12
「と~ちゃく~!」
そこは目新しさのかけらもない、見覚え百点満点の我が家だった。
「おいおい姫さんおい姫さん、ここは誰んち俺んちよ?」
「知ってるよ!」
「あ、知ってるなら、いいんだけどね――え、何で知ってるの?」
「来たことあるから!」
「あれ? 俺呼んだことあったっけ?」
「くしゃみしたじゃん」
「大魔王だったの!?」
しかもガールじゃないのね。
「うそうそ、私の家、ここから歩いて四十分なの」
「へぇ~……あれ? 結構な距離じゃない?」
「え?」
「え?」
「何かおかしい?」
「おかし……くは、ないのか?」
俺のご近所概念が狭いのか? 向こう三軒両隣って母さんから聞いてたんだけどな。
「さ、開けて!」
「……うん」
何でだろう、何で俺は、帰ってきているのだろう……いや、ここは俺の家だから、帰ってくるのは当たり前じゃないか。そうだよ、当たり前なんだよ、何も悩むことなんかない、何も不思議に思う事なんかない、さぁ、鍵を開けて、いつものように帰ればいいんだ……俺の、家に……
俺は一旦後ろを振り返った。何故か楽しそうに眼を輝かせている姫と、その後ろに気まずそうに肩を落としながら静かに佇んでいる朱音さんと鷲頭さんがいた。
「――ねぇ、聞いてもいいかな?」
「良いよ!」
「何で、皆でうちに来ているの?」
「…………」
「……あれ? 姫さん? 何でシカト?」
「聞いてもいいとは言ったけど、答えるとは言ってないよ!」
「ありゃ、こりゃ一本取られたぜ」
「さ、開けて!」
「……はい」
何なんだ、勘弁してくれ。一体何なんだこの状況は、何でうちに来てるんだ? 何で……何で、あの二人もうちに来てるんだ?
俺はさわり慣れたドアノブに手をかけ、鍵を差し込む。錠の感触をゆっくりと確かめながら、高速で脳みそを回転させる。
屋上で何か言い争いをしていたのは知ってる。そこで俺の家に泊まるのがどうこう話してたらしいことは分かっている。それで? 二人は泊まらないことになったんじゃなかったのか? 結局うちに泊まるのか? 言っておくけど、俺だって男だぜ? 満月の日じゃなくても狼に変身可能だぜ? つーかまだ家主の俺に何にも許可を取ってないことに何故誰も突っ込まない? いや突っ込まなくても言うことがあるだろう。それとも俺か? 俺から言うのか? でも何て言ったらいいんだよ。「おいこらお前ら! この俺の家に泊まりたいのなら、地べたに坐して俺の靴をなめながら懇願するんだな!」――とか言うのか? いやさすがにそれは人として大きく外れているだろう。「やぁみんな、今日はどうしたんだい? ん? 何だって!? 僕の家に泊まりたいって言うのかい? 驚いたなぁ~……もちろん、ウェルカムさ! 我が家へようこそ!」――って感じか? 白々しくてもはや痛々しいな。……というか、もううちに泊まることは確定しているから、何も触れないのが正解なのか? ……いやいやだとしたら、俺の家に泊まると言う状況自体がもはやまじりっけなしの大間違いだろう。良いわけないじゃん、そんなの許されるわけないじゃん。これ彼女らの親に見つかったらどうなると思ってんだよ。もう帰っても向こうの家にすら入れてもらえないかもしれないぞマジで。いや俺だってこんなかわいい子たちと一つ屋根の下ともに床に臥すことになると言うことに対する喜びが無いわけじゃない、むしろ嬉しくて嬉しくて怖い。何が怖いって、もうすべてが怖い。いわばこの幸福は非常に細くて柔い蜘蛛の糸なんだよ。俺は今その上をただ自分の体一つでバランスを取りながら渡っているに過ぎないんだよ。その上にのっている間はそりゃ楽しいさ、幸せだろうよ。でもちょっとでも踏み外せば、もしくは糸が切れれば途端に底の見えない奈落まで真っ逆さまで、きっと戻って来れはしない。この鍵、この鍵を開けるまでに答えを出さなきゃいけない。これを空けてしまったが最後、俺はその蜘蛛の糸の上を歩き始めてしまう。覚悟を決めるのも、一旦引き返すのも、今しかない。
俺はもう一度振り返り、二人に向き合った。
二人も、そんな俺をじっと見つめる。
「あの――」
「えいっ」
ガチャリ――と、鍵は姫によって開かれた。
「さ、二人とも、入って上がってくつろいで!」
……はい?
「お世話になります」
「よろしく頼む」
……はい?
「夏依も、何でそんなところに突っ立てるの? 早く入って」
「……はい」
……もう、どうとでもなれ~
今まで住み慣れた家に入るのに、これほどまでに緊張したことは無いだろう。俺は震える足を一歩、また一歩と先へと伸ばし――
「あ、やっぱちょっと待ってて」
バタン――と、鼻先で扉が閉められた。
「……はい?」
我が家なのに、我が家なのに……締め出しを食らってしまった。
「ちょ、ちょっと姫、姫ってば! どういうこと?」
ドアを叩いて抗議する。昔悪戯をして家から追い出された過去がフラッシュバックした。
すると、ドアが開く。何だいつもの冗談か――と、俺はドアを開こうとするが、途中でつっかえた。姫はドアにチェーンをかけていた。
「いいから、準備終わるまで待って」
「準備って、ここ俺んちでしょ? 俺を除外してする準備って何?」
しかし、姫からの返答は無くそのままドアは閉じられた。鍵も閉められた。完全に締め出された。
何なんだ?
「仕方がない……庭の方に回ってみるか」
玄関を左に折れ、庭からのアプローチを試みることにした。どうやら窓を開けているようで、話し声が聞こえる。久しぶりに、家に活気が戻ったような気がする。家にだって、きっと意志はあるのさ。
庭には居間からの光が映っている。そこに、三人の人影がある。
何をやっているのだろうか……
俺はこっそり覗き込んでみた。
そこには……
「……オウ、ジーザス」
三人の、女の子の姿があった。
いや、ここはしっかり記憶するために正確に情報を読み取ろう。
一人の、制服姿の女の子と、二人の……下着姿が、そこにはあった。
一度、陰に隠れる。
「……おいおいまじかよおいまじだよ! 裸だよ! 裸だったよ! いや正確には裸じゃなかったけど下着姿だったけど、さすがに裸じゃ取り返しがつかないことになっていたからむしろ良し! ……いやでもしかし待てよ。本当に下着姿だったか? 実は俺の妄想が見せた幻覚ではなかったのか? もしそうだとしたらどうしよう……いや、これは大問題だ。よし! 仕方がないからもう一度確認しようそうしよう! これは仕方がないから無いからなんだ決して下心からなんかじゃないだから許してくれるよねそうだよねそうに違いない!」
予想外の状況に、俺の理性は難なく吹っ飛んでいた。
「それじゃあ、お邪魔しま~す……」
俺は陰から顔を出した。
そこには、姫の顔があった。
「…………」
「…………」
笑っている。とても可愛らしい笑顔――では、残念ながらなかった。
それから数秒間、俺たちは見つめあったままだった。その後のことは、あまり覚えていない。ただ、痛かったことだけは、刻み込まれている。




