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Egoist  作者: 来生尚
秘密の恋人
21/32

 あの日の涙は、あたしの中の色んなものを浄化していったらしい。

 翌日の飲み会で、桐野ちゃんに触れながら話している石川さんを見てもなんとも思わなかった。

 なーんにも心が痛まなかった。

 寧ろ桐野ちゃんと良い感じになっているのねっと我が事のように嬉しくなった。

 誰にも秘密だよ。他の人に話さないで。

 そう言ったダーリンの言葉を忘れていたわけじゃないのに、思わず二人に向かって「秘密の恋人」のことを話したくなった。

 そしたら既に石川さんは知っているという。

 ちぇー。全然秘密じゃないじゃん。嘘つき。後でアイス奢らせてやろうっと。

 そう心に決めつつ、桐野ちゃんにダーリンとの事を話した。

 信じられないっていう感じだった桐野ちゃんだけれど、それでも「おめでとう」って言われてすっごく嬉しかった。

 だから次は桐野ちゃんに幸せになって欲しい。

 あたしの出来なかった分、いっぱいいっぱい幸せになっていって欲しい。石川さんと。

 がぶがぶとお酒をいつもよりもハイペースで飲む桐野ちゃんに付き合っていたら飲みすぎちゃって、休憩の為に外気を吸う意味も含めて店外の喫煙所に足を運ぶ。

 そこには石川さんが長い足を持て余すかのようにベンチに座って足を組み、煙草の煙を燻らせていた。

「よお」

 にやりと笑うその顔は、何か企んでまーすって感じの顔で嫌だなあ。

「隣空いてるけど」

 ベンチの隣に座るのはいいんですけれど、ど真ん中に石川さんが座っているので、結構座るスペース少ないんですけれど。

 密着するのは、うーん。ダーリンが見たらうるさそうだ。

「はいはい。じゃあちょっと避けて下さいね。大きいお尻が入りますよっと」

 くくくっと石川さんが喉を鳴らして笑う。

 ああ、変わらない。

 ずっと変わらないんだ。この人は。

 少し間を空けて座り、煙草に火を点す。ふーっと息を吐き出すと、白煙が広がっていく。

 それを煙草も吸わずに石川さんが眺めている。

「あんまり良い女だからって見とれないでくださーい」

 冗談めかしに言うと、ははっと乾いた笑いが耳をくすぐる。

 笑うだけかいっ。

 何か訂正が入るかと思ったのに、石川さんはカチっと音を立てて煙草に火を点す。

「吸いすぎじゃないんですか、石川さん」

「もう名前では呼ばない?」

「あったり前ですよ。何を世迷言ぬかしてんですか。あたしダーリン一筋で生きるって決めたんです。ああ、こんな風にあたしが言ってるって知ったら、ダーリン多分嬉しくて涙流しちゃうっ」

 必死のギャグやってるのに、石川さんのノリが悪い。

 ここは突っ込みいれるところですよ。

 なーんで、偉そうに踏ん反り返ってるだけなんですか。もー、めんどくさい男だなぁ。

「だから言ったじゃない。指咥えて見てろって。ダーリン、良い男ですよ。多分石川さんが一番良く知ってるでしょうけれど」

 もー。だからその下がり眉は反則だって。それにあたし弱いんだから。

 でもね、あたし気付いたんだ。本当は弱いのはあたしだって。

 石川さんは、弱くて虚勢を張るあたしの殻の中に入ってこようとはしなかったの。虚勢を張るあたしを強いと思って甘えるばっかりで。

「今更後悔?」

 意地悪く笑うあたしに「ばぁか」と小さく石川さんが呟いた。

「後悔なら沢山してる。だからもう後悔はしたくねえなぁ」

 ふっと鼻で笑ってやる。

「後悔先に立たずですよ。かっこつけてるのもいいですけれど、いつかは本音でぶつからないと欲しいものは手に入りませんよ」

「良いこと言うね、沙紀ちゃん」

「ああ、やっぱりかっこつけてたんだ。じゃあ今から響さんとこに土下座しにいく? それとも桐野ちゃんに癒されにいく? はたまた緑川さんとこに謝罪に行く? それとも……」

「お前、俺の女性遍歴詳しすぎ」

「あったりまえでしょ。ヲチってるもーん。一体どんな女に石川さんが骨抜きになるのか」

 くすりと笑みを漏らした石川さんが口を開きかけたところで、居酒屋の扉が「ありがとうございました」と機械音を鳴らす。

 電動扉の向こう側から現れたのは、愛しのダーリン。

「ここにいたんだ。桐野ちゃんが沙紀ちゃんがトイレから帰って来ないって心配してたよ」

「ありがとうございます。ついつい煙草休憩入れに来ちゃいました。あ、もしかして信田さん女子トイレまで行っちゃいました?」

 はははっと信田さんが笑い声を上げて楽しそうな顔をする。

「まさかっ。そんな事してたら今頃この辺にパトカー来ちゃうでしょ」

「そっか。それは困るなあ。帰りにアイス奢ってもらうつもりだったのに」

「この寒いのにアイス? 何で?」

 一つしかないベンチに座るのを譲る為に腰を上げてダーリンに近付くと、首を横に振って立ったまま煙草に火を点す。

 煙草を持っていない反対のスーツの肘の辺りを引っ張ると、ダーリンが少しだけ体を屈めるようにしてあたしに顔を近づける。

「だって石川さんに言ったでしょ。内緒だって言ったのに」

 小声でこそっと言うと、「は?」という顔であたしの事を見る。いや、同時に声も漏れてた。

「秘密って言ったじゃない。なのに喋ったから罰でアイスおごりで決定です。でも寒さを共有してもらうのと美味しさを共有してもらう為にパピ●がいいです。そしたら半分こ出来るから。ちなみに茶色いのでも白いのでもどっちでも好きな方を選んで下さい」

「……また自己完結して」

 溜息混じりに言って、信田さんが咥え煙草であたしの指を掴む。掴むというか、引き剥がすというか。

 その素っ気無さがつきんと胸を痛める。

「俺は何も言ってないよ」

「え?」

 じゃあ何でさっき知ってる風に答えたんだろう。あれ? と思って石川さんを見ると、石川さんが例の下がり眉な困り顔であたしたちを見比べている。

「見りゃわかるだろ。まあ気が付くのは俺くらいだろうけれどね。桐野ちゃんだって気付いてなかっただろ?」

「……まあ、はー。そうですけれど」

 ダーリンは引き剥がした指を離すかと思っていたのに、何故か指と指を絡めてぎゅっと手を握り締めた。

 あたしがどきどきするのわかってしてるでしょっ。

 言いたくても今は言えない言葉を飲み込んで、ダーリンの横顔を見つめる。

 こんな風にしてたら、他の誰かがここに来たらばれちゃうのに。

 手を離そうと指から力を抜いても、決して絡んだ指は離されないままで、逆にダーリンの指先に力が篭る。

「へー、さすがによく見てるね」

 ダーリンの言葉は冷静そのものというか、いつもの『信田さん』だ。

 やわらかで落ち着いていて、ふんわりと包み込むような。それでいてどこか冷たさを内在している声。

「で、カマ掛けたら当たりだったって事かな。まあ、そういう事だから、秘密にしておいてくれるかな、石川」

 ダーリンは繋いだ手を上に挙げ、石川さんに見せ付けるようにする。

 下がり眉だった石川さんの顔が和らぎ、目を細めてあたしを見る。

「良かったな」

「うん」

「このオッサンが沙紀ちゃんに嫌なことしたら言えよ。俺が締め上げてやるからな」

「おい。誰がオッサンだ」

 信田さんはあたしの手を離し、石川さんに向かって繋いでいた手で手刀を落とす。

「オッサン扱いすんな。それに沙紀ちゃん泣かしたりしないから安心しとけ」

 にやっと笑った信田さんに対して、石川さんがははっと笑い声を上げる。

「俺だって泣かしてないよなー?」

 あたしに聞くんかいっ。

 泣かしたじゃないのよ。最後の日に。めっちゃ海で泣きましたけれど、あたし。

「えー。泣かしましたよー。こないだフットサルで顔面にボール当てた時にっ」

「あれは事故だ事故。わざとじゃないっ」

 良い感じで軌道修正したのに、なんか背後でブリザードが……。

 振り返るとダーリンが能面になってた。能面で石川さんを睨んでる。

「お前、沙紀ちゃんにボール当てたの?」

 冷たい。なんか雪山かっていうくらいの冷ややかさを感じます。

 これは静かに怒っていらっしゃるんでしょうか。

「フットサルやるなとか言わないけれど、普通に考えて女の子の顔にボールを当てるなんてありえないだろう。どこ見て蹴ってたらそういうことになるわけ? 余所見してたとか言い訳する? ボールとはいえ顔に傷を残さないとも言えないんだよ。どうしてそういう事に無頓着かな、きみたちは」

 あ。複数形だった。

 ご立腹にはあたしも含まれていたんですね。

「そんなに痛くなかったから。傷もないし大丈夫ですよ」

 ふーっと溜息を信田さんが吐きだした。

 思わず視線で石川さんに助けを求める。何とかしてっ。

 あたしの視線に気が付いた石川さんが、うんうんと首を小さく縦に振る。

 だけれど石川さんが何か言う前に、ダーリンが再び口を開いた。

「傷が残ってたら、ぶん殴ってるとこだ。莫迦」

 ああ、怒ってくれてるんだ。あたしの為に。

 嬉しくてふふっと笑みが漏れるのを、ダーリンと石川さんが不思議そうな顔をして見てくる。

「莫迦って言われて嬉しいの? 沙紀ちゃん、どM?」

「……一体どういう発想ですか。石川さんの大莫迦っ。何で笑ったかわかったら、アイスのおごりはなしでいいですよ、信田さん。とりあえずあたし、桐野ちゃんが心配してるのでもどりまーす」

 入り口のところで「いらっしゃいませ」の機械音を聞いて、好きな人と好きだった人に背を向けて店内に入る。

 あたしの事で怒ってくれる人がいる。しかもそれはあたしが大好きな人。

 なんて素敵なんだろう。

 ふふっと笑みが零れるのを、桐野ちゃんが不思議そうに首を傾げた。

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