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しかし、俺の昇天を阻む存在がいた。それはとても力強く、俺をその場に引き留めた。
つーか痛い。痛い。イタイ。いたい?
「……イダダダダダダダダダダダダダダダダッ!?」
俺がまるでバクったゲームのような悲鳴を上げると、二人は驚いて俺の腕を離し、距離を空けた。何が起こったのかとこわごわ俺の見る四つの目、その視線が徐々に下に行き、またの少し下で止まった。
俺もその視線の先を追うと、そこには忘れていた彼女がいた。
「ちょ! 痛い! 痛い! 痛いんですけど!」
見ると姫は、俺の太ももの内側をしっかりつまんで離そうとしない。
なんだこれ! 何だこの状況! つーか痛い! 何で離さないの!?
様々な疑問がぐるぐる廻る。しかしそれは俺だけじゃないだろう。二人にしてみてもこの状況は一切理解が出来ないはずだ。何せ今までどこにいたのか分からない女子生徒が急に俺の股下に現れて、しかも何故か俺の太ももの内側をつまんで離さないのだから。
当の姫は、どうやら二人を睨んでいるみたいだった。俺視点だから確かなことは言えないけれど。
しばらくその二人と一人は、痛みに叫ぶ哀れな俺なんていないかのように、自分たちの世界で向かい合っていた。そして俺も、いつしか痛みを感じなくなってしまっていた。
「……あ、ごめん」
そう、あたかもつまんでいたなんて気が付かなかった――そう言わんばかりの態度で、姫はようやくその手を離した。その瞬間地面にうずくまり痺れに変わった痛みに耐える俺を、誰も優しく介抱してはくれないようで、何だか余計に痛んだ気がした。
「同じクラスの……白純さん、か?」
「そう! 覚えてくれててくれたんだ~嬉しい!」
姫はキャッキャと笑っている。
何でだ? これはやばい時の笑い方だ。
「白純さんが、どうしてこんなところに? と言うか、いつからいらっしゃったんですか?」
「ん? ずぅ~っと前からここにいたよ?」
「ずっとって……どこにですって?」
「もちろん、ここに。あれ? 気が付かなかった?」
「ここって……そこには夏依さんが座って――まさか?」
「そうだよ~本当に気が付かなかったんだね~姫ショック」
「……気が付かないも何も、まさかそんなところに人がいるとは常識的に思わないだろう」
「そうかな、いても不思議じゃないんじゃないかなぁ? ……例えば、恋人なら」
その瞬間、空気がビビって震えた気がした。
空気よ、お前もなかなか勘の良いやつだ。そう、お前の察しているように……あの姫の笑顔。あれは絶対にキレている。暗雲立ち込めるとはまさしくこのことだ。
「……恋人?」
「まさか……白純さんは、夏依さんの……恋人なんですか?」
「ふふふっ。どうかなぁ~それは御想像のお任せしちゃおうかな! ……でも、もし恋人だったらぁ、どうする?」
「……どうする、というのは?」
「やだなぁ~そんな怖い顔しないで、鷲頭さん。ただちょっとい気になったの、私が夏依の恋人だとしたら、それでも二人は夏依のお家に置いてもらうのかなぁって?」
「そ、それは……」
「きっと、夏依なら許しちゃうかもね~。なんたって、夏依は超絶優しいから。驚くほど優しいんだよ? 私が知ってる夏依の滅私奉公エピソードを聞かせてあげようか? きっと涙ちょちょぎれるよ~。まぁ、今はしないけどね。さて話を戻すと、その好意に甘えて、恋人を差し置いて男の子の家に止まっちゃうようなふしだらな泥棒猫さんでも、きっと夏依は事情を聞いて、でもそれがどんな事情であれ家に置いてくれるよね~。私知ってるもん。もちろんあなたたちも知ってたんでしょうね」
「……事情があるんです」
「事情? それは私の素敵将来計画の邁進に待ったをかける必要があるくらいな事情なの?」
「……家の事情だ。詳しくは語れない」
「だとしたら、お二人の家での問題はお二人の問題であって、夏依を巻き込む理由にはならないよ~」
「ですから、なぜそうなるのでしょうか? それはあなたではなく夏依さんが決める問題です」
「ははは、問題って、何? 問題って時点でおかしいでしょう。言っていておかしいと思わない? 何勝手に迫ってんの? 何勝手に夏依に選択を迫ってるの? それっておかしくない? 夏依は自分から二人の問題に関わるよと言ってきたの? 僕に任せてくれとでも言ったの? きれいな箱の中で懇切丁寧に育ててもらったからちょっと外の世界の常識を知らないのかな? だとしたら教えてあげるよ。一応知らない仲ではないクラスメイトの親切白純さんこと私が教えてあげる。――皆が皆、二人のことを好きだと思ったら大間違いだよ」
「誰もそんな誇大妄想を抱いてはいない」
「どうかな? 本当にそうかな? 考えてみて、思い出してみて、あなたたちの行動とか思考は常に自分を第一に置いてない? ……いや、これは厳密には違うか、あなた方は自分が第一じゃない、唯一なのね。自分しかいない、つまり兼ね合いが無いの。例えば学食で、あなたたちはいつもテーブルを譲ってもらえるよね? どうしてって考えたことある? 親切な人が毎回偶然都合よく譲ってくれただけだと思ってない? 思って片づけてない? 自己完結してない? 『ありがとう』と一言言えば済むと思ってない? 知らないかもしれないけど、実は現実にはいろんな要素があって、それらとの兼ね合いで人は選択をする思うんだけど、あなた方にはそれが無い。ありていに言って、自己チュー」
以降、おそらく修羅場である。心臓が弱い方はお耳に線をすることを推奨する。
かく言う俺もそっと耳を閉じる。




