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魔性の女

「キミはルリノ氏になにをされたんだい?」



 その質問は、イサカにとって飛躍した内容に感じられた……が、彼の上司にはなんらかの意図があるのだろう。その意図を理解するのは、不可能ではないにしろ、おそらく多大なる労力を要する。アラシベに言われるまでもなく、イサカは自分の頭脳が彼のものより冴えていないことを自覚していた。


「ルリノさんは――」

 愚直に答えかけて、イサカははたと口を噤んだ……今さらながら、おいそれと答えられる内容ではないことに気づいてしまったのだ。これはイサカ自身の矜持と体裁に関わる問題――誠にもって、由々しき問題である。


 ルリノがイサカに対しておこなったこと――色仕掛け《ハニートラップ》に他ならない。そしてイサカは――刑事であるイサカは――その甘い罠にまんまと引っかかってしまったのだから!


 アラシベはもう答えを催促してこない。そんなことは――そんな無駄なことはもうする必要がない、とでも言いたげに、ただただ待っていた。『意図的に意図を隠せる』ということは、裏を返せば『意図的に意図を読ませる』ことも可能だということを意味する。まったくもって白々しいが……アラシベがほんの少しだけ視線を動かしたのは、外にいる『なにか』の存在をイサカに意識させるために違いない。


 真実を隠せば――嘘をつけば、また『凍る』。まだ胸に残る鎖の冷たさを意識し、イサカはわずかに身震いした。そして結局、自分には正直に答える以外の選択が残されていないことを知った。


「ルリノさんは……自分にすり寄ってきて、その……誘惑、してきました……」

「誘惑……とは、またやけに抽象的だね。具体的には?」

 この刑事、容赦せん……! イサカは耳が熱くなるのを感じたが、観念して詳らかに白状した。


「む、胸を押しつけられました。それから……こっ、股間も撫でられました……。耳元に息を吹きかけられて、『私のことをもっと知りたくないか』と囁かれて……そ、そんな感じであります」

 イサカは羞恥のあまり、いっそ死んでしまいたいと思った……実際は死にたくないから白状したのだが。なんとも皮肉な矛盾である。


 イサカはチラリと上司の様子を覗った。が、アラシベは眉一つ動かさなかったどころか、睫毛の一本さえ動かさなかった。イサカにとって、あの純朴そうな少女が性的なアプローチを掛けてくるなどとはまったく予想さえしていなかったことなので、少々ショッキングな出来事でもあったのだが……このベテラン刑事にとっては、そうでもなかったらしい。嘆かわしいことだが、最近は女子中高生のポルノ・売春事件も珍しくない。ひょっとすると、アラシベはそちら関係の事件を担当したことがあるのかも知れない……なにせこの静観ぶりである。


 だが、イサカはアラシベの詳しい経歴を知らない。この上司がこれまでどんな事件に関わってきたのか、どのような経緯で刑事になったのか……なぜ、彼一人だけが特別捜査担当部署――通称『暗黒室』の配属なのか。


 なにも知らない――教えてくれない。上司として、いかがなものか。改めてそう思った。


「なるほどねぇ……それでそれで、キミはどうしたの?」

「……恥ずかしながら……『知りたい』と思ってしまいました……」

「あらまぁ」

 これほど意図の読めない「あらまぁ」を聞いたのは初めてだった。もはやただの相づちである。


「これは質問ではなく確認だが……イサカ氏は児童ポルノ処罰法や青少年保護育成条例などを明確に理解していて、かつ自身の刑事という立場を明瞭に自覚しているね?」

「も、もちろんです! し、しかし……あの時は、どうしてか……まるで理性のタガが吹き飛んでしまったというか……すみません、これは自分の言い訳です。けど当然、手を出してはいません。刑事という職に誓って言います」

「真面目だねぇ、イサカ氏は」

 では手を出してもよかったのかと言えば、きっとそういう意味ではないだろう。アラシベが言ったのは皮肉ではなく、あくまでもひとつの評価である。


「それで……ルリノさんのことが急に愛おしくなって、頭から離れなくなってしまって……」

「『カヅト氏を匿っている事実を隠蔽してくれ』と依頼されたわけだね?」

「そのとおりです。自分にはなぜか、彼女に嫌われることがもの凄く恐ろしいことのように感じられて……今はもう大丈夫ですが。本当に……我ながらどうかしてたとしか……」


 ルリノは生粋の魔性の女なのではないか、という考えがイサカの中に芽生え始めていた。いや、誘惑や魅了などというそんな生やさしいものでは決してなかった。あれはもっと強力で、理解を超えたなにか……。

「……イサカ氏の意見を聞きたい。なぜそんなことが起こったのか……キミの主観ではどう解釈しているんだい?」

「そう、ですね……にわかに信じがたいですが、催眠や暗示、洗脳という表現がしっくりくるかと」


 だが、イサカには理解できない――理解する資格を有していない。


「催眠、暗示、洗脳かぁ……」

 虚空を見上げるアラシベ。また独り言が始まるかとイサカは内心げんなりしかけたが、そうはならなかった。

「……なるほどね。とりあえず、質問は以上だよ。ごくろうさま」

 そう言って、アラシベは再び座席シートへと寝転んだ。脚を組み、懐から携帯ゲーム機を取り出し始めている。これにはさすがのイサカも意見せざるを得なかった。


「ちょっ……アラシベさん!? カヅト氏の身柄を確保しに行かないんですか!?」

「行かないんではなくて、行けないんだよ。まだ、その時じゃない……まだ、ね。それに、ほら――」


 アラシベはタッチペンでイサカのことを指し示した――正確には、イサカの後ろの車窓を。

 振り返ると、それまで外にいた『なにか』は忽然と姿を消していた。そのことにイサカは驚いたが、真に驚くべきはそこではなかった。


「――お客さんがちょうど来たみたいだ」


 レーシングスーツにフルフェイスヘルメットを被った人物が、車の外に立っていた。



次回更新は7/20(土)予定!

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