How much is that lie?
当然のことながら、イサカは現状をまったく把握できないでいた。かろうじてわかることと言えば、2つ。このような異常を前にしても相変わらず静かな表情を崩さないアラシベ――彼がこの異常の元凶であるということ。そしてもう1つは、我が身に危険が迫っているということ……おそらく現在進行形で。
イサカの中に、得体の知れない恐怖がこみ上げてきていた。
「嘘はよくないなぁ、イサカ氏……私にとってではなく、キミにとってね」
悠々と脚を組み替えるアラシベ。イサカは声の震えを抑えながら訊ねた。
「これ……これはいったい、なんですか……!?」
「イサカ氏の疑問はもっともだが、その質問に答える必要性を私は感じないし、答えたところでキミが理解できるとも私は思わない。気を悪くしないでくれ……イサカ氏の理解力を侮っているわけではないよ。犯罪者の心理を真に理解できるのは、同じ境遇に立たされた犯罪者だけ――それと似たようなことさ。キミの頭脳は素晴らしい……私の頭脳には、少しばかり劣るがね」
微妙に貶されたような気がしたが、イサカはあえてスルーした。というか、それどころではない。先ほどから胸が痛い。鎖の繋がった部位が異様に冷たく、凍てつくような感触は四肢にまで伝わってきている。理屈はまったくわからないが、この鎖、どうやらシャツを透過して胸に直接繋がっているようだ。
「それにそれに、質問しているのは私だ――イサカ氏ではなく。そこを履き違えてはいけない。それでそれで……実際のところ、ルリノ宅にカヅト氏はいたのかい?」
「そ、それは……」
イサカは口ごもってしまった……答えに詰まってしまったのだ! 最善の方法で嘘をついたはずなのに……目の前に寝そべる上司は、いとも簡単に看破した。それも、得体の知れない力を伴って!
もしかすると、この男を欺くという行為自体がすでに無謀だったのではないか――イサカの中に疑念が湧いた。方法云々の話ではない。どのような稚拙な嘘であっても、彼には通用しなかったのではなかろうか……それこそ、化かされているかのように。今のアラシベが纏っているのは、そう錯覚してしまうほどの、なにか超然とした雰囲気――少なくとも、イサカにはそう感じられた。
「それは?」
先を促すアラシベ。イサカの脳裏では『ルリノとの約束』と『アラシベへの恐怖』が天秤に掛けられていた。ここで約束を破れば当然、彼女に軽蔑されるだろう……想像しただけで胸が引き裂かれそうになる。そんなことになったら、もう二度と立ち直れない気さえした。それだけは……最悪の事態だけは回避したい。
イサカは固唾をのんで、そしてようやく答えた。
「いませんでした――……っ!?」
瞬間、鎖が狂った馬のように激しく跳ねた! パキパキと不穏な音を立てる鎖の群れ――それまでの重厚なデザインは砕け散り、有刺鉄線のような刺々しいものへと豹変する。
「あぐぅっ!?」
イサカの口から呻き声が漏れた。なんと胸板に氷が張り始めているではないか! 痛いほどに凍てついた氷はじわじわと上半身を浸食し始めている……さながら氷の華が根を伸ばすかの如し!
「イサカ氏ぃ~……嘘はよくないと言っただろう? キミへの評価を改める必要があるかもしれないね」
アラシベは呆れたと言わんばかりに首を振った。それでも表情は狐のような薄笑いのままだ。ポーカーフェイスもここまで来ると、仮面のようで気味が悪い。
しかし、今のイサカにはそれを観察する余裕も、冷静さもなかった。全身が痺れるように痛い。息が苦しい。朦朧とする意識……爪先はちぎれてしまったかのように感覚がない。躍起になって鎖を掴んだ。棘が刺さって血が出ているはずなのに、両手は他人のもののように感触がない。
「ア、アラシベさん……!? これ……! なんなんですかこれ!? やめてください! やめてくださいよ!」
「キミが嘘つきだからいけないんだろう?『嘘は泥棒の始まり』なんて巷では言うらしいじゃないか……刑事としてあるまじき姿だとは思わないのかい?」
もはや動揺を隠せなくなったイサカに対し、なおも悠然とした態度で応じるアラシベ。組んでいた脚をもったいぶった動作で解くと、上体を起こしてイサカに向き直った。
「さてさて、イサカ氏……巷と言えば、『仏の顔も三度』という言葉もあるね。『三度目の正直』を訊かせてもらえるかな? もっとも、『二度あることは三度ある』とも言うらしいがね……その時は、 死 を 覚 悟 し て も ら う よ 」
次回更新は6/29(土)予定!




