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Egoist  作者: 来生尚
SIDE STORY
30/32

姉さんと子犬くん:3

「酒が飲める、のめるぞー。酒が飲めるぞー」

 居酒屋のテーブルで向き合うと、上機嫌で響がメニューを捲りだす。以前上司が酔っ払って歌っていたおっさん臭い歌を口ずさんで。

 確か同期会で定時に上がったはず……。小泉は思いっきりしかめっ面をして、響の手からメニューを強奪する。

「いくら姉さんがザルを越えて枠なくらい酒が強くても、もう飲みすぎですよ。確か焼き鳥屋行ったんでしょ」

「行ったよ。焼酎と日本酒とビール飲んだ。でも折角子犬くんと居酒屋来たのに飲まなきゃ勿体無いでしょ?」

「別にいいです。勿体無くないです。大体僕は食事しようって言ったんですよ。何故居酒屋なんですか」

「飲みたいから」

 平行線になりそうな会話に、小泉が溜息を吐き出す。

「潰れてもしりませんよ」

「潰れないから大丈夫よ」

「有言実行してくださいよ。僕、責任持ちませんからね」

「だいじょーぶ。だいじょーぶ。今から飲んでも始発まで6時間くらいでしょ。全然余裕だって」

 響の発言に、小泉は青褪める。

 人並みに飲めなくは無いが、そこまで飲み続ける自信は無い。

「勘弁してください。終電で帰りますよ」

 くすくすっと笑い声をあげて、響は小泉を見つめる。

 ほんの三十分前まで一緒だった男とは大違いの心地好さに、笑顔の仮面の下でほっと息を吐く。

 小泉のいつもどおりのツッコミに、やっと肩の力が抜けてくる。

「朝までー。絶対朝までー」

 メニューを奪い返しつつ、自分でも絡み酒だなと思うような発言を口にした響に対し、小泉は白い目を向ける。

「酔っ払いの戯言を相手にする気はありません。とっとと食って帰りますよ」

「やだ」

「やだって何ですかっ。たとえ明日が土曜日だろうとも、何で響さんと朝までサシで飲まなきゃいけないんですか。確実に潰されるのがオチじゃないですか」

 文句を口にした小泉に対し、びしっと音がしそうなほどの動作で、響が小泉を指差す。

「やる前から負けを認めるのか。子犬くんっ」

「……僕、そーいう勝負嫌いです。そういう酔っ払って絡んでくる姉さんも嫌いですよ」

 ふにゃっと響の表情が目の前で崩れ、小泉の表情が固まる。

 いつだって笑顔の響の顔が、まるで泣く寸前の表情に見えたからだ。

 絶句する小泉に対し、響が皮肉めいた笑みを浮かべる。

「嫌いか。うん、そうだよね」

 ぽつりと吐いて、響がソフトドリンクのページに目を向ける。

 いつもどおりの軽口のつもりだったのに、一体何が響をそんなに傷つけたのだろう。

 小泉の頭はフル回転するが、答えなど出るわけが無い。何故ならそれは彼自身に何か問題があったからではないからだ。

「……あたし、コーラでいい」

 ポンっとテーブルの上にメニューを置き、響は何を見るでもなく店内にぼーっと目を向ける。

 その瞳に映るものは現実ではなく、過去の景色。

 響の横顔に、小泉はそっと溜息を吐く。

「別にいいですよ。ビール飲んだらいいじゃないですか。どうせ一杯くらいなら酔わないんでしょ、姉さんは」

「ううん、いい。子犬くんの食事が終わったら帰ろう」

 繕ったような笑みに心が痛む小泉の事など、響が慮る事は無い。

 暗い暗い過去の情景。鮮やかな傷。

 一人の男によって切り裂かれた過去の想いの亡霊と、響は対峙し続けていた。

 注文も終わり、テーブルの上に軽いつまみと飲み物が届くと、ふたりはぽつりぽつりと仕事の話をしながら食事をする。

 思えばあまり焼き鳥食べてなかったなと、響は思い返す。

「子犬くん」

「何です?」

「今度焼き鳥食べに行こうね」

「今日食ったんじゃないんですか? 昼間そう言ってましたよ」

「……うん」

 そして会話が途切れ、小泉は深い溜息を吐き出す。

「焼き鳥、食えばいいじゃないですか。別にここにもありますよ」

「うん」

「注文します?」

「ううん。だってここのつくねには生卵がついてないもん」

 首を左右に振る響に、小泉の中のイライラがどんどん募っていく。

 いっそのこと、ヒールが折れたからとうな垂れて立っていた響を見てみぬフリをして帰れば良かったのではないかと思うほどに。

「姉さん」

 苛立ちがそのまま声に乗る。

 けれど響はいつもよりずっと力の無い笑みを浮かべるだけだ。

「同期と何があったんですか」

 確信に迫る質問に、響が口をへの字にする。

「答えたくない」

「じゃあそうやっていつまでも聞いて欲しそうにしているの、やめて貰えますか」

 そこで初めて響は気付く。

 自分の言動が小泉に不快感を与えているのだと。けれど、いつもどおりの笑みが作れない。何もないのだと偽る為の笑みが作れない。強いのだと虚勢を張る為の笑顔が作れない。

「ごめんなさい」

 謝罪以外、口に出来なかった。

 しゅんっとうなだれる響に対し、小泉はふーっと息を吐き出す。

 呆れられたのだろうか、怒らせてしまったのだろうか。響は表情には出さないものの、心の中ではかなり狼狽していた。

「……僕に、どうして欲しいんです? 何があったのか聞いて欲しい? 聞かないで欲しい? 怒って欲しい? 慰めて欲しい?」

 畳み掛けられても、それに対する答を響が口にする事は出来なかった。

 聞いて欲しいけれど、聞いて欲しくない。怒って欲しくないけれど、怒られて当然のことをした。慰めて欲しいけれど、それは自分のエゴでしかない。

「飲みたいなら付き合ってあげますから、いつまでもそういう顔してないで下さい。姉さんらしくない」

「……あたしらしい? あたしらしいって何?」

 今度は小泉がうろたえた。

 もっと軽く「そうね。私らしくないわよね」と返ってくるものだと思っていたからだ。少なくとも、普段ならそうだ。

「強いのがあたし? 強くなきゃあたしじゃない? あたしは一体どんな人間なの?」

「あのさ、姉さん」

 言いかけた小泉だったが、直前で言葉を切る。

 それは何かを言うのを躊躇ったのではなく、響の瞳に涙が浮かんでいたからだ。

「姉さん?」

 問いかけた小泉に対して、響はぐっと口を真一文字に結ぶ。

 ほんの一言でも発してしまったら涙が零れだしてしまう気がしたからだ。

 そんな響の心中を雰囲気で察して、「ほら」と自分の鞄から取り出したハンドタオルを小泉が手渡す。

「泣いたらいいですよ。何があったのかわからないけれど、泣きたいなら泣いたらいいです。見ないふりしときますから」

 でも泣き顔なんて見られたくないだろう。誰よりも強くありたいと響が願っていることを、共に仕事をしている小泉は知っている。

 着ていたスーツのジャケットを脱ぎ、ぱさっと響の頭の上に掛ける。その顔が見えなくなるように。

 そして何も言わず、小泉は目の前の食事たちに手を伸ばす。

 ぱくぱくと目の前で綺麗に箸を使う小泉を濡れた瞳で確認しつつも、響は涙を止めることが出来なかった。

「姉さんは姉さんでしょ。強くても弱くてもいいじゃないですか」

 食事の合間に小泉が呟くように言う。

「それじゃダメなんですか?」

 強い女は可愛げがなくてダメだなと言ったあの男の言葉とは対照的な言葉に、響は顔をあげる。

 その泣きはらした顔に小泉が少しだけ眉を寄せる。

「何があったか知りませんけれど、自棄酒付き合いますよ、姉さん。始発まででいいんですよね?」

 皮肉めいた笑みを浮かべる小泉に、響は笑みを返すことが出来なかった。

 一度壊れた涙の泉は、小泉の言葉で余計に溢れ出してしまったからだ。

 ほんの少し前までは冷静さを装っていた小泉だったが、まるで子どもが泣きじゃくるかのように涙を零す響に対し、慌てふためき思わず席を立ち上がる。

 店内で泣き出した響は当然店員や他の客の視線を浴びる。響の隣に腰を下ろすと、周囲から響が見えなくなるように、壁になるように座り、ぽんぽんと肩をあやすように叩く。

 すると響が顔を両手で押さえたまま小泉の胸に飛び込んでくる。

 一瞬固まった小泉だったが、両腕でやんわりと響の体を抱きとめる。

 泣き止むまでずっと小泉はそうしていた。

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