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Egoist  作者: 来生尚
鬼の住処の疫病神
27/32

 巡回の終わった信田さんと二人、喫煙所で向かい合う。

 手の上にはホットコーヒー。信田さんが買ってくれたものだ。

「まずは最初に謝っておくよ。悪かったね。仕事辞めたいほど悩んでいたのに何も出来なくて」

 十以上も年上の信田さんに軽くとはいえ頭を下げられて、あわあわと慌てふためく。

「いえっ。大丈夫ですからっ」

「大丈夫じゃないでしょう。さっきのが本音でしょう。きちんと仕事の楽しさを教えてあげられなかったわけだし」

「でも、それは信田さんのせいじゃないですから」

「いいや」

 ふうっと溜息を吐き出して、信田さんが首を横に振る。

「色々話は耳にしていたけれど手を尽くせなかった。ここで懺悔したところで現状何か変わるわけではないから、水谷さんの話を聞かせて貰えるかな」

「……はい」

 何から話そうか悩んだけれど、結局雰囲気で洗いざらい話してしまった。

 その間中、信田さんは話を促すだけで、これといった感想などは口にしない。

 主にロッカールームなどでの陰口や、物が無くなったことがあること、目に見えた嫌がらせを業務でされた事は無い事。

 営業に来て、一週間くらいしてからそういう事が始まった事。

 そして「石川さん狙い」の身の程知らずだとか、男狂いの外国帰りだとか。そんな風に言われていることも付け加えた。

「それで石川に文句を言いに来たんだ」

「……はい。石川さんが迷惑していると耳にしたので、てっきり営業が噂の出所だとも言っていたので、石川さんが言っているのかと思って」

「なるほどね。ただ一つだけ言えるのは、石川はそういう事を言う奴じゃないよ。それだけは信じて貰えるかな?」

「はい」

 多分そうだと思う。仕事で絡むことは少ないけれど、人の噂をあちこちばら撒くタイプの人ではないことはわかる。

 そもそもわたしに関わる事だって皆無に等しい。

 頭に血が上りすぎてたかも。

「後で石川さんにも謝ります」

 くすりと信田さんが笑う。

「そうしてやって」

 不思議と信田さんと話していると、カッカしていた頭の中がクリアになっていく。

 静かなトーンで話をしているからなのか。それとも信田さんの持つ雰囲気のせいなのか。

「俺も石川も、他の社員にも言える事だけれど、君たち新入社員を育てようという気持ちで接している。中には厳しい事を言う奴もいるかもしれない。だけど水谷さんを辞めさせたいなんて思っていないよ」

「はい」

 信田さんだけじゃない。他の営業の先輩社員も、派遣さんたちだって、普段はみんな優しく教えてくれる。時には怒られる事もあるけれど。

「噂の出所だけはキチンと把握して指導するから。もう辞めたいなんて水谷さんが思わないように」

「……よろしくお願いします」

 誰が良い人の仮面を被ってわたしを貶めようとしているのか知らないけれど、その辺はきちんとして欲しかったから信田さんの言葉はありがたい。

 一体営業の誰が、裏で手を引いているのだろう。

「じゃあコーヒー飲んで落ち着いたら出ようか。荒木さんと約束しているんでしょう?」

「あ。はい」

「今日は荒木さんと出水さんに囲まれる覚悟をしてから行くといいよ」

 にっこり笑った信田さんだけれど、正直笑えません。

 何故そこに出水さん。

 笑いながらチクチク嫌味を言われるのが目に見えてます。

 顔が引きつったわたしを、信田さんが笑いとばした。

 コーヒーを飲みながら信田さんと他愛も無い話をしていると、石川さんがひょっこりと喫煙所に顔を出す。

「加山さんは?」

「先帰らせた」

 短い返答の後、石川さんは煙草に火をつける。

 まだ心の準備は出来ていなかったけれど、きちんと謝らなくては。

「石川さん」

「ん?」

「さっきはすみませんでした」

 きっちり45度頭を下げたわたしの頭上から笑い声が降ってくる。

「別にそこまでして貰うほど怒ってねえよ」

 くくくっと喉を鳴らして笑う石川さんは、いつもの石川さんだ。

「んで、荒木に呼び出されたのか?」

「あ。はい。いつものところに19時です」

「んじゃ俺らと一緒だ。パソコン落としたら飲み行くぞ」

 え。石川さんと信田さんも一緒なの。

 げーっという表情が思いっきり顔に出てしまったのを、信田さんが苦笑いで、石川さんはムっとした顔で受け止める。

 何か文句を言われる前に話題を変えておこう。

「そうだ。石川さんって加山さんと付き合ってるんですか?」

 ゴフっという音がして、信田さんが飲みかけのコーヒーで思いっきりむせたみたいで、げほげほと激しく咳き込んでいる。

「大丈夫ですか?」

「あ……ちょ……」

 言葉にならないみたいで、激しい咳が続く。

 このまま話し続けるわけにもいかないので、信田さんの咳が収まるのを待ち、涙目の信田さんに「大丈夫ですか」と問いかけると、「大丈夫」と返ってくる。

 良かった良かった。

「石川さん、付き合っている人いるなら堂々と公表しちゃってくださいよ。そうしたらわたしが変に色々言われることも無くなるじゃないですか。あ、でも横恋慕しているとかって言われるだけかな」

「別に加山と付き合ってねえし」

「えー。嘘だあ。さっき加山さんのこと『ゆう』って呼んでたじゃないですか。誤魔化さないで下さいよっ。石川さんが直接何したわけじゃないですけれど、大迷惑したので慰謝料代わりに教えて下さいよ」

「……俺、先行こうかな」

 信田さんが飲みかけのコーヒーを持ったまま、喫煙所からすーっと姿を消す。

 置いてかないで下さい、信田さんっ。もしや地雷を踏み抜いたのでしょうか。

 心の声が届くわけも無く、無常にも石川さんと二人きりで置いていかれた。

「あいつは中学の後輩。それ以上特に何もねえよ」

 怪しい。絶対あやしい。何か隠しているとしか思えない。

 じーっと石川さんを見ていると、びちっとおでこにデコピンが一発はいる。

「いたっ。何するんですかっ」

「下衆の勘繰りしてっからだろ。マジでゆうとは何も無い」

 あ。呼び名がゆうに変わった。加山っていつもみたいに言わないんだ。

「あいつに対して恋愛感情なんてねえし、そもそも今は恋愛なんてどーでもいい気分だしな」

「そうなんですか?」

 加山さんに対して恋愛感情が無いっていうのと、恋愛なんてどうでもいいというのの、そのどちらも信じられない。

 営業にいると聞いていた二人のイケメンさんのうちの一人の石川さん。

 嫌がらせや陰口を色々言われたのも、元を正せばきっと石川さんがモテるという事に繋がると思うんだ。

 やっかみ? みたいなものだと思う。

「とっとと彼女作って落ち着いて下さいよ。そうしたら噂も収まると思うんですよね。あ、別にわたしは振られたーとか指差されても全然構わないで」

「じゃあお前にしておこう」

「えー。超まじで勘弁です。彼氏以外全く興味ないんで。他をあたってください」

 即答すると、くくくくくと石川さんはおなかを押さえながら笑う。心底おかしくて堪らないといった様子で。

「俺になびかない女ってのも珍しいな。水谷、お前なかなかやるな」

「……っていうかドン引きなんですけれど。一体どれだけ自意識過剰なんですか。俺が声掛ければ誰でも簡単に落ちるくらいに思っています?」

 あははははと声を出して笑う石川さんは本当に楽しそうだ。

 そんなに面白いこと言った覚えはないんだけれど。寧ろ貶したつもりですが、石川さんを。

「気に入った水谷。お前、支社に残れ」

「やです。絶対に海外事業部に行くんです。って何度同じ事言わせれば気が済むんですかっ。そうやって石川さんが支社に残れとか言うから面倒くさいことになるんですよ。もう二度とそれを口にしないで下さい」

「悪かった悪かった。そうだ。お前の彼氏、クリスマス休暇で日本戻ってくんの?」

「来ますよ。でも戻ってくるというよりは、旅行みたいなもんですよ。日本人だけれど生まれも育ちも向こうですから」

 牽制の意味も込めてクリスマスには日本に来るという事実を告げると、ふーんと気の無い返事をして石川さんが煙草に火をつける。

「水谷」

「はい?」

 石川さんはわたしを見ずに、窓の外の景色を眺めたまま問いかけてくる。

「何ヶ月も会えなくても平気なもん? 俺はそういうの無理だなーって思ってさ」

「平気ではないですよ。でも自分で決めたことですし、それに彼以外は好きじゃないんです」

 煙を吹きながら石川さんが目を細める。

「お前、すごいな」

「何がですか?」

「いや。一途って言うか。俺、そういうの経験ないなーと思ってさ」

「本当にそうだったんですか? 誰か一人くらいコイツじゃなきゃダメだ! っていう人いなかったんですか」

「ナイショ」

「うわっ。うざっ」

 くすっと石川さんが笑う。デコピンが飛んでくるかと身構えたけれど石川さんは笑うだけだった。

 だから言ってやった。

「いつか石川さんも巡りあいますよ。そういう人に。で、恋に狂ったらぜひわたしにも教えて下さい。そんな石川さんを見てみたいんで」

「うっせ」

 今度こそデコピンが来た。

 予期していなかったので、思いのほか痛くて涙目になる。

「飲み会行くぞ。遅れると荒木は煩いぞ」

「はーい」

 手の中の空き缶をゴミ箱に入れて喫煙所を後にする。



 一体わたしの知らないところで何があったのかはわからない。

 けれどピタリと嫌がらせがその日を境に波が引くように徐々に収まっていった。信田さんが何とかしてくれたのだろう。

 そして営業での支社研修が終わるのとほぼ時期を同じくして、石川さんは本社に異動になり、疫病神との縁は切れたようだ。

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