第三皇子と書いてアホと読む 中編
「やです」
銀河帝国第三皇子ヴォルフ・ジーゲルにとって自慢であるのは、なんと言っても偉大なる父から受け継いだ頑健な肉体。
日々、たゆむことなく鍛え抜いた肉体は、運動能力だけでいくならば、第一皇子であるベルトルトすら凌駕していると確信していた。
そして、健全な肉体には健全な感覚器が宿る。
ヴォルフの視力は左右共に2.0。聴覚テストにおいても、問題が検出されたことはただ一度とて存在しない。
ゆえに、これは信じられぬ気持ちであった。
まさか、このヴォルフともあろうものが、聞き間違いをするなど……。
「ふうん……。
どうやら、さしものこのオレも、少し疲れているらしい。
まさか、聞き間違いをしてしまうとは、な。
イラコよ。
すまぬが、もう一度言ってくれるか?」
皇族らしい気品も気迫も一切なく、ゆるみきった貧相な顔つきに、他の皇子皇女とは異なる黒い縮れた髪の毛。
皇室の恥さらし――庶子にして第四皇子たる弟に尋ねると、なぜか末の妹を膝に乗せているこいつは、頭をかきながらこう言ってきたのだ。
「ですから、やです。
ハッキリと、お断りさせていただきます」
「ほおう……」
ピク、ピクと……。
まぶたがひくつくのを抑えきれないヴォルフであった。
まさか、出来損ないの第四皇子ごときが、自分の要求に否と返事してくるとは……。
長幼の序というものへ明確に反しているし、そもそもが、皇子の一人として数えられていることすら間違いな男である。
誰に教育を任せたのかは知らぬが、これは明らかに、人選を間違えた結果であると言えた。
「まさかな……。
貴様ごときの立場で、このオレにノーをつきつけてくるとは。
ずいぶんと偉くなったものではないか? ええ?」
「――お言葉ですが!」
イラコより先に口を開いたのは、茶を淹れてきた副官だか秘書官。
年若いアジア系の少女だ。
漆黒の軍帽付き改造軍服にフリル付きのミニスカートを合わせ、白いニーソックスと編み上げのブーツで足元を固めたスタイルは、女子広報士官用の服装。
ストレートの黒髪をヤマトナデシコスタイルで伸ばしており、翡翠の瞳が印象的な……なかなかの美少女ではある。
だが、アジア系はヴォルフにとって、まったく好みではない。
「――なんだ?」
「う……」
そのためもあってじろりと睨んでやれば、華奢な少女は何も言えずに身をすくませた。
「兄上、そのように睨みつけるものではない。
そこにいるマミヤ少尉は、俺の意思を代弁しようとしたまでのことだ」
「ほおう?
代弁とは、何を代弁しようとしていたのだ?」
「あなたの意思を汲む義理など、一切ないということですよ」
「ほう――驚いた」
ここでヴォルフが驚いたと言ったのは、別に嫌味の類ではない。
真実、心の底から驚いたのである。
あのイラコが、まったく臆することなく、さらりと反抗の意思を述べたことにだ。
覇気というものに欠ける……いや、見放された男であったが、少しは持ち合わせもあったか。
だが、それを総動員して述べたのだろう言葉は、ただヴォルフを不快にしただけ。
「まさか、貴様ごときがこのオレにたてつこうとはな」
「そのごときに助けられたのが、兄上なのですよ?
そういえば、通信機の不調により名乗るのが遅れましたね。
あれなる黒いM2の名は――タイゴン。
あなたが大っ嫌いな我が母上より受け継ぎし愛機です」
「――何!?」
これには、ヴォルフほどの胆力を持つ者であっても、目を見開かざるを得ない。
何故ならば、イラコの言葉を額面通りに受け取れば……。
「……まさか、貴様があのM2を操っていたとでも?」
「あまり、やりたくはありませんでしたがね。
死ぬかもしれない戦いに身を晒すなんて、ナンセンスだ」
ヴォルフの問いかけに、肩をすくめながら答えるイラコである。
不快なのは、傍らの黒髪少女が、得意げな顔をしていること……。
貴様らアジア人というのは、自分たちにひれ伏していればそれでいいのだ。
「あり得ん!
貴様ごときが――」
ともかく確かなのは、イラコが虚言を弄していること。
そのことを糾弾しようとしたが、イラコの膝に座るエステが口を挟んできた。
「――さっきから、わたしの話がないがしろになっている」
エステという末の皇族について端的に解説するならば、ギフテッドであり、美少女である。
幼き頃から、技術者として並々ならぬ才覚を発揮しており……。
例えば、現在の銀河帝国軍主力M2であるドンナーなどは、この娘が七歳の時に生み出した“作品”であるのだ。
そして、末恐ろしい美貌。
ヴォルフ同様に母から受け継がれた銀髪はツインテールとなっており、整った顔立ちと合わさって、現世に現れた妖精のごときである。
今は、女子広報士官用の服装をしているのだが、常通りテディベアを抱いているのが、可愛らしさを増していた。
何故か――イラコの膝に腰かけているが。
「おお、そうだったな。
どうだ? エステよ?
お前も腹違いのアジアハーフなどと一緒に行動するより、同じ貴き血脈であるこの兄と共にいた方が、嬉しかろう?
それに、あの合体で生まれたスーパーロボットは、見事の一言だった。
このように粗末な輸送船もどきとの合体で、あそこまで強力なマシーンが完成するのだ。
我が火力艦ヴェルダンディを修理すると共に、お前のテクノロジーを加えてやれば、さらに強力な兵器が生まれるに違いない。
まさに――一騎当千。
兄妹、仲良く手を取り合い、銀河帝国の未来を切り開いていこうではないか?」
イラコと違い、このエステこそは正真正銘の可愛い妹。
しかも、甘味配りで人気を勝ち取ったイラコと異なり、堂々たるスーパーロボットを完成させるに至っている。
十も年が離れている上に、少しばかり気性の分からぬところもあって、これまで距離を置いてきたが……。
ああも規格外の技術を有していると分かった以上、これからはこの兄から胸襟を開いてやらねばならないだろう。
そう思い、自他共に認める整った顔でもって、さわやかな笑顔を浮かべながら提案したが……。
「や。
同じバカなら、イラコの方がまだマシなバカ」
返事は、にべもないもの。
テディベアを抱えたエステは、じとりとした眼差しをこちらに向けたのだ。
「――な!?」
瞬間……。
ヴォルフの脳裏に湧き上がった怒りときたら、火山噴火のごとき激しき代物であった。
女子供が、年長の兄に対し、その提案を拒絶する。
どの常識に照らし合わせたとしても、決してあり得ることではない。
「きさ――」
そして、鍛え抜かれたヴォルフの肉体は、頭脳で考えるよりも早く反応していた。
ティーカップが置かれたテーブルの上に乗り出し、ワガママな妹へビンタをくれようとしたのだ。
「――があっ!」
しかし、それはすんでのところで阻止される。
一体、何をどうやったのか……?
今の今までエステを膝に乗せていたはずのイラコが、捉えきれぬほどのするりとした動きでヴォルフの右腕を抱え込み、テーブルに押し付けてきていたのであった。
「がああああっ!?」
抱えられた右腕を捻り上げられると、激痛と共に、背筋を冷たいものが駆け巡った。
息が――できない!
「弱い者を暴力で屈服させようとするのは、感心しませんね。
何より、気分がよくない。
今、こうして弱い者を暴力で屈服させてる俺ですが、決して気分はよくないですよ」
「あがあああっ!?」
完全に関節を極められており、抵抗のしようもない。
ただもだえ苦しんでいたヴォルフは、しかし、次の瞬間に解放された。
「――ぐうっ!?」
不意のことだったので、みっともなくテーブル上から床まで転がり落ちる。
そうすると、こぼれた紅茶が顔を濡らした。
「お、おのれらあああ……っ!」
「とにかく、大破した火力艦ヴェルダンディはこのアマテラスと随伴するクシナダが、責任をもって惑星レクまで曳航します。
では、自身の艦にお引き取りを」
見れば、いつの間にかエステは一人でソファに座っており……。
軽く軍服の裾を払ったイラコが、冷たい眼差しをこちらに向けている。
「……っ!」
それに対し、砕けんばかりに奥歯を嚙み締めたヴォルフであるが、もはやこの場で我を通す手段はなし。
「くそっ……!」
ゆえに、逃げ去るかのように談話室から出て、連絡艇が繋がれた連結口へと走り去るのであった。
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「ヴォルフを行かせてよかったの?
このままだと、ヴェルダンディを曳航するにも、色々と邪魔をしてきそう」
俺は、緑茶に余りものの羊羹。
エステは、紅茶と別に余ってないアイスクリーム。
マミヤちゃんに用意し直してもらったお茶と菓子でブレイクタイムをしていると、膝に乗ったエステが振り向きながらそう尋ねてくる。
「あー……ん」
それに対し、この体勢だと自分で食えないため、マミヤちゃんに切り出した羊羹を食わせてもらった俺は、少し考えてこう答えたのだ。
「まあ、問題はないさ。
実は、マミヤ少尉の手引きで、すでに手は打ってあるし」
「そうなの?」
「はい!
実は、そうなんです!」
羊羹の刺さった菓子切りを手にしたマミヤちゃんは、少しだけ得意げに薄い胸を張るのであった。




