7 永の眠りにつき、そこでどんな夢を見る?
たった二度とはいえ、過去のハムレット役について訊ねて返ってきた答えが、“小泉”という名前。これはもうあの幽霊の名前は小泉でもいいのかもしれない。それにハムレット先輩、という仮称はちょっと長い、とユカは思っている。せめて“ハム先輩”くらいに略せないかとも。どうも加工肉っぽくて仕方ないが。
しかしながら、小泉という名が“禁句”というのがユカには気にかかる。禁句というのなら口にはしづらい、何かが過去にあったのだ。それもよくない出来事が。
あの、生前の記憶のない幽霊のハムレット先輩は、一体どんな過去を持っているのだろうか。
そんな事を考えながらも、ユカはなかなか講堂の幽霊に会えなかった。サークルのお手伝いで忙しくしていたし、用事がないのにわざわざ会いに行くのもなんだか違う気がする。そして講堂に行くような用事は特になかった。
サークルでは本格的な稽古がはじまったし、クライマックスの剣の試合のために特訓もしている。試合に出るレアティーズ役の男子がアクションが苦手なので、念入りに試合のシーンを稽古する必要がある。
練習も百周年記念講堂で行われるのかとユカは思ったが、第一体育館ばかりが使われた。
だいたいの間ユカは、大道具の村田の手伝いをしていた。大きなセットや荷物を運ぶのに人手不足だそうで、ユカは今後も大道具担当になりそうだ。
ユカは主に村田の仕事の手伝いや、役者たちの稽古の様子を見るだけだが、誰もが皆、とても真摯にお芝居に打ち込んでいるのがよく分かった。
特に驚いたのが、ポローニアス役とオフィーリア役の二人だ。彼らは、普段の様子とはうってかわって、別人のように役になりきる。M大学の演劇サークルはしょせん学生の集まりにすぎないが、プロほどでなくともなかなかのものだ。
(そうかあ……ハム先輩はこういうセカイで生きてたんだ……)
過去の話をして名前を出てくるほどの役者だ、よっぽどハムレット先輩は実力があったに違いない。
ユカは、ちょっとだけ、ハムレット先輩の演技をする姿を見てみたかったと思った。
「川上さん、記念講堂まで運んでほしいものがあるんだが、頼めるか?」
ユカが物思いにふけっていると、久しぶりに村田から記念講堂の名を聞いた。
百周年記念講堂は、人気がない分涼しそうに見える。村田と共に舞台装置のサイズが合っているか実際にステージ上に置くためにユカはやってきた。ユカは大きな荷物を運ぶのに集中していたから周りを見回す余裕はなかった。とはいえ、ハムレット先輩の姿が見つからないのが不思議だ。
村田と作業をするうちに、やっぱり幽霊が出ないのでユカは地縛霊をやめられたのかと考える。それとも、ユカのいないうちに、彼は成仏してしまったのでは――。
思った途端、ユカは眉を寄せていた。
村田が何かのためにユカから離れて行ったのが見える。
ステージの上で、ユカは座席を見下ろす。何故だか妙に殺風景に見える百周年記念講堂に、ユカはつまらなくなっていた。
「うーらーめーしーやー」
棒読みの声と、上下逆さの人間が突然ユカの前にあらわれた。
「うわ?!」
なかなか本気で不満そうな顔をした、青年の幽霊だ。
「って先輩! なんなんですかもうッ」
なんの予告もなしにあらわれたものだから、この講堂に幽霊が出ると知っていてもユカは驚いてしまった。
幽霊はくるりと回転して、自分の上下を元に戻す。
一人で騒いでいたために村田に「どうかしたか」と声をかけられてしまう。ユカは虫がいてびっくりしたと嘘をついて村田をやりすごすと、ハムレット先輩を横目で睨んだ。幽霊も負けじとユカを恨みのこもった目で見てくる。
「だってユカくん、恨みたくもなるよ。きみ全然顔出してくれなかったじゃないか。ひどいよヒマすぎて死ぬかと思った!」
この二十歳そこそこの青年だった幽霊は、退屈すぎて話し相手がほしかっただけらしい。まるっきり普通の大学生みたいだ。以前会った時と何も変わらない。ユカはため息をつきながらも、なんだか笑ってしまいそうだ。
「もう死んでるじゃないですか」
死者が死にそうというのはおかしいと指摘しても、ハムレット先輩の機嫌は直らない。
ユカがサボっている間に作業を終えたらしい村田が、部室に戻ろうと言ってくる。ユカは電話をしなくちゃならないとそれらしい言い訳を作って、一人残る事にした。
言い訳を本物らしくするために、早速ユカは携帯電話をポケットから取り出す。村田が去って、足音も聞こえなくなるまで、携帯電話をいじるフリをしていた。
「どうせヒマ人のくせに」
ハムレット先輩はじと目だ。
「なんですかヒマ人のくせにって、失礼な」
一応、ユカにもいろいろ事情があったのだ。サークルの手伝いだってあるし、時々バイトも入れてる。幽霊のハムレット先輩の事ばかり考えてはいられない。とはいえ来ようと思えばこの講堂には来られたのだが。
「あーあ、死んだあとに見る夢ってこれかー。タイクツな夢だなー」
ハムレット先輩は置いてあった脚立の上に腰かけると、疲れたような顔になる。
どこかで聞いたようなフレーズだ、とユカは思考をめぐらす。
「あ、ハムレットのセリフですね」
顔をあげたハムレット先輩は、ぴょんと脚立から飛び降りると、音もなく床に着地する。
「おー、どうしたのユカくん、話が分かるようになっちゃって」
やっぱり、戯曲の中のセリフの引用だった。ちょっと自信がなかったユカは内心ほっとする。
「ちょっとは勉強したんですよー。というか、先輩は自分の記憶はないのに戯曲の内容は覚えてるんですね」
かくいうユカは、“死んだあとに見る夢”について語るハムレットのシーンは、かなりうろ覚えだ。
「世間一般常識なら覚えてるんだよね」
「ハムレットの内容って常識なんスか?」
「英国人なら知っとかないと。オレ日本人だけど」
またそのイギリス人ネタか、とユカが思ったら自分で日本人宣言をした幽霊。たぶん言いたいだけなのだろう。
「そうだ、ついでにハムレットの解説お願いします」
ユカのハムレット理解は、まだまだ低いレベルだろう。主演をしちゃうような人ならシェイクスピア作品にも詳しいに違いない。
「ああ、オレの解説? だからオレ記憶はないって」
「いいえ、戯曲の方です。あたし先輩のことは今後、ハム先輩って呼びますんで」
ちょっと照れたように言うハムレット先輩に、ユカはきっぱりと告げた。
「え、ハム先輩ってなんかイヤだ」
どうしても加工肉のハムにしか思えないし、英語で“大根役者”という意味を持つ単語は、“ham”だ。元演劇部員としてはうれしい呼称ではない。
しかし幽霊は、ユカがステージの端に腰かけて、しばらくここに居座るそぶりを見せたので、それ以上文句を言うのはやめた。
死ぬ、眠る、
眠る、おそらくは夢を見る。そこだ、つまずくのは。
この世のわずらいからかろうじてのがれ、
永の眠りにつき、そこでどんな夢を見る?
(第三幕 第一場 ハムレット)




