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「じゃあここが朱根さん、その隣が鷲頭さん……でいいかな?」
「はい」
「分かった」
元・両親の部屋を朱根さん。元・妹の部屋を鷲頭さんに使ってもらうことになり、持ってきた荷物を持って、二人は部屋に入っていった。
「ふう……」
居間に戻ると、姫が正座をして座っていた。何だか、見ようによっては緊張しているみたいにも見える。気のせいだろうか? まさか今さら俺の家に上がって緊張しているなんてことはないよね?
……いや、ないな。
「なぁ、姫、このままで良いと思う?」
俺は姫の向かいに座った。もちろん、胡坐である。家主は俺である!
「……まぁ、良いわけないね」
「だよね……それでさ、俺、二人の家に電話しようと思ってるんだけど」
「それが妥当だと思う。ほとんど押しかけられたとはいえ、家に置いている以上は何かあっても知らぬ存ぜずは通らないからね。二人のためにもあるけど、何より夏衣のためにもそれが良いと思う」
そう言って、姫は自分のカバンから折りたたんだ小さな紙を取り出して、俺に渡してきた。
「これは?」
受け取って開いて見ると、二人の名前と、その隣には電話番号が書かれていた。
「……相変わらず、準備が良いね」
俺は半分尊敬、半分恐怖の気持ちで言った。姫は小さく笑った。
「……さて、私はそろそろ帰ろうかな」
「そうだね。四十分だっけ? 送っていくからちょっと待ってて」
俺は立ち上がって二人がいる部屋まで行くと、扉越しに姫を送ってくることを伝えた。
「あれ?」
それから居間に戻ると、もう姫はいなかった。ちょうどその時、廊下の奥から玄関の扉が閉まる音がした。
玄関を出ると、姫が塀の陰に消える寸前だった。
「ちょ、ちょっと待って!」
慌てて出て来てしまったので、靴がうまく履けずに脱げてしまった。姫はそれを見てくすくす笑い、こっちに戻ってきた。
「……ね、夏依?」
「ん? 何?」
「さっきビンタしたの、どっちの頬だっけ?」
唐突に、脈絡のない質問だった。でも別にむずかしい質問ではない、実際まだじんわりと痛みが残っている。
「こっち、右だよ」
「そっか。じゃあ――」
ぺちん。
姫は俺の左の頬をビンタした。
「……何で?」
「知らない? 右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出すんだよ」
「何だそれ?」
「そうやって均衡をはかるのよ。それが平等なの」
「その思想はとても怖いね」
「平等でない社会の方がよっぽど怖いよ」
そう言ってから、姫は顔をスッと近づけた。玄関の電灯に照らされた姫の顔は青白い。だからなのか、その笑顔がすごく作り物めいて見えた。
「……それと、これはおまじないなの」
「おまじない?」
「そ、おまじない。私を泣かせるようなことをしたら、左の頬が痛むんだから」
「おまじないっていうより、呪いだな」
「同じ様なものよ」
姫はまた、小さく笑った。そして徐に体を離す。
「……それじゃ、私は帰るね。送らなくていいから」
「でも――」
一歩前に出ようとする俺の体を、姫が片手で止める。とても細い腕なのに、それから一歩も前には出られなかった。
「二人の事、しっかり見てなきゃ」
「……分かった。気を付けてな」
「うん」
くるっと半回転して、姫は歩いて行った――と思ったら、塀から顔だけを出して、言った。
「エッチなこと、すんなよ?」
「し、しない! ……よ」
「……う・そ・つ・き」
俺の正直者!
「じゃ、また明日ね」
「うん、また明日」
そう言って、姫は一人で帰っていった。俺はしばらく、その場に佇んでいた。
音もなくやって来た冷たい風が頬を撫でた。
「……痛」
思い出したかのように突然痛んだ方の頬に思わず手を当てた。ほんのり温かかった。




