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Egoist  作者: 来生尚
秘密の恋人
16/32

 パフェを口に運んでいると、石川さんのスマホが着信音を奏でだした。

 席を外すと立ちかけた石川さんの口に生クリームがたっぷり乗ったスプーンを差し出すと、苦笑いを浮かべながらぱくりと口に入れる。

 きゅんって胸が痛くなった。

 あたしに手を振って、石川さんはお店の入り口の方へと歩きながら「もしもし」と応答する。

 その背中に、好きだバカっって大声で叫んでみたくなる。

 だけれど絶対に石川さんは振り返る事は無い。

 石川さんとの関係は、セフレ以上に発展する事は無かった。響さんが現れる前も。

 それにあたし以外に関係を持っている人がいることも知っている。しかも同じ社内に。

 時々ふらりとあたしのところへ来て、そして気が済むと去っていく。

 いつだって石川さんはそうだ。

 しかも弱ってたら見捨てられないのを知っているかのように、いつだってあたしには弱いところばっかり見せる。外ではめちゃくちゃカッコつけてる癖に。

 今日だってそうだ。

 多分信田さんに怒られたりとか、響さんと上手くいってないとか、そういう色々な事が抱えきれなくなってあたしのところへ「逃げて」きた。

 それを受け入れるあたしが一番いけないんだけれど。

 好きになった弱み……なんだろうな。

 最初は好きだったはずなんだけれど、今は良くわからない。

 響さんを見て「負けた!」って思ったんだよね。社内でチューするおばかさんな二人を見て、さ。

 だって絶対にあたしにはそんな事しないもん。

 誰にも見つからないようにコッソリっていうか、バレるリスクなんて負うつもりもないみたいに。

 だって付き合っているわけじゃなかったしね。

 つまり「表に出したくない女」ってわけよ。日陰者。

 もうね、そういうのまざまざと見せ付けられたら「無理」ってわかるし、イヤでも。

 だから向こうから言われる前に「関係解消」って一言だけメールしておしまいにしたんだけれど。

 これじゃあ以前と変わらない。っていうか関係悪化してるよ。泥沼。

 はあっと溜息が漏れる。

 どうしたいんだろう。もうヤルつもりはない。他人の男に手を出すつもりは無い。

 それでも前みたいに「おいで」って言われたら、多分断れない。

 あの声もエゴイストの香りも柔らかな笑みも、まるで麻薬のようだ。一度その味を知ってしまったら、手放せない。

 あたしの苦悩なんて全然知らないゴキゲン顔で、石川さんが戻ってきた。

「電話する時に生クリーム突っ込むなよ」

 ぐいっと首を曲げてしまうほどの強さで頭を押した石川さんに、曖昧な笑みを返す。

 気持ちが追いつかない。

「沙紀?」

 返事の無いあたしを怪訝そうに石川さんが覗き込む。

 その覗き込んだ視線に、ペロっと舌を出して笑みを向ける。

「美味しかったでしょー」

 ふっと鼻で笑ったかと思うと、隣に座った石川さんがファミレスの中だというのにも関わらずあたしを腕の中に閉じ込めた。

「ごめん、沙紀」

 いつか聞いたような台詞を口に出した石川さんがゆっくりと頭を撫でていく。

「俺、今傍にいたら絶対にお前食っちまうから迎えを呼んだ。お前にそんな顔させときたくねえし」

「迎えって?」

 腕の中から顔を上げずに聞くと、耳元ではなく頭上から声が降ってくる。

「信田さん」

「……何で信田さんなの」

 腕の中で少しだけ顔を上げると、優しい瞳があたしを包み込む。

 そうだ、この瞳だ。あたしがいつだって過剰に期待し続けるのは。

「信田さんが一番紳士だし、安心して預けられるし。なんか他のヤツに沙紀食われんのイヤだし」

 呆れてものが言えないというのはこのことだろう。

 ほんっとに、バカだ。この男。

「あたしは石川さんの女じゃないでしょ」

「知ってる。昔の女なだけ」

「デートもしたことないじゃないですか。昔の女のくくりには入りません。だから離して」

 あっさりと離れていく腕。対面に座りなおした石川さん。これがあたしたちの正しい距離感。

「もう。こうやって誘わないで下さいね。そう言いましたよね。響さんと付き合いだした時に」

 黙りこんでしまった石川さんに最後通牒を投げつける。

 石川さんは煙草を燻らせながらあたしの顔を見た。そして一言だけ漏らした「ごめん」と。

 本当にサイテーでバカな男だ。


 ファミレスに合流した信田さんは、あたしたちを見ると何故かほっと溜息を漏らした。

 そしてするりとあたしの横に滑り込んできた。

 あれ? と思って顔を見上げると、石川さんのとはまた違った包み込むような笑みが零れ落ちてくる。

「どしたの?」

 信田さんの問い掛けに、慌てて視線をそらす。

 多分食い入るように見つめてしまっていたのだと思う。ぽりっと信田さんが頬を掻いたから。

「青海苔ついてた?」

 数時間前にあたしが言った言葉を口にする信田さんに、プっと笑みが溢れた。

「どんだけしぶとい青海苔なんですか」

 あははっと声を上げるあたしに、何故か対面の石川さんがほっとしたように肩の力を抜いた。

「青海苔じゃないならいい」

 視線を逸らすと、店員さんからメニューを受け取って信田さんがメニューを睨むように見つめる。

 ああ、そっか。確か乱視で見えにくいんだっけ、眼鏡なしだと。

「信田さん眼鏡は?」

「……沙紀ちゃーん、聞いてくれる?」

「何ですか」

「俺、今日営業出てたでしょ。で、社用車の中に忘れてきたんだ、眼鏡」

「まじっすか」

「まじまじ。超マジ。アホでしょ。だからコーヒーでいいや」

「全く脈略無いですね。でも何も食べなくていいんですか?」

「おっさんは夜食べ過ぎると太るのですよ」

 その口調がおかしくって思わずクスクスと笑うと、信田さんも笑ってくれた。

 呼び鈴を鳴らしてコーヒーを頼むと、信田さんは鋭い視線を石川さんに向ける。

「何でお前が沙紀ちゃんといんの?」

 石川さんに向けられた疑問なのに、何故かあたしの背中から冷や汗が流れたんじゃないかってくらい、さっきまでとは種類の違うドキドキが始まる。

 知られたくない。信田さんには。石川さんとの関係を。

 全身から血の気が引くというのはこの事だろう。

「あ。あのっ。あたしがパフェ食べたくなって」

 長い沈黙に耐え切れず、ウェイトレスのお姉さんが怪訝そうな顔をするのも気にせずに口を挟んだ。

 すると信田さんがふっと笑んだ。

 心配しなくていいんだよっていうような顔なんだけれど、でももしも今までの全部が明るみに出たら、あたし明日から信田さんに合わせる顔が無いっ。

 石川さんっ。とっとと弁明してっ。

 だけれど下手なごまかしは信田さんには通用しないだろう。

 言わないで。バレないで。

 あたしは心の中でただひたすらに祈った。

「俺がちょっと付き合ってって言ったから。一人で帰りたくなくて。すみません」

 はーっと盛大な溜息が信田さんから吐き出された。

 事実には違いない。でも信田さんはどう思ったのだろうか。

 ぎゅっと膝の上で握り締めた拳の上に、信田さんの手がポンポンっと宥めるように触れた。

 咄嗟に信田さんの横顔を見るけれど、その眼は石川さんにだけ向けられている。

「俺に謝ったって何にもならないだろう。沙紀ちゃんは女の子なんだし、遅くまで付き合わすなよ。一人で帰りたくないんだったら野郎を見繕え」

「はい」

「大体な。いきなり帰るって言ってふらりと消えて心配してメールしてみたら返事は無い。電話してもなかなか出ない。で、出たと思ったら沙紀ちゃんと一緒にファミレスにいるって。お前、そんな事してたら響さんにどう思われるかとか考えないの?」

 響さん。

 その単語に石川さんが反応した。

 ぴくりと顔の表情が強張った。その瞬間、何故かばっちり目が合ってしまった。くそう。

「お前一人の問題じゃすまなくなるだろ。巻き込まれる沙紀ちゃんのこともちゃんと考えてやれよ。ったく。とりあえず口外はしない。だからとっとと響さんとこ行け」

 しっしとあしらうように手を払う信田さんの前で、石川さんはうな垂れたまま動かない。

 あたしに逃げようとした石川さん。けど逃げられなかった。

 信田さんは響さんと向き合う事を求めている。だけれど石川さんは向き合う事を拒絶している。

「あのなー」

 お説教モードになった信田さんの腕をぐいっと引っ張ると、目をまんまるにした信田さんがあたしを見つめる。

「それ、散々さっきあたしが言っときました」

 多分あたしが言っても信田さんが言っても、石川さんは響さんから逃げ続けて向き合おうとはしない。

「一度思いっきり響さんにそっぽ向かれたら良いんです。何しても響さんが許してくれると思ってるんだもん」

 引き金を引かれた銃から放たれた弾丸は、薬莢をばら撒きながら石川さんへと飛んでいく。

「自分がモテると思ってて、何をしても誰でも許してくれると思っているんでしょ。だから平気で残酷な事が出来るんです。響さんが今どういう気持ちでいるのか考えてもいない。自分の気持ちしか優先していない。だから傷つける事を厭わない。ほんっとうにバカですね、石川さん」

 だからあたしをもう一度抱こうとしたんでしょ?

 終わっていた関係なのに、響さんと向き合えない自分を誤魔化す為に。

 抱かれるあたしの気持ちなんて一切考えてない。どういう気持ちであたしがいるのかなんて考えてもくれない。

 まるで王子様みたいな、自分が一番大好きな残酷な男。

「ラーメン食って帰りますっ。お疲れ様でしたっ」

 バっと荷物を持って立ち上がったあたしを、唖然とした顔で信田さんが見つめている。

「つ、付き合おうか? ラーメン」

「いえ結構です。一人焼肉も行ける女なので、一人ラーメンくらいチョロイです」

 すげなくお断りするあたしの為に信田さんが席を立ってくれる。

「後でパフェ代請求してください。あいにく小銭の持ち合わせが無いので。ではお疲れ様でした」


 脱兎のように逃げるというのはこのことだろう。

 自分で撃っておきながら、撃ちぬかれたのは自分の心だった。

 ああ、やっぱり石川さんはあたしなんて見ていない。あたしの事なんて考えてない。

 ぜーんぶ全部わかっちゃった。

 信田さんの前で泣くのなんて違うし、ほぼ小走りで駅を目指して進んでいく。

 胸が痛い。張り裂けそうに痛い。痛くて痛くて血を流している。

 胸に詰まって圧迫しているのは、あたしの悲しい恋の残骸。今更傷つくはずなんてないから、きっと古傷が痛み出したんだ。

 まるで心模様を表しているかのように、ポツリと空から雨粒が落ちてくる。

 見上げたネオンで輝く空から、一粒二粒零れ落ちてくる涙のような雨。

 頬を塗らしたそれを、ぐいっと袖口でふき取った。

 あたしは泣かない。あんな男の為になんて。

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