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Egoist  作者: 来生尚
秘密の恋人
18/32

『沙紀ちゃん、明日暇?』

 家でB隊長とトレーニングをしている最中に電話が鳴った。

 スマホに表示された名前に、一瞬無視してやろうかという思いに駆られたけれど、どうせ出るまで鳴らす男だ。

「まずは『もしもし』からですよ、石川さん。突然用件言うのはやめましょうね」

 お説教モードなあたしの耳にくすくすという笑い声が心地よく響く。

 DVDのB隊長を一端停止してテレビを消す。

 家族が出かけているのでリビングの大きなテレビで思いっきりB隊長とトレーニングしていたのに。邪魔をするなー。石川めっ。

 そう思うことで自分を誤魔化した。

 未だにこの声を聞くとときめく自分がいる。

『じゃあ、もしもし。これでいいか?』

「はいはい。いいですよ。で、どうしたんですか?」

『今から出られる?』

「……さっきと言ってる事違いますよ。ちなみに出られるかどうかというのはノーです。今隊長とトレーニングしてましたから」

 悶々はスポーツで発散すればいいって石川さんに言ったけれど、自分でも実践してる。

 忘れられない恋心など、贅肉と一緒に消えてなくなればいいのだ。だから昔の恋の元凶に構っている暇など一秒たりとも無いっ。

 ……本気でそう思えたらいいのになぁ。

 ソファにどかっと腰を下ろして電話越しの声に耳を澄ます。

『それは残念だな。暇なら映画でもどうかと思ったんだけれど』

「あーらー。デートのお誘いなんて珍しいですね。そんな誘い文句初めて聞きましたよ」

 おかしいな。情シスの緑川さんと今日は出かける予定のはず。

 ロッカールームで緑川さんが機嫌よく話していたのを小耳に挟んだんだけれど。これはフラれたに違いない。

「映画のチケット余っちゃったんですか? しょうがないなー。ご飯付きなら付き合ってもいいですよ」

『じゃあ迎えに行くから用意しといて』

「迎えに行く?」

『車だから。沙紀ちゃんの最寄り駅に一時間後でいい? ロータリーは北? 南?』

「……南」

『わかった。じゃあまた後でな』

 それだけ言い切ると石川さんは電話を切りやがった。

 あのね、あたし一時間後でいいなんて言ってないですよ。何で勝手に決めるかな、あの傍若無人男は。

 くっそー。初デートか。

 バカみたいにお洒落していってやる。こんちくしょー。


 きっかり一時間後に最寄り駅に行くと、石川さんがタバコをふかせて待っている。

 あら。本当にいた。ドッキリではなかったのか。

 あたしを見つけると、煙草を指に挟んだまま近付いてくる。

 うーん。いかにも待ち合わせなシチュエーションだわ。

「よう」

「こんにちは」

 私服もかっこいいな、全くもうっ。

 普通のジーンズなんだろうけれど、足が長いからそれだけで十二分にカッコよく見える。

 フットサルの時に私服なんて見慣れているのに、多分今日はデートの予定だったからだろう。いつもよりも「気を使っている」度数が高い気がする。

「悪いな、急に付き合せて」

「正直石川さんの気まぐれに付き合わされるのには慣れています。でも休みの日までどうしたんです?」

 ふっと石川さんが顔を綻ばせる。

 あ、今通りすがりの女性が石川さんに見とれてましたよっ。

 そういう魅力的な笑みはあまりしないで下さい。心臓に悪いから。

「沙紀ちゃんは優しいね。まず俺の心配してくれるんだ」

「……っし、してませんっ! あんまりにも無いシチュエーションが揃っているので確認しただけですっ」

 くすくすっと笑って石川さんがあたしの前に手を差し出した。

「行こうか」

 目の前に差し出された手と石川さんを見比べていると、石川さんがさっきまで煙草を挟んでいた手であたしの手首を掴んで、差し出したままの手の上に重ねる。

 ぎゅっと上と下から手が握り締められる。

 どうして?

 あたしの困惑なんて知らないフリをして、石川さんがぐいっと手を引っ張った。

 最初から返答なんて聞くつもりもないみたいで、戸惑うあたしの手を引きながら車へと歩き出した。

 実家の車だというその車の助手席にあたしを座らせると、石川さんは運転席に回りこんで何も無いような普通の顔で車を走らせる。

 あたしの都合とか気持ちなんて全く気にも留めない。いつもどおりの石川さん。

「どこ行くんですか?」

「海。デートって言えば海だろ」

「映画は?」

「また今度でいい」

「また今度別の女と行くの間違いでしょ。緑川さんに断られたの?」

 肯定も否定もしないで乾いた笑いだけが聴こえるってことは、大当たりってことだろう。

「振られたからって誘わないで下さいね。それにデートじゃないでしょう。ただの憂さ晴らしのお付き合い」

「……沙紀ちゃん」

「何です?」

 運転しながらなので、石川さんの手が伸びてくる事は無い。そういう意味では車って良いな。

 ただその分だけ雄弁に瞳が語っている。

 ほんの少しの憤りを眉間に入る僅かな皺に感じる。

「断ればいいだろ。イヤならイヤって言えよ」

 向けられた苛立ちに喜びを感じる。やっとあたしの事考えてくれたんだって。

 といっても、好意を向けられないことへの苛立ちなんだろうけれど。

「イヤって言ったら落ち込むでしょう。あたし以外に誰が石川さんの気まぐれに付き合ってあげるんですか?」

「……そしたら他の誰かに声掛ける」

「いーなー。石川さんは選り取りみどりで」

 ダンっという重たい音は、ハンドルを叩く音だ。

 びくっとして肩を揺らしたあたしを、燃えるような瞳で石川さんが見ている。

 怖いとは思わなかった。ただ「ああ怒るんだ」と思っただけで。

 今のあたしは怖いモノ知らずで、石川さんの顔色を窺う気なんてこれっぽっちも無い。何故ならば既に「終わっている」からだ。

 これから何かが「始まる」のだったり「始まっている」のならば気を使うけれど、そうじゃない。

 石川さんは「終わった」相手でしかない。だから相手を慮る事はするけれど、思いを偽りはしない。

「あたしだけを見るつもりなんてこれっぽっちも無い男に何も言われたくないですよ」

 思ったよりもずっとずっと低い声が出た。

 その声で気付いた。あたし、怒ってたんだと。

 だけれど石川さんも怒ってる。目がすっごく怒っている。

 車はいつの間にかコンビニの駐車場に止められていた。

「それを許容していたのは沙紀ちゃんだろう?」

「は? だから? バカにしないで。あたしは終わらせたって言いましたよね。これ、何度言えばわかるわけ?」

「意味がわかんねえ。ならなんで付き合ってんだよ、俺に」

「それがわからないなら話にならないでしょ。それにね、根本的なところを間違えていますよ石川さん。いいですか。ちゃんと聞いてくださいね。あなたが誘わなければいいだけの話なんですよ」

「……それでいいんだ? 俺がどこの誰と付き合おうと興味無いって事か?」

 何言ってるの、この人は。

 頭沸いてるんじゃないのかしら。

「あのねぇ。普通付き合っている男ってのは二股も三股も掛けたりしないの。そもそもあたしたちが一度でも付き合ってた事ありました?」

「今」

 バカだ。本物のバカがここにいる。

 本気で頭抱えたい。このバカにつける薬はないのだろうか。

 吐き出した溜息の意味を読み取ってよ。

「付き合っているというのは一緒に出かけるという意味じゃないでしょう? 本気で付き合っているというのならば会社でおおっぴらに公表してください。出来ないなら適当な事言うのやめてください」

 そしてとどめを刺す。

「響さんとのことはあれだけオープンに出来たんだから、本気なら出来ますよね」

 にっこりと笑ったあたしに、今度は石川さんが派手に溜息を吐き出した。

 このチキン野郎が。

「あたしも朝晩一緒に通勤してみたいしー、テーマパークにデート行ったとか言って浮かれてみたいし、ついでに社内でキスだってしてみたいなぁ」

「……沙紀ちゃん」

「あたしが欲しいのはあたしだけを見てくれる恋人なんです。愛人はやりたくありません。セフレももう結構です。だけれど石川さん、あたしは石川さんが嫌いじゃないんですよ。だからちゃんと友達として困っている時には手を差し伸べるんです」

 石川さんの手があたしの頬を撫でる。

 まるでこれから始まる何かを予感させるような優しい指先。だけれど、あたしは永遠に拒み続ける。石川さんがあたしだけを見てくれない限りは。

「恋がしたいです。胸張ってこの人があたしの彼氏なんですーって言いまわれるような、そんな人がいいんです。でも石川さんはそうはなってくれないでしょう」

「どうして?」

 何故あなたが聞くんですか。聞きたいのはこっちですよ。

「だって石川さんにとってあたしは都合の良い女なんだもの。また響さんみたいに素敵な人が現れたらあたしの事捨てるでしょ。あの時知ったの。石川さんにとってあたしは『その程度』なんだって」

「ごめん」

「謝っても許してあげませんよ。だからせいぜい指咥えて見てて下さい。あたしが良い男に攫われるところを」

 にっこり笑ってやったのに、石川さんはあたしには良く見せる情けない下がり眉な顔であたしを見つめている。

 指先が頬から目頭へ、そして目尻へと滑っていく。

「何を言っても沙紀ちゃんは信じないだろう?」

「うん」

「じゃあ今は言わねえ。後日負け犬の遠吠えになってから言ってやる。だから今日は海に行こう」

 ふっと笑ってしまった。それでも海に行くんだ。こんな修羅場ちっくな喧嘩をしたのに。

「デート?」

 石川さんもふっと笑った。そして目尻にちゅっとキスを落としていく。

「最後のな」

 そう言って石川さんがあたしの唇にキスを落とそうとして、寸前で止めた。

 ああ、この人なりにいろいろ考えているのか。

 至近距離で交わる視線。あとほんの少し近付いたら届いてしまう距離。口を開けば唇が触れるほどに。

 しない。したい。しない。したい。しない。したい。

 ぐるぐると頭の中で理性と感情がひしめき合う。

 止め処ない本音と建前のせめぎあいに考える事さえ拒絶したくなってぎゅっと瞼を瞑る。

 瞑った瞼の上に、ふんわりと優しいキスが落ちてくる。

 今この瞬間だけでいい。あたしだけのものになって。

 狂おしいほどの熱情は行き場を失って涙となって零れ落ちる。


 大好き。


 でも言わない。言ったら負けだ。

 好き。ずっとずっと前から好きだったの。一度でいいからデートだってしてみたかったの。

 本当は色々思い出を重ねていきたかったの。

 だけれどもう捨てられるのは嫌なの。

 沢山の溢れてくる「好き」は涙となって零れ落ちていく。

 一度こぼれてしまったら止められない気持ち。けれどあたしはこの気持ちを海に捨てに行くの。もう二度と苦しまない為に。

「悔しい。絶対に司さんには泣いてるとこなんて見せなくなかったのに。これじゃ、あたしがめっちゃ好きみたいで嫌だわー」

「……沙紀」

 涙が零れ落ちるのをそのままにして、石川さんに笑いかけた。

「泣くと変な顔でしょー。鼻も目も赤くなるし。もーさいあくー。泣かすな、バカ」

「勝手に泣いたんだろ。バカ」

 言ってることは最悪なのに、抱きしめる腕が今までで一番優しかった。ぎゅっと抱きしめる大好きな人の背中に手を回してきゅっと抱きしめ返した。

「こんな時くらい、嘘でも好きだーとか言えばかっこいいのに」

「バカ。んなこと言ったら惚れ直すだろ?」

「自分で言うな、バカ」

「バカって言いすぎだ。バカ」

 嘘でも好きって言えないって証明するな、莫迦。

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