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約束と保身

『死』――その単語がアラシベの口から発せられた時、イサカは妙に納得してしまった。あぁ、そうだ……『死』! それまで漠然としていた危機感が鮮明な色を帯びたような感覚だった。今の自分はまさしく――死の淵へと追いやられている!


 それと同時に、当然の懐疑も生じた。死を覚悟するなんて……目の前の上司は、まさか自分を殺そうとしているのだろうか?

「じょ、冗談、ですよね……?」

「冗談じゃない! 私は嘘の次に冗談が嫌いだよ……そういう話の道草は、論理の筋道を乱すだけだからね!」

 アラシベは声を荒げた。彼が感情を露わにするのは珍しい……非常に珍しい。なにせ、自分の部下が死の淵へと追いやられているというのに――自分の部下を死の淵へと追いやっているというのに、相変わらず狐の様相を崩さないような男なのだから。


「勘違いしないでくれたまえ。死を覚悟してもらうとは言ったがね、これは私がイサカ氏に対して殺意を抱いているという訳ではないよ。たしかに嘘や冗談は嫌悪の対象だが……殺意を抱くほどではないからね。しかししかし、キミがこれ以上嘘をつき続けるというなら、それは死を意味するということになる。車の往来に身を投げる人間に対し、私ができるのは注意を促すことだけ……行き交う車を止める術を、私は持っていないからね。そういう状況に似ていると思わないかい?」


 ……まったく意味がわからない。それがイサカの正直な感想だった。「このまま嘘をつき続ければイサカ氏は死ぬけど、それは不可抗力で、だから私が殺すことにはならないよハハハ」みたいなニュアンスで解釈したが……最後の哄笑はおそらく余計である。


 だが……イサカには多少なりとも確認できたこともある。現段階をもってしても、やはりこのアラシベという男は自分の上司であり、やはり自分はこのアラシベという男の部下であるということだ。アラシベは自分のことを殺すつもりはない――結果として死んでしまう可能性はあるようだが、それでも、率先して手に掛けようという考えはなさそうだ。

 イサカは少しだけ――ほんの少しだけ安堵した。実のところ、アラシベが自棄に陥ってしまっているのではないかと危惧していた。それには理由がある。



 思い出すだけでも痛ましいが……彼のもとに就くイサカを除く4人の部下は全員、先日に殉職していた――『名誉の死』とはとても言い難いかたちで。



 いや、この世界に『名誉の死』などない。あってはならない。生きなければ……生きてこその名誉である。生きることが名誉である。名誉ある生を全うしなければならない。


 アラシベは敵ではない。ずいぶん怪しいラインだが、かろうじて、まだ、味方だ。だとしたら、イサカを殺すのは誰なのか……? 答えは簡単だった。

 イサカは胸に繋がる鎖を再確認する。茨のような鎖の先――窓の外からイサカを見下ろす、得体の知れない巨大な『なにか』。イサカを殺すのは……こいつに違いない!



「さてさて……答えを聞こうか、イサカ氏。……ルリノ宅にカヅト氏はいたのかい?」

 アラシベが先ほどとまったく同じ質問を口にする。しかし、イサカはすぐには答えなかった。

「………………」

 もう嘘は見透かされている。すぐに答える必要はないのだ。じっくり悩めばいい……約束を選ぶか、保身を選ぶか。


 ルリノを裏切るくらいならば……それによって彼女に軽蔑の眼差しを向けられるくらいならば、いっそのこと死を選ぶのも良い選択のようにさえ感じられた。それほどにイサカの精神は倒錯していた。『恋は盲目』と言うが……彼のそれはもはや崇拝の域にまで達しつつある。


 今し方出会ったばかりの、それも年端もいかぬ女子に、色香に惑わされたと言えど、これほどまでに狂うものだろうか……?

 明らかに『異常』……しかし、ルリノを崇拝する今のイサカに、その判断は下せない。


 しかし、イサカは悩んだ。ひょっとすると、それは彼の人生の中で最も苦く、苦しい悩みだったかもしれない。


 約束を選ぶか、保身を選ぶか――



次回は7/6(土)に更新予定!

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