4 筋書きは聞いておるのか?
連れてきて。
一瞬だけ、ユカは笑顔のハムレット先輩の顔面を叩き割りたくなった。
ずいぶんと軽々しく言ってくれたものだ、とユカは幽霊に対して軽い苛立ちを覚えた。あまり人見知りしないユカだが、それでも会った事もない他人を連れ回すような度胸は持ち合わせてない。それに、普通理由もなくついて来いと言ったところで断られるに決まっている。理由を言えば頭の中身を疑われるだけ。
それでも、しばらくは演劇部員として活動するのだから、ユカも少しは今回の演目や役者たちの事を知っておくべきだろう。そう思った事を言い訳にして、部室に戻ったユカは友人の塔子にいろいろと訊ねる事にした。
部室には小さな冷蔵庫があり、塔子が部員にお茶やジュースを配っていて、ユカもそのおこぼれをいただく。
今この部室にいるのは六人ほどの人数で、役の稽古をしているような者はない。今は舞台にあがるような人間はいないのか、と思いながらもハムレット役について問いかける。
「藤堂さん? 今日は来てないみたいだけど……わりと稽古一人でやる人なのよね」
部室の机の前に座る塔子は、自分の長い髪をくるくると指にからませながら言った。
とりあえず、主役の藤堂を講堂に連れて行くという、幽霊の無茶振りは先伸ばしに出来る事が分かった。
「主役なのに?」
塔子のとなりに座るユカは、ハムレットは物語の主人公だと最近仕入れたばかりの知識と照らし合わせてつぶやいた。
「ハムレットってけっこう独白のシーン多いのよねー。つまりはヒトリゴト、なんだけど。だからそういうシーンは一人でも出来るし。それにまだ全体での稽古は先だから」
部長はいつの間にかいなくなっていた。村田はユカを解放したが、彼はまだ一人で作業をしている。他にも部員は数人いたが、村田と同じく自分の仕事をしている。ユカは塔子が暇そうにしているので話を進めてもよさそうだと判断する。
「てゆうか、ハムレットってどんな話?」
「台本あるわよ」
塔子は手を伸ばすと近くの棚から、一冊の本を取り上げて机に置く。コピー用紙で作った手作り感あふれる台本だが、表紙のデザインは素晴らしい。
ユカは、その戯曲の台本を手にとるとパラパラとめくる。元々、ユカは活字が得意ではない。読む本といえば漫画くらいのもの。当然、軽く眺めただけで文字の多い台本の内容を把握出来るはずがなかった。
読む前から分かっていたが、ユカには真面目に台本が読めそうにない。一分もしないうちに台本を閉じると、塔子に向き直る。
「難しそうなので、トーコ先生教えてください」
ざっくり聞き出したユカに、塔子は難しい顔になる。
「んーーー……」
ほとんどうなるような声のあと、塔子はしばし唇を引き結ぶ。一度ちらとユカを見ると、少し視線をおとして塔子は口を開く。
「……復讐を決意したはずの王子がなんやかんやで周りをしっちゃかめっちゃかにした挙げ句ばんばん死人出して相討ちでなんとか復讐果たした話、かな」
とても簡素なあら筋は、今のところユカにも分かりそうな内容だ。だが、他所から小さな苦笑が聞こえた。
「随分雑にまとめたな」
大道具の村田だ。塔子のまとめ方には一言いわずにいれなかったのだろう。
「いーーじゃない、ユカは演劇にはてんでシロートなんだからっ」
塔子はふん、と鼻息を荒くする。村田はそれ以上何かを言う事はなかった。
「えーと、じゃあハムレットって王子なんだ?」
ユカが推測を口にすると、塔子ははじめて一人で歯みがきが出来た幼児を見るような目で微笑んだ。
「そおそ。ハムレット王子。デンマークの王子さまなの。で、復讐の相手が自分の父親の弟にあたる、身内なのよね。つまり叔父がカタキなの」
「あらあら。家族なのにねえ」
「それがね、ハムレット殿下にしてみれば、それなりの理由があるの。ある日突然、国王であるパパが毒ヘビに噛まれて死んじゃうの。超ショックでしょ、それなのにママが旦那死んで数ヶ月しかたってないのに再婚しちゃう。早すぎて更にダメ押しじゃない?」
「言い方」
「あんたのために噛み砕いてやってんのー。そんなしょんぼりハムレット殿下の元に、死んだはずのパパの幽霊があらわれちゃうのね。それで、『わし実は殺されたねん! カタキとってくれや!』って言ってくるの」
幽霊、のところでユカはどきりとした。彼女の前にも死んだはずの青年の幽霊があらわれた。しかも、その幽霊はかつてお芝居でハムレットを演じたという。なんという偶然だろう。
とはいえ、ユカは知らないが、シェイクスピアは演劇の世界では大がつくほど有名で、シェイクスピア作品に幽霊が出る事はそこまで珍しくない。
「なんで関西弁……」
塔子の説明に、今度も村田は口を挟まずにいられなかった。
ユカは幽霊の方に気をとられていたが、確かに塔子の急な関西弁には疑問が残る。彼女なりのジョークだろう。今度は特に村田に返事もせず、塔子は続ける。
「復讐相手がハムレットの叔父で、デンマークの国王になり、ハムレットの母親と結婚したっていう男なの」
今は幽霊のハムレット先輩はさて置き、戯曲の方に意識を集中させよう。ユカはもう一度あら筋を脳内でおさらいする。
「ちょっと待って、その……ハムレットの叔父さんは、ハムレットのお父さん殺したことで、次の王さまになったんだよね。そんでお母さんゲットまでしちゃったワケ?」
「めちゃくちゃ陰謀のかおりがするでしょ~。その通りなのよ。叔父はデンマーク王の地位と王妃ほしさに、兄貴殺っちまったわけよ」
昼メロ並みにドロドロした展開を語る塔子の瞳は何故かキラキラしている。
「まー、悪いやつ~」
「でしょー? ハムレット殿下的には許さんッ何故こんな事を、って感じよね。ほらもう復讐するしかない」
「なんだこの詐欺にかけられてる感」
確かにハムレット王子の身になってみると、許せない事態だろうが。
「で、復讐にむけてがんばるワケだ」
「でもねーー、お化けに言われたからってさ、いきなり叔父殺せるかって聞かれたら、ちょっとムリがない? ぶっちゃけ幽霊の証言しかパパ殺しを証明出来ない。幽霊消えたらさっきのは幻だったかも~って気分になれちゃう」
そのハムレットの葛藤は、ユカにも実感出来そうだ。何しろついさっきハムレット先輩という幽霊を幻だったかもしれないと疑ったところだ。
「実際ハムレット殿下は、叔父が自分の罪を認めるような証拠をほしがった。でもそんなのなかなか見つからないと思って、画策する。その方法が、正気を失ったフリをする、ってことだったの。おかしくなったことにすれば、叔父にいろいろ探り入れたり、意味深なこと言ったとしても、疑われにくいかなって」
「うーん……分かるような分からないような」
そろそろユカの頭も混乱しはじめる。
「ここはやっぱり、一度映像で通して見るべきじゃないかな?」
さりげない調子で投げかけられた言葉に、なるほどと思ったユカだが、誰の声かと眉を寄せる。
「部長」
振り返った先にいた演劇サークル部長に、ユカたちは目をしばたかせる。彼は一体いつから部室にいたのだろうか。話し込む二人はまったく気づいていなかった。
部長は眼鏡の端を少し持ち上げると、ユカに微笑みかける。
「シェイクスピアは劇作家だからね。実際に演じられるための物語を書いたんだ、映像で見た方が早いかもしれない。うちの部室には映画のDVDがあるから、貸すよ」
「さすが部長」
塔子が指さしながら部長を褒める。棚の方へと向かい、彼はDVDをひとつ、ユカの前に取り出してみせる。
「まだ一回も見た事ないんだったら、入門用にはやっぱりフランコ・ゼフィレッリ版かな。僕はローレンス・オリヴィエ版も好きだけどね」
「ふ、ふら……?」
「あー、ユカ。部長は重度の映画おたくだから気にしなくていいよ」
そう塔子が言ったあとでも、部長はつらつらとシェイクスピア作品話だか映画話だか分からない話を続けていたが、途中から誰にも相手にされなくなり、ひとり言になった。
筋書きは聞いておるのか? さしさわりはないだろうな?
(第三幕 第二場 クローディアス)




