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2 どうして手厚く葬られた柩を抜け出し

「よかったー。今まできみ以外に誰にも気づいてもらえなくて、困ってたんだよね」

 幽霊は、はははと笑う。まるで仲間とくだらない冗談を言い合っているだけかのような、気軽さでもって。

 幽霊のくせに、とユカは思った。

 穏やかな眼差しは気さくそうで、声は明るくて、頭のてっぺんから爪先まではっきりと見える。これまでユカが抱いてきた幽霊のイメージと遥かにかけはなれている、幽霊。

 だからといって、幽霊という存在を簡単に許容出来るような人生をユカは送ってこなかった。

「……じゃ、あとは霊媒師さんに頼んでくださいね。幸運を祈ります!」

 もうついていけない。

 ひきつった表情でユカは、講堂の出入り口目指して逃げ出した。

「待ってよ、頼みがあるんだけどっ」

 うまくいかない気はしていたが、やはり幽霊はユカを追ってくる。

(ひい、あたし霊感なんてないし今までこんな事一度もなかったのにぃい)

 幽霊の存在を信じてこなかった訳ではないが、ユカにとって関わりのない存在はいないも同じだった。しょせんは物語の中のイキモノ、そう思って生きてきた。

 そんなものが、今、ユカの前に立ちはだかって出入り口をふさいでいる。追い抜かれた記憶はないのに、いつの間にか彼はユカの前にいる。これも幽霊のなせる技だろうか。

 ユカが彼に突進すれば、出入り口を通り抜ける事が出来るだろう。先ほどの例からすれば当然だ。だが、はっきりとしてクリアに見える青年に体当たりするのは、ためらわれる。ユカは立ち止まる。

「……実は、記憶がなくてさ」

 青年はちょっと困ったように言った。本当に、ちょっとしか困ってなさそうに。

 体当たりを諦めたものの、ユカは幽霊を直視する事が出来ず自分の爪先を眺める。

「自分の事も他の誰かの事もこれまでの事も、なんにも思い出せない。なんでこの講堂にいるのかも、分からないんだ」

「はあ……」

 気のない相槌を打ちながらユカは、死んだあとは皆、生前の記憶がなくなってしまうのだろうかと考えた。ユカが話に聞く幽霊は、生前の恨みを覚えているからこそ憎い相手の前に化けて出る。この青年の幽霊がこんなにも明るいのは記憶がないからだろうか、それとも元からの性格だろうか。

「だからか成仏? も出来なくてねー。かといってオレが見える人もいないからこんな事誰にも頼めなくて」

 そういえば幽霊とはどうしたら成仏するものなのだろうか。ユカはよく知らない。やはり霊媒師に任せるしかない。顔を上げたユカの目に、やっぱり見た目だけはいい幽霊が映る。

「成仏出来るようオレの記憶取り戻すの、手伝ってくれないかな」

 バイトの交代を頼むような軽い口調だが、彼の懇願の眼差しはしっかりとユカを捉えている。

 何を言われているのかユカはすぐに分からず、一度よく考える必要があった。

「え、ええッ」

 成仏の手伝い、などと言われてもユカは何をしたらいいのかまったく分からない。

「む、ムリです、あたしなんにも知らないごくごくフツーの女子大生で」

「ちなみにただ一つ覚えてるのは、死ぬ前はハムレット役やってたみたいって事だけ」

「えっ人の話聞いてない」

 ユカの説明もツッコミも聞かず、幽霊は左手の人差し指を立てて、過去を思い返すように目を閉じた。

 段々とユカはこの青年が幽霊だというのを忘れはじめる。あまりにも、生きた普通の人間すぎる。

「てゆうか、ハムレットって、なんだっけ……」

 せっかくの彼の唯一の記憶なのに、ユカには聞き覚えのない単語がある。と口にした途端、幽霊は目を見開いた。

「ハムレット知らない?! きみそれでも英国人?!」

 道路に寝転がる酔っぱらいでも見るような非難の目で、ユカは幽霊になじられた。彼女の「日本人ですが」というつぶやきもかき消される。当然彼も日本人にしか見えない。

「『ハムレット』は、かの有名な十六世紀イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアの最も有名な作品のひとつ、演劇にたずさわる者なら避けては通れない、大・名・作! だよ?!」

 幽霊の勢いはすさまじい。よっぽどそのハムレットに思い入れがあるのだろう、とユカが分かるくらいに熱くなっているのだ。

「あたしただの演劇サークル幽霊部員なのでよく知らないっス」

 ユカは演劇サークルに入っているが、それは名ばかりのものでもいいからと友人に誘われたからだった。ご飯目当てで行った新歓コンパの時以来、サークル活動には参加していない。

 実はこの日夏休みにも関わらず大学へ登校したのは、その演劇サークルの手伝いを頼まれたからだが、ユカはまさか幽霊に他の手伝いを頼まれるとは思ってもいなかった。

「へえ……きみ、演劇部なんだ」

 青年の幽霊の瞳がきらりと好奇心に輝く。まともな部員ではない、という点はあまり気にしていないようだ。

「ハムレットって人の名前なんスかね」

 演劇には無学なユカが言うと、幽霊は呆れた顔で「そうだよ、作品のタイトルにもなってる主人公の名前」と返す。

 ハムレット役、という事はこの幽霊も演劇かなにかをやっていたのだろう、と見当づけたユカは閃いた。

「それじゃあ、名前が分からないのも不便なので、ハムレット(仮)(かっこかり)とお呼びしますね」

 幽霊は少し頬をひきつらせる。ユカの言い方だと仮称が“ハムレットかっこかり”という奇妙で長いものになってしまう。

(仮)(かっこかり)は外せよ……。てゆうか無理に呼ばなくてもいいよ。なんとなく二年か三年は大学行ってた気がするし、“先輩”とかで」

「じゃあ、ハムレット先輩」

 二つの案をユカはつなげる。そしてにっこりと笑うと手を振る。

「知り合いの霊媒師呼んできますので、成仏の話はその方とお願いします。ではわたしはこれで」

 もうこの幽霊を怖いとは思わなかったが、関わりあいになりたいユカでもない。

「きみ知り合いに霊媒師いるの」

「いませんけど、あたしにはムリです。そもそも幽霊なら壁すり抜けてあちこち行って調べたらいいじゃないですかー」

「それが出来ないんだよねー。地縛霊、 っていうの? この講堂から全然出られないんだ」

 だからこの幽霊はずっと記憶を取り戻せていないのだ。

 当初のうろたえこそなくなったものの、ユカは退屈な授業を受けているかのようなやる気のない顔になっている。隙あらばいつでもこの場を去る気満々だ。

 そんな彼女の様子を見て、ハムレット先輩は、眉を持ち上げて息を吐く。

「てゆうかきみは自分の名前、覚えてるでしょ?」

 名前を聞かれてるとユカが気づくのに、少し時間がかかった。自己紹介が遅れて悪かったかな、という気分にすらなりユカは片手を掲げて息を吸う。

「あ、ユカです。川上(かわかみ)ユカ。一年です」

 簡素だが実に模範的で友好的に見える名のり方だ。

「よろしくね、ユカちゃん」

 優しげな先輩の笑みで言われ、ユカはやっぱりつられてしまう。

 が、いくら相手がお気楽そうな幽霊でも、非現実的な存在と仲良くするつもりはない。

「はっ、ちがうーよろしくしないー!」

 大声で否定しても、ハムレット先輩のにこにこ笑顔はやまなかった。

いったいどうして手厚く葬られた柩を抜け出し、経帷子をすてて

地上にあらわれたのか?


(第一幕 第四場 ハムレット)

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