「バケモノ」
Ⅲ
「ごきげんようでこんばんは、言葉遊び(リリック)さん。少々お待たせしてしまいましたでしょうか?」
『根絶』を名乗り、『バッドコミュニケーション』とルビうたれたお嬢様の再登場は、そんな他愛も無い挨拶と相成った。
先ほどとはまた違った豪華な刺繍が施されている白い傘を楽しそうにグルグルとまわしている。先ほどのは雨傘で、今度のは日傘といったところだろうか。
「もう少し来るのが遅ければ、返事ができないただの屍になっていたところだ」
そう云いながら、俺は体重を預けていた玄関の扉から身を離して体勢を整えた。 そして、軽く空に目を向ける。お嬢様の挨拶がおかしくない程度に日は沈んでいて、時刻はすでに夕方といったところである。
しばらく前には雨も止んでおり、すでに雨宿りをする必要はなかったのだが、俺は先ほどと同じ軒下で彼女を待っていた。
……その理由はとても単純で、俺にはもう別の場所に移動する体力すら残っていなかったからだ。
「ふふふ、血も滴る良い男ですわね」
俺の血で真っ赤に染まった腹部を見ながら、お嬢様は楽しそうに笑う。毒舌家の石化止血の効果も限界であり、俺の腹からは再び血が流れ始めている。
「幾らなんでも滴りすぎだけどな、これは」
俺は朝に交わした臆病者との会話を思い出していた。
「いえいえ、まさに出血大サービス。素敵ですわ」
「死ぬほどのサービスなんて、してやるつもりは無かったんだがな」
「うふふ、腕白なのは良いことです」
たしかに血が大量に失われ、腕の色もそこはかとなく白に近付いている気がするな――――まぁ、この場合、腕の白さより腹の赤さに目がいくのだろうが。
「……それにしても、これがお前の望んでいたエレガントな登場の仕方なのか? 待ち人が血だらけの時点でかなり猟奇的映像だが」
「色々と事前に考えてはいたのですけれど、貴方と出会えた瞬間に頭の中が真っ白になってしまって……血の池を作りながらも死なずにワタクシを待っていて頂けただけたるなんて……嬉しくて歓喜の極みですわ」
上気した頬を冷ますかのように両手を軽く頬にそえる。
「そういえば、あの小さなお嬢さんは――」
そう云いながら、彼女は臆病者の姿を探すように周りを見渡して、
「もう殺しましたか?」
と、狂気を微塵も隠さぬ表情で訊いてきた。
「……あいつなら今頃夢の中だ。どんな夢を見ているのかまでは分からないがな」
臆病者はとりあえず邪魔にならないように、この主の居なくなった豪邸の適当な部屋に放り込んできた。
あのネボスケは一度現実逃避モードに入ったら丸一日は寝てやがるからな。
「そうですか……まだ生きているのですね。ワタクシの予定では、あの娘は貴方の手で殺して頂くつもりでしたのに」
なるほど……このお嬢様の筋書き的には、包丁で刺された手負いの俺が逆上してあいつを殺す――そして、半死半生の俺は死んでいるならそれで良し、もし生きているならば自らの手で止めをさすつもりでいたのだろう。
「お嬢様は趣味が悪いと相場が決まっているが……お前の場合は埒外だな」
「ふふふ、お褒めに預かりこれ以上ないぐらい恐悦至極ですわ」
俺の言葉を受けて彼女は今すぐにでも踊りだしかねないほどに舞い上がる。
「いち、にっ、さん♪ いち、にっ、さん♪」
……いや、実際に踊り出していた。
「頼むからその不思議な踊りはやめてくれ」
そのまま踊り続けられると最後の精神力が吸い取られて力尽きそうだ。
「あら、これからが良いところでしたのに。残念ですわ」
そんな掛け合いをしている間にも、腹部からの出血は続く。さすがにそろそろ限界だろう。軽口を叩くのを止めて、話を本筋に戻すことにしよう。
「……お前に訊きたいことがある」
俺のその言葉に、お嬢様はさも意外だといわんばかりの顔をする。
「――驚きです。驚天動地です。貴方はこの世界に知らない事は無いぞ、って顔をされていますのにね。ふふふ、構いません。貴方のお願いですもの。ワタクシに分かる事でしたら何でも貴方にお答えを差し上げますわ」
……何故俺がいつも回答者であるのか、少し謎が解けた気がした。そのことはとりあえず保留にしておいて、質問をするとしよう。
「何故、お前は俺達を殺そうとした?」
「あらあら、それは違います。大きな誤解です。ワタクシは貴方を殺そうなんて思った事はありませんよ」
「……なら、現にこうして死に掛かっているのはどういう事だ?」
腹部からの出血は止まらない。
「ふふふ、それはワタクシと貴方との恋仲にあの小さなお嬢さんが邪魔でしたから――貴方の手でご関係をしっかり清算していただいて、その後、貴方の傷ついた身体をワタクシが治療して差上げれば、自ずとより深い愛が生まれる――はずだったのですけれど、少々計画が狂ってしまいました」
唇に指をあててお嬢様は残念そうな表情をしていた。
……俺の読みは少し違っていたようだな。やはりこいつは苦手だ。
「服が汚れるのが嫌でしたけれど――こうなれば仕方がありません。あのお嬢さんはワタクシの手で直接片付けなければなりませんわね」
――それだけの理由で。
――――ッ。
いや……まだだ。
まだ早い。
まだ訊かなくてはならないことが残っている。
「……それでは次の質問だ。お前は、何故、俺の事を知っている?」
普通であれば、人間から成ったばかりの擬態者が俺の事を、それも言葉遊びと云う二つ名まで知っているはずがないのだ。
「それは“あるお方”から事前に聞いていましたから。もう貴方のお話を聞いただけで、すぐにワタクシが愛すべきひとだとわかりました。一目ぼれならぬ、一聞ぼれというものでしょうか」
「……やはり、お前は『蛇足』に出会っていたのか」
「ええ、あのお方はたしかにそう名乗っていましたね。あの方とはワタクシが今のワタクシに成った時に出会いましたの。あの方は成ったばかりで右も左も判らぬワタクシに、この世界の真実や、説得術の使い方、ワタクシのこと、そして貴方の事、あの方自身のこと以外全て、本当に色々な事を教えてくださりましたわ」
そこまで話したお嬢様は何かを思い出したように「ふふふ」と笑った。
「今思えばあのお方も貴方のようにこの世界に知らない事は無いぞ、って顔をなされていましたわね」
……そんな奴は世界に二人も三人もいないだろう――『蛇足』に間違いないようだ。
「では最後の質問だ――その『蛇足』が今何処に居るか知っているか?」
今まで機嫌よく俺の質問に答えていたお嬢様は、
「昨晩まではワタクシの貴方へのサプライズ告白大作戦を手伝ってくれていたのですけれど……昨日のアレを発動させた後“アナタはこれから『根絶』と名乗りなさい”と言ったのを最後に何処かに消えてしまわれましたの」
と、少し困ったように眉をさげる。
……やはり今回も奴とは入れ違いになったか。何か奴の情報がつかめるかと思ったが今回も無駄足だな。
よし、これで、もうこいつには用は無い。
「それでは、そろそろお終いにしようか。『根絶』――」
俺の隣にはいつもの少女はいない。
「あら、もう楽しいご歓談はお開きなのですか?」
ならば、この物語を謳うのを少しの間だけ止めてしまおう。
俺は、俺の説得術である言葉遊び(リリック)を紡ぐのを止めた。
「せっかく邪魔者もいらっしゃらないのですし――」
全ての説得術を総て戯れて無に返す説得術。
その言葉遊び(リリック)を紡ぐのを止めて――言葉で遊ぶのは止めにしよう。
――――――
「――もう少しご歓談、もしくはわい談……など、を……」
――――――――――――――
「……あ、あら、あら……うふ、ふふ……あは」
――――――――――――
――――――
「あは……あははは……これは……」
――××××――
「あは……人間ではなくて……あはは……擬態者では無いということは……そういう事ですのね……ふふ、あははは、本当に擬態すら……」
――××××――
「擬者なんてとんでもない……あははは、あは……本物じゃございませんか……うふふ、あは、あはははは……なんて、禍々しい(まがまがしい)者……」
――××××――
「あ、あははは……それが、貴方の本当の言葉ですのね――」
――この物語の主人公を――
「ふふ、あはは、あはは……そうか、言葉……遊びですか……そうか、本当に遊びに……過ぎない」
――××××――
「あははは、あはははは……素敵ですわ……素敵です…………あはは……そうやって、世界を……謳っているのですね……素敵ですわ……あは――」
――罰を与えよう――
「あははははは……ワタクシの目に狂いはありませんでした……あは、あははは……ワタクシは……本当に、貴方の事が――」
――××××、××××――
この物語はその二つの『言葉』で、幕を閉じた。




