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継子と仲良くなろうと思ったら、推しが同じで同担拒否されました

作者: かも ねぎ
掲載日:2026/07/10


 クラリッサは熟考した。

 顎に手を添え、それはもう真剣に考えた。



 ◇



 この度、クラリッサ・ウェインライトは長年の憧れだった男性と結婚した。大変喜ばしいことである。しかし、何事にも障害はあるもので、彼女にも二つほど問題があった。


 一つは、夫、エドマンド・アシュフォードは二度目の結婚であり、彼には年頃の娘がいた。しかも、その娘セシリア・アシュフォードとの方がクラリッサの年齢は近い。


 そしてもう一つは、

 残念ながら、そもそも妻として扱われていないということである。



 クラリッサは瞳を伏せて回想する――



 二人の結婚は、エドマンドの執務室で書類に署名をするだけでなされる予定だった。

 クラリッサはエドマンドの執務机の前に立ち、当たり前にペンを持ち上げ、ペン先をインク壺に浸そうとして、


 ――その手が掴まれる。


 クラリッサはハッとして顔を上げる。

 至近距離のエドマンドの顔。机の向こうの椅子に座っていたはずのエドマンドは立ち上がり、彼女の手首を掴んでいるのだ。


 父の付き添いで訪れた王宮で何度も見た。端正な顔立ち。どこか繊細な雰囲気。細長い手足。艶のある墨色の髪と、黒曜石の切れ長の瞳。


 そして、ほんのりと漂う大人の色香。


 彼の背後の大窓から差し込む白い光は逆光となり、若くして前妻を亡くした男の哀愁さえ、どこか美しく見せている。


 とにかく艶っぽい。


 ――うわ……。好き……。


 だが、彼の薄い唇が開かれる。


「クラリッサ嬢。

 やはり君は若く美しい。周囲の強い勧めで受け入れてしまったが……やはり、僕では分不相応だと思う」


 視線が合う。声まで素敵なのだから、もはやどうしたらいいのか分からない。


「誓おう。

 これは白い結婚だ。必ず僕が君に真に相応しい伴侶を見つけ出す。

 それまでの辛抱だと思って、耐えてほしい」


 ――は?


 クラリッサの手首からエドマンドの手が離れる。


 ――エドマンド様は、私が無理やり結婚させられるのだと思ってらっしゃる?


 クラリッサは令嬢がしてはいけないような表情で眉をしかめたが、椅子に腰を下ろして視線を下げてしまったエドマンドの視界に入ることはなかった。


 手元のペン。

 インク壺に浸す。

 クラリッサは迷いなく署名した。


 ――結婚してしまえば、こちらのものよ。


 クラリッサは美しく笑んでみせたが、顔を上げたエドマンドは、それ以上に艶のある微笑みで返しただけだった。





 それが、昨日のこと――。


 当然のように初夜にエドマンドは寝室へ来なかった。朝食も、ティータイムも、晩餐も、彼は姿を見せない。そして窓の向こうでは、また夜の帷が降り始めている。


 ――これは……。


「エドマンド様に早々に結婚相手を見繕われてしまうかもしれない」


 壁に控えている侍女のミレイユがかすかに身じろぎをした。

 

 書き物机に向き合っているクラリッサは熟考した。顎に手を添え、それはもう真剣に考えた。


 ――まずは、娘から攻略するか……。


 ――それから……。


 せっかく憧れの方と結婚できたのに、お顔さえ拝見できないなんて、地獄にも程がある。


 思いついたとばかりに、彼女は手を打った。


「そうだ。

 家庭内ストーキングしよう」


 ミレイユの肩がびくりと震えた。


 



 翌朝、クラリッサは早起きをした。

 侍女を叩き起こすのは忍びないので、自ら衣装室に入り、自らモーニングドレスを選んで袖を通した。


 ――だが、クラリッサは気づいた。

 背中のボタンを留められないのである。


 仕方がないので、背中を全開にしたまま椅子に座り、侍女たちを待った。

 窓の向こうの青空は、ため息が出るほどに美しい。


 やがて、ミレイユを先頭に使用人たちが部屋に入ってきた。

 椅子に静かに座るクラリッサを見て、彼女たちは思わず息を呑む。

 時計を確かめる。

 部屋を見回す。

 到着が遅れたことにお叱りを受けるのではないかと、とてつもない緊張が走った。


 当のクラリッサは、彼女たちを見て肩をすくめた。


「……うまくいかないわね」


 ふっと笑うと、自ら彼女たちに近づき、背中を見せた。


「背中をお願い。

 旦那さま見学に行きたいのに、初っ端からうまくいかないわ。……なぜかしら」


 ミレイユがボタンを留めはじめる。


「一人でも着られる服が欲しいわね。

 あぁ……あなたたちの制服を一着融通してもらえないかしら?

 一人で着られる仕様なのよね?

 それ。

 ……案外いい考えかもしれないわ。

 使用人に紛れて旦那様のお部屋にも入れるのではなくて?

 お茶などを旦那様にお出しできたりして……。

 つまり、お仕事をされている旦那様を拝見できる……?

 ……待って。

 それは最高すぎるわ」


 後ろから、ふっと笑い声が漏れた。

 クラリッサが振り返ると、ミレイユが笑いをこらえて歯を噛み締めている。他のメイドたちも、クラリッサから顔を背け、肩を震わせていた。


「……何か楽しいことがあったの?」

「いえ……。

 奥様、明日からもっと早くお部屋に参ります」

「それは申し訳ないわ……」

「いえ……。旦那様を落としましょう。協力いたします」


 クラリッサは不思議そうに彼女たちを見る。


「それは心強いけど……」


 ――なぜ?


 クラリッサはドレッサーの前に移動すると、椅子に腰を下ろした。


「簡単でいいの。旦那様を見に行きたいから」

「かしこまりました。急いでお支度させていただきます」


 ――クラリッサはこうして無自覚に仲間を得た。

 




 有能な使用人によって、エドマンドは午後から王宮に出仕するという情報を得たクラリッサは、アシュフォード邸の廊下を歩いていた。

 胸に手帳と鉛筆を抱えてしずしずと歩く。


 クラリッサに与えられた夫人のための部屋とエドマンドの部屋は、寝室を挟んで隣り合ってはいるものの、鍵が向こうからしっかりと掛かっていた。

 もちろん初日にそれは確認した。


 エドマンドの私室の向こうには彼の書斎があるが、仕事をしている部屋はまた別のところにあるのだと、これもまた有能な使用人から聞いた。

 彼の執務室は人の出入りもあるため、生活棟とは異なる本邸に位置しているのだという。


 だから彼女は長い廊下を歩き、石の階段を下り、渡り廊下でもある回廊へ足を踏み入れた。


 回廊の向こう。

 クラリッサは息を呑んだ。


 少女がいる。


 胡桃色の髪。深い藍の瞳。

 色味はエドマンドに似ていない。

 だが、どこか儚げなその雰囲気と、切れ長の瞳、薄い唇は彼そっくりだった。


 ――セシリアだわ……。


 彼女とも、結婚前に一度挨拶を交わしただけ。

 

 クラリッサはゆっくりと、セシリアに近づいた。頬を緩ませ、優しそうに見える微笑みを作る。


 セシリアも顔を上げたまま、クラリッサの方へ歩いてきた。


「セシィ、おはよう」


 すれ違いざまにクラリッサがそう言うと、セシリアはパッと彼女に顔を向ける。その柳眉がはっきりと吊り上がった。


「あなたなんかにそう呼ぶ許可を出した覚えはありませんわ!

 今すぐお父様から離れて!」

「え……」


 クラリッサが目を見開いて固まると、セシリアの背後にいたしつけ係兼侍女のアグネスが眉を寄せた。


「お嬢様。そのような物言いは失礼にあたります。

 クラリッサ様は、正式に奥様となられた方なのですよ」


 アグネスがセシリアの代わりにクラリッサに向かって頭を下げる。クラリッサは反射的に「……いいのよ」と言ってしまった。


 ――いやいや、全然良くはない。


 セシリアはじっとりとクラリッサを睨みつける。


 そして、


「フンッ!」


 と言って顔を背けた。

 クラリッサは唖然と口を開ける。


 ――“フンッ”と言って顔を背ける人って実在したんだわ!


 セシリアが歩き出すと、アグネスがもう一度頭を下げてから彼女の後につき、二人が去っていった。


 その背を、見送る。


 クラリッサは口元に手を当てた。


 ――あれを攻略?

 ――超難易度だわ……。


 回廊を、風が吹き抜けていった。





 クラリッサは深色の扉に耳を当てた。


「あの……奥様……」

「しっ……黙って……」


 その扉はもちろんエドマンドの執務室の扉。

 クラリッサはエドマンドの声を、ほんのわずかでもその耳に届かせようと努力してのことである。


「……旦那様。少し休憩されては?」

「だが、会議に間に合わないだろう。午後一だ。陛下も出席される」

「ですが……。

 せめて甘いものでも召し上がりますか?」


 空気がふっと柔らかくなった。


「ふふ。そうしようかな」

「甘い紅茶もご用意いたしますか?」

「甘い食べ物に甘い飲み物だなんて……。

 贅沢だね」


 エドマンドが笑っている。


 ――旦那様。

 無糖紅茶一択みたいなお顔をしておいて、甘いものがお好きなの……?


 クラリッサは素早い筆記で、手帳に書き付けていく。ミレイユはただ静かに隣に控えていた。


 その時――


 扉が開く。


 クラリッサは驚いて顔を上げた。

 向こうにはエドマンドの従者ヴィクター。エドマンドと同世代の彼は、まっすぐに立っていた。


 互いに目を見開く。


 一度扉が閉められた。

 

 向こうから声が漏れ聞こえてくる。


「どうしたの? ヴィクター」

「……あ……いえ……その……。

 何でもございません。すぐに甘味をお持ちします」

「あぁ、よろしく」


 もう一度扉がゆっくりと開けられる。


 ヴィクターはクラリッサに手で部屋の中を示した。

 クラリッサは首を振る。


 ヴィクターは部屋から出ると、後ろ手で扉を静かに閉めた。


「奥様……どうされたのですか?」

「あなたに聞きたいことがあるわ」

「……私ですか?」


 クラリッサはヴィクターに詰め寄る。


「……旦那様は、甘党なの?」


 ヴィクターの目が一瞬泳ぐが、彼はすぐに表情を繕った。


「あまり他言されないようにお願いいたします。旦那様は人に知られたくないようですので」

「他に旦那様がお好きなものは?」


 ヴィクターが助けを求めるようにミレイユを見るが、ミレイユははっきりと顔をそらした。


「奥様……ご自分でお聞きになられては?」

「それが出来たら苦労しないのよ」

「……旦那様の甘味をお持ちしたいのですが」

「そうだったわね。行きましょう」

「え?」


 クラリッサが歩き出し、ついてこないヴィクターを振り返った。


「調理場へ向かうのでしょう?」


 ヴィクターが眉を下げる。


 クラリッサはこうしてヴィクターにくっついて回り、旦那様について根掘り葉掘り尋ねた。

 素晴らしい情報源を手に入れたのである。





 葉擦れの音。

 風に乗って届く、花の香り。


 クラリッサはガーデンテーブルの上にカップを戻す。

 つい、頬が緩むのが抑えられない。


 庭園の一角に置かれたテーブルに向かい、クラリッサは一人でティータイムを楽しんでいた。テーブルの上に、そっと手帳を広げる。


 ヴィクターから仕入れた情報はなかなか質が高かった。自分の走り書きの文字をそっと指先でなぞる。


① ㊙旦那様は甘党

② 旦那様は黒い服がお好き

③ なのに薄桃色のお花がお好き

④ 社交界で“寡黙で近づき難い”と言われていることを気にしていらっしゃる


 ――旦那様……。

 あんなに凛とした美しい方であるのに……。

 甘党で、薄桃色のお花が好きで、ちょっと自分に自信がないだなんて…………。


 クラリッサは手帳で顔を覆った。

 呼吸が知らずに震えている。


 ――私の推しが最高すぎる件!

 

「ふふ……。ふふふふ……」


 喉の奥から笑い声がどうしても漏れ出る。

 そばにいたミレイユはもはや微動だにしなかった。


 だがその時――

 彼女に近づく影。


 クラリッサはその気配に顔を上げた。

 途端に手から手帳が引き抜かれる。


「あっ! それは!」


 セシリアはクラリッサから奪った手帳の文字に視線を滑らせた。


「お嬢様!」


 アグネスがそれを取り返すと、深々と頭を下げながらクラリッサの手に返す。


 セシリアは腰に手を当ててクラリッサを見据えた。


「なんですの!?

 この破廉恥な内容は!」


 ――……破廉恥?

 私の知る“破廉恥”と意味が違うのかしら……。


 クラリッサも立ち上がり、セシリアの前に立つ。


「セシィ。人のものを勝手に取るのは良くないことよ。しかも目を通すだなんて。

 ――まずは謝りなさい」


 セシリアの眉が吊り上がった。


「その呼び方は許可していませんわ!」


 クラリッサはきょとんと娘を見つめ、呑気に頬に手を添える。


「……でも、私、あなたの“母”になったわけだし――」

「そんなの認めませんわ!

 いいですか!?

 お父様は聖域なのです!

 ぽっと出の女が踏み込んでいいお人ではないのです!!」


 ――今“聖域”って言った……?


 クラリッサは腕を組んだ。


「……エドマンド様はギャップ萌えが最高な可愛らしいお方ですわ。

 聖域だなんて、そんな遠ざけるような物言いはどうかしら」

「可愛らしいですって!?

 あなた、何にもお父様のことが見えていませんわ!」

「はぁ!?

 あの艶の奥に甘い物好きだなんて秘密を隠されているのです!

 お可愛らしい以外に何があるというのですか!

 あなたこそ、何も見えていない青二才なのではなくて!?」

「こ……この女!」


「お嬢様!」


 アグネスが二人の間に入った。

 セシリアはきつくクラリッサを睨みつける。


「フンッ!」


 そして顔を背け、向こうへと歩き去っていった。


 ――また“フンッ”って言った!


 クラリッサは愕然としてその背を見送る。

 視線を落として手元の手帳を見つめ、ハッとしてまた顔を上げた。


 ――娘を攻略するつもりが、喧嘩をしてしまったわ。


 彼女は力なくその場にしゃがみ込んだ。


「奥様!」

「……前途多難すぎる」


 ミレイユがクラリッサの背中をそっと撫でた。


「明日の旦那様は……」

「明日は早朝に出仕されたあと、午後は屋敷に籠もられると聞いております」

「そう……忙しくなるわね」

「え? あ、はい。そうですね」


 クラリッサはそっと手帳を胸に抱いた。

 




 翌日の午後。

 クラリッサは物陰に潜んでいた。


 仕事一辺倒のような顔をしたエドマンドが珍しく邸宅のサロンにいる。花を持ってきた業者と話をしているようだった。テーブルの上に並べられた切り花の一本一本を、その細長い指で持ち上げている。


 クラリッサは、息を呑んだ。

 

 並んだ大きな窓から差し込む柔らかい光が、艶のあるエドマンドの髪をしっとりと濡らしている。

 表情はほとんど無表情だった。

 だが、時折、その口角がわずかに上がる。


「うっ……」


 クラリッサは胸を押さえた。大きな棚の影で蹲る。ミレイユが心配げに彼女の背をさすった。


 ――笑顔の破壊力が半端ないですわ……。


 ふと、エドマンドのそばにいたヴィクターと目が合う。

 気づかれたかとクラリッサの肩が震えた。


 ヴィクターは表情を変えずに、クラリッサとエドマンドを見比べると、一歩、引いた。


 ――彼が退いたおかげでエドマンド様が見えやすくなったわ!


 クラリッサがヴィクターを見つめると、彼は小さく頷く。


 ――有能!


 続いてヴィクターは、ミレイユに視線をやり、扉に視線を滑らせた。


「……奥様。お客さまがお帰りになるようです。

 旦那様にお茶をお出ししましょう!

 そのままお茶会に持ち込むのです」

「……今のでよく分かったわね……」


 ミレイユはクラリッサの腰に手を添えると、彼女を立たせ、こっそりと二人は部屋を出た。





 ティーワゴンを押して二人が戻ってくると、ノックを待たずに扉が開く。

 扉を開けた張本人であるヴィクターは淡く笑み、クラリッサたちを中へと導いた。


 サロンの中央。

 ソファに身を預けているエドマンドがゆっくりと振り返る。クラリッサに気づくと、彼は眉を上げた。


「クラリッサ嬢……」

 

 毛足の長い絨毯。

 歩くたび、ふかりと足元を包み込む。

 クラリッサはゆっくりと歩いて、彼のソファ脇に立った。


「“嬢”ではありません。

 もう結婚していますから……」

 

 エドマンドは彼女を見上げると、苦く笑った。

 一瞬だけ香り立つ、彼のオードトワレ。


 ヴィクターがテーブルに並べられている書類と花をまとめて回収しようとしたが、エドマンドは小さく手を上げてそれを止めた。


「ヴィクター、待ってくれる?」


 従者の手から花を抜き取る。

 クラリッサをちらりと見ると、色とりどりの花から薄青の花を選び、その茎を短く折った。


「ほら。クラリッサ、屈んで」


 言われるままにクラリッサが屈むと、エドマンドはその花を彼女の髪に挿す。


 舞う、花の香り。

 指先の熱が、ほんのわずかに触れる。


「うん。可憐だね。よく似合うよ」


 彼はふっと短く笑った。

 顔をあげられずにいるクラリッサの頬は真っ赤に茹だる。

 

 


 

 それから一瞬記憶が飛んだが、気づけばクラリッサはエドマンドの正面のソファに腰を下ろし、紅茶のカップを持ち上げていた。


「この花はね、うちの庭園でも育てているけど、領地でおもに栽培しているものなんだ。香油が採れる」

「そうなのですね」


 エドマンドはクラリッサをじっと見つめる。


「やっぱり可愛らしい女の子を花で飾るのはいいね。

 ……なんて、いかにもおじさんみたいなことを考えてしまった」


 艶のある微笑み。

 クラリッサの髪には彼が挿した花がそのまま。手元には先ほど彼が持っていた花々が簡単に麻紐で括られたもの。気を利かせたヴィクターがまとめてくれたのだということは、なんとなく覚えている。


 その中の、淡桃の花。


「あの……エドマンド様は淡桃の花がお好きだと伺いましたが……具体的には何というお花がお好きなのですか?」


 エドマンドの視線が、花束に落ちる。ゆっくりと彼は視線を上げると、あまり表情を変えずに、小さく首を傾げた。


「……淡桃の花は、“花”って感じがするでしょう?」

「“花って感じがする”……?」

「特に好き嫌いはないけど、淡桃は特に“これは可憐な花”という印象が分かりやすくて……面白く思っている」

「“面白く思っている”?」


 ――感覚が斬新すぎるわね!?


「うっ……」


 ――なんて私の推しは愛くるしいの……


 クラリッサは顔を手で覆い、勢いよく俯いた。


「クラリッサ?」


 エドマンドが慌てて腰を浮かすも、ヴィクターが彼の肩に手を置き、ミレイユもエドマンドに向かって首を振った。


「旦那様、問題ありません。

 奥様はある意味、病をお持ちですが、問題のない病ですので、どうかお気になさらず」


 無表情のヴィクターがそう言うも、エドマンドは眉を寄せて従者と、クラリッサの侍女を見つめる。


「しかし――」


 クラリッサは平然と身を起こす。


「ところで旦那様」

「え?」

「セシィについてなんですが……」


 ――セシィから下手なことを告げ口されてはたまりませんもの。先に謝っておくに限りますわ。


「嫌われてしまったようで……。

 申し訳ありませんわ……。

 彼女とは、もう少しお時間をいただきたく思います」


 エドマンドはきょとんとクラリッサを見つめ、遅れて微笑んだ。そして、ゆっくりと首を振る。


「セシリアは、少し気難しい娘でね。幼い頃に母を亡くしてしまってから、頑なになってしまった。

 そんな彼女と君が仲良く話をしていると、使用人たちから話は聞いているよ。

 ――本当にありがとう」


 ――“仲良く”?


 クラリッサは眉を寄せてミレイユたちを見るが、彼女たちは頷くだけだった。


「……それから、クラリッサ。

 君はどんな男性が好きなのかな。

 伴侶を選ぶのに、参考にしたい」


 クラリッサはますます眉を寄せる。


「落ち着いていて、艶があって……」

「年上が好きなのかな?」

「その通りです。

 それから、瞳が黒くて、甘党で、花のことが思いのほかよく分かっていなくて、優しくて、家族を大切にしていて、仕事に対して責任感があって、社交界で“近寄り難い”なんて言われることを気にしているような……。

 ――そんな方が好みです」

「ふぅん」


 エドマンドは顎に手を添えて、しばらく思案していた。

 それを、クラリッサは緊張して見つめる。


「ちょっと思い当たらないな」

「え!?」


 ――あなたのことですけど!?


 エドマンドはクラリッサをまっすぐ見つめた。


「大丈夫。ちゃんと探し出す」


 ――この鈍感め! 


「あ……はい」


 こうして、旦那様との茶会は平和に終わった。

 




 クラリッサはこの日も庭園で手帳を眺めながらティータイムを一人で過ごしていた。ゆっくりとページをめくる。


 ――だいぶ情報が増えてきた気がするわね。


 口端を持ち上げ、不敵に笑った。


 ふと、顔を上げる。

 背後にいたミレイユと目を見合わせた。


 庭園の小路を横切り、こちらに駆け寄ってくるのは――セシリア。黙っていれば相変わらずとんでもない美少女である。


 クラリッサはおもわず手帳を胸に抱きしめた。


「あなた!」


 セシリアの眉が吊り上がる。


「“お母様”と呼んでほしいわ」

「あなた! お父様の仕事中に部屋にお邪魔するなんてどういう了見なの!

 常識がなさ過ぎるわ!

 これ以上お父様の神聖なる領域を侵したらただじゃおきませんわよ!」


 セシリアの背後にいるアグネスが顔を真っ青にして俯いている。おそらく諦めたのだ。


「セシィちゃん。ちょっとそこに座りなさいな」


 クラリッサはテーブルの向かいの椅子を手で示す。セシリアは言われるがままにそこに座った。


「いい子ね!

 セシィちゃん、エドマンド様がなぜ淡桃色のお花がお好きかご存知?」


 セシリアは膝に手を置き、手本のような姿勢の良さで座っている。


「はぁ?

 聖域であるお父様は花なんて興味ありませんわ。領地開発の一環としてしか見ておりませんもの。

 あなたの目は節穴?」

「エドマンド様が花に興味がないことは正しいけれども。

 エドマンド様はね、いかにも“花”っぽいから淡桃のお花がお好きなのよ!

 おわかり!?」


 セシリアが眉を寄せたままクラリッサの瞳をまっすぐに見つめた。


「斬新な感性の持ち主なのよ!」


 セシリアの眉がぴょんと上がる。

 

 遅れて、セシリアは両手で顔を覆った。

 クラリッサも両手で顔を覆う。


「お父様はやはり俗世から隔絶されているんだわ! 素敵!」

「旦那様はやはりお可愛らしいわ! 最高!」


 互いの声にハッとして顔を上げる。


「あなたまだ“可愛らしい”などと仰ってるの!?

 頭がおかしいのではなくて!?」

「あなたこそちょっと発想が厨二病じみているのではなくて!?」


 セシリアは腕を組み、クラリッサから顔を背けた。


「ハンッ!」


 ――“ハンッ”? ……新しいわ……。


「淡桃の花の話は確かに初耳でしたけど……。

 お父様は昔、藤の花とラベンダーの見分けもつかなかったのよ!

 つぶつぶした紫の花がついているという認識しかないのだから!」

「な……なにそれ……」

 

 クラリッサは目を見開いてセシリアを見つめる。


「お父様はもはや世間の常識など気にされる必要のない高みにいる方なのです。

 まさに聖域!

 まさに天界の住人ですわ!」

「……今も見分けはつかないの?」


 クラリッサの声は思いがけず震えていた。


「今はご存じのはずですわ。私が教えて差し上げましたもの!

 お父様の聖域に一滴の雫を垂らせるのは私だけですわ!

 最近ここへ来たばかりのあなたの情報なんて、まだまだ私の持つお父様聖典には遠く及びませんのよ!」

「“お父様聖典”……?」


 ――この娘、想像以上にヤバい子だわ……。

 

 クラリッサは震える指で手帳を開くと、藤とラベンダーの件を素早く書き付けた。


「ほ……ほかには……?」

「あなたに教えるわけないでしょう!?

 まったくこれだからにわかは――」


 クラリッサとセシリアの視線が交わる。

 まさに火花が散りそうだった。


「……ちょっと古参だからって偉そうに」

「十四年の重みは、そう軽いものではないのです」

「でもあなた、そろそろ婚約を調える時期なんじゃない?

 きっとお嫁に出されるわよ!

 長女だから婿を取ることになったとしても、妻である私がここにいる以上、あなたは他の屋敷を与えられると相場は決まっているわ!」


 セシリアが目を見開く。


「な……そ……そんな……」

「そう考えたら、これからの人生、旦那様のおそばにいる時間が長いのは私の方よね」


 クラリッサは高笑いをした。


 二人はこの後も延々とお父様/旦那様談義を続けた。


 翌日も、その翌日も、ティータイムはこうして二人で過ごしたのである。

 エドマンドはその報告を使用人から受け、二人は仲良くなったのだと喜んだに違いない。





 だが、平和な日々はそう長く続くものではない――



 ある日のティータイム。

 セシリアは席にはつかずに仁王立ちしたまま、クラリッサの前に立った。


「……どうしたの?

 セシィちゃん……座ったら?」


 セシリアは勝ち誇ったような顔をして振り返る。クラリッサも彼女の視線を追い、目を見開いた。


 向こうからこちらに歩いて来る姿。

 見間違うはずがない。


 ――エドマンドだ。


 クラリッサ達に小さく手を上げる姿は穏やかで、相変わらずどこか繊細で美しい。


「……旦那様をお呼びしたの?」


 セシリアは答えずに片側の口角を持ち上げているだけ。


 エドマンドがセシリアの隣まで来ると、彼は眉を下げた。


「……セシリア、やはり二人のお茶会に僕が参加するのは気が引けるよ。

 茶菓子だけ持ってきたんだ、それを二人で――」

「お父様。

 これは“茶会”などという生ぬるいものではありませんわ」


 エドマンドとクラリッサは眉を寄せてセシリアを見る。


「これは“公開処刑”ですわ!」


 セシリアはポケットからサッと手帳を取り出して見せた。

 クラリッサは目を剥く。

 慌てて自分の服を探るが、確かにそれが無い。


 ――嘘でしょ!?

 私の手帳、盗んだの!?


 顔を青ざめさせているクラリッサをよそに、セシリアはエドマンドの肘を取って席に座らせた。

 そして、クラリッサの手帳の表紙を彼に見せる。


「お父様、こちら、なんだと思います?」


「セシィちゃん! 私を裏切ったのね!?」

「裏切り……?

 私とあなたはそもそも仲間でもなんでもありませんわ」


 不敵に笑むセシリアを、クラリッサは歯ぎしりして睨みつける。

 挟まれたエドマンドは困ったように一度髪をかき上げた。


 風が吹く。


 彼の脇に立ったセシリアは恭しく、ボウアンドスクレープをしてみせた。


「では、不肖セシリア、音読をさせていただきますわ」

「おかしい流れだわ! 手帳を返しなさいよ!」

「“今日の旦那様も素敵でした。本日のトワレはムスクベース。黒のウエストコートにグレーのクラヴァット。朝食にはオムレツを完食。添えられていたトマトは苦手なようです。それでも眉を寄せながら完食。偉い! 最高! 午前中は宰相様が会議で話される資料の整理。昼食は紅茶とスコーン、たっぷりクリームとマーマレードで。甘いものですもの。とても幸せそうに召し上がっていました。そして午後は――”」

「本当に全部音読するつもりですの!?」


 椅子から立ち上がって手帳を取り返そうとするクラリッサをするりと躱し、セシリアは淡々と読み続けた。

 家庭内ストーキングをしているとはいえ、クラリッサがのぞけるタイミングなど限られている。ストーキング日誌は、その日の服装と食事のことばかりだった。


 読み進めるにつれ、エドマンドは言葉を失い、テーブルに肘をついて両手で顔を覆った。

 その手からはみ出ているその耳も、首も、朱に染まっている。


 ハッとしたクラリッサは生唾を飲んで、それを視界に収めた。

 セシリアも読むのをやめ、父を見つめる。


 二人は視線を交わらせた。


「顔を真っ赤にするお父様も、人間的な一面が人としての色気を感じさせますわ!

 素晴らしい!」

「日頃の表情の少なさに対して、この赤面!

 頬だけでなく首までとは! 芸術点が高すぎます! 最高!」

  

 エドマンドは長いため息をついた。


「まったく……」


 それを、ヴィクターをはじめとした使用人たちは、なんとも言えない表情で少し離れたところから静かに見守った。

 




 その夜。


 ベッドに寝転がりながらクラリッサが楽しく手帳を読み返していたところ、部屋にノックの音が響いた。

 ミレイユはもう下がらせた後である。


 クラリッサはスリッパに足を入れると、扉を開けた。

 そして、閉める。


「え!?」


 もう一度開けた。

 扉の向こうにいたのは、エドマンドだった。


「え!? 幻覚!?」


 彼は苦く笑っている。


「遅くに申し訳ない。どうしても手があかなくて。

 ――少し話せるかな」


 クラリッサは黒曜石の瞳をまじまじと見つめた。やがて一歩引くと、部屋を手で示す。


「どうぞ。お入りになって」

「ここではなくて――」

「この部屋は、エドマンド様のお部屋でもあるのですよ。

 “夫婦の寝室”ですもの」


 クラリッサの真っ直ぐな視線を受け、エドマンドは諦めたように小さく笑った。


「……そうだったね」


 クラリッサは迷いなく、ベッドに向かうとその縁に腰掛けた。エドマンドはぎょっとして彼女を見つめる。


「侍女を下がらせてしまったもの。明かりはこのサイドテーブルの燭台しかありませんわ」


 彼は細く息を吐くと、彼女の隣に腰掛けた。サイドテーブルの上に置かれたままの、彼女の手帳、それをちらと見る。


「それ」

「手帳ですか?」

「本当に君は、僕のことをよく見ていたんだね」


 クラリッサの頬がじわじわと赤くなった。

 エドマンドはそれを見て、淡く笑う。


「ヴィクターとミレイユに叱られてしまったよ。“奥様とちゃんと向き合ってください”って」


 エドマンドはゆったりと脚を組んだ。


「僕も、僕なりに君を見ていたつもりだよ。

 僕は、君の字がとても綺麗なことを知ってるよ。

 孤立しがちなセシリアとたくさん話をしてくれることも。

 使用人たちにも丁寧に接し、彼らの管理もしっかりできることも。

 それから、君はベリーのソースが好きだね。リンゴも好き。

 仕草は洗練されていて綺麗だ。

 だけど、時々お転婆さんなんだよね」

「……旦那様」


 瞳が、静かに絡まる。


「君はどうして、僕との結婚を受け入れたの?」


 静かな声。

 燭台の鈍い明かりは、壁に二人の影を大きく映し出していた。


「……ずっとお慕いしていました。

 ご存じでしょうけど、父も王宮勤めで、たびたび私も王宮に足を運んでいました。そこでいつも、お見かけしていたのです。

 陛下や宰相様がエドマンド様の再婚を強く望んでいらっしゃると聞いて、父にお願いして候補にねじ込んでもらいました」

「……そうだったんだね。

 僕は勘違いしていた」


 エドマンドがゆっくりと息を吐く。


「僕は周りから次期宰相だと言われている。その地位を持つ男の後妻にと、娘を勧めてくる貴族は多かった。

 君も、そういった政治に巻き込まれただけかと……」

「お慕いしています」


 真っ直ぐ。

 クラリッサは、ただ彼を見つめる。


 エドマンドは淡く笑むと、手を伸ばしてクラリッサの頭をそっと撫でた。


「……君は若くて美しい。

 後妻なんかに収まらず、もっといい結婚ができるはずだよ」


 クラリッサが首を振る。


「年上で、黒い瞳で、甘党で、花のことがよく分かっていなくて……それから、優しいんだっけ?

 君の好みの男性は」

「はい」

「僕が優しい人かどうかは自分では分からないけど……」


 エドマンドが、そっとクラリッサの手を取った。


「僕は、君の伴侶に立候補できるかな」

 

 クラリッサの瞳が揺れる。


「それとも……最初の誓いどおり、ちゃんと別の男を見繕った方がいい?」


 クラリッサの眉がきゅっと寄った。

 それを見て、エドマンドは低く声を立てて笑う。


「君はわかりやすいね。

 ……僕もちゃんと君に歩み寄りたい。

 だからまずは――」

「初夜のやり直しですか!?」


 エドマンドがまた笑った。


「まずは、一緒にお茶を飲むところから」

「えぇ~!?」

 

 燭台の火が、楽しそうに揺れた。





 それから、クラリッサとエドマンドの二人は少しずつ距離を縮めていく。

 きっと本物の夫婦になれる日も、そう遠くはないはずだ。





 後日談として――


 セシリアとクラリッサは、どちらの方がよりエドマンドを理解しているかのレポートをノートに書き、交換を始めた。

 客観的に見たら、ただの推し活交換日記である。


 そのノートの存在をエドマンドが知る日に関しても、そう遠くはないはずだ。



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