさん意外に親切にあれこれ気遣い、教えてくれた。

 行かないという選択肢もあるにはある。けれども約束を反故ほごにして面倒な事態になるのだけは避けたい。そうしたら、向かう以外に選択肢はないのだった。お礼を口にし、頭をさげて軽音部をあとにした。







 前述のとおり、孤独な子うさぎかヨルかというくらい、彼はひじょうな淋しがりやだった。中学生になってサッカーを始めると、いつでも仲間たちと一緒にいたがり、そうでないときはたいてい、わたしが側にいた。

 一人では決していたくない人なのだ。それでわたしが側におられないときは、しばしば他の女の子を求めてしまうわけだ。

 女の子の体はすごい。そんなおじさんみたいなことを言ったのは、中二のヨルだった。タバコとか酒とか麻薬とか、こんな感じなんかな。一回手えつけたらやみつきになる、と。淋しいと、彼は女の子と寝てしまうのだ。あの頃のわたしたちは、ほんとうに危うい関係だった。

 きょうだいにもなれず、恋人にもなれず、互いが互いに依存しすぎていた。中学校では誰とも仲良くなれなかった。なぜなら、放課後ごとにわたしはいそいでヨルの学校へと走ったからだ。そこには保育所からの親友めぐちゃんもいたというのもおおきな理由ではあったけれど、何をおいてもまずはヨルだった。ヨルの隣にいないとわたしはダメだったし、ヨルはとりあえず誰かを側に置いておきたかった。

 とりあえず、誰か。

 今思えば、それは誰でもよかったのだ。気が知れており、無条件に自分を信頼し、受け入れてくれるてっとりばやい存在であれば。わたしじゃなきゃいけないなど、わたしはなんとおこがましかったことだろう。

 淋しさにかこつけたヨルの欲望は底知れなかった。時も場所も選ばず求めたし、わたしにそれを拒否することなどできなかった。


 こんなことがあった。


 中二の冬だった。制服の上にコートを着、ぐるぐるにマフラーを巻いた恰好で鼻のあたまをおそろいに真っ赤にして、わたしたちは駅前の広場にいた。ヨルのリクエストでアニメソングを何曲か弾いたあと、とりとめのないおしゃべりをたのしんでいた。

 ふいに、ヨルが真顔になって立ち上がった。そしてギターをしまうよう指示をだした。彼の目の奥に欲望の色がみえて、わたしは戸惑ったけれど、拒める謂れはなかった。担いでいたそれをおとなしくしまい、ケースの留め金を閉めた。とたん、グイとちからいっぱいにわたしの手を引き、反動で転びそうになるわたしのことなど意に介さず、ヨルは無言でただずんずんと、高架横の細い通りに入っていってしまった。

 こういったことはこれがはじめてのことでもないので、抵抗するだけ無駄だと、あきらめていたのが悪かった。全部終わって先にヨルが路地の角に出たところで、誰かとなんらかの言葉を交わす声がかすかに聞こえた気がした。先に帰ってしまったヨルを追いかけるように通りに出ると、そこに例の、楽器屋さんの男の子が立っていたのだった。





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