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3 機会があればそれとなく探りを入れ

 部室棟は全室冷房完備だ。演劇部員のための部屋のドアを開くと、ユカはひんやりとした空気に歓迎される。

 入り口近くに座っていた焦げ茶色の髪の女子が一人、振り向いて立ち上がる。

「ユカ遅ーい、やっと来たー!」

 怒ってはないが、彼女はユカの到着に声を大きくした。

 塔子(とうこ)はユカの友人で、彼女を演劇サークルに在籍だけでもするよう誘った張本人だ。今回の手伝いも、塔子に言われて参加する事にした。

 熱っぽい外気が入るからと塔子はユカにドアを閉めるよう言う。ユカは急いでドアを閉じた。

「遅くなってごめん、トーコ。えーっと、ちょっといろいろあって……」

 まさか幽霊と遭遇していましたとは言えず、ユカは曖昧な言い訳をした。

 今でもユカは、さっきの出来事が信じられない。

(さっきの、なんだったんだろ……。ホントに講堂の外までは追ってこなかった……)

 あの後、ユカはあのお気楽な幽霊のペースに巻き込まれてはいけないと思い、隙を見て逃げ出した。幽霊のハムレット先輩はもう出入り口にいなかったため、ユカは彼に体当たりをする必要はなかった。

 あの幽霊のいないところに来て、友人と日常的な話をしていると、もしかしたら、真夏の暑さが見せた蜃気楼のような幻だったのでは、などと思えてくる。

 目撃したものを塔子になら話してもいいかもしれないが、この部室には塔子以外にも人がいる。おばけが出たと騒ぐような事をして変人扱いをされたくはない。

「部長、この子がうちの幽霊部員のユカ。学祭まで手伝わせるんで、こき使ってくださーい」

 塔子に、入部した頃に数回顔を合わせただけの部長に引き合わされ、ユカは軽く会釈する。

 部長は銀縁眼鏡で黒髪の男子だ。真夏でもTシャツではなくカッターシャツを着ているところが生真面目そうに見える。

 部長はユカに「どうもありがとう、よろしくね」と言ったが、ユカは部長の名前を思い出せなくて生返事をしてしまう。

 それに、真夏なのにTシャツではない、というところでまたあのハムレット先輩のところに思考が戻ってしまう。幽霊の彼は、長袖で厚みのあるニットのシャツを着ていたのだ。こんなに暑い夏なのに長袖などとおかしいではないか。やはり彼が幽霊である証拠になるのでは――。

 性格がなんであれ、幽霊という存在が不気味だというのには変わりはない。ユカは頭から彼の事を追い払う事にする。

「じゃあ早速で悪いけど……とりあえず大道具の村田の手伝いをお願いしたいんだ、いいかな。簡単な内容ばっかりだから大変な事はないと思うんだけど」

 ちょうど、ユカには今からやるべき仕事がある。

「はい」

 三ヶ月後に開催される学園祭で演劇サークルが上演する、お芝居の準備をするのだ。もちろんユカは役者としての参加はしない(というより出来ない)。事前に塔子に雑用がメインだと聞かされていたから、ユカはとにかく指示に従うつもりだ。

「じゃあ、村田から今のところやってほしい事を聞いてみて。何か分からない事があれば気軽に聞いてね」

 そう言って部長は大道具の担当者を呼び寄せる。ユカは、しばらく彼の手伝いをしていればいいだけ。そして――

(記念講堂にはなるべく近づかないでおこう……!)

 心霊スポットには行かない事だ。それが何よりの対策になる。ユカは強く決意した。

 普段はサークル活動をしていないユカだが、何かするべき事があるというのはいい事だなと感じ、入部も手伝いも誘ってくれた塔子に感謝した。


「で、最初のシーンはここにセットを置くんだが」

 決意とは裏腹に、ユカはふたたび百周年記念講堂に来ている。

(いるし!)

 相変わらず幽霊は講堂にいる。来たくはなかったユカだが、大道具の村田につれられて来たのだ。村田はハムレット先輩の存在にまったく気づいていないが、幽霊はユカを凝視している。

(ちょっと不機嫌だしいぃ!)

 先ほどのユカの逃亡を思えばハムレット先輩の怒りもごもっともだ。ただし彼は遊びに誘ってもらえなかった子供のようにむくれているだけにも見える。

 村田がステージの上にあがり大道具に関する話をしている間、ユカは幽霊の事が気がかりで話を聞けていなかった。

 ユカは忘れていたが、学園祭で塔子たちがお芝居をする場所はこの百周年記念講堂なのだ。当然今のように準備で何度も足を踏み入れる場所になるだろう。ユカが演劇サークルの手伝いをする限り、この講堂との関わりは避けられない。

 それならばいっそ、あのハムレット先輩の機嫌でもとった方がいいのかとユカが思っていれば、あちらから近づいてくる。もう幽霊は不機嫌な顔をやめていた。

「あの男子も演劇部員でしょ? オレの元友人かもしれないから話聞いてみて」

 この幽霊の声は、ユカには普通の人間の声と同じように聞こえるので、聞こえないフリをする事が出来ない。

「何をどうやって?!」

 名前も分からない幽霊と知り合いかどうか訊ねるなんて、普通のやり方では上手くいくまい。ユカが思わずツッコミを入れると、

「え? 分からないところあったか?」

 幽霊の声など聞こえない村田に、不思議そうな顔をされる。当たり前だ、彼にはユカが突然声をあらげたように思えたのだから。

「あ、いや、そういうワケじゃ……」

 ユカは一人言でも聞かれたような恥ずかしさを覚えながら、ハムレット先輩を睨む。

 すると村田が反射的にユカの視線の先をたどる。村田の目には何も見えないが、ハムレット先輩がいるところに目を向けている。ユカは大慌てで幽霊から視線をそらした。

 何もないところを見て、誰もいないのに話しかける、なんて怪しい人以外の何者でもない。今後はこの講堂での言動に気をつけよう、とユカは自分に言い聞かせる。

 ほとんど聞いてなかったくせに話を続けるよう村田に言い、ユカはハムレット先輩を意識からしめだそうと試みる。しかしそれは無駄な努力となり、ハムレット先輩はユカの視界にぐいぐい入ってくる。

「ねーねー聞いてみてよ」

 ユカより背が高く、黙っていればモデルかなにかに見えるはずの青年だが、小さい子どものようにユカにねだる。

 最初は無視出来たユカだったが、相手がしつこいので、次第に声を出して幽霊を黙らせたくなってしまった。自分にしか見えない存在が近くにいるのが煩わしくても、触れはしないのだからどかす事も出来やしない。

 ついにたえられなくなり、一回だけだとユカは村田に質問する。

「あの、その昔、ハムレット役で……なんかこう、い、イケメンがいましたか?!」

 せめて先に文章を考えておくべきである。村田は宇宙人でも見たような怪訝な顔になる。というかちょっと引いてる。

(で・す・よ・ね!)

 これまで演劇サークルになんの関わりも持たなかった人間に、昔の部員について訊ねられたら誰だって疑問になるだろう。

 後悔に内心で脱力するユカの耳には、ハムレット先輩の「イケメンってオレ?」とかいうまんざらでもなさそうな言葉は聞こえない。

 村田は髪が短く運動部のような精悍な顔つきの男子だ。上背もあるせいか、真顔だとちょっとだけ柄が悪く見えなくもない。そんな彼だが、性格はきつくないようで、ユカの突然の質問にも思案してくれる。

「うーん……。ハムレットは度々やるからな……。ちなみに今度の学祭のハムレット役は藤堂(とうどう)さんなんだが、昔っていうくらいだから藤堂さんの話じゃないんだろ?」

 ステージをおりる階段に腰かけて、村田はユカを向く。ユカも彼に倣い腰かけながら相槌を打つ。

「今回やるのもハムレットなんですね」

 村田と、ハムレット先輩にまでひどく残念なものを見る目をされた。

「ええーーー」

「知らなかったのか……」

 ドン引きの声をあげたのはハムレット先輩で、村田もガッカリした声だ。

 そう、ユカは何の芝居をやるのか把握してないまま準備に参加しているのだ。ハムレットという作品についても、ごく最近仕入れたばっかりの幽霊経由のわずかな知識しか持たない。いっそあとでハムレット先輩にその戯曲について教わった方がいいかもしれない。

「スイマセン……」

「いや別に……幽霊部員だったならそうなるか」

 村田はさっぱりした性格のようで、あきれたように首を振るハムレット先輩と違い、もう気にしていなかった。

「さっきの話なんだが……もしかしたら、小泉先輩かな……? 伝説的な人らしい。俺は同じ時期に大学にいたわけじゃないからよくは知らないが、ハムレットをやっていたってのは聞いた事がある」

 村田は、何故ユカがそんな事を聞きたがるのか詮索するような事はなく、また大道具の話に戻った。

 それからユカにも協力させて、ステージ上のいくつかの場所の長さを測った。

 その間ユカは、こっそりとハムレット先輩に耳打ちする。

「……で、どうですか、ハムレット先輩じゃなくて、小泉先輩なんですか?」

 せっかくユカが恥をしのんで引き出した情報だ、なんとか手掛かりになってほしい。

「うーん、ピンとこないなー」

 暫定名称“ハムレット先輩”は、首をかしげる。そんな簡単にはいかないか、とユカは肩を落とす。

 そうこうするうちに、村田がそろそろ部室に戻ろうと言うので、ユカは返事をする。

 なんだかんだ言ってユカは、結局このハムレット先輩の手伝いもしてしまっている。どうせなら、彼の記憶が戻る日が来るといいのに、とまで思うようになっていた。乗りかかった舟、というやつだ。

「でもそうか、ハムレットやるのか……」

 なかなかユカが立ち上がらないので、村田が彼女を不思議そうに見つめた。それでユカはとりつくろうように慌てて腰を上げる。また変人扱いされる危険はおかしたくない。そうやって膝の埃を払ったりしていたから、ユカはハムレット先輩の声がその時ばかりはどこかしんみりしていたのに、気づけなかった。

「ふーん……」

 一瞬見えた横顔が、物思いにふけっているのは分かったが、ユカはそのあとハムレット先輩が何を言い出すか分からなかった。予測出来ていたら、さっさと逃げ帰ったかもしれないのに。

「今回のハムレット役の人に会いたいな」

 顔をあげたハムレット先輩の表情は、うさんくさいほど晴れがましく輝いていた。ユカの顔がひきつったのは、言うまでもない。

この宮廷にとどまり、ハムレットのそばにいて、

あれの心を慰めてはくれまいか。そのうちに

機会があればそれとなく探りを入れてもらいたい、


(第二幕 第二場 クローディアス)

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