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Egoist  作者: 来生尚
降り積もる期待
9/32

 それは突然の誘いだった。

「桐野ちゃん。今度野球見に行かね?」

 飲み会の席で隣に座っていた石川さんに突然言われ、あまりの脈略の無さに手にしていた枝豆の粒が飛び出した。

 あわあわと拾う私の横で石川さんがくくくっと喉を鳴らして笑う。

「こないだ取引先にタダ券貰ったんだ。桐野ちゃん野球好き?」

 好きか嫌いかと言われても、興味が無いっていうのが正解かな。

 父親が子供の頃夕食時に見ていたから、野球のルールくらいはわかるけれど。

 正直なところ、見ていても眠くなるだけで何も楽しいところは無い。

 多分沈黙を否定だと思ったのだろう。石川さんが煙草に火を点けながら、野球の解説をしてくれる。

 聞いたら楽しそうな気もするけれど。うーん。

 もともとアウトドア派では無く、家で図書館で借りてきた本を読んだり、DVD借りてきて見たり、取り溜めたドラマ見たりで週末は過ごす。

 だから人一倍肌が白くて、運動量が足りないせいで贅肉過剰気味なんだけれど。

「まあ野球に興味が無くても、外でビール飲むの美味いから行こうぜ」

「……はあ」

 社交辞令なのか、それとも本気なのか。

 石川さんの本音もわからず、返事が曖昧になる。

「じゃあ今度メールするわ」

 そう言うと石川さんは信田さんに呼ばれて席を立つ。

 うーん……。

 経験値が足りないせいなのかわからないけれど、さっぱり石川さんの意図が掴めない。

「きーりーのーちゃん」

 明らかにニヤニヤ笑っている沙紀ちゃんに肘でつんつんと突かれる。

「石川さんとデートするんだぁ」

「で、で、で。デート?」

「いーなー。桐野ちゃん。どーして沙紀のことは誘ってくれないんだろう、石川さん」

 もしかして沙紀ちゃんも石川さん狙いだったのだろうか。

 この会社には石川さん狙いの人が多いけど、表立って沙紀ちゃんがそういう事言って無かったら気が付かなかった。

 そっか。沙紀ちゃんも。

 ちくっと胸が痛んだ。沙紀ちゃんはいい友達だから、そういう事で揉めたりするのは嫌だなぁ。

「あ。でも沙紀のこと気にしないでね。別に石川さんの事好きなわけじゃないし。ただ雰囲気イケメンだなーって思うだけ」

「雰囲気イケメン?」

「うん。だってさ、カッコよさで言ったら他の人のほうがカッコよかったりしない? すっごーくカッコイイってタイプじゃないんだよね、石川さんって」

「そうなのかな? でもすごくもてるでしょ」

「そーだねー。でもさ、例えば顔で言うなら、ほら、りょーちゃんのほうが整ってるよ。なんたって佐久間さんのお墨付きだもん。ね? 荒木さん」

 同期の寺内くんと今野くんと三人で話をしていた荒木さんに、唐突に沙紀ちゃんが話を振る。

 振られたほうの荒木さんは二十三歳には見えない色っぽさでにっこりと笑う。申し訳ないなーと思いながらも豊満さを強調する胸元に目がいってしまう。

 これを至近距離で目の前で見ても動揺しないんだから、男性社員の皆さんはすごいなぁ。

 同性だから逆にドギマギしちゃうのかな。

「だって。褒められてるよ、今野くん」

 お酒で少し朱が差した頬や肌が色っぽいなぁ。

 いやいや、そうじゃなくって。

 問われたほうの今野くんは、小首を傾げてにっこり笑う。

 おおっ。至近距離で初めて見た。「可愛いりょーちゃんスマイル」を。

「そうですか? 僕はただ童顔なだけですよ」

「またまたー。あの佐久間さんを虜にしてるくせにっ」

 ぐいぐいと沙紀ちゃんが肘で今野くんを押すけれど、今野くんは笑顔のまま抵抗すらしない。

 しかも佐久間さんの事を言われても、あははと笑うだけで否定もしない。

 なんか、不思議な子だな。

「今野、いっそ佐久間さんに貢いで貰えばいいんじゃないの? 担当長だし、金はあるよ、きっと」

 寺内くんのツッコミも笑って交わした今野くんとバッチリ視線が合う。

 しまった。見すぎた。

「そうそう、桐野さんって人気あるんですよね。知ってました?」

「え? 私のどこがっ!?」

「癒し系だって。なあ、寺内」

「ああ。営業から帰ってくると『お疲れ様』って笑ってくれるのが良いって先輩が言ってましたよ」

 おだてられてるだけなんだろうとわかっているけれど、なんか気恥ずかしいのと嬉しいのとで頬が熱くなる。

「そ、そうかな。沙紀ちゃんだって社員さんが戻ってきたら『お疲れ様』って言うよ。仕事は気持ちよくしたいじゃない。だから普通だよ。ねえ、沙紀ちゃん」

「ふふふふふ。そうですね。そうですね。うんうん、そうですね」

 意味のわからない事を呟くだけで沙紀ちゃんは笑っている。

 これは一体どういう事態なの?

「ただ私が人よりちょっと丸っこいからそういう事言うだけでしょ。もー。癒し系って言えば悪く聞こえないけれど、早い話がぽっちゃりしてるって事でしょ?」

「いえいえ。僕が言いたいのはそういう事じゃないですよ」

「じゃあどういう事?」

 言葉に棘があるのは致し方ない。

 いつだってこのぽっちゃり体型のせいで、二の腕触らせてだとか、お腹が服に乗ってるだとか、からかわれる事のほうが多いんだから。

 癒し系なんて言葉に騙されないんだからねっ。

「優しいって事だと思いますよ。残念ながら僕は業務で関わったことが無いのでわからないですけれど」

 ……今野くん。キミ、いい子だ。

 思わず感動してしまいそうになっていたら、頭をぐりぐりって誰かに撫でられる。撫でるにしては力が強いんですけれど。

 誰の手だろうと思って振り返ると、中腰で石川さんが横に座っていた。

「そうだろ、そうだろ。桐野ちゃんは優しいんだよなー。お前ら結構チェックしてんな」

 もう一度髪の毛を掻き混ぜるみたいに撫でられた。

 ドキドキするのでやめて欲しい。だけれどやめてなんて言えなくて、何も言えないまま石川さんを眺める。

 雰囲気イケメンかぁ。

 私には普通にイケメンに見えるけれどなあ。

 ちょっと待って私。不用意に意識してどーするっ。

 かーっと耳まで熱が上がっていく。どうか気がつかれませんようにっ。

「チェックなんてしてないですよ。石川さんだって言っていたじゃないですか。営業課で一番優しい派遣さんは桐野さんだって」

 ええっ。そんな事まで言ってたんですか。

 思わず目を見開いて石川さんをまじまじ見ると、「見んな」と撫でていた手で頭を横に押される。

 なんか、何だろう。

 お酒のせいなのかな。心がふわふわして落ち着かない。

「へー。そうやってみんなで女性を格付けしてるんだ。聞き捨てならないなぁ」

 荒木さんの一言に、慌てたように寺内さんが手を横に振る。

「そんなことないよ。そんなことないって。たまたま三担の派遣さんの話をしていた時にそういう話になっただけで」

「ふーん」

 信用してませんって顔の荒木さんに、あわあわと慌てる寺内くん。それをニコニコ見ている今野くん。

 今年の新入社員たちも個性的だけれど仲が良さそうだ。

「今野か寺内、煙草買ってきて」

 なんとなく話が途切れると石川さんが新入社員くんたちに声を掛ける。

 先に立ちあがった寺内くんが石川さんからお金を預かって買い物に出かける。

 その空いた席に石川さんが腰を下ろして、私の隣には石川さんが座った。

 なんかふわふわした気持ちが持続していって、落ち着かない気持ちになる。それどころか石川さんの横顔に、胸がドキっと跳ねる。

 何だろう、この感じ。

 横で新入社員さんたちと話をしている石川さんの横顔を見ていると、どうにも落ち着かない気持ちになるから、なるべく視界に入れないように心がける。

 そんな感じで沙紀ちゃんのほうを見ると、にたーっと笑われた。

 ああ、絶対に何か言われる。

「桐野ちゃん、今日二次会いく?」

「ううん。明日も仕事だから帰る」

「じゃあ一緒に帰ろうね」


「ちょっとー。あれ、絶対良い感じだって」

 電車に二人並んで座ると、沙紀ちゃんが興奮気味に話しだした。

「え。何の話?」

「だーかーらーっ。石川さんだって」

 21時過ぎの電車内。残業帰りの誰かが同じ車両にいるかもしれないので、思わず目を凝らす。

 多分、いないかな。でも……。

「沙紀ちゃん、声大きい」

「ああ、ごめんごめん。やっぱ石川さん、桐野ちゃん狙いだって」

 こそっと耳元で言う沙紀ちゃんの声に鼓動が早鐘を打ち出した。

「まさか。響さんだっているのに」

「……別れたらしいよ。信田さん情報だと」

「え? 何で? あんなにラブラブだったのに」

「それはわからないけれど。今、石川さんはフリーだし、あの感じは絶対悪くないって。いけるよ、絶対」

 沙紀ちゃんの確信はともかくとして、石川さん、響さんと別れたんだ。

 すごくお似合いの二人だったし、仲も良かったのに。

「やっぱり職場変わると上手くいかないものなのかな?」

「さあ、どうなんだろうね」

 たとえ別れたとしても、あの響さんのあとに私って事はないだろう。絶対無いに決まっている。

 日頃からスキンシップ過多の石川さんだから、あれは普通の事だ。誰にでもしてる。

 止まらないドキドキを押さえるために、私はそう自分に言い聞かせた。

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