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Egoist  作者: 来生尚
不機嫌な彼女とA評価の男
5/32

 カタカタとパソコンを叩く音が響いている。

 机を仕切るパーテーションの向かい側でも同じような音が響いている。

 それが妙に安心させる。

 ちらっと目を上げてみたけれど、石川は気が付いていない。でもそれで良かった。

 別に会社で恋愛をしているわけじゃない。

 実家暮らしの石川が一人暮らしのあたしの家に頻繁に来るようになって3ヶ月。

 会社では見せない色々な顔を見せるようになったけれど、やっぱりこうやって仕事をしている姿が一番いいと思う。

 絶対に本人には言わないけれど。

 視線を資料に戻し、売り上げの分析をする。

 地域的に官公庁が多くて、そこでかなり安定して収入が入ってくるので胡坐をかいていた部分もあるようだけれど、最近の一担の営業成績は平行線を保っている。

 ここで何かしらのてこ入れをしなくては、右肩下がりになる事も考えられる。

 同業他社の追い上げや、こちらが競争で負けることも容易に想像が出来る。

 つまりそのくらい危うい場所に現状立っていると思うのだが、佐久間さんはそんな事は気にしていないようだ。

 以前よりは営業にも意欲が出てきたので、自分で変えられるならば変えてみたい。

 しかし出る杭は打たれるどころか、佐久間さんに嫌われているあたしが提案したところで受け入れられるどころか、批判されて終わりだろう。

「司」

 目の前の席に声を掛けると、パソコンから顔を上げて石川があたしを見る。

「何?」

「ちょっと見て欲しい資料があるんだけれど、メールで送ってもいい?」

「いいよ。急ぎ?」

「ううん。急ぎじゃない」

「じゃあ目を通して後で声掛ける」

 再び自分のパソコンに目を戻した石川に「よろしく」と言い、再びパソコンに目を戻す。

 石川が手伝ってくれているおかげもあって、企画はついに最終選考に行く事になった。

 その最終的な詰めもしなくてはならないので、パソコンにUSBメモリを繋いでデータをパソコンにコピーする。

 元のデータは自宅のパソコンに入れてあり、社で手を入れる用にデータを持ち歩いている。

 デスクトップ上に保存し、USBメモリは抜いて引き出しの中にしまう。

 企画内容の着眼点はいいと当初から言われている。でも弱点があった。

 石川に言われて気が付いたのだけれど、どうやったらこの企画を売り上げに繋がっていくかという現実的な視点が欠けている。

 それを補う為にはどうしたらいいのか。

 営業担当になったことは、そういう今まで自分には見えていなかった世界に視野を広げるいい機会になっている。

「えり」

 企画内容と社の商品開発部門の資料を並べて比べていると、前方から声を掛けられる。

「さっきの見た。要話し合い。っていうわけで行くぞ」

 返事はしないで、笑みだけで返した。それだけで十分に石川には伝わっている。

 派遣さんたちに喫煙所にいることを伝えて席を離れる。

 並んで歩くあたしたちを、佐久間さんが睨んでいた事に気が付かずに。


 他の一担社員さんや珍しく伊藤さんまで加わって、喫煙所の中は新規顧客開発についての熱い議論が交わされる。

 皆一様に危機感を抱いていたようだ。

 最近二担が大きく成績を伸ばしているのもあり、隣の担当の変化は焦りとやる気を生み出している。

 何とかして一担の営業成績をよくしたい。それはここにいる全員一致での考えだ。

 問題はそれを一担長の佐久間さんがどういう風に受け入れてくれるかだけだ。

「多分あたしが提案してもダメだと思うんですよね」

 炭酸飲料を手に握り締めながら言うと、伊藤さんが「はー」っと溜息を吐く。

「認めたくないが事実だな。本来ならこの短期間で営業のノウハウを身につけて、新規開拓にまで目を向けているのだから、大いに褒めてやるべきだと思うんだけれどな。すまんな、俺の力不足で」

 伊藤さんもこの担当に来てから一年経っていないという。

 経験が少ないのもあり、上司である佐久間さんには意見しにくいのだろう。

「大丈夫です。睨まれ慣れてますから。こういう性格ですしっ」

 ははっと笑い声を上げると、ぽかっと頭を叩かれる。

「ばーか。そこは笑うところじゃねえだろ」

 振り返って見上げた石川の顔は呆れ顔……とはちょっと違う、なんか微妙に怒ったような顔をしている。

「そうかな? 笑い飛ばした方がラクよ。それにね、実際にあたしが言うとどうなるかわかっているんだから、この機会を潰さない為にはどうするかを考えるのが最善だと思うのよね」

 伊藤さんが吐いたみたいな溜息を吐き出し、石川の手があたしの頭を撫でる。

 周囲のみんなはそれをシカトして話を進めだす。

「やっぱり伊藤さんが言うべきじゃありませんか?」

 うんうん、それが一番いいと思う。

「やー。俺が言ってもさ。あの人基本的に仕事量が増えることは嫌うから、多分ダメだと思うんだよね」

 先輩社員の言葉を首を横に振って否定する。

 確かに。あの人仕事嫌いだよね。それなのに課の総括まで佐久間さんが担当しているのだから、課長は本当に見る目がないと思う。

 多分に派遣さんたちが犠牲を強いられている。見ていて可哀想になるくらい。

 自分のミスも派遣さんのせい。自分の連絡不足も派遣さんのせい。自分の仕事が終わらないのも派遣さんのせい。

 本当に見ていて不愉快になる。

 なんであんな人が担当長になれたのかと不思議で堪らない。

 もっとも、派遣さんに向けられるような悪意を自分も向けられているのだけれど。

「いっそ今野が言えば?」

 誰かが言った一言に、正式に一担に配属された新入社員くんが首を大げさなほど横に振る。

「無理です無理です。僕が提案したら逆におかしいです。僕はそこまで売り上げ分析できるほど業務に精通してないですから」

「確かになー」

 うんうんと皆が頷く。

 これといった妙案が浮かぶでもない。

 煙草を吸ったり、飲み物を飲んだりしながら、時間だけが過ぎていく。

「とりあえず次のミーティングまでにどうするか考えよう。響、悪いけどメールでデータ送っておいて」

 伊藤さんの提案に「はい」と頷く。

 それでこの場は解散ということになり、ぞろぞろと喫煙所を出て行く。

 その中で石川だけが、新しい煙草に火を点けた。

「司、戻らないの?」

「んー。まあな」

 顔を背けてあたしのいないほうに煙を吐き出し、難しい顔で腕を組む。

「難しいな。色々」

「うん。でももう慣れたし。あたしはあたしなりにやってるから大丈夫。そのうちデカイ契約取ってきて、あっと言わせてやるんだ」

「すげえ女」

 くすっと笑い返し、石川と視線を合わせる。

「すごいでしょ。だって司が色々教えてくれたから。まあ、あたしが飲み込み早いっていうのもあると思うけれどね」

「それは余計な一言だな。それがなかったら、えりの一言で舞い上がってたところなのに」

「あら。珍しい。あたしが何言っても対して表情変えないくせに」

 にやっと笑ったかと思うと、石川が少し屈んで耳元で囁く。

「そうでもないって事知ってるだろ?」

 耳が弱いってわかっててワザとそういうことするんだから。

 条件反射で頬が赤くなってしまうので、誤魔化す為にそっぽを向くと、石川の両腕があたしから逃げ場を無くす。

 煙草を吸い終えた石川が、腕の中に囲い込んだあたしの耳元にキスを落とす。

「でも俺はお前がそうやって恥ずかしそうにしているのを見るのがいいな。お前、俺にしかそんな顔見せないだろ?」

 振り向かないからわからないけれど、今、確実に石川があたしの首を舐め上げた。

 髪が掻き揚げられ、ちゅっとうなじの辺りを吸われる。

「司」

 声に甘さが篭っているのを自分でも感じてしまう。どうしていつもこうなっちゃうんだろう。

「えり」

 呼ぶ声に振り返ると、ぐいっと顎を掴まれ、石川が唇を重ねてくる。

 ただ重ね合わせるだけのキス。

 それなのに、あたしの鼓動は痛いくらい激しく音を立てる。

「もっとしたいけど、帰ってからな」

 にやっと笑って離れる石川の上着の裾を咄嗟に握り締める。

「あと一回」

 ふっと笑ったかと思うと、いきなり口内に舌を差し入れられる。歯列をなぞり、舌と舌を絡めあわせ、もう呼吸する事さえ難しくなるような激しさで。

「会社で何やってるんだろうな」

 笑う石川の肩を思いっきり叩いてやった。


 自分の机に戻ると、何かがおかしい。

 開いて手直しをしようと思っていたファイルが閉じられている。

 デスクトップ上を探しても無い。

 おかしいと思って、間違ってネットワーク上のフォルダに入れたのかと思って探しても無い。

 どこかパソコン上の普段とは違う階層に保存してしまったのかと思って検索を掛けてみたけれど、ファイル名で該当するものはない。

 困ったなと思って、パソコンと睨めっこしていると、ふふっと背後から笑い声が聞こえる。

「響ちゃーん、仕事順調?」

 にんまりと笑うお局に、全てを察した。

 こいつめー。やりやがったな。

 顔に怒りが滲み出ていたのかもしれない。それに気を良くしたのか、おほほほほと笑い声を高らかに上げながら佐久間さんが去っていく。


 --どうした?


 異変に気が付いた石川からすかさずメッセージが飛んでくる。


 --やられた。多分佐久間さんにファイル消された。


 --まじでか? え? さっきの営業資料の?


 はっと気が付いてそっちも確認すると、それも消えている。見事なまでに消去されている。

 幸いな事に石川にメールで一度データを送っているから消えてはいない。


 --後でさっきのデータ、メールで送って。原本が消えたわ。


 嫌われているとは知っていたけれど、そんな姑息な真似までするとは。

 あたしの中の怒りゲージは振り切れそうな位まで上がっていった。

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