イラコ様のママはママだからママなんですよー。
何しろ、体験したことがない感覚なので想像するしかないが、いわゆる当たり前の家庭に生まれた人間にとって、母親というのは、例えば空気や水のように……。
世界を構成する当たり前の要素として、そこに存在するものなのではないかと思う。
だが、幼い俺にとっての母親というのは、そうではない。
同い年の妹であるディートにフィリア様が存在するように、この宇宙のどこかにいるらしい人物……という認識であった。
なぜか……といえば、その理由は単純。
俺が生まれるなり、母は惑星レクへと引き離されたからである。
全ては、皇妃であるフィリア様の精神的安定を図るため。
当時まだバーコードハゲじゃなかった宮内卿のこの判断がなければ、ディートは元より、第五皇子たち弟と妹の誕生や教育に、大きな影響を及ぼしていたはずだ。
そんなわけで、母親というのはどんなものなのかしら? などと薄ぼんやりと過ごしたのが、三歳までのこと。
フィリア様の怒りが、親父殿との間にドミクを設ける程度に緩和したのを見計らって、宮内卿は俺を惑星レクへと連れて行った。
他でもなく、俺を母親と引き合わせるためである。
そして、連れられてきたイセタウンで出会ったのが、母……。
母……母……。
……あれ? 母って名前はなんて言うんだろう?
まあ、とにかく俺の母親である人物……見た目は十代半ば、黒髪ショートボブのトランジスタグラマーなメイドさんが、両手をポンと合わせながらこう言ったのである。
「あらあら、なんて可愛らしい男の子なんでしょうー?
あなたが、イラコ様ですねー?
ママは、イラコ様のママですよー」
なんだろうな。
母親に対し、どうしても惹かれてしまうのは、男児というものの性かもしれない。
あるいは、後年になって思うところだと、ジーゲル家男児の遺伝的な性が、母のゆっさゆっさたゆんたゆんな部分に、どうしようもないほど惹かれていたのかもしれない。
「う……イラコ……です」
ともかく、とってもシャイな三歳児だった当時のイラコ君は、頬をリンゴのように紅潮させ、ドギマギしながらそう挨拶したのであった。
「うふふー。
本当に可愛らしい子ー。
ママはイラコ様のママなんですから、もっと素直に甘えてくれてもいいんですよー?」
そんな風に言われて、我慢できる子供というのがいるだろうか?
ああ、そうだ。
ぼくは母に甘えて……抱きついてもいいのだ。
ママにあいされるために、ぼくはうまれてきたのだ。
そう悟った当時の俺は、なぜか着替えさせられていた道着姿で、一生懸命に母へと走り寄り……。
「ママは、そんなイラコ様が死んでしまったりすることがないように、誠心誠意技を伝授しますねー」
「――ゑ?」
その直後……。
どんな体験をしたのかは、思い出したくない。
ただ一つ確かなのは、数十年にも感じられる密度の一ヶ月間を終えた後、三歳児だった俺の肉体は早くも筋肉が隆起し始め、全身には無数の打撲痕や裂傷が刻まれていたこと。
そして、その後どれだけ実力を身につけようとも拭えぬ死への恐怖が、心の奥底まで染みついていたことだ。
もっと、もっともっともっと強くならないと……。
強い奴に出くわした時――殺されてしまう!
修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ!
だが、修行して強くなったとて、油断してはならない!
結局、より修行していて強い奴が相手だった場合……殺されてしまうのだから!
逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ!
かくして、絶対に死にたくない銀河皇帝庶子ことイラコ・ジーゲルが誕生したのである。
なるほど、母というのは、息子の人格形成へ大きく影響するもの……。
やや特殊な形であったし、定期的に会いに行くとはいえ、年に三ヶ月程度の期間しか共に過ごせていなかったが……。
結局、俺たち母子も、当たり前の母親と息子であったということだろう。
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そんな母が、今、目の前にいる。
いや、それだけならば、絶対に死にたくないので与えられたベース艦を給糧艦に改装した結果、速攻で最前線送りとなるまでの間は、ままあったことだ。
ママ会ってたしな。
ダジャレをいってる場合ではない。
今回、俺はビッグな報告事を抱えているのであった。
「それにしてもー」
片手をプニップニな頬に当て、やれやれといった仕草をしてみせる母。
「例のー……なんでしょう?
『勇者武闘タイゴン』でしたかー?
イゾーロさんと一緒にあれを見た時には、本当に驚いたものですー。
スクリュースピンペガサス狼牙キックでしたかー?
……まさか、イラコ様があのように花拳繍腿な技を開発していようとはー」
瞬間。
ぞわり、と、全身の細胞が泡立つような感覚。
単なる意思の発露を超え、物理的な圧迫感すら伴うほどの殺気が、体の至る所を貫いたのだ。
それも――背後から。
「ぐわあああああっ!?」
いつの間に、そこへ立っていたのか。
ニッコニコ笑顔で俺の右腕を捻り上げる母で――痛い痛い痛い痛い痛い!
いっっっっっつっっっっっ!?
しかも、捻り上げるついでにツボを圧迫して気まで注ぎ込んでいるので、体がまったくいうことをきかない!
全身の血管という血管が血流を停止させ、麻痺してしまったかのようだ。
「もうーいけませんよー?
こんなに簡単に、後ろを取られてしまうなんてー。
もし、ママがママではなく、お調子に乗っている第四皇子様を暗殺しに来たクールな美人暗殺者M2乗りメイドだったら、どうするつもりなんですかー?」
モッチモチな頬をぷくーっと膨らませ、可愛らしく怒ってみせる母――だから痛い痛い痛い痛い痛い!
いだだだだだだだだだだっ!?
「イラコ殿下!?」
「こ、これは一体……?」
「え? このメイドさんが、話に聞くイラコのママなの!?
あのイラコが、子供扱い? いや、子供ではあるんだろうけど」
母による容赦なき折檻の光景を見て、マミヤちゃん、シレーネさん、ディートの三人がそれぞれなりの感想を漏らす。
「花拳繍腿って何?」
「なんつーか、派手なばっかりで中身が伴ってない技のこったな。
イラコママが一番嫌うタイプの技だ」
一方、こういった場面を見慣れているエステは、モグモグとイワシを食いながら国語の質問をしていて、アルファードは日常で絶対に使うことがなさそうな四字熟語の解説をしてやっていた。
「へっ……。
相変わらずの技の冴えだな。
さすが、いくつもの戦場を渡り歩いた“鋼鉄の侍女”だぜ」
「“鋼鉄の侍女”!?
なんすかそれ!? 超カッケーっす!」
一方、そういえば時たま俺の母について知ってる風なところを見せていたメケーロ爺ちゃんがにやりと笑いながら缶ビールを飲み、カワハラはそんな彼の言葉で目を輝かせていた。
……うん。
全体的な話をすると、だ。
「あだだだだだだだだだだっ!?
ギブ! ギブです! 母上!
やめてください!」
「まあー、ママはイラコ様に、いつも言ってますよねー?」
ぐいっと捻り上げる角度が深まり、ツボを圧迫する力も増す。
あぎゃああああああああああっ!?
「ま、ママ!
お願い、やめてママ!」
「あらあらー。
可愛いイラコ様にそう言われてしまったなら、ママは断れませんー」
お淑やかに頬を手で押さえながら、ようやく俺を解放する母。
ち、違う。
こんなの俺の役どころじゃない。
俺はもっとこう……物語の主人公的に活躍するポジションのはずだ!
あうう……。
「さすがはイラコママ。
今日もママなってる」
ふてぶてしい顔でイワシを食べ終えたエステが、上手い具合に(?)まとめた。




