公爵令嬢の身代わりで王太子に会ったら、婚約破棄どころか一族皆殺しを命じられました
「リゼ、私の代わりにジークフリート殿下と会ってきなさい」
公爵令嬢オッティーリエ・ファルケンラート様の口から飛び出したその言葉に、私は耳を疑った。
「これからフェリクス様と会うの。だから殿下とは会えないわ。わかっているでしょう? こういうときのためにあなたは拾われたのよ」
私は孤児だ。
幼い頃は、貧しい孤児院で育ち、優しい院長先生のことは好きだったけれど、お腹いっぱい食べられることもなくいつもひもじかった。それが貴族の家に引き取ってもらえることになったときは、嬉しくて仕方がなかった。
慈善家で知られるファルケンラート公爵に、私はただオッティーリエ様に似ているという理由だけで引き取られた。貴族の家に引き取られるのに、院長先生が心配そうな顔で私を見送った。当時は不思議だったが、今ならその理由がわかる。
公爵家は善意から私を引き取ったのではなく、オッティーリエ様に都合の悪いことがあれば、私を身代わりにするために引き取ったのだ。
今回もその身代わり、というわけだ。
「フェリクス様……ですか?」
「ええ。私の恋人よ」
再び私は衝撃を受けた。
オッティーリエ様は先日、王太子のジークフリート殿下と婚約したばかりだった。国王陛下と公爵様との間で決められた大事な婚約のはずだった。
「ですが……私のような平民が王太子殿下とお話などできません。もし失礼をしてしまったら……」
「別に構わないわよ。私は殿下にお会いしたこともないし、好きでもないもの」
「えっ?」
「ああ、そうだわ。それは良い考えね! むしろ失礼な態度でも取って、殿下から婚約破棄でもされたらいいじゃない。そうしたら、私はフェリクス様と結ばれるわ。私ったら、なんて頭がいいのでしょう」
オッティーリエ様は嬉しそうに言った。
「オッティーリエ様……。そんなことをしたら、公爵様にひどく怒られてしまいますよ」
たしなめる私を、オッティーリエ様が不思議そうに見た。
「あら。怒られるのもあなたの役目ではないの。私には関係のないことよ」
私はため息をつきたかった。
またこれだ。
オッティーリエ様が面倒だと思うことは私が代わりにやって、オッティーリエ様が何か間違いを起こせば、私が代わりに怒られる。
私に拒絶する権利など与えられない。確かに拾われた身で、公爵家のためにできることはしようと思う。
今回、私がすべきことは、オッティーリエ様としてジークフリート殿下と顔を合わせ、当たり障りなく面会を終わらせることだ。
※
公爵家の侍女とはいえ、王宮にやってきたのは初めてで、私は入る前から気後れしていた。
オッティーリエ・ファルケンラートと名乗って、侍従の方に丁重に王宮内へと案内していただくと、嘘をついている罪悪感を覚えた。
本当は、私はただの平民のリゼ・ヴェーバーなのだ。
王太子ジークフリート・アーデルスベルク殿下は応接室で座って私を——オッティーリエ様を待っていた。
「おまえがオッティーリエか」
ジークフリート殿下は私を頭から足のつま先まで、舐めるように視線を這わせた。まるで私を値踏みでもするように。
初対面とはいえ、王太子殿下ともなれば公爵令嬢と平民の娘の違いくらいわかってしまうのではないかと思うと、背筋が冷たくなった。
「見た目は悪くないな」
殿下の口から出たその言葉に、少しだけ安堵した。
少なくとも私を平民の娘だと疑う言葉ではなかった。
「だが、正直に言えばどうでもよいことだ」
「えっ?」
「おまえがどのような女であろうと、何者であろうとどうでもよいと言っているのだ」
やはり……殿下は私が偽物だとわかっているの? 偽物でもよいということ?
「……どういうことですか?」
私は怯えながら尋ねた。驚くほどか細い、心許ない声だった。
「ふん、貞淑で控えめな令嬢気取りか?」
ジークフリート殿下は、私を見下すような目をした。
公爵令嬢に、このような目をする方を見たことがない。やはりわかってらっしゃるのだろうか? もし身代わりだとバレたら、私は、公爵家はどうなってしまうのだろう。
「王家をなめるなよ。おまえにフェリクス・リンデンフェルトという伯爵令息の恋人がいることはわかっている。俺との婚約が決まった後も会っているだろう?」
「あっ……」
私は何を答えたものかわからず、言葉を詰まらせた。
私が身代わりだとばれていなかったことにも、オッティーリエ様に恋人がいることが知られていたことにも驚き、戸惑ってしまった。
「申し開きなどできんぞ。リンデンフェルト伯爵家とも確認は取れている。おまえはあの家に裏切られたのだ。くくく」
次々と殿下から出てくる事実に、私はますます混乱した。
ただ、公爵家と、この婚約を守らなければ、と思った。拾っていただいた恩は返さなければ、と。
「……フェリクス様とは……別れます」
それが私が考えうる最善の返答だった。
ジークフリート殿下はうっすらと笑みを浮かべた。私を嘲るように。
「もう遅い。今さら別れようが、王太子との婚約中に他の恋人と会っていた事実は変わらん」
「では……いったいどうすれば……?」
私の言葉に殿下の笑みは意地の悪いものになった。
「まあ、安心しろ。王家が狙っているのは、公爵家の財産だけだ。婚約を破棄するつもりもない。だが、おまえの不義を公にされたくなければ、俺の言うことに従っていればよい」
まさか……弱みを握って、公爵家を乗っ取ろうとでも言うの?
殿下の言うことに従うことで、よりひどいことをさせられることになるかもしれない。
もしそうなのであれば、オッティーリエ様に言われたとおり、この婚約は破談にさせたほうがよいかもしれない。
「申し訳ございませんが……この婚約はなかったことにしてもよいでしょうか?」
私はまたか細い声で、そう提案した。
「何だと? 声が小さいので、聞き間違えたかもしれん。『婚約をなかったことにしろ』と言ったか?」
私は首を縦に振った。
「はい……」
ジークフリート殿下が突然大笑いを始めた。
「はははは。面白い冗談を言うな。オッティーリエよ」
「うふふ」
わけがわからず、とりあえず愛想笑いをすると、殿下がぴたりと笑いを止めた。
「おまえに婚約を破棄する権利があるわけがなかろう。立場をわきまえろ。俺は王太子で、おまえは一貴族に過ぎんのだ。しかも俺に弱みを握られていることを忘れるな」
殿下はまた蔑むような目を私に向けた。
「おまえは俺の奴隷となり、公爵家の財産は俺のものになるのだ」
私は殿下の残忍な表情に、寒気を感じた。
これ以上、私の手には負えない。
「申し訳ございません。私はオッティーリエ様ではございません。ただの侍女なのです。ファルケンラート公爵に拾われた孤児で、公爵家で働かせていただいております。オッティーリエ様は所用で本日はいらっしゃらず。代わりに殿下にお会いしてくるよう言われて……」
「黙れ」
殿下が苛立たしげに私を睨んだ。
「いい加減にしろ。おまえのつまらん冗談にも作り話にも付き合うつもりはもうない」
「いえ、本当に私はオッティーリエ様ではないのです。リゼ・ヴェーバーという者です」
「自分の立場が悪くなったら、急に他人になるのか? ずいぶんと都合がよいものだな」
「ですから、本当に……」
「しつこいぞ! 往生際が悪い女だ」
殿下が大きな声を上げ、私は恐ろしくなった。
私はいったいどうなってしまうのだろう……。
「……いいだろう。気が変わった。そこまで愚弄するのであれば、俺のほうから婚約破棄してやろう」
「えっ? よいのですか?」
私は光明を垣間見て少しだけ安堵した。
「だが、ただでは済まさん。この愚弄の代償を思い知らせてやろう。王家に逆らったものとみなし、おまえの一族を皆殺しにし、財産も没収だ」
私はあまりのことに頭が真っ白になった。
公爵家一家が殺される……? 私が対応を間違ったせいで……?
「家族を皆殺しにしておまえが絶望したところで、おまえ自身も処刑してやるから安心しろ」
ジークフリート殿下は、いっそう残忍な笑みを浮かべていた。
「おい、ベルンハルトを呼べ!」
侍従が連れてきたのは、ベルンハルトと呼ばれた騎士だった。
「この女の一族をひとり残らず捕えろ。王家に逆らった罪で全員処刑する」
殿下の冷酷な命令にもベルンハルトは表情も変えず、私を一瞥した。
「この女性の血縁者を処刑するということですね? ひとり残らず」
「そうだ。それからこの女を拘束しておけ。この女は最後に処刑する」
私は恐怖に怯え、ただ震えていた。
※
私は騎士ベルンハルトに付き添われ、王宮の小部屋へ連れて行かれた。
小さな窓はあったが、外からの光はあまり入らず、薄暗い、まるで独房だった。
「公爵家は王家に逆らってなどおりません……。どうかお助けください」
「あなたは……?」
「リゼ・ヴェーバー……公爵家の侍女です。これは私の失態で、公爵家は関係ないのです。私も王家に逆らうつもりなどございません」
ベルンハルトは冷たい視線で私を見た。
「すまないが、私にあなたの罪も無罪も判断する権限はない。私はただの近衛騎士団長で、命令されたことを遂行するだけだ」
その無慈悲な言葉に、私は絶望した。
ベルンハルトは黙って小部屋を出た。
カチリと扉に施錠する音だけが部屋に響いた。
私はその小部屋に閉じ込められた。
ただ後悔だけが募っていった。
ひとつでも言葉を間違えなければこんな大事にはならなかったはずだ。
例えば、オッティーリエ様とフェリクス様の交際を強く否定したら。あるいは婚約破棄など申し出なければ。あるいはオッティーリエ様のふりを続けて、王家に従うと言っておけば……。
そもそも身代わりなど引き受けるべきではなかったのではないか。
そんなことを悶々と考えながら、私は公爵家の方々が処刑されたという連絡が入ってこないことを祈った。
小部屋に閉じ込められてから二日ほど経って、部屋の外で大きな声が聞こえた。
「ベルンハルト! なぜ公爵も公爵夫人も捕らえておらんのだ!」
ジークフリート殿下の声だった。
公爵家の方々が捕まっていないと仰った……?
「公爵を捕らえる、ですと? 申し訳ございません、何の話でしょう?」
殿下に答えるベルンハルトの声も聞こえた。
「貴様、王太子の俺の命令を聞けんのか? この部屋に閉じ込めた女の一族を捕らえて処刑するのだと命じただろうが!」
「……殿下。この女性のことを調べましたが、孤児で血縁者はひとりも確認できませんでした」
「何をふざけたことを……。父の公爵だけでもさっさと連れて来い! 俺の怒りが収まらん」
「殿下、この女性、リゼ・ヴェーバーの父は公爵ではございません。ただの平民で、すでに亡くなっています。繰り返しますが、リゼは孤児で、生存している血縁者はひとりも確認できませんでした」
「リゼ……何だと? この女はオッティーリエ・ファルケンラート公爵令嬢だ」
「オッティーリエ様は公爵邸におります」
「なっ……」
「調査のため、公爵邸も訪ねました。リゼ・ヴェーバーが公爵家の侍女であることも確認しております」
「オッティーリエは本当に身代わりを送ってきたというのか……? 何という侮辱だ……。それならばなおさら許さん!」
「オッティーリエ様は、リゼが勝手にドレスを盗んで殿下に会いに行ったと申しておりました。処刑するのであれば、リゼを処刑せよと」
それを聞いて、私は胸を剣で突き刺されたような気持ちになった。
私はずっと、公爵家に恩を返そうと思っていたのに。オッティーリエ様にとって私は、処刑の身代わりになっても構わない存在だったのだ。私はいったい何のために今まで耐えてきたのだろう。
「バカにしているのか? 侍女が勝手にドレスを盗んで公爵邸を出て、馬車まで使って、誰も気づかぬわけがなかろう。公爵家には使用人がひとりもいないとでも言うのか? 今すぐ公爵家の者どもを捕らえてこい! 本物のオッティーリエもだ!」
ベルンハルトが一瞬黙り、それからはっきりと言った。
「それは、できません」
「何だと、ベルンハルト! やはりおまえも俺の命令を聞かぬのか? おまえも処刑されたいのか?」
ジークフリート殿下の声がいっそう荒っぽくなった。
「私はただ正しい手続きを取っただけです。殿下の命令に従い、リゼ・ヴェーバー本人と、その血縁者の調査を行い、調査結果を法務卿と国王陛下にご報告し、殿下のご命令は不当だと判断されました」
「父上に報告したのか……?」
「もちろんです。王家に関わることですし、処刑の判断を殿下の一存で決めることはできません。もし実行していたら、殿下も私も殺人犯です」
「俺は王家の人間なのだぞ……」
「殿下、申し上げにくいのですが、国王陛下はもう殿下を庇いきれないと仰っています。法務卿も無実の者の処刑を命じたことは重大な罪ではないかと……」
「バカな……。俺は王太子なのだぞ」
「陛下は、これまで殿下の横暴な振る舞いを何度も大目に見てきました。しかし、無実の者の一族を処刑せよとの命令は看過できないとのことです。残念ながら、王太子位を剥奪し、王家からも追放するとの裁定です」
「廃嫡……? 追放……?」
「これが裁定書です。それから、もちろんオッティーリエ様との婚約は破談です。それに関しては、オッティーリエ様の不義、侍女を身代わりにして王家を欺いたこと、さらにその侍女に罪を押し付け、処刑を求めたことが問題となり、公爵家も多額の賠償金を命じられました」
私の小部屋の扉が開いた。
相変わらず無表情なベルンハルトが入ってきた。
「リゼ・ヴェーバー。釈放だ。公爵家の君への不当な扱いについて、相応の賠償金も支払われる。不当な拘束を行い申し訳なかった」
ベルンハルトが私に頭を下げた。
開いた扉の外では、ジークフリート殿下が床に手をついて泣いているのが見えた。
※
公爵邸に戻った私に、オッティーリエ様がさっそく突っかかってきた。
「フェリクス様が裏切って……私を見捨てたのよ! 王家に叱責されたからって。リゼ、あんたが告げ口したんでしょう! 許さないわ。覚悟しなさい」
まさかその腹いせに私を処刑させようとしたの?
「辞めさせていただきます」
「は?」
「裏切られたのは私も同じです。もう公爵家にはいられません」
「何様のつもりよ! 誰のおかげでこれまで生きてこられたと思っているのよ!」
「……お父様とお母様、そして孤児院の院長先生のおかげです」
「何ですって!?」
「ですが、公爵家から多額の賠償金をいただけそうですので、そのことには感謝いたします」
「な、何を言っているの?」
「これからは、ご自分のことはご自分でなさってください」
後に聞いた話では、公爵家は莫大な賠償金の支払いにより財産を失い、王家からの信用も失ったことで取引先が離れ、事業も立ち行かなくなり、静かに没落していったという。
※
「もうよいのか?」
公爵邸の屋敷を出ると、ベルンハルトが待っていた。
「ええ。言いたいことも言えて、すっきりしました」
私はベルンハルトに頭を下げた。
「助けていただいて、本当にありがとうございました」
「頭を上げてくれないか。私は私の仕事をしただけだ。調査の間だけとはいえ、君を監禁してしまったことをむしろ申し訳なく思っているのだ」
私は頭を上げた。
「ベルンハルト様は何も悪くありません」
ベルンハルトは気まずそうに頭を掻いた。
「これからどうするのだ?」
「……行くあてはないです」
「そのことなのだが……ひとつ伝えておきたいことがあるのだ」
「……何でしょうか?」
「調査で君のいた孤児院に行ったとき、孤児院の院長に伝えてくれと言われたのだが……『いつでも帰ってこい』と」
「院長先生が?」
「ああ。『公爵家で幸せにやっているならそれでいい。けれど、もしつらい目にあっているのなら、いつでも孤児院に帰ってきなさい』と伝えてくれとな」
孤児院ではお腹いっぱい食べることもできず、子どもの頃はずっと出ていきたいと思っていた。けれど、優しい院長先生のことは好きだった。本当は孤児院を離れるのは寂しかった。本当はずっと戻りたかった。
今もまだ私を待ってくれている人がいたことに、胸がいっぱいになった。
孤児院に戻った私を、院長先生は笑顔で迎えてくれた。
白髪も混じって、すっかり老けてしまっていたけれど、その笑顔は幼い頃に毎日見ていた笑顔のままだった。
「おかえり、リゼ」
「院長先生……ただいま……」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
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