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フェミニストな彼とお友達な私

作者: 保村くるみ

 眉目秀麗、才色兼備。そんな四字熟語の称号を違和感なく冠する男、倉田光輝は私の長年の友人だ。同性同士なら、親しいながらも自らと比較して劣等感を持ったり、理不尽な嫉妬をして離れることがあったかもしれないが、幸か不幸か彼は男で私は女だった。同じ土俵に立つ必要がない分、気楽に付き合えたし、必要以上につかず離れずの距離を保つことができ、長い友人関係を築いている。


 問題があるとすれば彼と私の間にではなく、その周りの人々だった。中学、高校と年数を重ねるにつれ、思春期を迎えた少女達は、光輝を恋愛対象と見るようになったのだ。明るいウェーブのかかった栗色の髪に柔らかな印象の目元、スッと通った鼻筋。唇には親しみを感じさせる穏やかな笑みを湛えて、まろやかな声で話をする彼に魅了される人間は後を絶たない。それに加えて進学校の成績上位者となれば、モテないわけがないのだ。


 必然的に、彼と長い付き合いである私に嫉妬する女生徒も現れる。光輝の恋人に立候補するのは一向に構わないが、自分の思い通りにならないからといって鬱憤を私に向けるのはやめてほしい。

「紹介して」と私に縁結びを要求する女子も同様だ。アプローチするなら私の係わらないところでやってくれないだろうか。友人の恋愛ごとなど、保護者でもない私には関係がないのだから。

 そんなささやかな願いは、残念ながらなかなか叶うことがない。



「ゆかり、このクラスに何か用があるのか?」

 隣の教室を後ろのドアから覗いて見回していると、件の友人に話しかけられた。ぐるりと周りを女の子の壁に囲まれていながら、その隙間から私を見つけるあたり、目がいいというのか鼻が利くというのか。そんな小さなことまで何かと恵まれた男である。


「梓はいるかな。貸している英和辞典を返してもらいにきたんだけど。次の時間、私も英語で必要なんだよね」

 3時限目までに返してねと念押しをしていたのだけれど忘れられてしまったのか、持ってくる様子がなく、こうして回収にきたわけだ。

「ああ、彼女、放送委員の関係で先生に呼び出されていたようだよ。良ければ俺のを貸そうか?」

 誰にも公平に親切な男は、私が返事をする前に辞書を机から出すと、すたすたとこちらに歩いて来る。


 その背後から突き刺さってくるのは、取り巻きの女生徒達の痛いほどに鋭い眼差しだ。背中を向けている光輝には見えないのをいいことに、隠すことなく嫉妬の感情をぶつけてくる。

「光輝、後ろ、後ろー」と突っ込んだら、彼女達の歪んだ表情をこの男は見ることができるだろうか、などとチラリと考えてみる。いや、無駄だろうな。彼女達が顔を取り繕う方が早いだろうし、見たとしてもこの男がその意味を理解するとは思えない。フェミニストな友人は、女性に対してとにかく認識が甘いのだ。男の兄弟しかいないからか、女の本質に触れたことがないというのも理由の一つかもしれない。いや、でも弟の方はその手の判断力には長けているから、おそらくは個人の性格に寄るものなのだろう。


 はいどうぞ、と光輝から赤いカバーの辞書を差し出される。人に物を貸して、それが戻ってこないから他の人から借りて……など、借り物の連鎖はあまりしたくないけれど、好意を無下にするのも悪いし、何よりももう時間がない。

「ありがとう、遠慮なく借りてくね」と受け取ったところで、授業開始のチャイムが鳴った。



 ぐるりと回りを囲む様子に、デジャブを覚えた。つい数時間前にこんな光景があったような気がする。もっとも、その中心にいたのは私ではなく、光輝だったけれど。

「アンタ一体なんなの?光輝くんに慣れ慣れしすぎじゃない?」

「違うクラスなのに、わざわざ休み時間に会いに来たりしてさ」

「下心が見え見えなのよね」

 口々に文句を言うのは、辞書を借りた時に光輝を囲んでいた女子一同だ。人気のない体育館裏に呼び出しとか、余りの定番ぶりに可笑しくなってくる。


「何を笑ってるのよ!」

 つい口角を上げてしまったのが癇に障ったのか、肩をドンと乱暴に押された。

「暴力はやめてくれないかな、植野さん。そんなに強い力で叩かれたら、痛いんだけど」

 勝手にヒートアップしている相手の名前を呼んで行動を窘めるが、彼女の表情を見るに、余り効果はないようだ。

「あなたみたいに図々しい人間は、少しは痛い目に遭わないと分からないんじゃないの?」

「とりあえず言葉できちんと説明をしてもらえれば、理解はできるよ。図々しいってどういう意味かな?」

 植野さんから言われた単語をそのまま返して聞いてみると、白々しいという一言と共に矢継ぎ早に言葉を浴びせられる。


「光輝くんが優しいのをいいことに、付き纏わないでってことよ。鬱陶しいったらないわ。アンタみたいなのが彼に相応しいとでも思ってるの?今日だって辞書がないなんて理由づけをして彼に会いに来て、そういうところが図々しくて厚顔無恥だって言うのよ!少しは自覚したらどう?」

「付き纏っている気はないし、相応しいかどうかと言われても、それをあなたに判断される謂れはないかな。辞書のことだって、元々は梓に貸していたものを返してもらいに行っただけだしね」

「そんなの、アンタが友達と口裏合わせでもして、光輝くんと話すきっかけにしたんじゃないの?」

「ホント、そういうところが狡猾なのよね」

 言いたい放題とはこのことだろう。憶測で物を言って、それを事実の如く捉えて大勢で責め立てる。こういう時の女子の結束力は大したものだ。どうせなら、もっと建設的な方向にこのパワーを使って欲しいものだけれど。


「物事を想像で決めつけない方がいいよ。第一、私から光輝に話しかけたわけじゃない」

「彼は優しいから、あなたが困ったような顔をしていれば声をかけるのなんて分かりきっているじゃない!」

「小さい頃からの顔見知りで多少気にかけて貰えるからって、しっかりそれを利用するあたり、ずる賢いったらありゃしない」


 どうやら私が「狡猾でずる賢い」ことは、彼女達の中で確定しているようだ。否定してみたところで、悪口雑言つきの反論が返ってくるだけだろう。


「それで、あなた達は結局、何を言いたくて私をここに呼び出したわけ?」

 悪口オンパレードの堂々巡りになりそうな会話に閉口して、さっさと本題に切り込む。

「だから金輪際、光輝くんに近づかないでって言ってるの」

「あなたみたいなのに彼の周りをうろつかれると、目障りなのよ」

「もう光輝くんと私用で話さないって、この場で誓いなさい」

 思わずハーーッと大きな溜め息が出る。呼び出した場所から、その理由までが想像通りで、捻り一つない。こんなやり方で、私がうんと頷くと思っているんだろうか。―――思っているんだろうな。だからこそ、こうして呼び出しているわけだし。


「お断りよ」

 きっぱりと言い放つと、その瞬間、周りの女生徒の気配が更に不穏なものとなった。でも、こればかりはうやむやにするわけにはいかない。私は昔からの親しい友人と、距離を取るつもりなどないのだから。

「さっきも言った通り、あなた達に指図をされて、はいそうですかと従う義務は私にはないよ。あなた達が光輝が好きで傍にいたいのなら、私を排除するような余計なことをしないで、光輝自身に直接向き合えばいい」

「簡単に言わないでよ!光輝くんにちょっとばかり目をかけられているからって、いい気にならないでっ」


 いい気になっているつもりはない。けれど正直なところ、彼女達の気持ちも分からないでもないのだ。光輝は人当たりが良く親切ではあるけれど、それは誰にでも平等に向けられている。話しかければ柔らかな笑顔で返事を返されるが、用事もないのに自ら女生徒に話しかけることはほとんどない。数少ない例外を除いては、だが。

 私は光輝と小学校の低学年からの付き合いで、家族同士でも親しくしているためか、その例外の内の一人となっている。光輝自身は私を特別に扱っている意識はないのだろうけれど、彼をターゲットとしている女子達からすれば、他よりも親しくしているように見えるのだろう。


「なんとか言いなさいよ、このブス!」

「私をけなしたところで意味はないよ。あなた達の言う『優しい』光輝くんは、こんな風に大勢で一人を囲む苛めまがいのことをして喜ぶと思う?」

「そんなの、バレなければいいのよっ」

「ふうん……」

 軽率と言うか、何と言うか。私が告げ口をするという可能性は、考えないのだろうか。


「分かってるとは思うけど、光輝くんに余計なことを言ったら許さないからね」

 私の態度に不安を覚えたのか、一人が保身のために念押しをしてくる。

「それは脅し?」

「警告よ。これからの高校生活、平穏に過ごしたいでしょう?」

「では私からも警告させてもらうよ。人に知られて困るようなことは、やめた方がいい。それが自分の身を守るための最善策だよ、植野さん、松澤さん、久谷さん、本庄さん、設楽さん」

 私を囲んでいる5人の名前をそれぞれの顔を見ながら言うと、隣のクラスの私が彼女達の名を知っているとは思っていなかったらしく、ぎょっとした顔をされる。

 こちらが全く情報を持っていないとでも考えているのか。思考も行動も中途半端で甘いよと内心呆れつつ、踵を返した。


「ちょっと待ちなさいよ。まだ話は終わってないわ」

「私は断ると言ったはずだよ。これ以上の茶番に付き合うつもりはないから。あなた達も人を取り囲んで貶めている暇があったら、ゴテゴテと自分の外見ばかりを飾るのではなく、内面の方を磨いてみたらどう?少しは光輝に振り向いて貰える可能性が出てくるんじゃない?」

「……っ、このっ!」


 バシン、と大きな音が辺りに響く。大きく振り下ろされた手を、持っていた手提げ袋で防いだ。梓に返してもらった英和辞書を入れておいたのは正解だったようだ。

「暴力はやめてと言ったはずだけどね、久谷さん。殴るなんて、女の子のすることじゃないよ」

「煩い!あんたなんか、光輝くんの前に顔が出せないぐらい、ズタボロになっちゃえばいいのよっ」

「そうね。ついでに服を剥いて、ここに放置してあげましょうか。そうすればさすがのあなたも恥ずかしくて、明日からは学校に来れなくなるんじゃない?」

「光輝くんに会うどころではなくなるわね」

 クスクスと笑う彼女らを横目に、あーあと呟き、肩を落とす。できる限り穏便に済まそうと思っていたけれど、どうやらそれは無理なようだ。私を拘束しようとしないあたり、口先だけの話のようだけれど、これは完全にアウト。これ以上は『彼』も黙っていられないだろう。


「それ犯罪だからね、設楽さん。どうしてそんなに無防備に、人に悪意を向けられるのかなあ」

 ため息交じりにぼやきつつ、辞書と一緒に手提げ袋に入れていたものを取り出す。

「呼び出しを受け慣れている私が、何も対策を取らないと思った?」

 彼女達に見えるように、愛用のスマホをかざした。


「今までの会話は、録音させてもらったから」

「なっ……!」

「じょ、冗談じゃないわ!それ、貸しなさいよっ」

 伸ばされた手を避けて、スマホを頭上に掲げる。価格の安いものではないのだ。乱暴に扱われて、壊されてはかなわない。

「そんなに慌てても、もう遅いんじゃないかな。話し合いで穏やかに終わらせようと思っていたのに、悉くそれを裏切ってくれるんだから、私としても残念だよ」

「遅いってどういう意味よ!」

「スマホは高機能だけど、その基本的な使い方を分かってる?」

 私の言葉に、携帯を奪おうとしていた女生徒の顔がさっと青褪める。


「まさか……通話しているなんてこと、ないわよね」

「生憎、ばっちりとスピーカーモードで通話中だよ」

 ひっという声が、誰かから上がる。今までの会話が他者に筒抜けだったのだ。それは彼女達にとって都合が悪いだろう。

「相手が誰だか、知りたい?」

 にっこりと笑って訊ねる私も、人が悪いという自覚はある。誰も返事をする様子がないので、さっさと電話の向こうの相手とコンタクトを取ることにした。

「もしもし、ゆかりだけど、少し彼女達と話してあげてくれない?」

「ああ、そうだな」

 スマホから送られてきた声に、女生徒達がビクリと身体を震わせる。相手が誰なのか分かったのだろうか、この一言で。くっと笑いたくなるのを耐える。


「もしもし、倉田だけど、今までのやりとりは一通り聞かせてもらったよ」

「こ、光輝くんっ」

 絶望じみた声が上がった。彼女達にとって光輝は、これまでの経緯を一番聞かれたくなかった相手のはずだ。

 小さく悲鳴を漏らす子もいれば、真っ青になって震えている子もいる。自業自得ではあるのだけれど、それ以上にひどく残念に思う。私は決して、こんな展開を望んでいたわけではないのだから。


「君達がやったことは、常識のある人がする行為ではないよ。大勢で一人を囲んで悪口を言ったり、暴力を振るおうとしたり。あまりにも悪質だ。今後一切こんなことはやめてくれないか」

「でも私達は、あなたがこの子に付き纏われて迷惑だろうと思って、それでっ」

「いつ俺がそんなことを言った」

 感情を落としたような冷たい声が、喚く女生徒の言葉を遮り、低く通る。いつも穏やかな彼から、こんな冷やかな声を聞いたことがないのだろう。彼女らの顔色はひどく悪い。

「親しい友人を嬲って苛めるような事をされて、俺が喜ぶとでも思うの?」

「ご、ごめんなさい!」

「謝るのは俺にではないだろう?」

 大好きな相手に促されて、この場にいる女子の視線が一斉に私に集まった。ごめんなさい、もうしません、と口々に謝られても、光輝に知られたショックと場に流されただけの謝罪では心には届かないし、彼女達も本当に反省したわけではない。

 複雑ではあるけれど、今それ以上を望むのは無理と言うものだろう。


「ゆかり、君に怪我はない?」

 私を心配して向けられた電話越しの友人の声に、大丈夫と返答する。

「そう……ゆかり、君は彼女達を許せる?」

 私を囲んでいた女生徒達の身体がビクリと震えた。決定権を委ねられた形になる私に、幾つもの請うような眼差しが送られる。……仕方がない。


「設楽さんが言ったことを本当に実行されたら、許すどころではなかったけどね。これからはこんなことをしないって約束するなら、とりあえずは不問にしてあげるよ。まあ、また何かしようものなら、こちらには切り札があるしね」

 携帯を手で持って振って見せると、正面にいる女子がごくりと唾を飲みこんだのが見えた。


「録音内容を教師に聞かせるのもいいし、『いじめ防止キャンペーン』とでも銘打って、昼休みに校内放送で流すのもいいかな。私の友人の梓は放送委員だからね、喜んで協力してくれるよ。一気に学校の有名人だ」

「や……っ、やだ!」

「ごめんなさいっ。もう絶対にしません!」

「お願いっそれだけはやめて!何度でも謝るからっ」

 今までとは比にならないほど、必死な声での謝罪を浴びる。さすがに自分達の悪事が、全校生徒に知れ渡るのは嫌らしい。そして噂は校内だけでは収まらないだろう。来年に進学や就職を控えた彼女達の未来が思わしくないことになるのは、容易に想像ができる。


「自分達がやった行動が、どれほど自分勝手で非難されるべきことなのかしっかりと認識することだね。もうこんなことはしないと約束ができる?」

「できるわっ」

「もうしないから!」

 首振り人形のようにコクコクと首を縦に振る様子を見て、ここまでにしておくかと電話相手に話しかける。


「もしもし、反省してもらえそうだし、私はこの件については動かないことにするよ。だから君も、彼女達にこれまで通りに接してあげて」

「ゆかりはそれでいいのかい?」

「うん、構わない」

「じゃあ、当事者のゆかりがいいと言うのなら、俺としても今回は不問に付すことにするよ。……でも、二度目はないと覚悟してね」


 最後は私を囲んだクラスメイトに向けて、友人が言い放つ。疲労困憊でお通夜のような様子の彼女達に幕を下ろすように、プツリと電話の切れた音がした。

 もう話す気力もないのか、よろよろと無言でこの場を去ろうとする女生徒達。その内の一人がこちらを振り返り、悲痛な表情で訴えた。

「ねえ、もう絶対にこんなことはしない!悪かったと思ってるっ。だから、お願い!録音データを消してちょうだい」


 私は何もしないと言っているのに、信用ができなくて不安なのだろう。ずいぶん都合の良い要求に少しばかり思案し、口元に手を当てる。

「うーん、例えば私がデータを消したとしても、それで終わりじゃないからなあ」

「どういう、意味?」

「この会話は私とは別に、彼も録音しているはずだってこと。もう本体だけでなく、クラウドにでも保存してるんじゃないかな」

「そんな……」

 データを消してと叫んだ女子の表情が、ぐしゃりと歪む。彼女達にとっては、自分の悪事を好きな相手に聞かれただけでなく、それを証拠として持たれているということになるのだ。彼が今まで通りに接するといったところで、普通の神経なら話しかけることさえできないだろう。


「それにもう一つ付け加えるなら、あの電話をしている時に、彼一人だけだったのかどうかは知らないから」

「え……?」

「もしかすると、部活の友人とかクラスメイトが傍にいたかもしれないね。彼と私は今回の事はとりあえず公にするつもりはないと言ったけれど、他の人については知らないから。……どこかで話が漏れないといいね?」


 捨て台詞を残して、彼女らとは逆方向に踵を返した。すすり泣く声が聞こえた気もするけれど、これ以上私が係わる必要はない。



 あまり人の通ることがない裏門の方向へと歩き、体育館の角を曲がると、軽く手を上げる男子学生の姿が目に入る。

「お疲れ様、ゆかり」

「深影こそ、いつも付き合ってくれてありがとう」

「礼を言われるほどのことではないさ。兄貴に纏わりつく性質の悪い虫も退治できたしな」


 艶のある黒髪に、切れ長の目、シャープな印象を与えるこの男は倉田深影。光輝の一学年下の弟だ。名は体を表すというけれど、光と影のように雰囲気が異なるこの兄弟は、性格も容姿も明らかに違う。けれど一つだけとても似ているものがあった。それは声だ。


 穏やかな話し方をする兄に対し、少々キツめに物を言う弟は発声の仕方が違うのか、それに気づく人はあまりいないけれど、二人の声質はとても似ているのだ。特に電話越しなどでは、多少親しい程度の間柄では聞き分けることができない。


 そう、私が電話をしていた相手は、倉田深影であって光輝ではない。他の誰かが一緒に電話を聞いていたかもしれないと、他人の存在を意識させたのもブラフだ。ああ言って脅かしておけば、彼女らは常に人の目を気にして、自らの行動を戒めることだろう。

本当はそんなありもしない仮定を話す必要はなかったのだけれど―――剥いて放置する発言は、我ながら相当腹が立っていたらしい。


「あいつらは俺が光輝だと思い込んでいたから、これから何も知らない兄貴が今まで通りに話しても、平静に受け答えることはできないだろうな」

「裏でやっていた悪事がバレた上に、証拠を握られていると思っているわけだからね。光輝が普段通りであればあるほど、疑心暗鬼に捕われて怯えることになるんじゃないかしら」

 あの邪気のない笑顔の下に巧妙に嫌悪を隠していると思えば、光輝への見方が変わり、恐ろしさすら感じるはずだ。今までのように付き纏うことはなくなるだろう。


「しかし人を脅してまで欲しいと思う男の声ぐらい、聞き分けられなくてどうするって話だよな。電話の相手が兄貴だと勝手に勘違いして、自滅してるんだから」

「本当に、途中で気付いてもいいと思うんだけどね。第一、光輝のことを好きでちゃんと理解しているなら分かるはずだよ。あのフェミニストな光輝なら、私が最初に叩かれそうになった時に、何をおいてもあの場に駆けつけてるって」

「ただ電話で聞いているだけの俺とは違ってな」

 皮肉気に笑う深影に、何を言ってるのと彼の言葉を窘める。


「深影だって私が実際にぶたれていたり、危険だと判断したらすぐに止めに入るつもりだったんでしょう?そのためにこんな所で待機してくれているんだから。……いつもありがとうね」

 改めて礼を言うと、向けられている眼差しが柔らかに細められる。

「気にするな。俺が好きでやっていることなんだから。こんなこと、兄貴が知ったらまた斜め上方向に走りそうな気がするし、俺がフォローするくらいで丁度いいんだよ」

「光輝がフェミニストになった理由は、私にあるようなものだからね……」


 発端は数年前のこと。光輝が幼い頃から仲の良い私に対し、他の女子とは明らかに違う態度を取ることに嫉妬した同級生が、私を階段から突き飛ばしたのだ。幸い大きな怪我はなかったものの、それを知った光輝は自分を責めて、誰にでも同じような姿勢をとるようになった。自分の容姿が人に好かれることをきちんと認識し、それを利用して皆に優しく接して、身近にいる人を過度な嫉妬から守るようになったのだ。

 相手の好悪によって対応がある程度変わってしまうのは当たり前のことなのに、それをしないように努めている彼の気苦労は並大抵のものではないと思う。気の置けない私に無意識に出す、ほっとしたような表情がそれを物語っている。だからこそ、余計なことを知らせて負担をかけたくはないのだ。

 事情を知っている深影が、眉を寄せつつ口を開く。


「あの経験をもとに、兄貴が誰にでも当たり障りなく対応するようになったのは、一つの手段であり防御策だとは思うけどな。でもそれをずっと続けて行くのは無理がある。誰でも同じと言うことは、誰にも深入りしないってことだ。こんなことをしていたら、本当に大事なものもいずれ失ってしまう」

「そうだね。光輝自身、特別な人に気付かないまま終わってしまうかもしれない。でも、大丈夫だと思うよ。光輝は肝心な所で選択肢を間違う人ではないから。いずれは大切な人を作って、その人を一番に守ってくれるよ」

「ゆかりはそれでいいのか」

「え?」

 小さく漏らされた言葉が聞き取れずに疑問の声を上げると、「いや、なんでもない」と目線を逸らされてしまった。


「まあ、光ある所には影があると言うしな。明るい光の役割は兄貴が、陰湿な影の役割は俺が担うから、ゆかりは変な隠し事をせずに遠慮なく俺を頼れ」

「またそんな、自分を貶めるような言い方をして!だいたい私はこんなつまらない呼び出しを受けていることを、深影にだって教えるつもりはなかったのに」

「以前、女に囲まれているのを、俺が偶然通りがかって知ってしまったのが運の尽きだな。いや、運命と言うべきか?さっさと諦めることだ。一人よりは二人の方が、万全に対策を立てられるだろう」

「それはそうだけど……」

「ゆかりがうまく回避するだろうってことは分かっている。だが、お前は女の子なんだ。激昂した相手の暴力や、それ以上の行為にさらされる危険もある。一人で解決しようとするな。使えるものはきっちり利用しろ」


 俺を使えと、深影はあっさり言ってのける。人に対する好意の表し方は異なるけれど、彼も光輝も情に厚くとても優しい、私にとってかけがえのない友人だ。


 光輝と深影―――ネーミングセンス云々はさておき、一体どのような意図で名前を決めたのかとご両親に訊ねたくなる時がある。光に対し、影と名付けられた弟はひどく自分を落とすような発言をすることがあるのだ。兄同様、どこか放っておけない危うさがある。

「分かったわ。遠慮なく使わせてもらう。これからも頼りにしてるね、深影」

「ああ、任せておけ」

 きっぱりと言い切って笑う彼は、光の名を持つ兄に負けないほど眩しい。頼もしい相棒に感謝を込めて笑顔を返すと、「ああ、そうだ。大事なことを言っていなかった」と彼方が表情を引き締め、私を真正面から見つめた。

「ゆかりは俺が知っている女の中で、一番可愛いからな。化粧で粗をごまかしている女共なんか足元にも及ばないから、つまらない戯言を気にするんじゃないぞ」


 ばっと顔が赤くなった。いきなりそんなことを、真顔で語らないでほしい。心の準備が整わなくて、何も言うことができないじゃないか。


 ―――フェミニストの弟は、やっぱりフェミニストらしい。

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