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Egoist  作者: 来生尚
秘密の恋人
14/32

「お前は莫迦かっ」

 吐き出されるような叱責を、確かにあたしは聞いた。

 飲み会の席という場に似つかわしくないトーンの声を。

 何事!? と思って振り返った先には、石川さんと信田さんが座っている。

 石川さんはらしくない、子供っぽく口を尖らせた顔をしている。

 珍しい、そんな顔もするんだ。

 周りの皆は「見てはならない」という空気を察したかのように、聞き耳だけ立てて視線を外していく。

 どうして信田さんが石川さんを怒ったのか、その理由はわからない。

 あたしも周りに倣って耳だけに意識を集中して、二人から目を逸らす。

「……どうしたのかな?」

 心配そうな顔をする桐野ちゃんに「さあ?」とだけ返す。

 何があったんだろうな。あの二人に。

 普段はすっごく仲がいいのに。喧嘩する事もあるんだ。

 険悪な二人に注意を払いつつ桐野ちゃんと雑談に興じていると、ぐいっと腕を引っ張られる。

 もうっ。一体何!

 見上げると信田さんが仏頂面で左腕の肘辺りを引っ張っている。

 信田さんは同じ担当だから多少話したりする事もあるけれど、こんな風に強引に触れられる事なんて今まで無かったのに。

 機嫌悪そうなその顔が、もう怖いくらいだったけれど、拒絶する事なんて許されなそうだ。

「どうしたんですか」

「……煙草吸いに行くから付き合って」

 別に居酒屋は禁煙ではないのに、煙草を吸いたくなると席を外すのが常だ。

 変な風習だと思いつつも、丁度さっきの喧嘩みたいなのが気になっていたから探りを入れられるし付き合うとしよう。

「いいですよ。桐野ちゃん、ごめん。ちょっと席外すね」

「はーい。私のことは気にしなくていいからごゆっくり」

 にっこりと笑う桐野ちゃんに申し訳なく思いつつ、ほっと息を吐いた信田さんの様子も気になって素直に店の外の灰皿まで付き合う。

 煙草入れだけを手に持ち、信田さんと肩を並べて歩く。

「さっきはごめん」

「え? 何がですか?」

「痛くなかった? 腕」

 思わずくすりと笑みが漏れる。

「痛くないですよ。びっくりしただけで」

 笑ったあたしに、信田さんが申し訳なさそうに口元を緩める。

 丁度入り口のところで「ありがとうございました」という機械音が鳴ったのが、まるで信田さんの心中を表しているようで面白い。

「どうしたんですか。らしくないですよ」

 木のベンチに腰を下ろしながら聞くと、信田さんがふっと息を吐く。

「なんか見てられなくてさ。ここだけの話にしといてくれる?」

「いいですよ。二人の秘密ですね?」

 問いかけたあたしに信田さんが破顔して、まるで石川さんがするように頭を撫でる。でも石川さんよりもずっと優しくて、触れるか触れないかの微妙な触り方。

「沙紀ちゃん、響さんの連絡先知ってる?」

 なるほど。その話だったのか。

 響さんというワードと石川さん。なんかそれだけで全部わかった気がする。でもあたしは信田さんの役には立てないなあ。

「すみません、個人的に親しくしていないので知らないんです。多分営企の人に聞けばわかると思いますけれど」

「そっか。連絡取れたら話したい事があったんだけれど、まあ明日にでも話すことにするよ」

 そう結論付けた信田さんはゆっくりと煙草に火を灯す。

 咥えた煙草、そっと口元を隠すような左手。使い込まれたジッポライター。左腕には某ブランドの時計。

 そのすべてが信田さんを大人っぽく見せる。実際に7つも上だから大人なんだけれど。

「石川さんと響さん上手くいってないんですか?」

「いってるように見える?」

「いえ。全然」

 断言したあたしに、信田さんが困ったように眉を寄せる。

「わかりやすい男だよな、石川って」

「そうですね。付き合いだした頃も、誰がどう見ても浮かれていましたしね」

 数ヶ月前に石川さんが響さんを名前で呼び出した日を思い出した。

 ほんの少し前まで、二人は仲が良かった。

 誰も間に入れないような二人だった。

 二人で一冊の書類を眺めて論じている姿は、本当に絵になった。

 響さんの隣には石川さんしか立てないと思ったし、石川さんには響さんしかいないと思った。

 だからこそ諦めたんだけれどな。

 そんな想いを見抜いたのか、じーっと信田さんがあたしの顔を見つめている。

「何か顔に付いてます? あっ。さっきお好み焼き食べちゃったから、もしかして青海苔とか」

 くすくすっと信田さんが声を上げる。

「いやいや。そうじゃないよ。沙紀ちゃんって石川の事良く見てるよね?」

「えー。そうですかー? 全然そんな事は無いですよ。何だろう。アイドルをヲチしているみたいな気分です」

 今度はぷぷっと信田さんが噴きだした。

「あれはアイドルっていうにはクセがありすぎだろう。俺様だし」

「あ。俺様で思いだしましたっ。一部では王子様とも呼ばれているんですよっ。本当に目が腐ってるとしか言いようがないですよね。白タイツ似合うわけないのに」

「……基準がそこか……」

 肩を震わせている信田さんからは、さっきの不機嫌さは感じ取れない。

 でも本当は石川さんは王子様だと思う。

 誰にも平等に優しく、そして愛想を振りまいていく。

 時に弱っている時には手を差し伸べ、そっと助けてくれる。

 今でも覚えている。

 まだ派遣されて日が経っていない頃、大失敗をやらかしたあたしが蒼白になって喫煙所にいると、石川さんは受付のある階まで降り商談用ブースで話を聞いてくれた。

 そんな泣きそうな顔してたら放っておけないだろ、なんていう殺し文句つきで。

 それが石川流フェミニスト的コミュニケーション術の一つだという事を、否が応でも知ることになるのだけど、人の心の機微に気を配れる優しい人だ。

 優しくって残酷。それでいてイケメン風味。

 ちょっと口が悪くて俺様だけれど、それを差し引いても王子様だと思う。

「で、響さんと何があったんですか?」

 過去に断ち切った思いを振り切って現実に立ち戻る。

 温厚な信田さんが莫迦と言い切ったのには、何か理由があるとしか思えない。

 しかも響さんがらみで。ちょっと想像がつかないけれど。

「あの莫迦、くだらない自分のプライドを優先させて、どうやら響さんをシカトしてるらしいんだ」

「……は? 何ですか。それ」

「沙紀ちゃんもそう言いたくなるだろ。はー。本当に莫迦としか言いようが無いよ。響さんがコンテスト入賞したのが気に入らないみたいなんだ」

「コンテストって、あの社内コンペのことですか? 響さんが本社に行く事になった」

「そうそう。それそれ。あんの莫迦、賞とった途端に、響さんとのコミュニケーションを一切絶ったっぽいんだわ」

 思い返してみる。

 あまり興味が無かったので(響さんごめんなさい)何がキッカケかはよくわからないけれど、課の飲み会に響さんが来なくなったし、それに二人が話している姿を見かけなくなったような。

 そう言えば石川さんが響さんに名前で呼びかけているのも最近聞かないかな。

「言われてみれば、不仲というか距離感があるというか」

 同じ担当なんだから、最低限の会話はしているとは思うけれど。それもあんまり見かけなくなったような。

「あ、でもよくわかりません。言われてみればそうかもしれないなっていう程度で」

 響さんもお昼に行った時とかいつもどおりだったし、よくわからないなあ。本当に不仲なんだろうか。でも信田さんが言うからにはそうなんだろう。

 あたしよりもずーっと二人に近いんだから。

 信田さんは石川さんと担当は違うけれど、一番仲が良い。仲が良いからこそ「莫迦」発言に繋がるのだとも思う。

「ちょっと疑問なんですけれど、石川さんって響さんの事、好きなんですよね?」

「そうだと思うよ」

 じゃあどうして好きな人を遠ざけたりするのだろう。しかもコンペで賞取ったから? 意味がわからない。

 目一杯お祝いしてあげればいいじゃない。

 自分の好きな人が頑張って結果出したんだよ。どうして一緒にお祝いしてあげられないんだろう。

 それとも好きだから離れたくない、とか?

 石川さんの頭の中はよくわからない。よくわからないけれど、何となく嫌な予感がした。

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