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Egoist  作者: 来生尚
降り積もる期待
13/32

 飲み会の時、派遣で飲み会に参加する人って限られるから、どうしても固まって座る事になる。

 沙紀ちゃんと加山さんと私。

 加山さんの隣に沙紀ちゃん。沙紀ちゃんの前に私。

 新しい派遣さんと仲良くなれて嬉しいのに、心の中にある醜い嫉妬の心が今日も来てるのか加山さんって呟く。

 こんな自分がすごく嫌だ。

 いっそのこと石川さんの事嫌いになれたらいいのに。そうしたらこんな風に思わないで済むのに。なのに、そうなれない自分も嫌いだ。

「飲んでる?」

 飲み物片手に石川さんが私の隣の、そして加山さんの前の空席に腰を下ろす。

 嬉しい? って問いかけるような顔で沙紀ちゃんがにやにや笑っているけれど、心が痛くて堪らない。

 どうせ私じゃない。加山さんがここにいるから来たんだ。

「顔色わりーな。あんまり飲むなよ」

 ぐりぐりっと石川さんの大きな手が私を撫でた。

 今の、私に?

 思わず石川さんの顔を見つめると、くくくっと喉を鳴らして石川さんが笑う。

「まあ飲みすぎたら送ってやるけどな」

 きゅんっと胸が締め付けられる。

 加山さんじゃなくて私でもいいんですか? 石川さん。

「大丈夫です。もう飲みすぎません」

「そっかー?」

 ポンっと肩を叩かれたかと思うと、石川さんの視線が私から加山さんへ移る。

「今度の日曜日暇?」

「暇といえば暇ですけれど、この間の件だったら行きませんよ」

 警戒心たっぷりといった様子の加山さんに首を捻る。

 何だろう。日曜日?

「この間も言いましたけれど、私運動神経ないですからね。フットサルやるなんて無理ですからね」

 フットサル。

 その単語に胸が痛くなる。

 私は一度も誘われた事ないのに、加山さんのことは誘うんだ、石川さん。

 ぎゅっと心臓を鷲づかみにされたみたいに苦しい。

「んなこと言わないでやろうぜ。やってみたら楽しいかもしれないし」

「やりません。それに日曜はヒロと約束がありますから」

 ヒロ? 彼氏かな。

 きっぱりと言い切った加山さんに、ふうっと石川さんが溜息を吐き出す。

「ヒロトの名前出されたら引くしかないな。わかった。じゃあまたの機会にな」

「はい」

 そんなあっさり断っちゃうんだ。

 私なら他に予定があっても行くのに。ああ、でもヒロトっていう名前の彼氏がいるんだったら石川さんの誘いに乗らなくて当たり前か。

 それにヒロトって人、石川さんの知っている人なのかもしれない。

 でもいいなぁ。羨ましいな。

 私も誘ってくれないかな。

「桐野ちゃんはどう? フットサル」

「えっ!?」

 心を読まれたかと思うようなタイミングで、思いっきり声が裏返る。ああ、恥ずかしい。

「たまにはどうよ、フットサル」

「……運動、苦手ですけれど」

「ははっ。大丈夫大丈夫。やってみたら案外簡単だよ?」

 ちらっと沙紀ちゃんにヘルプの視線を送ると、沙紀ちゃんはうんうんと頷き返してくる。

 そうじゃないの。フットサルに誘ってくれないかなと思ったけれど、でもやるのはちょっと。見るだけで良かったのに。

 お願い助け舟出してー。でも沙紀ちゃんはニコニコしているだけで、この複雑な心中に気付いてはくれない。

「そうなんですか?」

 ああ、もう間抜けすぎる台詞。もうちょっと気の利いた言葉が出てこないものなのかな。

「うん。そうそう。何なら明日シューズとか見に行こうぜ。フットサル用のシューズが必要だからさ。あとソックスとかも」

「やること前提ですか」

「楽しいから一緒にやろうぜ、桐野ちゃん」

 そんな事言われたら断れないじゃないですか。嬉しすぎて。

 一緒にシューズ見に行くとか、買い物デートみたいだし。

 嬉しかったけれど、その気持ちを悟られるのが嫌で返答を心の中で迷った。

「じゃあ明日の終業後にシューズ見に行くって事で」

 いつものように提案イコール決定事項だ。

 私が行かないって言うわけがないとでも思っているのだろうか。

 でも嬉しいからやっぱり断れないんだけれど。

「石川さん、煙草買って来ましたよ」

 にっこりと笑った今野くんが座敷に戻ってきて、当たり前のように末席であり、加山さんの隣の席に腰を下ろす。

 今野くんから手渡された煙草の口を開け、待ってましたといわんばかりに石川さんが紫煙を燻らせる。

 煙草ってあんまり好きじゃないけれど、石川さんだったらいいかなーとか思っちゃう私ってバカだよね。

 そんなことを考えているうちに、話題はフットサルから別のことになっていき、結局断る機会を失ってしまった。

 でも一緒に買い物に行けるんだもの。断ったら申し訳ないし勿体無いもん。

 明日はちょっとお洒落して会社に行こう。


 定時に上がって、石川さんと二人肩を並べてスポーツ洋品店を目指す。

 何とか会話は成立している。

 良かった。昨日もスポーツニュース見ておいて。しかもJリーグの試合あったから、サッカーも何となく見られたし。

 フットサルってサッカーと基本的には同じスポーツなんだよね。

 そこから検索しなきゃいけなかった私って、本当に根本的にスポーツに興味が無いんだと思う。

 でも頑張って調べておいてよかった。だって石川さんが笑って話してくれるんだもの。

「買い物終わった後、食事して行かね? あ、桐野ちゃんはもしかして晩飯用意済み?」

「あ。でも大丈夫ですよ。基本的には冷凍してあるのを温めるだけなので」

「本当に桐野ちゃんはマメだよなぁ。いいお嫁さんになれるよ」

「……じゃあ嫁に貰ってくださいよ」

 ぽろっと冗談交じりに出した本音が、大きな笑い声で返される。

「桐野ちゃんにはもっといい人いるだろー。俺みたいなのは止めとけって」

 何で笑えるの? どうして平気な顔しているの? 結構本気で言ったのに。

 今までどうして食事や買い物や野球観戦に誘ってくれたんですか?

 頭の中が疑問符だらけになって、足がぴたりと止まってしまった。

 私が止まってもしばらく気が付かずに歩いていた石川さんが不思議そうな顔をして振り返る。

「どうした?」

「石川さんはずるいです」

 ごくりと唾を飲み込む音が体中に響いた。

 雑踏の音も、行き交う人の会話も、車のクラクションさえ音を無くしたかのように、世界は静まり返った。

 ずっと蓋をしていたままの気持ちが溢れ出してきてしまった。

「桐野ちゃん?」

 数歩の距離を戻ってきた石川さんの声が頭上から降ってくる。

 低くて優しい声。

 それがすごくすごく好きな声で、別に何を言われたわけでもないのに泣きたくなった。

「どうした?」

 さっきの呟きは聞こえていなかったのだろう。同じ質問をされ、ポンっと肩を叩かれる。

 顔を上げてしまったら涙が零れてきそうで、口を開いたら言わなくてもいいことまで言ってしまいそうで、俯いたまま唇を噛み締める。

 例え口に出したとしても、この気持ちが受け入れられる事はないだろう。

 むしろ今までのこの距離が遠ざかるだけで、傍にいたいっていう願望を叶えることは難しくなるだろう。

 だけれど、もう苦しくて苦しくて仕方ない。

 こうやって出かけることも。加山さんを「ゆう」と呼んでいる姿を見ることも。石川さんの声を聞くことさえも。

 異変に察したのであろう石川さんが、往来の邪魔にならないように私の手を引いてビルの角まで連れてくる。

 初めて繋いだ手の感触が嬉しくてしょうがない。大きくて節ばっていて、私のぷにょぷにょした手とは全然違う。

 けれど目的を達成した手はあっという間に離れていき、ふーっとまるで溜息のような長い息を石川さんが吐き出す。

「何かあった? 桐野ちゃん」

 口を開いたら、目を合わせたら、自分の気持ちが溢れてきそうで、首を思いっきり横に振る。

「本当にどうしたんだよ」

 覗きこむような石川さんの視線と視線が合ってしまった。

 瞬間、涙が零れ落ちる。

 それに気付いた石川さんは、はっとしたような表情から、まいったなというように眉を潜める。

「会社で嫌なことでもあったか? お局にいびられたとか」

 ぽんぽんといつもよりも優しく頭を撫でられて、涙のダムは決壊してしまった。

 止め処なく流れ落ちる涙は、アスファルトを塗らしていく。

 それに気が付いたのだろう。石川さんが佐久間さんを批判するような事を口にする。

 だから首を横に振った。

 違うって言いたくて。

 でも何をどう伝えたらいいのかわからない。

「……すきです」

 小さすぎる声が石川さんの耳に届いたのかわからない。

 長い長い沈黙の時間が流れる。

 ものすごい早い鼓動の音が耳にうるさいけれど、そのほかの一切の音が耳から入ってこない。

 どきどきどきという音。

 ポタポタと流れ続ける涙。

 頭に置かれたままだった大きな手がゆっくりと離れていくから、顔を上げてその手の行方を見る。

 ふいに石川さんと視線が交わる。

 優しい、けど、とても困ったような顔をしている。

 それだけで十分だった。死刑宣告は聞きたくなかった。

「わかってるのに、一緒にいると期待しちゃうんです。ダメだってわかっているから辛いんです。期待しちゃうから、もう誘わないで下さい」

 断られるのが辛くって、自分の気持ちを知られてしまった事が恥ずかしくって、それだけ言うと石川さんに背を向ける。

 ごめんなんて聞きたくない。

「ありがとう。桐野ちゃん」

 予想に反した答えに、思わず勢いよく振り返ると、石川さんはふっと笑みを漏らす。

「気持ちはありがたいけれど、俺、今誰とも付き合う気ねえんだ。ごめんな」

 一瞬でも期待してしまった自分を殴りたい。

 バカバカバカ。

「大丈夫です。ちゃんとわかってますから」

 無理やり笑顔を作った。

 顔が引きつって上手く笑えていないかもしれない。それでも悔しいから笑いたかった。笑い飛ばせる程度なんだって伝えたかった。

 逆に石川さんの顔から笑みが消えていく。苦しそうなその顔に、自責の念に襲われる。

 言わなくてもいい余計な事を口に出したから石川さんを苦しめてしまった。

 振られたことも、石川さんにそんな顔をさせてしまった事も悲しい。

「今日は先に帰ります。お疲れ様でしたっ」

 頭を下げて石川さんに背を向けて歩き出す。

 一瞬石川さんの煙草と香水の匂いが鼻をくすぐった。でも立ち止まる事は出来なかった。

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