13
気付いた時には、俺は居間で正座をさせられていた。対座しているのはもちろん姫だ。俺は恥ずかしいやら情けないやらで顔をあげられない。確かに興味があったとはいえ、男の子に生を受けた身の上であるとはいえ、同級生の着替えをのぞこうとするなんてどうかしていた。そう、どうかしていたとしか言いようがない。あの時の俺は慎ましやかに生き日々感謝を天に捧げることを心情にしている過去の俺ではなかった。最近の俺を取り巻く環境が当の本人である俺ですら知りえない無意識化でパラダイムシフトを決行してしまったとしか言いようがない。……いや、それは嘘だ。当の本人である俺が言うのだからそれは間違いなく嘘だ。俺は過去現在未来どの時点の俺であってもあの場面に遭遇したら絶対覗いた。何故なられは男の子だから。今回は失敗した、そう失敗したんだ。油断していた。姫がいればこうなることは予想出来ていた。次はもう大丈夫だ。こんな失敗はしない。絶対にこの眼に焼き付けて見せる。そう言えばあの二人は何処へ行ったのだろう。
「……これから共同生活していくにあたって、そう言う行為は控えてもらわないとね」
「へ? ……あ、はい」
俺が考えていたことが分かったのか? それとも単なる偶然か? どちらにせよ厄介なやつめ。
「でも、年頃の男の子なんだから、興味があるのは仕方ないと思うの」
「あ、いや別にそういう訳じゃ……」
全くもって間違いないけれど、そう正面から聞かれるとつい否定しちゃうじゃない。
「え? そうなの? 何だ~きっと夏依は興味津々なんだと思って、とっておきを用意したってのに」
「とっておき? 何それ?」
「さぁ、何でしょ~。でも興味の無い夏依くんには関係ない話しだね」
「そ、そんな、殺生な……」
「興味、ある?」
「あるあるあるある!」
俺は千切れんばかりの勢いで首肯を振り返す。
「このド変態が!」
「なあ――!?」
くそう、何て卑劣な誘導尋問なんだ!
「だって、男の子だもん……仕方ないじゃない!」
「冗談だって~分かってる分かってる。……それじゃあ、お披露目しちゃおうかな! お二人さん、どうぞ!」
その声を合図に、今と廊下を隔てていた襖が開いた。
そこには……
「な、なんだ、と……!?」
思いもしなかった、光景だった。
何も言葉が出てこない程真っ白になった頭に、俺はこの光景をただ焼き付けた。
そして、これだけはやっておかなければ――と、姫に向き合い、手を取って言った。
「ありがとう……心の友よ」
「うっわぁ~喜び過ぎでしょ」
「おい、これの何がそんなに嬉しいんだ?」
と、鷲頭さんが自分の恰好を見ながら言う。
「ん……やっぱり、着慣れていないので違和感が……すごいですね」
朱根さんは少し息苦しそうだったが、そこがまた良い!
「ふふふ~どう? どう夏依? 嬉しいでしょ?」
「はいめちゃめちゃ嬉しいっす!」
「どうせなら、もっといろんな角度から見てもいいよ?」
「え!? 良いんすか!?」
そのお許しをもらって、俺は即座に立ち上がろうとしたが、正座の痺れで思うように足が動かない。
「くそう……くそうっ! 何やってんだよ……今動かないでいつ動くんだよ!」
「いや、そこまで本気にならなくても……」
俺の必死な態度に姫が心打たれ優しい言葉をかけてくれる。しかし俺はそれに甘えるわけには行かないんだ!
「動け……動け……動け……」
ワナワナと震える足に鞭を打ち、俺は立ち上がった。ゆっくり、一歩、また一歩と足を進める。そんな俺を冷たく見つめる二人の視線。しかし今の俺は屈しない。
一歩、また一歩……と、ようやく二人の後ろに回り込んだ。
「はぁっ!」
意を決し、俺はこの双眸をあらん限り開いた。
そこには――
「あ……ああ……」
いつも、焦がれていた。どうしても実物をこの目で見ることは叶わないと、いくら自分に言い聞かせてもダメだった。時代という無情な奔流に飲まれ今では局地的あるいは特定のイベントでしか拝めなくなってしまったイッツァジャパニーズカルチャーにおける正装――そう、着物。
着物美女ここに降臨!
俺は嬉しさのあまり体中の力を失い、その場にへたり込んだ。そんな俺を姫がしばく。
「夏依、いい加減にして戻ってきなさい」
「あ、はい」
いそいそと、俺は元いた場所に戻り、正座。しかし目の前の光景が神々しく直視できない。
「二人も座っていいよ」
二人に座ることを促した。こいつは完全に家主気分だな。でも許す。
「さて……うん、二人ともバッチリ似合ってるね~」
「姫、姫、一つ質問が」
「夏依君。質問はキャッシュで」
「課金制!?」
「冗談だよ。何?」
「ずばり! 二人は何故着物なのでしょうか?」
「嫌い?」
「いえ、大好きです」
「だからだよ」
「了解です!」
姫様に敬礼!
「そろそろ世の中もメイド服にも飽きてきたでしょう。これからは着物美少女の時代よ!」
「日本サイコー!」
俺得万歳!
「ね、二人とも、言った通りでしょ?」
姫がそう聞くと、二人は困ったような顔をした。
「そうれは、そうなんですが……」
「予想以上の反応に、正直なところ困惑している」
「何で!? 二人とも分かってないんだよ! 日本人なんだから着物が一番に決まってるじゃないか! それに二人とも、すっごい綺麗だよ!」
「綺麗……ですか」
「なんだか……照れるな」
「いやホントだよ!? 朱根さんは髪が長いし、前々から着物が似合うだろうなぁとは思ってたけど間違いなかった。着物が醸し出す特有の色気を存分に生かすプロポーションだね! でも鷲頭さんも負けてないよ! そのショートヘアーと着物のコラボレーションは新鮮だよ! 着物の持つお淑やかな印象で活発さを包み込もうとしているから、むしろ節々にちょっとあふれて出て来るちらリズムみたいな感じが最高! いや良いね良いね! 写真取って良い? いや動画にとってネットに上げて皆にもこの素晴らしさを分けてあげ――いやいや、そんなのもったいない、これは俺だけのとっておきに――」
「いい加減に――しろっ!」
ベチンという、あまり聞きたくない音がした。
「ぶっ!?」
それは、とても普通な、何の芸もない、ビンタだった。
「……痛い」
「ふんっ!」
姫は怒っている。俺、反省。
「さて、二人の恰好はさっき言ったように、女中さんです。つまり、あなた方はこの家にいる間、炊事洗濯掃除にゴミ出し、夏依のおはようからおやすみまで率先して家事の手伝い、いや、家事をこなすことが、あなた方の役目です」
「うむ、承知した」
「はい、了解です」
「え、聞いてないんだけど」
「今言ったでしょ!」
「えぇ~何その理屈おかしくない? ここ俺んちだよ?」
「じゃあ、嫌なの?」
そりゃ、嫌ってわけじゃないけれど。でもこんな状況になって、いきなりそんなこと言われてはいはいと快諾するわけには……
二人の着物の美少女が俺を見つめている。
迷うことなどなかった。
「どうぞよろしくお願いします!」
人は、予想外の状況下では冷静さを失ってしまう。後でゆっくり考えてみると難しいことなんてどこにもない、どうすればいいかなんて明白な事なのに、冷静さを失ってしまったがために適切な判断が下せなくなる。
俺はどうやら、同じ過ちを繰り返しているのかもしれない。




