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12 ただの胸さわぎというやつ

 主役不在のままでは、稽古が出来ない。呆れた声やため息が聞こえる中、ユカはオフィーリア役のつぶやきを耳にする。

「……なんか、思い出すなあ……あの二人のこと」

 ユカは、オフィーリア役が何を言おうとしているのか分からなかったが、話につきあおうとする。

「二人って?」

 オフィーリア役は、セミロングの髪を耳にかけながら、遠くを眺める。

「昔ね、うちのサークルにちょっとした派閥みたいなものがあって、ふたつの派閥でサークル内が分かれてたんだ。その派閥のリーダー的存在、小泉さんと甲本さんが仲悪かったから、みんななんとなくどっち側につくか、みたいな雰囲気になっただけだけど」

 甲本。最近どこかで聞いた名前だ。ユカは眉を寄せる。

 よくある話さ、と他人を軽んじる衣装担当の声がよみがえる。

 甲本なにがしは、小泉リョウと“女の取り合い”をした人物だ――。

「わたしは、そういう派閥とかコドモっぽくていやだったから、中立みたいにしてたけど、藤堂くんは甲本さんになついてたから……。今でも小泉さんにいい印象ないのかも」

 ユカは、ハムレット先輩が殺されたかもしれないという説にばかり気をとられていたが、甲本という人物の存在もなかなかに重要な新情報だったのだ。

 かつて、小泉リョウが演劇サークルにいた時は、ふたつの派閥があった。そのうちの甲本派に、あの藤堂も入っていて、今でも小泉の名前を嫌っている。という事はそのリーダーである甲本も、小泉を好きになれなかっただろう。しかも、彼ら二人は一人の女性を競って戦ったとも聞く。

(あ、あかん……なんかドロドロしてきた……そういうの苦手)

 整理して考えてみてもユカの頭はぐるぐるする。

 衣装担当に殺されてもおかしくない、と言わしめるほどの事を小泉リョウがしたのならば、部員の中に小泉リョウを殺した人間がいるかもしれない。

 そう推測すると、甲本本人か、甲本派の誰かがハムレット先輩を――。

 先ほどの、藤堂のまぎれもない怒気に、ユカは彼の本気を感じた。

 藤堂が、とは思わないが彼の眼差しが何より小泉という人間のしでかしたあやまちを証明しているようで、殺人説も真実らしく思えてくる。

 まさか、本当に殺人だったのか。

 ユカのぐらつく頭は、考える事を放棄した。今はまだ推測でしかない。もっと別の事を意識しよう、と。 

 結局、藤堂はしばらくすると機嫌を直したのか、体育館に戻ってきた。というより、部長の説得により連れられてきたというべきか。

 一時間遅れでなんとか稽古がはじまったが、ユカはどの作業にも集中出来なかった。




 大学生たちの夏休みが終わった。

 まだ暑い日が続き、残暑を思わせるが朝晩はだいぶ穏やかな気候になった。

 久しぶりの授業がはじまり、ユカも例にもれず教室で長い時間じっとしていなきゃならない苦痛を思い出した。

 それでも授業のない時間や、授業がすべて終わったあとには、演劇サークルの活動があった。ユカは時間の許す限り彼らの手伝いをした。

 学園祭は、来月に迫っている。ユカも手伝った大道具の半分以上が完成し、いくつかは先に百周年記念講堂に運びこまれた。その時以外にもユカは記念講堂に行く機会があったが、幽霊のハムレット先輩と話せなかった。

 ある時はユカ以外の人物がいたために、またある時はハムレット先輩が姿を見せなかったり。上演の日も近づき忙しくなったし、授業もはじまったので講堂に居残るほどの時間がユカにはなかった。

 いろいろ話したい事があるのに、そう出来ず、ユカは悶々とした日々を過ごしていた。

 ハムレット先輩に会えないまま、百周年記念講堂での稽古が開始される。本番の上演ではこの講堂を使うので、ある程度場に慣れておかなければならない。背景などのセットも設置されているし、ステージの立ち位置などの問題もある。

 稽古の間、ユカは時々ハムレット先輩の姿を探した。

「オフィーリア、あなたにはハムレットの妻になってほしかった……」

 役者たちがセリフをそらんじるかたわら、ユカは、今は彼女にも見えない幽霊の事を考える。

「レアティーズ、何が君をそうさせるんだ? 私は君を嫌ってなどいない」

 藤堂の演技は、主役をはるだけの事はある。特に、彼自身よく怒っているせいか、ハムレットが怒りに身を任せるシーンなど見ものである。

 ユカには、今のシーンがハムレット先輩の過去と重なりそうだ。

 ハムレット先輩こと小泉は、甲本と対立していた。お互いどれだけ嫌いあっていたのかは分からない。だが、ハムレットとレアティーズのように、さまざまな原因が彼らの友情をさまたげたのだとしたら、やりきれない。

 戯曲の中でハムレット王子もレアティーズ個人の事は憎んでなどいなかった。ただ、相手が因縁の敵の側に立ってしまったから、レアティーズと剣で戦わなければならなかった。

 ユカは、ステージから目をそらす。

 もしかして、ハムレット先輩もユカと同じような想像をしたのだろうか。今、この講堂で芝居の練習をする者たちの中に自分を殺した犯人がいる、と。それで警戒して出てこないのかもしれない。

(犯人……かあ)

 刑事ドラマやなんかではよく聞く言葉だが、自分の日常に持ち込むにはやけに物騒な単語だ。

 ユカはずっと、自分の勘違いだといいと思いながらため息をついていた。




 ついに、M大学学園祭が翌日に迫った。本番前夜とあって、久方ぶりに部員全員が部室に集まった。当然、ユカもだ。塔子につきあって、最後の衣装合わせにも参加した。

 実はユカ、役者たちの衣装を未だに見れていなかった。

「どうよッ、ガートルード様よ!」

 長い裳裾を引き寄せて歩く塔子は、満足げだ。ガートルードは深緑のドレスで、ティアラやネックレスも身につけてゴージャスだ。

 今回の衣装は英国ルネサンス風、シェイクスピアの生きた時代に合わせたのだ。資金の限られる学生素人劇団で、本格的な衣装作りは無理でも、シェイクスピアが生きた時代の衣装を目指したそうだ。

「わ~~っ、すごいトーコ、かっこいい~!」

「痺れるし憧れるだろ?」

 他の役者の衣装も、ユカは眺める事が出来た。ルネサンス時代はやけにぴったりしたパンツが男性たちの履き物だった。クローディアスは王者の風格を感じさせるマントも着ている。オフィーリアの淡い黄色のドレスは、彼女の儚さを思わせる。

 正直なところ、ユカは衣装担当の男子にはいい思い出がないのだが、普通の大学生がこれらの衣装を生み出したのだと思うと感服する。もの作りをする人の頭や技術はいったいどうなっているのか覗きたいぐらいだ。

「トーコちゃん、明日は髪アップにするんだっけ?」

「そうそう~。出来るだけ大人の女感出さなきゃだし~」

 わいわいと話す若者たち。彼らが明日、舞台に立って四百年の時を渡った戯曲を再現するのだ。

 思うと、ユカはドキドキしてくる。

「もう明日本番か~なんかキンチョーするよ~」

 そわそわと落ち着きなく頭をかくユカに、塔子はにやにやする。 

「なんで裏方のあんたが緊張するのよ」

「えー、だってさあ」

 確かにユカは役者としてステージの上には立たない。だが、この三ヶ月もの間、毎日とはいえなくとも定期的に手伝いに来たのだ。ハムレットという戯曲の筋書きだって把握したし、部員ともそれなりに交流出来た。

 生意気かもしれないが、ユカだって今では自分を演劇サークルの一員だと思っているのだ。

 目をかけたものには、がんばってほしいし、その努力を認めてほしい。ユカは、明日の公演が成功をおさめるのか心配なのだ。

 同時に、仲間だからこそ、期待もしている。夏休みから稽古をしてきた部員たちの、アマチュアなりに立派な演技を知っているから、きっとうまくいくと信じている。

 でも、蓋を開けるまでは分からない。期待と不安の入り交じった状態なのだ。

 役者たちが衣装を脱いだり雑談をしている間に、当然主役の男も衣装合わせをしていた。

 まともに顔を合わせるのが久しぶりな、藤堂カツヤがいるのにユカはなかなか気づけなかった。

 何かの拍子に室内を移動していたら、ユカは藤堂と目が合ってしまう。父の喪に服すハムレットの黒装束とあいまった、威圧感のある目で睨まれる。

(うおっ、まだ敵視?!)

 小泉の名前禁止令を出されてからだいぶ時間がたったのに、まだ藤堂はユカへの怒りを忘れていないようだ。

 視線はすぐにそらされるが、ユカはさっきとは違うドキドキで心臓をおさえる。

 藤堂に話を聞けば、ハムレット先輩の死因が分かるかもしれないが、そんな空気ではない。

 ハムレット先輩は、いったいどうしているのだろうか。

 時刻は夕方六時になっていたが、部員たちは、まだまだ帰宅する気はなさそうだ。役者たちには最後の打ち合わせがあると聞くし、ユカは特に仕事がない。

 それで彼女は、一人部室を抜け出した。


 百周年記念講堂には、人がいない。もう秋なので外は薄暗く、室内には電気が必要だ。

 思っていたよりも講堂が暗いので、ユカはロビーから中に入るか迷った。

 覗きこんだ、その先に、暗い場所にいるのにはっきりと見える人がいた。幽霊だから、暗闇にも溶けない。

 本来怖がるべき事なのだろうが、ユカは自然と微笑んでいた――。

愚にもつかぬことさ、ただの胸さわぎというやつ、女ならば気にもしようが。


(第五幕 第二場 ハムレット)

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