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人は、予想外の状況下では冷静さを失ってしまう。後でゆっくり考えてみると難しいことなんてどこにもない、どうすればいいかなんて明白な事なのに、冷静さを失ってしまったがために適切な判断が下せなくなる。
だからこそ今、こんな時だからこそなお今、俺が置かれている状況を冷静に整理してみよう。
昼、学食、いつもは大勢の生徒で賑わっているはずが、いやつい今しがたまで大勢の生徒の話し声笑い声大声小声がこだましていたはずなのに、今、ここは異様な空気に包まれている。そこにいる生徒たちは談笑するわけでもなく、食事に手を付けるわけでもなく、ただある一つの場所、ちょうど学食の中心に当たるところを見ている。そこは生徒であふれかえっている学食にぽっかり穴があいていて、そこには二人の女子と俺と西川以外誰もいなくなっていた。
まさしく学食の中心に、俺たちはいた。
他の生徒は、俺たちを軸にして半径五メートルの円を描き、その円の内には決して入らないように、円の外からこちらの様子を静かにうかがっていた。
そして俺は、相当テンぱっていた。
普段から目立つことをなるべく避け、大勢の目にさらされることがほとんどなかったものだから、急に全校生徒の約半分ほどの視線が向けられたらそりゃそうなる。加えてこんな子たちに見つめられているのだから。
目の前にいる少女たちは、周りのギャラリーには目もくれず、どちらもそれぞれ違うテーブルのイスに腰掛けながら依然として俺のことを見ている。
この二人、周りの目は気にならないのだろうか?
……まぁ、そうなんだろうな。こんな外見を持っていたら人から注目を受けるのはもはや宿命。俺には分からない苦労だ。
外見から判断するに、一方はスポーツ万能、もう一方は頭脳明晰といったところか。タイプは違うが、どちらも男子はおろか女子ですら見とれてしまうほどの容姿を持っている。簡単かつ感情を込めた表現をさせていただけるなら――この二人はメチャメチャかわいい!
そして、そんな少女たちの笑顔にはある期待が込められているという。
それが、どうやら俺らしい。
よし、整理終了だ。
さて……全然分からない。
何この状況?
なんで俺?
なんでみんなそんなに離れてんの?
こんな美少女二人から迫られてるとかどうなってるんだこれ?
マンガの主人公さながらの人生最大のモテ期到来か?
俺のターンか?
俺の時代の幕開けか?
……ふ、ふふふ、ふふふふはふはふはふははははははははは!
おっといけない、脳内を駆け巡る数多のグフフ煩悩に思わず顔がニヤけてしまった。しかしこんなシチュエーション、笑うなと言う方が無理だろう?
来たんだ、とうとう来たんだよ……ウェルカムモテシーズン! おいでませイン俺! 有頂天上唯我爆走だぜヒャッホウ!
――などと浮かれる俺は、非常に甘かった。この世の中そううまい具合においしい思いができるわけがない。この時ばかりは俺が『頭の毛の先から足の爪の先までどっぷり至福妄想狂』だと揶揄されても否定の仕様がない。実際言われたら怒るけどね。
喜びも束の間、俺はすぐに現実を思い知ることとなった。
「で、どうするんだ?」
と、スポーツ万能そうな方の子が言った。
……そう、世の中そう甘くない、現実はマンガとは違うのだ。
美女二人の間でいつまでもいつまでもおいしい思いをしながら過ごす優柔不断な主人公など許されない。俺はどちらかを選ばなくてはならない。
だがしかし重要なのはそこではなかった。
「早くお座り下さい」
今度は頭脳明晰そうな方の子が言った。
――そう、重要なのは、選んでしまうと、選ばれない方がいらっしゃるということだ。この俺が人を選別するということですら畏れ多きことだ。だと言うのに、選べと言うのだ。
そしてこの時俺は、関係あるのかないのか、とあるうわさを思い出していた。
そのうわさとは、何でもこの学校に今年桁外れに飛びぬけた容姿を持つ女子学生が二人入学したというものだ。もちろんその容姿なら、女に飢えた男子学生からの猛烈アタックが集中すること間違いなし、実際入学式当日も朝からすごかったらしいのだが、次の日にはぱったりやんでしまったらしい。
というのも、一人は空手が趣味なお父さんを持ち、小さい頃からその父のもと日々修業に明け暮れ、高校生となった今ではもはや大人の男ですら赤子の手をひねるがごとく簡単につぶせる実力者になり、もう一人は誰にでもわけ隔てなく接することのできる観音菩薩様が如き慈悲慈愛の心を持ち、中学時代その恩恵を受けた屈強な猛者たちが、その恩に報いるため同じ高校に進学し、親衛団なるものを結成、卑しき欲情に支配された汚れし男どもからその身を守っているらしい。
だがしかしこれは単なるうわさかもしれない。数日前、他校の不良さんたちをパンはパンでもコテンパンにしてしまった女の子がこの学校に入学したという話も、さっきから視線で俺を射殺そうとしているやたらガタイのいい男子生徒数十名も、しょうもないウソや気のせいかも知れない……と、そう思いたかったが、ことの成行きを遠くから静かに見守ろうとしている生徒の皆さんの態度は、それが確固たる事実であることを物語っている。そのことに気付いてから、俺は完全防寒でサウナに入っているような息苦しさを感じ、額から伝う汗が止まらず足元に水たまりを作っているくらいに汗をかいている、気がする。いや別に実際かいているかどうかは問題じゃないのね。それくらいの気持ちでいると言うことを伝えたかっただけなのね。
二人は、先程の笑顔はどこへやら、明らかに不安そうな顔をこちらに向けている。
かく言う俺はと言うと、体が小刻みに震え、手に持ったトレーの中で、食器がカタカタと俺を嘲るような音を立てているという情けない始末だ。小心者な俺、全開。
顔は笑顔を作っているつもりだけど、だいぶひきつっている気がする。まるで心臓を取り出して耳元に持って来たかのように、鼓動が大音量で聞こえる。喉がカラカラで、色々きつい。
「黙ってないで、早く」
「どうぞ、あなたのためにとって置いた席です」
「……ハハハ」
限界です。誰か、助けて下さーい。
何だよ、何だよこれ、あんまりだろ、上げておいてこんな落とし方あるかよ!
俺はすがるような気持ちで後ろにいるはずの西川に助けを求める……が、そこにやつの姿はなかった。やつはいつのまにか遠くにいる生徒の一人となっていた。
俺と目が合うと、西川はこぶしを前に突き出し親指を立て、声を出さずに「頑張れ」と口を動かした。やつは友を見捨てる非情な奴だった。
俺がパンはパンでもコテンパンにされる時は、あいつも道連れにしてくれる。
だがしかし、あんなやつ大して頼りにならないがそれでもいてくれるだけでずいぶんましだったのに。西川にすら見放された俺は、万事休す。
二人の、今にも怒り出しそうな顔と今にも泣きそうな顔を見る限り、もう俺の時間もさほど残されてはいないようだ。
「ヘイみんな! そう暗い顔しないでランチでもトゥギャザーしない?」
……なんて選択肢はないだろうか。ないか。
かといってどちらかを選べば、俺の未来はもう一方にプチッといとも簡単につぶされてしまうこと間違いなし。もう……腹をくくるしかない。
さすが俺と言わざるを得ないことに、俺はこの状況を打破すべくすでにある策を考えていた。
そう、これしかない。
こうするしかない。
そう自分に言い聞かせて震えを止めると言うか頼む止まってくれ。
とにかく持っていたカツカレーを近くのテーブルに置いた。
それから一回深呼吸。
そして二人のほうに向き直る。
「俺は」
笑顔は忘れずに。
「用事があるので失礼」