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11 私がなにをしたというのです

 次のサークルの集まりの日、ユカは集合時間よりも早く学校に行った。サークル活動をする前にじっくりハムレット先輩と話がしたかったのだ。

 ハムレット先輩のところに行き、部員たちに聞いた話を説明するうちに、ユカは声が大きくなっていった。

「とか言われてますよハム先輩!」

 自分の悪口を言われたままでいいのか、とユカは半ば怒りにも似た気持ちを抱いていたが、とまどいも強かった。

「てゆうかいつまでハム先輩なのかなー。一応小泉リョウが本名っぽいって分かったのに」

 百周年記念講堂の幽霊は、ユカにやや気圧されたようにぼやく。

 ユカが、殺されてもおかしくなかった、と告げてもハムレット先輩はいつものお気楽そうな表情を消さない。

「そうかー。オレ、嫌なヤツだったんだー?」

 それどころか、「おぼえてなーい」と語尾をのばしてのほほんと話す。顔つきにもまるっきり緊張感がない。

「そんな反応?!」

 よっぽどユカの方が狼狽して、事態を真剣に考えている。おかしいではないか、とツッコミを入れてもハムレット先輩は困った顔もしない。

「そうなると……誰かに殺されたから、心残りがあってここにいるのかもねー」

 まるで他人事のように言う。実際この幽霊にしてみれば、過去の自分の事は記憶にないのだから、他人の話をされている気分なのだ。

「こ! 殺されたって……! 殺人事件じゃないですか」

 これまでユカは無意識のうちにハムレット先輩は事故で亡くなったと思っていたのだ。それが、誰かの悪意の結果だったなんて、考えたくもない。

「オペラ座の怪人ですよ! 血塗られたステージで、ライトが落下ですよ!」

 ハムレット先輩が記念講堂の地縛霊なら彼はここで死んだのかもしれない。劇場での殺人事件、というとユカには『オペラ座の怪人』しか思いつかなかった。しかも、昔推理ものの漫画で読んだオペラ座の怪人を模した別の事件の方だ。

「うん、意味分かんないね」

「だって!」

 混乱のあまりユカが意味の通らない事を口走っても、ハムレット先輩は冷静だ。

 どうして、彼はこんなにも冷静でいられるんだろう。ユカには分からない。

「ハム先輩が殺された……って」

 怒り、じゃない。

 ユカはそれ以上に、悲しいのだ。

 ぎゅっと拳を握ったのは、あふれそうになる後ろ向きな気持ちを抑えこむため。

「心配してくれるの? ありがとう」

 思いつめた様子のユカに、小泉リョウだった男は微笑みかける。

 写真で見た顔よりも、慈愛に満ちて見える笑顔。

 どうして、そんな風に笑えるんだろうか。

「でももう死んでるから大丈夫」

 そうじゃない。ユカは、自分が殺されるほど恨まれていたらショックを受けるし、悲しくなるだろう。しかもハムレット先輩は実際に死んでいる。恨みを持った人に殺されたのだったら、嫌な気分になるだろうに。

「しかし恋愛でもめ事かー。演劇一筋じゃなかったのか、オレって」

 ほわほわ、ふわふわしてて、優しそうな笑顔の幽霊、ハムレット先輩。

 演技の上手い自己中で、人に恨まれる事をした大学生、小泉リョウ。

 どちらが本当の彼なのか。ユカにはよく分からない。記憶がなくなるだけで性格が完全に変わるとは思えないので、ハムレット先輩の本質が今の性格なのだと信じたい。

 相変わらずのんびり顔のハムレット先輩を見ても、ユカはあんまり安心出来なかった。

「先輩を知れば知るほど、ナゾが深まるばかりです……」

 墓でも掘り返すような悪い事をしている気分だ。ユカは、このままハムレット先輩の――小泉リョウの、過去を暴いてもいいのだろうか。

 あの衣装担当が言うように、小泉リョウとはとんでもなく嫌なヤツで、殺されても当然な人間だったとしたら。ユカは今後も幽霊の成仏を手伝えるだろうか。

 うつむいていたユカは、ハムレット先輩の表情の変化に気づけない。

 常の何かを面白がる余裕のある雰囲気は消え、ハムレット先輩は真顔になる。まるで突然我に返り、呆然としているようにも見える。

「オレもだよ……」

 そのつぶやきは、静かに記念講堂の空気に消えた。


 二人がしんみりしたままだったので、ユカは部室に行かなくては、とハムレット先輩と別れた。

 今が夏なのを、ユカは思い出していた。自分の感情を整理するので精一杯で、汗をかく事も忘れていたような気がする。

 部室に着くと人気はなく、早く来すぎたかと思えば、塔子からのメールでこの日は第一体育館集合になった、との連絡があったのを知る。メール着信時刻はユカが講堂にいた頃だ。消音にしていたとはいえ、メールが来ていたのにも気づかなかった。

 今は誰もいない部室にすらさびしさを感じる。ユカはさっさと生身の人に会おうと、第一体育館を目指した。


 第一体育館は百周年記念講堂とはかなりはなれた場所にある。体育館に入る前からその大声はユカにも聞こえていたが、まさか演劇部員のものだとは思わなかった。

 てっきり他の運動系のサークルが何か言っているのかと思ったが、騒がしいのはよく見知った者たちがいる場所だ。

 焦げ茶色の後ろ頭を見つけて、ユカは塔子にかけよる。

「何? モメてんの?」

 珍しく疲れた様子の塔子は、苦笑する。

「おはよ、ユカ。あんたの念願の藤堂さんが来てるんだけど……見ての通り」

 どうやら騒ぎの中心は藤堂のようだ。男子が数人、体育館のステージの下でなにやら言い合っている。塔子たちははなれた場所で成り行きを見守っている。

 念願の、と言われてユカは思い出す。ハムレット先輩が、今のハムレット役に会いたいと言っていた事を。なかなか会えないのでレアキャラ認定をして、ユカも一目お会いしたかったのだという事も。

(……ちょっと忘れてた)

 夏休み中、サークルの集まりはほとんど毎日あるとはいえ、強制じゃない。役者や急ぎの用事のある者は出来るだけ多くの日数来た方がいい、という空気はあるが、ユカは皆勤賞をとれるほどじゃなかった。そして噂の藤堂もたびたび休む人だった。ユカはもう一月近く演劇サークルの活動に参加しているが、会えていない部員もいたのだ。そのうちの一人が、藤堂だ。

 ユカは改めて藤堂が誰かを塔子に教えてもらい、遠巻きに眺める。

 部長と、ポローニアス役と、ホレイショー役の四年生と話している人物。

「あの、めっちゃ怒ってるのが藤堂さん。藤堂カツヤ」

 藤堂は、塔子より少し暗い色の茶色の髪をしている。ハネすぎない無造作ヘアー、おしゃれに着崩したカッターシャツ、長い足。身綺麗でモテそうな男子だが、苛立っているせいか、せっかくの顔のよさも陰って見える。

「あれが藤堂さん……」

 今度やるお芝居の主役。

 途中からやってきたユカには何の件で言い合いになったのか分からないが、部長たちは藤堂と違い困っているようだ。

 この第一体育館には芝居の稽古をしにきたはずだろうに、四人の男たちはなんだかんだと話すばかり。

 自分に出来る事はないだろうが、どうしたものかとユカが周りを見渡すと、戸惑う人物はいない。大道具の村田は携帯電話をいじって時間をつぶしているし、オフィーリア役は何かの本を読んでいる。塔子は藤堂たちを気にしているようだが、呆れた眼差しになっている。

 まるで、藤堂の苛立ちはいつもの事だといわんばかりの風景。ユカはもう、どういうリアクションをとればいいのか分からない。

「ったく、小泉先輩じゃねえんだからよ……」

 藤堂たちの方から、聞いた事のある名前が聞こえて、ユカは彼らを見る。小泉の名前を出したのは、ポローニアス役の男子だ。

「――何だと?」

 低い声が、明らかに怒りを持っていた。ポローニアス役を睨みつけたのは、藤堂だ。

 藤堂以外の者たちが、やってしまった、と後悔する顔になる。藤堂の鋭い眼光がやまないので、ポローニアス役は両手をあげて降参する。

「……悪い、一年の子に聞かれて思い出したんだよ」

 藤堂の顔つきがより険しくなり、ポローニアス役はすぐに視線をさまよわせる。

「誰だ、その一年は」

 彼らの会話はユカにも聞こえていたが、この時にもなってまだ、ユカ自身の話をされてると気づけなかった。

 ポローニアス役が返答をためらってるうちに、ホレイショー役が平然とユカを指さす。

「あの子」

 瞬間、ものすごい形相の藤堂がユカを射抜いた。

(ひい!)

 ホレイショーはハムレットの親友で、最後までハムレット王子の味方だった。だからといって何も現実にも役を反映させる事はない。

 ユカを睨んだまま、藤堂はユカの前にずんずんと進む。

 女子として平均的な身長のユカは、自分より背の高い男子に見下され、顔をひきつらせるしかない。藤堂が、薄い唇を開く。

「二度と、その名前を口にするな」

 完全にユカがビビっているのが伝わったのか、藤堂は言うだけ言うと第一体育館を出て行った。

私がなにをしたというのです、

おまえにそのような口のきき方をされるとは?


(第三幕 第四場 ガートルード)

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