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15 元気だ、元気だ、元気だ

 ユカの心臓がドクドクと素早く稼働する。

「え……記憶、戻ったって」

 ハムレット先輩の、その笑顔がなんだか不安だ。

「うんそう、全部」

 彼は頷いた。

 晴れがましい表情で、幽霊は少し歩く。

「だからたぶんユカくんとはお別れかも。てゆうか現世とお別れ。なんかもう、ここからはなれられる気がするんだ」

 どんな事も軽々しく、言ってのけるその性格。今のユカにはそれが恨めしく思える。

 そんな簡単に、終わりをしらせないでほしい。

「そ……ハム先輩……」

 ユカはまだ、なんの支度も出来てない。なんの心構えも。

 昨日は、成仏の気配なんてまったくないと言っていた。一日でこんなにも変わるものだろうか。

「いい加減、“ハム先輩”はやめてよね」

 ハムレット先輩はいっそう笑って、しめっぽさをかき消した。

 それから、ちょっと決まりが悪そうな顔になる。

「……自分から成仏の手伝い頼んでおいて、途中からなんか申し訳なくてさ。ユカくんには謝っときたくて」

 あのハムレット先輩が申し訳なく思うなんて、と図太い人の殊勝さに驚くような余裕は、ユカにはなかった。

「そんな……」

 そんな風に改まって言われると、幽霊のハムレット先輩は本当にもう帰ってこない気がする。

「別に申し訳なくなんて……。そりゃ最初は迷惑だなって思ってたけど、でも」

 それに、ハムレット先輩が申し訳なく思う必要なんてない。途中からユカも好奇心がおさえられなかったし、演劇講座もためになった。いつまでも現世(うつしよ)にいるより、早く次に行った方がいい、そう思っていた。

「そっか。じゃあ……ありがとう」

 口の端を持ち上げたハムレット先輩は、くるりと背を向ける。

 すうっと、彼は空に浮かぶ。ユカは彼が空を飛ぶ姿は見た事がなかったので、目を見張る。

 ユカは、何かを言わなくてはと思ったのに、舌がしびれたように動かなかった。

「あ、今回の舞台、よかったよ」

 振り返らないまま、小泉リョウの霊は、壁に吸い込まれていき――消えた。

 あんまりにもあっけない、幕引きだった。


 なんの準備も出来ていなかった。なんの質問も出来なかった。ユカは、小泉リョウが成仏したというのに、納得がいかなかった。

 おいてけぼりにされた気分、突き放された気持ちだ。もう一度、彼を失った思いだ。最初から、生前の小泉リョウなんて知らないくせに。

 そう、ユカはまだ、なにも知らない。だからまだ、悲しむ事も出来ない。

 だからこれは、遺されたものに必要なプロセス。

 打ち上げムードにわく部員たちをかき分けて、ユカはある人物を探した。

 彼はユカについてくるよう言われ、いい顔をしなかったが、小泉リョウの名前を出すと顔色を変えた。

「お前」

 また藤堂を怒らせると分かっていて、ユカは問いたださずにいられなかった。

 ユカの、一歩も引かない目付きに藤堂も折れた。部員のいない、ロビーにやってくる。

「“あんな事”って、小泉さんに何があったんですか?」

 藤堂は、とても不機嫌な顔だった。怖くもあったが、ユカは負けなかった。

 ずいぶんと長い間、二人は黙りこんでいた気がする。だが実際は数分でしかなかったかもしれない。もう少しでユカはしょげそうになった頃、

「……事故だよ」

 藤堂がぽつりとつぶやいた。

「車の。小泉さんは、甲本さんをかばって事故に遭った。甲本さんは無事だったが、小泉さんは――」

 藤堂の話は、ユカの予想とは違った。ハムレット先輩になる前の小泉リョウは、甲本と対立していたのではないのか。その事が原因で死んだ訳でもないようだ。

「以来、甲本さんもその恋人も、ひどく、ひどく落ち込んで……サークルを……演劇をやめてしまった」

 ユカが見ると、藤堂の顔はとても疲れている。長いセリフばかりの劇の主役を終えたばかりだから、というだけではなさそうだ。さっきまでの覇気もない。

「本当は、小泉さんにも憧れていたんだ」

 小泉リョウがサークルに所属していた時に思いをはせると、藤堂は常に痛みを感じる。

 ふたつ違いの後輩だったから、あの二人のすべてを知っていたとは言えない。ただ藤堂も、甲本も、小泉も――みんな演劇バカだったから、真剣で、熱心な舞台上の姿が輝いて見えた。

 みんなただ、お芝居が好きで、よりよいものを目指した結果が親友や憧れの先輩との対立となった。



 もうすべて思い出した小泉リョウは、過去のあやまちを認める事が出来た。

 ヒロ

 一度仲たがいすると、なかなか元には戻れなかった。

 同じサークルの女子は、取り合ったなんてほどじゃなかった。

 お前さえいなければ

 あの頃、リョウは傲慢だった。どうしようもなく愚かだった。主観でしかものを語れなかった。

 殺してやる、か。リョウ……

 傷ついた友の顔が忘れられない。

 オレたちどうしてこうなってしまったんだろうな

 リョウは自分が百周年記念講堂に居着いた理由に心当たりがあった。

 もう一度、あの頃に戻ってお芝居がしたい。

 あの、親友と親友でいられたあの頃に。



「元は親友だったんだ、甲本さんと小泉さん。だから、親友をかばって死んだ……。あの二人の間に何があったのか、おれもすべては知らない」

 藤堂は、小泉リョウの死により甲本ヒロまでも演劇を避けるようになったのが悲しかった。甲本の恋人で同じく演劇サークルだった女子も、演劇を辞めてしまった。彼らは失って初めて、リョウとの仲違いがとてもくだらないものだったと気づいた。藤堂も同じだ。

 大きすぎる人の死というものに、藤堂は傷つき、怯え、遠ざけるようになった。

 藤堂が小泉リョウの名を嫌ったのも、そのためだ。

「親友……」

 ユカはつぶやいてる自分に気づかずにいた。

 リョウの幽霊は記憶が戻ったとは言ったものの、具体的には何も教えてくれなかった。過去には見られたくない、みにくい争いがあったから、かもしれない。

 でも、最後に友達をかばったのなら、小泉リョウも、殺されて当然の人間なんかじゃなかったのだ。それが分かっただけでも、ユカにはうれしかった。

 ハムレット先輩は、やっぱりハムレット先輩だ。

「もうこれで充分だろう」

 ユカの沈黙を自分に好意的に解釈し、藤堂はそそくさとユカの前から立ち去った。

 確かに彼はユカの望みをかなえてくれた。

 ハムレット先輩は消えた。

 死因や彼の心残りなんかも、探らずに済む。もう気にしなくていい。

 ユカは、幽霊から解放されたはずなのに、どうして涙が出るんだか、分からなかった。


 夕焼けの中、演劇サークルの面々は学校の敷地内を横切っていた。これから居酒屋で打ち上げがあるのだ。ユカは塔子ととなり合って歩く。

「はーー! 魂抜けた! 五月病ー!」

 役者たちは着替えが済み、あらかたの片付けも終わった。ユカには十二時の魔法が解けたみたいに思えた。夢から覚めたような気分だ。

「解放感ありすぎて……なんつーか、拍子抜けっていうか……ぼんやりしちゃう」

 ややテンション高く声をあげていた塔子は、急に気の抜けた声になる。舞台で子持ちの母親だった女にはとても見えない。塔子もユカと同じく夢から覚めたところなのだろう。

「あたしも」

 言いながら、ユカはお芝居の事以外でも、脱力していた自分をよく分かっていた。実のところ、このまま部員たちと飲み会に行くような気分にはなれない。つきあいだから参加はするつもりだが。

「それにしても、うれしいなー。ユカも演劇に興味持ってくれて。また次も参加しない?」

「うん、やりたい。楽しかったし、みんなカッコよかったし」

 塔子の提案に、ユカは努めて笑顔を作る。

 幽霊の事はさて置き、お芝居の手伝いが出来てユカはとても充実していた。今でもシェイクスピアの魅力はあまり分かってないが、ハムレット先輩のおかげで難しく考えすぎる必要はないと分かったし、塔子たちの演技も素晴らしかった。なにより、部員たちみんなが楽しみながら活動していたのが伝わってきて、ユカにもその気持ちがうつったようだ。

 演劇に関わる限り、彼の事は忘れられないだろうが、だからといって苦い思い出にはしたくない。

 やっぱり、今を目一杯楽しもう。ユカは飲み会にも前向きに臨もうと考える。

「今度、映画の『十二夜』上映会をしようと思うから、川上さんもおいでよ」

 部長に声をかけられ、ユカは「なんですかそれ?」と返事をする。塔子がユカの無知を小バカにしつつも笑いあう。

 すっかり、演劇サークルはユカの日常の一部になっていた。

 そうやって、大仕事を終えたユカたちは、大学の門を出ようとする――。

 通りすぎた学生の一人に、なんとなく見覚えがあって一瞥したユカの心臓が止まる。

「?!」

 ユカは、とても大きな衝撃を受けた。

 突然立ち止まったユカに、塔子が振り返る。ユカは自分の気持ちがかえって静かになるのが分かる。

「ちょっとトーコさん先行っててください」

 表情を消したユカに、塔子は不審がっていたが、ひとつ頷くと他の部長と歩いて行った。彼らが校門を出て、ユカからはなれて行ったのを見届けたあと、彼女は踵を返すと早足になり彼の姿を探した。

 ついさっきすれ違ったばかりなので、彼はすぐ見つかった。

 彼の肩を掴みたくなったが、それは出来ないと知っていた。

「せ・ん・ぱ・い?」

 怒気をこめたユカの声がハムレット先輩に聞こえなかったはずがないのに、彼はさわやかな笑みを浮かべている。

「あーユカくん」

 それはもう、うさんくさいレベルのさわやかさだ。ユカをイラっとさせるほどの。

「あーじゃないよ何やってんスか、成仏したんじゃ?!」

 夕方で辺りは薄暗くなりはじめていたにも関わらず、その青年の全身はくっきりと見える。

「やー、出来なかったみたいだねー!」

 他人事のように、ハムレット先輩は軽く言った。元からさほど期待していなかったのか、成仏出来なくてもなんとかなると思っているのか。

 相変わらず、ゆるい。

 ちょっと叩きたくなるくらいに。

 ユカのじと目にいい加減対処すべきと考えたハムレット先輩は、両手を広げる。

「でもほら、演劇に傾けた情熱ゆえの記念講堂地縛霊は卒業出来たみたいだから、よかったなー。さっき学内探索してたんだ」

 お気楽な幽霊に、ユカは膝をついた。なんだこれは。力が抜ける。

 講堂で別れを告げられた時、ハムレット先輩は“ここからはなれられる気がする”と言っていたが、それがまさか現世の事でなく、百周年記念講堂の事を言っていたとは。あの時点では本人も分かっていなかったとしても、自分が消えなかった時点で、ユカになんとかアクションをとってほしかった。ユカのさびしさや、虚無感はなんだったのか。

「もーー! それならそうと早く言ってくださいよおぉ、あたしの涙を返せっ!」

 大声で不満を口にするユカに、ハムレット先輩は首をかしげる。

「ん?」

 彼は新しいおもちゃでも見つけたような顔をして、目を細める。

「泣いたの? ねえ泣いたの?」

 からかい純度百パーセントの声に、ユカの苛立ちは増す。

「泣いてませんッ! 目から汗です!」

「それジャ○アンだっけ?」

 昔、誰かが涙を“目から汗”とごまかしていた。

 本当に、どうしてこの小泉リョウの幽霊は、普通の幽霊らしくしてくれないのだろう。悲しい別れとか、感動の再会とか、そういうものとは対極の場所にいる。怒るのもバカバカしいと思いつつ、ユカはなんだか納得がいかない。

「ふう~~ん?」

 まだしゃがみこむユカの顔をのぞきこむハムレット先輩。まるで涙のあとを探すみたいに。ユカは顔が赤くなってくる。

「泣いてないっつうに!」

 あの、余裕たっぷりの笑みにユカは腹が立つ。自分に見抜けないものは何もないと思っているような眼差しだ。ユカは顔をそらすしかない。

「“噴水の女神像みたいに泣きっぱなし”?」

 顔をあげたハムレット先輩は、にやにや笑いがとまらない。ユカは今のうちに立ち上がる。

「意味がわからん!」

 今のユカにはどんなハムレット先輩の言葉にも理解を示せない。

 本当は、もうしばらくこうしていられる事をよろこんじゃいけないのに、ユカはうれしかった。それを隠すためにも、ユカは機嫌を直す訳にはいかない。

「『お気に召すまま』、知らない?」

「知りませんよっ!」

 ユカの怒号が響き、夕日は傾いていった。

 ハムレット先輩の笑顔はとても穏やかで、彼もユカとの再会を願っていたかのようだった――。

オフィーリア ハムレット様、このごろいかがお過ごしでございましょう?


ハムレット よく聞いてくれた、元気だ、元気だ、元気だ。



(第三幕 第一場)

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