10 ふむ、こいつも生きていたときは
演劇サークルの部室に戻ると、塔子だけじゃなく村田にも遅かったじゃないかと怪しまれた。ユカは電話が長引いてしまったと引き続き言い訳を繰り返した。
この時間、部員たちはチケット作りをする者が多かった。
学園祭での上演で入場料はとらない。チケットを無料で配布し、そのチケットを持つ者だけが入場出来るようにしてある。今は大きな紙に印刷したチケットを、一枚一枚切り分ける作業をしているのだ。
ユカもそれを手伝う事になったが、単純な作業のためについつい口が動いてしまう。ただでさえ友達の塔子がいるのだから、おしゃべりをするなというのが無理な話。そしてユカはハムレット先輩の言っていた事を会話にまぎれこませる。さすがに名簿を見せろ、というのは不審がられると思いアルバムについて訊ねた。
ずいぶんと演劇サークルになじんでいる塔子だが、それでも彼女はまだ一年生。春に入学してきたばかりなので、すぐに部長にお伺いをたてた。
「アルバム……っていうか写真ならあるよ。何かにまとめてないけど」
「おお~~さすがブチョー!」
今日も部長は頼りになる。早速部室内の荷物を置いてある場所へと行くと、部長は段ボールをあさりだした。いくらもしないうちに部長は現像した写真の束を持って来る。
どうも撮った写真をとにかくひとまとめにして置いておいただけらしい。ユカは渡された写真を輪ゴムから解放し、中を見分する。
飲み会や、稽古中の場面が中心となった、なんでもない学生たちの写真ばかりだ。年代もバラバラで、知った顔もあれば、知らない顔もある。ふざけた顔の者や、撮らないでほしいのか顔を隠す者、カメラにまったく気づいていない者など。お芝居に使う大道具や衣装を撮ったものもある。
途中までユカは、任務を忘れて大学生たちの楽しそうな風景を満喫していた。
「――あ」
最近よく見る顔が、写真の中にごく自然にあらわれるまでは。
カメラに手を伸ばす髪の短い男子の後ろに、邪気もなく笑う青年がいる。明るい茶髪に、薄い水色のトレーナー。服こそ今のものとは違うが、そこにいるのは確かに、ユカがハムレット先輩と呼ぶ男の姿だ。
(いた。フツーにいた。アッサリいた)
百周年記念講堂から出られないというハムレット先輩。ユカはあの場からはなれると彼が本当に存在するのか時々疑わしくなっていた。
もう少し他の写真でも過去をめぐると、何度もハムレット先輩が見つかる。写真の中で、男子や女子、誰かと接し、当たり前の日常を過ごす彼が。
ユカは、なんだか奇妙な気分だ。まるで見てはいけないものを見てしまったような――。
写真の中には舞台上のハムレット先輩もいた。衣装は昔風のものだが、ユカにはなんの芝居の最中か分からなかった。
もう一度、最初に見つけたハムレット先輩の写真に戻る。
「こ、この人カッコいいっすね。昔の部員ですか?」
ちょっとミーハーな女子を装って、ユカは部長に聞いてみる。顔をあげた部長にユカが写真を見せると、彼は一瞬視線を泳がせる。
「――……ああ……」
部長の反応が鈍いのは、ユカにも察する事が出来る。やはり、塔子が禁句という事だけはある。ちょっと悪い事をしている気分になりながらも、ユカはミーハー女子を続ける。
「うーん超タイプだなーー。なんて先輩ですか? 演技うまい?」
演技の出来ないユカは棒読みになってしまったが、部長は彼女の様子には無頓着だ。いつもと違って表情が硬い。部長はしばしためらっていたようだが、口を開く。
「……小泉リョウ、先輩だ。僕が一年の時に一緒だった」
ちゃんと、生きてた頃のハムレット先輩を知る人がいる!
ユカの心臓は急に素早く動き出す。
ハムレット先輩の名前は、“小泉”で間違いないらしく、下の名前は“リョウ”だという。フルネームの発覚に、記念講堂の幽霊は実在したという実感がユカにわいてくる。
本当に、ハムレット先輩――もとい、小泉リョウという人間は、ユカと同じM大学に通っていた学生なのだ。
けれど気持ちは落ち着かない。
「伝説のハムレット役がいたって聞いたんですけど、もしかしてこの人だったり?」
その時、部長のユカを見る目は厳しい。さびしげ、ともいえそうで、何かをこらえて見える。
「……まあ、そういう事になるかな」
ドキドキしながら、ユカが更に追求しようか迷っていると、部長はユカに背を向ける。
「そろそろ作業に戻ろうか。やる事はまだたくさんあるんだし」
それ以上話したくない、とでもいうように部長は会話を断ち切った。
塔子よりも、部長はハムレット先輩の事を知っているのだ。だからこそ、話を終わりにした。
とはいえこれで、ハムレット先輩のフルネームがはっきりしたし、顔と名前が一致した。
ユカは、着実に生前のハムレット先輩に近づけているのだ。
ちょうどよい事に、その日は演劇サークルで夕飯を食べようという事になった。自炊が面倒だからというレアティーズ役の提案だったが、仲間内で飲食を共にするのは珍しい話でもない。
行く先はお金のない学生たちにも優しいファミレスだ。
ユカはチャンスだと思った。小泉リョウについて、他の部員にも話を聞いてみるのだ。
現在三年生の部長がハムレット先輩を知っているのなら、狙い目は三年以上だろう。
ユカは早速、ファミレスで斜め前に座っているポローニアス役に問いかける事を決めた。彼のとなりにいたレアティーズ役は別の席に行っていたし、ユカのとなりの塔子はトイレに行っていて、周りに人がいない分禁句の話題もしやすかった。
「小泉……リョウ先輩か。覚えてる覚えてる」
何回か話すうちに分かったが、この上背のあるポローニアス役はいかつい見た目に反して、話しやすい人だ。
彼は、ユカに一言断りを入れるとタバコを吸いはじめる。ふうと煙を口から吐くと、壁の方を、どこか遠くを眺める。
「すっげえ演技上手くて、声もよく通って、とにかく舞台で人目を引く人で。卒業後は小さいけどプロの劇団に所属する事が決まってたって聞いたな。貴族っぽい役とかかなり板についてたんだよな……ハムレットとか、オーベロンとか。マキューシオも評判がよかったらしい」
プロの劇団、という事は舞台俳優として生計をたてていくつもりだったのか。まるっきり未知の世界にユカは内心でひどく驚く。
それにしても、ハムレットはともかく、そのあとの名前に関してはユカの知らない戯曲の役名だろうか。
タバコを口に持っていくと、ポローニアス役はにごった空気を肺に吸い込む。
「あんな事がなきゃ、今頃……」
ほとんどつぶやくような声だ。ユカは彼に何か言おうとした。
「いや、なんでもねえ」
折り悪く塔子が戻ってきて、この話題を続けにくくなる。
また、かつての部員の話ではない、他愛のない話が再開された。ユカは塔子に声をかけられても簡単な相づちくらいしか打てなかった。
(“あんな事”ってなんだ?!)
部長や、ポローニアス役の歯切れの悪さがどうも気になるのだ。ハムレット先輩が既に死んでしまった事を思えば、“あんな事”は前途有望な若者の死を指すものだろう。だが、それだけではないような気がユカはするのだ。
帰り道、夜の十時になっていたが部員たちは駅までだらだら歩いた。ユカは一人で歩いている四年生男子を見つけた。
彼は衣装作り担当で、役者ではない。彼とはあまり話した事はないが、役者じゃない者のハムレット先輩の話も聞いてみたかった。もちろん彼が一人なのも声をかけやすい理由のひとつだったが。
「小泉先輩って知ってます?」
衣装担当の彼は最初、怪訝な顔をしたが、次に勝ち誇ったような顔になる。
「ふっ、仕方がないな、缶ジュース一本で手を打とう」
ユカはしばらく理解出来なかった。
(はいいぃーーー?)
まるでワイロがないと語れない事でも訊ねられたかのような対応だ。
意味が分からん、と思いつつもユカは近くにあった自動販売機で缶ジュースを買う。
衣装担当は単に喉がかわいていたのか、ユカのあげた缶ジュースを半分近く飲み、やっと話しはじめる。
「正直、オレは好きじゃなかった。芝居の事となると独善的で自分中心に考える人だった」
はっきりとした物言いだ。ユカはこれまでにこんなに否定的な意見は聞いてこなかったので、目をぱちくりさせる。新たなる小泉リョウの発覚だ。
「ま、実力はあったけどね。でも自分が主役じゃなきゃイヤだみたいなところがオレは嫌いだった。サークル内で恋愛沙汰のもめ事起こしたのも、サイアクだったな」
ぽんぽん飛び出す新事実に、ユカは目を見張りっぱなしだ。
自己中だったり、サークル仲間に嫌いと断言されたり、恋愛でもめた、などという。
「え、え。どんなですか?」
うろたえて、ユカはあまり自分をとりつくろう事が出来ない。会った事もないはずの相手にこんなにも興味を示す人間も珍しい、そう不思議がられてもおかしくないのに、この衣装担当は何も気づいていなかった。
「まあ、よくある話さ。女の取り合い。サークル内で人気を二分する甲本さんとね。ベタすぎるだろ?」
新事実に加え、新しい人物の登場。ユカのとまどいは増すばかり。その上、衣装担当の次の言葉がとどめとなる。
「一時期なんか、殺されても文句言えない感じだったけどね」
ははは、と彼は軽く笑った。まるで面白いジョークを聞いたかのように。
ユカの頭は、完全に混乱した。
ふむ、こいつも生きていたときは、土地の買い占めなどやったかもしれぬぞ、
(第五幕 第一場 ハムレット)




