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Egoist  作者: 来生尚
不機嫌な彼女とA評価の男
3/32

 かつての上司但野さんからの呼び出しは、営企の時に出していた社内コンペの企画の一次通過による二次予選のプレゼンテーションの為の本社出頭だった。

 午前中本社でプレゼンをし、午後から支社に戻る。

 本来業務は支社での営業だというのに、頭の中は本社でプレゼンを行った企画内容で一杯だった。

 審査の時に居並ぶ本社の部長陣たちにも言われたが、詰めが甘い。

 どこがというのではなく、どこもかしこも魅力に欠けるのだ。

 目の付け所は悪くないと思うのだけれど、この会社でこの企画を生かす為には、新しい着眼点が必要になるだろう。

 社内の資料をイントラネット上から引っ張り出し、その資料を液晶画面で読み続ける。

 採用される企画と採用されない企画の違いはどこだろう。

 必死だった。

 これさえ採用されれば異動出来るかもしれない。

 営企にいた時には純粋に企画を考える事が楽しかったけれど、今は一担から解放されたくて必死になって考えている。

 異動したばかりで、今のままでは当分一担から抜けることは出来ない。

 このままではストレスで胃に穴が開くか、精神を病んで休職することになりかねない。

 そのくらいお局佐久間さんの嫌味攻撃は地味に効いてくる。

 地味どころじゃないかな。かなり抉られている。

「響、飲みに行くぞ」

「……いいわよ。ちょっと待ってね」

 残業をしていると、向かいの席の石川に声を掛けられる。

 子犬くんはしかめっ面でパソコンと格闘しているようだ。いつもなら子犬くんが露払いとばかりに場所のセッティングだとかするんだけれど、今日は行かないのかな?

 新入社員の支社研修の報告書を出す時期だから忙しいのかもしれない。

 資料を閉じてパソコンの電源を落とすと、見計らったかのように石川が立ち上がる。

「行くぞ」

 返事はしなかった。

 無言で立ち上がって、残っている社員たちに「おつかれさま」と告げる。

 今日はお局は定時退社をしたので、石川と肩を並べていても煩く言われる事はない。

「おつかれさまでーす。また明日」

 今野くんがお局を悩殺する「可愛いりょーちゃんスマイル」なるもので送り出してくれる。

 彼の天真爛漫さが羨ましい。あんな風に笑って仕事していたいのに。


「どこがいい?」

 営業課の部屋を出てエレベーターの前で石川が振り返る。

 あれ? もしかしてサシ飲み?

 今まで同期会や課の飲み会で飲むことはあったけれど、二人きりで飲むことなんて無かったのに。一体どんな風の吹き回しかしら。

「何でもいいわ。強いて言うなら美味しい芋焼酎を置いているお店がいいわ」

「……魔王?」

「石川っちのおごりなら森伊蔵がいいわ」

 くくくっと石川がいつものように喉を鳴らして笑う。

「無駄に舌が肥えてて高くつく女だな」

「いいでしょう? どうせ飲むなら美味しいほうが」

「まーな」

 アルコールが入っていればなんでもいいという石川とは違う。

 あたしにはあたしなりのこだわりがある。

「じゃあこないだ信田さんに教えて貰ったいいところがある。行くか?」

「いいわよ」

 どうしてだかわからないけれど、行くか? と問われた時に胸がドキンと跳ねた。

 きっと美味しい酒が飲めるという興奮のせいだろう。

 自社ビルを出ると、もう秋だというのに夏の名残の熱風が肌を撫でていく。

 その風がふわりと石川から香水の匂いを漂わせた。

 昔聞いた事がある。彼のつける香水の名前。エゴイスト。

 普段は意識した事なんてないのに、ふいに鼻に石川の香りが残った。

「行こうぜ」

 目の前に差し出された手に戸惑う。

 手招き?

「早く来いよ」

 その手の意味がわからず悩んでいると、手首を掴まれた。まるで引き摺っていくかのように、石川が振り返らずに歩いていく。

 彼の大きな背中をこうやって見ることなんて幾度も無い。

 同期で同僚。常に肩を並べる相手であって、背中を追うなんてありえなかったのに。


「もー。最近煮詰まってるのよぉ」

「んなの、見てりゃわかるって」

「わかってないわっ。あたしが言ってるのは仕事のことだけれど仕事の事じゃないのよ」

 今まで他の人には話したことのない社内コンペの企画の話をした。

 へえっと眉を引き上げて、向かいの席の石川が「すごいじゃん」と言う。

 それがすごく誇らしくって「まあね」としか返せなかったけれど、本当は心が弾みまくるほど嬉しかった。

 あたしは一担に移ってから今までこんなに充実感を感じた事は無い。

 常にイライラと戦っていたから。

 だからこうやって単純に同期から認められたのは、仕事の弾みになるし、やりがいにも繋がってくる。

「これが上手く通れば本社の企画部に異動する事も出来るわ」

「あー。ずっとお前の目標だったもんな。頑張れよ」

 あっさりと言う石川に、何故か物足りなさを感じる。

「あらー。あたしがいなくなったら淋しいくせに」

 冗談交じりに言ったのに、石川が息を呑んだ。

 そしてじーっとあたしの目を覗き込んでくる。

「お前、彼氏は?」

「別れたわよ。仕事が忙しいのもあったけれど、カリカリしている女は嫌いなんですって」

 つい一月ほど前に別れた男は、モロにあたしのイライラの矛先が向けられてしまったから、それに苛立ち、そしてあたしに嫌気がさしたようだ。

 別れた時には怒りを感じたけれど、でも少し時間が経ってわかった。

 全部間違っていたのは自分。長い付き合いで一緒にいる事が当たり前みたいになっても、自分の感情のままに当り散らして許容されるわけじゃない。

 お局のせいで精神的にキツかろうと、それを発散する為に些細な事で喧嘩をしていたのは、今になってみれば愚かしい。

「まあ、他に可愛い子でも出来たんじゃないかしら。ほら、あたしって昔から出来る女だから男の手に負えないみたーい」

 ケラケラと笑いながら言うのを、石川は神妙な顔つきで聞いていた。

 飲んでいた焼酎のコップをテーブルの上に置くと、ふうっと石川は息を吐き出す。

「それはお前がロクな男と付き合ってねえからだよ」

「ふん。わかったようなこと言わないで」

 合コンで知り合ったとはいえ、それなりの期間付き合っていた。

 結婚という話は出なかったけれど、それでもあたしなりに彼を好きだったし、彼もあたしの事を好きだった。

 壊したのは、あたし。彼が悪いわけじゃない。

 それに会った事もない彼の事を石川なんかに悪く言われたくない。

「わかる。お前はいつだって虚勢ばっかり張ってるけれど、本当は弱くて折れそうな自分を誤魔化しているだけだ。イライラしてるのも弱い自分を隠す為の鎧だろ?」

「何がわかるのよ」

「わかる。わかるからたまには弱音の一つでも吐いてみろ」

「嫌よ。ぜーったいにイヤ」

 お前はこうなんだ。だから弱くてダメなんだと決め付ける石川に腹が立つ。

 それは本当だからだ。

 誰よりも認められたい。優秀でありたい。弱点なんて晒したくない。だからこそ、あの痛いところを突いてきて仕事の邪魔ばかりする佐久間さんに腹が立つ。

 本当はあんなの誰かに何とかして欲しい。でも誰かが助けてくれるわけじゃない。だから大丈夫だって笑って誤魔化す。

 派遣さんたちが心配そうに「大丈夫ですか」なんて聞いてくるのも、嬉しい反面すごく腹立たしかった。あたしが弱いって言われているみたいで。

「意地っ張りだな」

「あたしの八割は意地で出来ているのよ」

「残りは?」

「さあね。わからないわ」

 煙に巻くように告げ、これ以上深入りされては不味いと思ったので鞄の中に入れて持ち歩いている企画書を取り出す。

「ところで、この企画なんだけれど、どう思う?」

 目の前に差し出された企画書を手に取り、仕事の時と同じ真面目な顔で石川がページを捲る。

 枚数のあるそれを真剣な目で見ている石川が口に煙草を咥える。

 紫煙を吐き出しながら読む石川の様子を見ていると、くしゃっと石川が表情を変えてあたしを見た。

「そんな見んな。ちゃんと読んでるから、気にせずそれ飲んで待ってろ」

 目の前に枡酒が差し出された。

 さっきまで石川が飲んでいた日本酒に口を付ける。辛口で美味しい。

 日本酒を飲みながら待っていると、石川がジャケットのポケットからボールペンを一本取り出し、ペーパーナプキンにさらさらと文字を綴っていく。

「何してるの?」

「疑問点をまとめてる」

 その日からこの企画の参謀に石川が就任した。

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